【人事部長の教養100冊】
「プラグマティズム」ジェイムズ

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プラグマティズム(表紙)

「プラグマティズム」
ウィリアム・ジェイムズ

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基本情報

初版   1910年(日本では1957年)
出版社  岩波文庫
難易度  ★★★★☆
オススメ度★★☆☆☆
ページ数 240ページ
所要時間 3時間00分

どんな本?

「世の中には絶対的真理が存在する」という哲学的抽象論に終止符を打ち「現実生活で実際に役立つかどうかが、理念や概念の真偽を決める」とするアメリカ的実用主義のバイブル。

論理や思考を積み重ねて真理に至るヨーロッパ的思想でも、人間としてあるべき姿を経験から導く東洋的思想でもない、まさにアメリカ的功利主義を理解するために必読の定番教科書。思考の幅が必ず広がる一冊。アメリカ人を理解するうえでも必須の教養。

「プラグマティズム」とは

■簡単に表現するなら「形而上学的で抽象的な理念論を排し、現実世界でどれだけ有用であるかをもとに、ある概念が正しいか否かを判断する」という哲学のこと。「唯一の真理を追求するのをやめる」「現実世界で役に立たない概念は、何らの意味も持たない」とする。

■方法Aと方法Bがあった場合、事前にどちらが観念的に正しいかを議論しても結論は出ない。現実生活で、より報いてくれる方法が正しいとするような考え方。例えばキリスト教が正しいかどうかは、それを信じた人が幸福な人生を送っているかが決める。

■ダーウィンの進化論(1859年)やニーチェの「神は死んだ」の宣言(1882年)で、唯一絶対の神や真理に対する信頼が揺らぎ、科学vs神学の論争に発展した19世紀後半に誕生した。

■当時のアメリカでは社会の多様化が進んでおり、「常識」でも「哲学」でも「科学」でもなく、普遍的に共有できる価値観(=プラグマティズムの場合は有用性)が求められる土壌にあった。

著者

ウィリアム・ジェームズ
William James
1842-1910

William_James

アメリカの哲学者、心理学者。友人であるチャールズ・サンダース・パースが唱える「形而上学的な理念論争に意味はない。その結果で何が正しいかを判断すべきだ」というプラグマティズムを紹介。その考え方を継承し、本書を著した。

こんな人におすすめ

アメリカ人の根本思想を理解したい人、既存の宗教や哲学がいまいち腹落ちしない人

書評

哲学者による演説を書籍化したもので、非常に難解。しかし、前半部分は「絶対的な真理があるという合理論」を批判しているだけなので、ナナメ読みでも構わない。現代から見ると、自説を批判されまいとして躍起になって理論武装しているような感覚を受ける。

言いたい事は極めてシンプルなのに、学問的精緻さを求めるがあまり、かえって敷居を高くしている典型例。全文を真面目に読む必要はなく、要約だけ理解すれば十分。

(私も含めて)素人が純哲学的に本書を100%理解することは難しいと思われるが、プラグマティズムの精神に則り、各自にとって有用な部分だけ理解できればそれで良いのではないだろうか。

ウィリアム・ジェイムズ
(岩波文庫)

※アメリカを理解する上で必須の「実利の哲学」!

要約・あらすじ

第1講「哲学における今日のジレンマ」

■哲学界ではこれまで、普遍的真理から世界を統一的に説明する「合理論」と、経験的な事実を集めて全体を説明する「経験論」が対立してきた。

■そして目下、それは「洗練されてはいるが、実世界を全く説明しない形而上的体系」と「科学と実学への適応と順応」というジレンマに陥っている。

第2講「プラグマティズムの意味」

■私の提出する「プラグマティズム」では、形而上的な観念というものは、それを信ずることが我々の実生活にとって有益である限りにおいて「真」であり「善」であると考える。

■プラグマティズムは、観念や論理であっても、経験や感覚であっても、それが実際的な効果をもっている場合には、これを考慮する。どちらかに拘泥しないという点で、合理論・経験論よりも優れているのである。

第3項「若干の形而上学的問題のプラグマティズム的考察」

■例えば世界がこの瞬間に終わりを告げて未来を持たないとするならば、世界が神によって創られたもの(唯心論)なのか、ビッグバンにより物質的に作られたものなのか(唯物論)という議論は、我々が世界を経験できないのだから、全く意味がない。

■これは世界に将来があると仮定しても同じである。唯心論では神が世界を設計したことになっているが、それは未来に何らかの展望が持てるという意味でしかない。唯物論は、この世界はいずれ無くなると言うだけだ。

第4章「一と多」

■この世の中がいかに認識されるかを分類すると、以下3とおりになる。
①唯一の絶対的神が世界全体を統一的に認識する
②一部しか認識できないものが集まり、部分と部分を繋げて全体を統一的に認識する
③一部しか認識できないものが集まり、部分と部分を繋げるが、何とも繋がらない不導体が存在するため、結局全体を統一的に認識することはできない

