「饗宴」プラトン
基本情報
初版 BC375年前後
出版社 光文社古典新訳文庫等
難易度 ★★☆☆☆
オススメ度★★★★☆
ページ数 295ページ
所要時間 3時間30分
どんな本?
古代ギリシャの哲学者プラトンが、ソクラテスを含む複数名に「愛とは何か」を語らせる平易な演説集。副題は「エロスについて」。平たく言うと飲み会での恋バナ集。別著『国家』で本格的に展開されるイデア論も見られる。
合計6名が愛について演説するが、前半は演説技法が未熟か、レトリックに頼り過ぎ。後半になるに従って、骨太な哲学的議論が展開される。ソクラテスが演説者に様々な質問を投げかけ、論点を整理することで、愛の本質に迫っていく様子は圧巻。
イギリスの哲学者ホワイトヘッドは「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」と言ったが、まさに現代まで続く「愛に関する議論」が次々と展開されていく古典の名著。
著者が伝えたいこと
エロスは、まずは肉体的な愛から出発し、やがて肉体を離れ、精神へ、そして最終的には美のイデアへの愛へと上昇していく。
著者
プラトン
Plato
BC427 – BC347
古代ギリシャの哲学者。師はソクラテス、弟子はアリストテレス。
シラクサ(シチリア島にあったギリシャの植民地)で理想の政治を実現しようとしたが失敗。アテネに戻ってアカデメイア(Academyの語源)という学園を創設して、幾何学・天文学・哲学等を教えた。
プラトンの思想の中心を為す「イデア論」では、現実世界に存在する物体や概念はすべて影であり、真実在=イデアは天上界にあると考える。
例えば、世の中には完璧な三角形というものは存在しない(仮に鉛筆で紙に三角形を書いたとしても、線を細かく分解していけば全て原子になってしまう。しかし原子には三角構造はない)が、人間は三角形がどのようなものか認識できる。よって、三角形の「理想形」のようなものがどこかに存在するはず、と主張する。
結果的に善や美にもイデアがあることになるので、人間はそれを追い求めるべきだという主張に繋がる。
こんな人におすすめ
哲学に対して「小難しい」というイメージを持っている人、「愛」に関する古典を読みたい人、プラトンに興味のある人
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要約・あらすじ
■紀元前416年、アテネで開催された「悲劇コンテスト」で、悲劇作家のアガトンが優勝する。アガトンは祝勝会として宴会を催すが、参加者が前日の宴会で酒を飲み過ぎていたことから、演説で時を過ごすことにした。
■演説のテーマは、最近、詩人たちから無視・疎外され過ぎているという「愛の神エロスの賛美」に決まり、参加者が一人ずつ演説することとなった。
*愛の神エロス・・・ギリシア神話に登場する恋心と性愛を司る神
(1)パイドロス
【人物】
弁論術に関心のある青年。演説は稚拙だが、教科書的で基本に忠実。エリュクシマコスと少年愛関係(エリュクシマコスが年長、パイドロスが年少)
【演説】
・エロスは最も古い神の一つであり、最も尊い。愛のためであれば、人は命を投げ打てるではないか。
・神話に登場するアキレウスとパトロクロスは少年愛の関係であったが、本来受動的で従属的な立場である年少のアキレウスが、年長のパトロクロスの仇討ちで命を投げ打った。この点は特に素晴らしい。
※本演説には、年長のエリュクシマコスを積極的に愛している年少の自分を擁護する意図がある
(2)パウサニアス
【人物】
ソフィストの影響を受けた知識人。アガトンと少年愛関係(パウサニアスが年長、アガトンが年少)
【演説】
・愛の神エロスには「天のエロス」と「俗のエロス」の2種類がある。
・「俗のエロス」は異性も対象とする肉体の美しさへの愛であるが、「天のエロス」は少年の精神の美しさにだけに向かう愛である。肉体の美しさは一時的で、精神の美しさは永続的なのだから、異性愛より少年愛の方が尊い。
・異国の無能で臆病な人々はいざ知らず、ここアテネでは、少年に求愛をすることも、少年が自分を愛してくれる人に全てを許すことも、とても素晴らしいこととみなされている。
・ただし、理性が芽生えていない幼い少年を愛してはいけない。また、優れた人物に身をゆだねることは美しいが、自制心のない人物に身をゆだねることは醜いことだ。
・少年愛は徳の教育という機能を持っており、それこそが天のエロスの働きである。
※本演説には、成人したアガトンと少年愛を続けて世間から批判を浴びている自分を擁護する意図がある
(3)エリュクシマコス
【人物】