■①は、一つの真理、一つの愛、一つの善といった、情緒に強く訴えられるという点でプラグマティックな効果はある。しかしそれは神秘的根拠から力を得ているだけであって、少しの論理誤謬も許さない態度は現実と乖離している。プラグマティズムとしては②か③の考え方を採用せざるを得ない。

第5講「プラグマティズムと常識」

■事物に対する我々の根本的な考え方は、「常識」として遠い祖先が発見して現代まで遺伝・保存されてきたものである。また、哲学者は思惟から「哲学」を生み、科学者は実験から「科学」を生んだ。

■私達が世界を認知する方法としてはどれも一長一短であるが、考え方の自然さ、知的経済性、実際的効果が、その真実性を決定する。

第6講「プラグマティズムの真理観」

■プラグマティズムでは、現実世界で実現し、何らか役に立ち、確認・検証できる観念のみを「真実」として認識する。そして、一つの観念が真の場合、偽であった場合と比べて、現実生活においていかなる具体的な差異が生じてくるかを問う。

■よって、世の中には絶対的な唯一の観念などというものはない。真の観念がもたらす報酬こそ、我々がその観念に従うべき義務の唯一の理由であるし、報酬があるからこそ、その観念は真なのである。

第7講「プラグマティズムとヒューマニズム」

■世の中を認識するのは人間自身であるのだから、真実は人間が作る可塑的なものであるし、人間的思惟から独立な実在などは存在しない。27という数字は3の三乗でもあり、26+1でもある。全ての認識は人間の都合で切り取られる。

■そして次に、人間にとって27は3の三乗が良いのか、26+1が良いのかという議論が出てくることになる。合理論にとって実在(この場合27という数字)は完全なものであるのに、プラグマティズムにとってはなお形成中のもので、その仕上げを未来に期待しているのだ。

第8講「プラグマティズムと宗教」

■「何かが存在しなければならない」現実的な理由としては、人間が存在を欲するからであり、それ以外の理由は見当たらない。合理論者も経験論者も「この世は救済されるか」について議論するが、世界を救済するのは人間の行為である。

■いまだ確かめられない諸々の可能性を信頼し、進んでそこに生きようとする態度こそ、プラグマティズム的であると言える。

最大の学びのポイント

観念というものは、それを信ずることが我々の生活にとって有益であるかぎりにおいて「真」である。

合理論は論理と天空に執着する。経験論は外的な感覚に執着する。プラグマティズムはどんなものでも取り上げ、論理にも従えばまた感覚にも従い、最も卑近で最も個人的な経験までも考慮しようとする。

神秘な経験でも、それが実際的な効果をもっている場合には、これを考慮するであろう。

ここにプラグマティズムの基本的な考え方が凝縮されている。なかなか難解な言い回しではあるが、皆さんにも「プラグマティズム」的な考え方はあるのではないだろうか。

例えば、宗教や哲学はよく分からないけれども、いいなと思う考え方や名言を自分の人生に取り入れるといったこと。その考え方や名言が自分にとって有用であれば、その背後にある宗教や哲学の真偽はどちらでも構わないわけである。

人生は短く、全ての対象の真偽を判定している時間などない。その意味で、プラグマティズムは変化の激しい現代社会に合った思想と言えるだあろう。

ちなみに、アメリカ建国の父の一人であるベンジャミン・フランクリンは、著書『フランクリン自伝』で、プラグマティズムの源流とも言える考え方を示している。

ベンジャミン・フランクリン

振り返ると、私は15歳の頃から「天啓(神のお告げ)」なるものを信じていなかった。天啓が薦めているから善いのではなく、我々に有益だから天啓は薦める。天啓が禁止しているから悪いのではなく、我々に有害だから天啓は禁じているだけだ。

善悪などそもそも存在せず、人間によって有益か有害かを判断基準とすべきだ。

ベンジャミン・フランクリンと言えば、100ドル紙幣の肖像にもなっている、アメリカを代表する人物である。プラグマティズムが「アメリカ的」と言われるゆえんだろう。

人事部長のつぶやき

新しいことを始めたときの周囲の態度

ご存知のとおり、新しい理論があらわれると、まず、不合理だといって攻撃される。次に、それは真理だと認められるが、分かり切ったことで取るに足らないことだと言われる。

最後に、それは極めて重要なものになって、初めそれに反対した人々も、その理論は自分たちが発見したのだといい張るまでになってくる。

これはビジネスの世界でも「あるある」だ。新しいアイデアは必ず批判的に迎えられる。しかし、それは合理的な態度ではないのだろうか。

いくつもの新しいアイデアが試される中で、本当に「不合理」だったり「取るに足らな」かったりするものが多くある。だから人は新しいものに対して批判的な態度を取る。

その批判に耐えたものだけが、「極めて重要」と認められる。だからこそ、あらゆる新しいアイデアは同じ道筋を辿って認められるようになるのだろう。

ウィリアム・ジェイムズ
(岩波文庫)

※アメリカを理解する上で必須の「実利の哲学」!