医師。演説を飾り立てるレトリックはなく、理論的で科学的。パイドロスと少年愛関係(エリュクシマコスが年長、パイドロスが年少)
【演説】
・エロスの中でも「美しいエロス」と「醜いエロス」の2種類が対立するように、人間の体でも「健康」と「病気」や「温かい部分」と「冷たい部分」など、2種類の対立から成る。
・これは音の調和と対立からなる音楽も一緒である。調和という美しさを求めるのは「美しいエロス」であり、対立という醜さを求めたり、調和を求めすぎて快楽に浸るのは「醜いエロス」だ。
(4)アリストファネス
【人物】
喜劇詩人。喜劇「雲」でソクラテスを「若者を道徳的に堕落させる者」として描いた。
【演説】
・太古の昔、人間は球形をしていて、1人の人間に頭や生殖器が2つずつ、手足は4本ずつ備わっており、男・女・アンドロギュノス(男女双方の特長を兼ねる)の3つの性が存在した。
・しかし人間達は神に反抗したので、ゼウスは人間の体を真っ二つにすることにした。
・すると人間達は、元の自分の片割れを求めるようになった。この全体性への欲求と追求をあらわす言葉こそ「エロス」である。
・太古の昔に男だった人間は片割れの男を求め、女だったものは女を求め、アンドロギュノスだったものは異性を求める。世の中に異性愛と同性愛が存在するのは、このためだ。
・もし人間が恋を成就し、それぞれが自分自身の真実の恋人に出会って、太古の人間性を回復するなら、人類は幸福になることができる。
(5)アガトン
【人物】
饗宴の主催者。ソクラテスの哲学的論考と対局にあるソフィスト。パウサニアスと少年愛関係(パウサニアスが年長、アガトンが年少)
【演説】
・生き物の創造はまさに美を求めるエロスに拠るものであり、あらゆるものの創造は欲望とエロスを根源とする。
・よって、ゼウスを含むあらゆる神は、エロスの弟子と言うことができる。
エロスは神々の中でも最も美しい。また、徳も備わっている。
(6)ソクラテス
【人物】
詳細は後述
【演説】
・もしエロスが「善いものを求めるエロス」であり、「善いものは美しい」のであれば、当然ながらエロスは美しさを欠いているということになる。欠いてもいないものを求めることはできないからだ。その点で、アガトンの演説は矛盾している。
・私はこれと同じことをディオティマという女性哲学者に指摘された。彼女によれば、エロスは美しさを欠いているのだから、神ではない。神と人間の中間、精霊(ダイモーン)なのである。
・何故なら、エロスは女神アフロディテの誕生を祝う宴の席で、機知と策略の神ポロスと、貧乏神ぺニアの間に生まれた子だからだ。それ故、常に人は自分に欠けている異性を貪欲に求めて画策し続けるのだ。
・神はそれ以上に知恵を求めないし、愚か者もまた、自分に欠けているものを理解していないから、知恵を求めない。だからエロスは知恵と愚かさの中間的存在とも言える。
・愛されるもの(知恵)は完全で美しいが、愛するもの(エロス)は不完全だ。エロスが神と人間の中間であったり、知恵と愚かさの中間であるのは、それが理由だ。
・以上により、エロスとは「善いものや美しいものを永遠に自分のものにすることを求める行為」と定義できる。だからこそ人は容姿と心の美しい女性を求め、子を生し、永遠の不死を手に入れようとする。
・しかし、実際の子よりも、ホメロスの生んだ物語であったり、ソロンの生んだ法律の方が、永遠の名声を得て、人々の記憶に残る。つまり女性を交わって子を生すよりも、偉業や徳を生む方が尊いのだ。
・人は最初、容姿の美しい少年を追うが、いずれその虚しさに気付き、心の美しい少年、そして振る舞いの美しい少年、最後に知のある少年を追うようになる。
・その先には究極の美、絶対的で、永遠で、他の何からも影響を受けない美に至る(注:美のイデアのこと)。そこで初めて人間には生きる意味と真実の徳を生み出し、不死なる存在になる。
(7)アルキビアデス
【人物】
典型的な先導的民衆指導者(デマゴーグ)。ソクラテスが告発されたのは、彼の師と見做されたから。
【演説】
・ソクラテスは素晴らしい。ソクラテスの演説には誰もが魅了される。ソクラテスはいつも美しい少年を追い回していて、自分とも少年愛関係だが、体の関係を求めてこようとはしない。
・ソクラテスは戦場でも勇敢に振る舞った。朝まで立ちっぱなしで思索に耽ることもあった。
・ソクラテスは「美少年好き&無知」を装っているが、実際は「徳と知」を兼ね備えている。
プラトンのイデア論(別著『国家』より)
・例えば「最も美しい人間」と言われれば、誰でも頭の中にその姿を思い浮かべることはできるが、実際にそれと全く同じ人間は存在しない。
・この「可視界で知覚できる実在とは無関係に、可知界で思惟によって認識できる理想像」のことを、プラトンは「イデア」と呼んだ。
・よって、可視界では認識できない「善のイデア」も確実に存在すると考えた。
太陽の比喩(イデアはどのように把握されるか)
・可視界では、ある実在が光に照らされて初めて、人間はその存在を知覚できる。
・同様に、あるイデアは善のイデアによって照らされて初めて、人間はその存在を思惟できる。
線分の比喩(どのようにイデアに到達するか)
・線分AD(目で見える):何かの影や水面の映った姿(芸術)
・線分DC(目で見える):人間の周囲にある実在(現実)
・線分CE(目に見えない):思惟により想像できる知(数学)
・線分EB(目に見えない):哲学によって到達できる善のイデア(哲学)
・人間の認識は、Aの「実在に関する知覚」から始まり、段階的にBの「善のイデアに関する思惟」に到達する。
洞窟の比喩(哲学者の役割とは)
・線分AD:奴隷が見ている、洞窟に映った壺や鳥の影
・線分DC:壺や鳥自体とそれを照らす火
・線分CE:洞窟の外の世界があることへの思惟
・線分EB:洞窟の外にある太陽(善のイデア)
・哲学者は洞窟の外の真実を知った存在。その哲学者が洞窟に戻り、奴隷と話をしても、奴隷にはそれが理解できない。
※真実を知ったソクラテスが民衆に処刑されたのは、そういうことだとプラトンは暗に示している。
ソクラテスとは
ソクラテス
Socrates
BC 469-BC 399
古代ギリシャの哲学者。同時代の孔子(BC 552 or 551-BC 479)、釈迦(生没年諸説あり)と合わせて「3大聖人」と呼ばれたり、同じギリシャのプラトン、アリストテレスと合わせて「古代ギリシャ3大哲学者」と呼ばれたりする。
人間の自己とは身体ではなく霊魂であり、この霊魂をよい状態に保つことに人間としての幸福があるとの立場から、善や他の諸価値をロゴス(論理)によって吟味することを試みた。
ソクラテスの友人がデルフォイで「ソクラテス以上の知者はいない」という神託を受ける。一方、ソクラテスは「神が間違いを言うはずがない」という信念のもと、自分より優れた知者を探すが、皆、自分は知者であると言うものの、実際に大切なことは何も知らない。
そこで、同じ無知であれば、無知であることを自覚している自分の方が知者であるとの結論を得る(いわゆる「無知の知」)。
ソクラテスは当時アテナイで影響力のあったソフィストたちに、誰彼となく対話を挑み、自らが無知であることを悟らせようとしたが、その態度は民主政下のアテネの為政者から「国家の神々を崇拝せず、若い人々を惑わす危険な人物」と見なされ、BC399年に民衆裁判所で裁判にかけられることとなった。
本書に登場するアルキビアデスは、「ソクラテスが惑わせた若者」の一人で、裁判の原因となっている。弟子のプラトン著『ソクラテスの弁明』では、その際の弁明の様子が描かれている。
学びのポイント
なぜ男女は惹かれあうのか、なぜ同性愛があるのか
太古の昔、人間は球形をしていて、1人の人間に頭や生殖器が2つずつ、手足は4本ずつ備わっていた。性別は男・女・アンドロギュノス(男女双方の特長を兼ねる)の3つが存在した。
しかし人間達は神に反抗したので、ゼウスは人間の体を真っ二つにすることにした。
すると人間達は、元の自分の片割れを求めるようになった。この全体性への欲求と追求をあらわす言葉こそ「エロス」である。
分断される前に男だった人間は片割れの男を求め、女だったものは女を求め、アンドロギュノスだったものは異性を求める。世の中に異性愛と同性愛が存在するのは、このためだ。
もし人間が恋を成就し、それぞれが自分自身の真実の恋人に出会って、太古の人間性を回復するなら、人類は幸福になることができる。
アリストファネス(趣旨要約)
本書「饗宴」の中でも、最も広く知られたエピソードで、「なぜ男女は惹かれあうのか、なぜ同性愛があるのか」を同時に説明している。
英語の表現で、パートナーのことを”one’s better half”と呼ぶことがあるが、このエピソードが由来となっている。
科学技術が進歩した現代から見ると荒唐無稽ではあるが、「今ある世界が、なぜ今のように出来ているのか」を説明する数多くの神話・伝説・物語の中では、ピカイチに説得力があるのではないだろうか。
この手のエピソードにおける日本での代表例と言えば、「古事記」で展開されるイザナギとイザナミによる「国生み」だろう。
イザナギとイザナミが新しい国を作るために「天の沼矛(あめのぬぼこ)」で混沌とした地上を掻き回す。矛を引き上げてみると、矛の先から何かが滴り落ちて、島が出来る。
矛は明確に男性器を指しているし、掻き回した先は女性器、矛の先から滴り落ちたものは。。。まあ、そういうことだろう。
と、無粋な解説をせずとも、古事記は次のように続く。
イザナミはイザナギに「私の体には足りない部分がある」と言い、イザナギはイザナミに「私の体には余った部分がある」と言う。
その後、二人は「余ったところで足りないところを補って、国を生もう」と合意する。
なんとも、おおらかな神話である。
「人格の同一性」という哲学問題
人は子どものころから老年に至るまで、同一の人物だと言われる。だが、その人は、同一の人物だと言われながらも、その構成要素は決して同じものではなく、たえず新しいものになり、また、ある部分は失われていくのだ。毛髪も肉も骨も血も、体全体がな。
このような現象は、体ばかりでなく、心においても起こっている。習慣、性格、思考、欲求、快楽、苦痛、不安――このようなものはいずれも、それぞれの人の中で同一の状態が存続することは決してなく、あるものが生じたかとおもえば、あるものは消えていくのだ。
ソクラテス
いわゆる「人格の同一性」という哲学において定番のテーマが取り上げられている。「西洋哲学の歴史とはプラトンへの膨大な注釈である」と言われる理由がよく分かる。
近代において、これを最初に体系的に取り上げたのはイギリスの哲学者ジョン・ロックの『人間知性論』で、ロックは人格の同一性を「理性が継続しているかどうか」で判断している。
ちなみに、人間には約60兆の細胞があり、毎日約1兆個が入れ替わっている。ただし、だからといって2か月で全てが入れ替わるかというとそうではなく、例えば脳細胞は一生入れ替わらない。
「脳の神経はコンピュータの基盤のようにネットワークをつくり、その部分ごとにさまざまな記憶をため込んでいるので、入れ替わるわけにはいかない」というのが科学的説明だが、結果としてロックの主張を裏書きすることになっている。
人事部長のつぶやき
いわゆる「プラトニック・ラブ」とは
人は最初、容姿の美しい少年を追うが、いずれその虚しさに気付き、心の美しい少年、そして振る舞いの美しい少年、最後に知のある少年を追うようになる。
その先には究極の美、絶対的で、永遠で、他の何からも影響を受けない美に至る(注:美のイデアのこと)。そこで初めて人間には生きる意味と真実の徳を生み出し、不死なる存在になる。
ソクラテス(趣旨要約)
このエロス論は、いわゆる「プラトニック・ラブ(プラトン的な愛)」という言葉の出所の一つになっている。現代では「肉体的欲望を伴わない精神的恋愛」として賛美されるが、本来の意味するところでは、肉体的欲望と精神的交わりは一体である。
これは「肉体的欲望」に振り回されがちな(?)男性諸氏には朗報なのではなかろうか。人間に内在する激しい肉体的・精神的欲求が、人を美のイデアへと導くのだから、自分の煩悩を恥じる必要はない。あのプラトンですら、認めてくれているのだから。
ちょっと都合よく解釈しすぎですかね・・・
古代ギリシャの「少年愛」
愛する人にとって、優れた少年よりもよいものがあるのかと問われても、ぼくには答えることができないのです。
パイドロス
これは少年愛のことを語っているが、現代的な同性愛とはやや意味合いが異なり、古代ギリシャでは「パイデラスティア」という名で制度化されていた。
①成人男性と少年(12~18歳)の性的関係であること
②成人男性が主導的で少年を性的対象として見る一方、少年は従属的で成人男性には親愛の情を持つという規範があったこと
③教育的機能が備わっていたこと
④両者の関係は、少年が成人になると解消されること
ソクラテスは青年を口説き落とす達人だったそうです!
性欲はあらゆるものの根源
生き物の創造はまさにエロスに拠るものであり、技術の創造も芸術の創造も、欲望とエロスを根源とするのだ。
よって、ゼウスを含むあらゆる神は、エロスの弟子と言うことができる。
アガトン(趣旨要約)
エロスをあらゆるものの頂点に置いてしまう、大胆演説である。しかし、少なくとも男性においては、肉欲が強烈なモチベーションになることは否定できないだろう。
「女性からモテたい」と思う感情は当然ながら、VHSやフルカラーの動画技術が広く普及したのも、その手のものを見たいという男性の根源的欲求とは決して無関係ではない。
後世、ドイツの哲学者ニーチェは「人生に生きる意味や目的や価値など存在しない。それを司る神も存在しない。存在するのは人間が「より強くなりたい」と願う「力への意志」だけである」と喝破したが、このエロス論に通ずるところがある。
10代から20代の男性が持つ性的欲求を集めれば、どんな難事でも達成できる気がします・・・