「茶の本」岡倉天心
基本情報
初版 1906年
出版社 青空文庫など
難易度 ★★☆☆☆
オススメ度★★★☆☆
ページ数 49ページ
所要時間 1時間00分
どんな本?
明治の中頃、「茶道」を主題に、「日本人の高い精神性」「謙虚さ」「自然とシンプルさを愛する東洋的な心」を欧米に紹介した日本の文化論。
「日本人の根底に流れる美意識」を理解する上で、同じ明治時代に英語で出版された「武士道」及び「代表的日本人」と並んで必読の書とされる。欧米人にも大きな反響をもたらした一冊。
著者が伝えたいこと
アジアで生まれた茶の文化は、全世界に敬意を持って受け入れられた、唯一の東洋の儀礼である。茶という面において、東洋は明確に西洋より優れている。
茶の文化は、質素さ、謙虚さ、繊細さなどに価値を置くという面で、日本人の精神に深く影響を与えているのだ。
著者
岡倉天心 1863-1913
(旧制)東大卒業後、文部省に入り、美術教育・調査保存にあたる。東大在学中からフェノロサの通訳として頭角を現し、東京美術学校長を経て日本美術院を創設。後に米ボストン美術館顧問を務め、中国、インドを旅した。
こんな人におすすめ
日本人の美意識と世界観を理解したい人(特にグローバルで活躍されていて、日本人としてのアイデンティティを問われる場面の多い人)
背景解説
本書が書かれた1906年と言えば、日本は日清・日露戦争に勝利し、先進国の仲間入りを果たした時期ではあるが、欧米からは未だに「野蛮な国」「文化的に劣る国」と見られていた。
そのような時期に、岡倉は英語で本書を発表。日本ないし東洋の文化を高らかに紹介するだけではなく、何なら西洋を積極的に「ディス」ることも厭わなかった。日本人が一等国民として自信を付けてきた時期に重なる。
日本人という存在の原点を「茶道」から切り取った名著。1時間もあれば、十分読める分量。
※ただし、道教と禅の解説(第3章)はやや観念的で退屈かもしれない
※西洋の読者を対象としているため、比喩表現としてちょいちょい欧米の芸術作品や人物が出て来るのは「代表的日本人(内村鑑三)」や「武士道(新渡戸稲造)」に同じ
要約・あらすじ
■茶道は15世紀の日本において「至上の美を追求する宗教」にまで高められた。
■茶道の原点は、古代中国の道教や禅にある。しかし、中国では王朝が変わるごとに前時代の文化は破壊されてしまうため、茶の文化は継承されなかった。
■西洋人から見ると茶室はつまらないものに見えるだろうが、その簡素さは禅院にならっている。教会のように礼拝したりお参りする場所ではなく、議論したり座禅を組む場所なのである。世俗から切り離されているからこそ、人は美を称えることに集中できる。
■茶室に入る際には、全員が少し屈んだ状態で部屋に入る。これは身分の差なく人を敬えるようにという配慮からで、たとえ武士でも茶室に入る際には武器を置く。また、茶室に通ずる小道は、瞑想への第一段階としての「自己解明の道」である。
■日本の茶人は建造物・絵画・陶器・漆器・織物等の「美」に影響を与えた。加えて、謙虚さ、単純であることへの愛、繊細さなど、日本人の生き方にも影響を与えている。
■茶はワインのように傲慢ではないし、コーヒーのように自意識も高くないし、またココアのような見せかけの無邪気さもないのだ。
学びのポイント
西洋文明への強烈なアンチテーゼ
西洋の物質文明に慣れ、東洋をみくびっているような普通の西洋人は、茶の湯で行われているあらゆることを「東洋の奇妙で子どもっぽい見せ物」としか捉えないでしょう。
西洋社会は、日本が平和でおだやかな生き方を満喫している時代は、我が国を野蛮とみなしていたのです。ところが満州の戦場で大規模な殺戮を始めると、日本を”文明化された”と呼ぶようになっています。(中略)
もし文明国と言われる条件が、身の毛もよだつ戦争による勝利によって与えられるものであるなら、私たちは喜んで「野蛮な国」のままでいましょう。私たちの国の芸術や理想に敬意が払われる日まで、日本人は喜んで待つつもりです。
本書は西洋文明に対する強烈なアンチテーゼとして執筆された。この冒頭部分の表現がそれを如実に表している。日本人として、なんとも清々しく、潔い態度ではなかろうか。
「西洋社会は、日本が平和でおだやかな生き方を満喫している時代は、我が国を野蛮とみなしていた」の部分は、「逝きし世の面影(渡辺京二)」に詳しい。
一方、現代日本人は、欧米的工業化を達成していない国々のことを「後進国」とか「未開の国」と見おろしてはいないだろうか。国民総幸福(GNH)を掲げるブータンや、欧米化を頑なに拒む一部のイスラム勢力等、ポリシーや信条を持って、従来の生活様式や経済を維持しているケースもあるのだ。
江戸末期以降、欧米に追い付け追い越せで、自分たちの生来の文化(の一部)を捨ててきた日本人が、欧米化されていないという理由で他国を見おろすことなど、決してできないはずである。それでは、岡倉天心が傲慢であると指摘した欧米諸国と、同じことを繰り返すことになる。
日本は中国文化の正統な継承者?
中国では宋代に粉茶(=抹茶)の文化を確立したが、モンゴル帝国に国もろとも破壊される。その後の明では漢民族による文化の復興を目指したものの、国は内部紛争に悩まされ続け、ついには満州族の清に支配される。もはや粉茶の文化は残らなかった。
一方、日本では現在に至るまで、粉茶の文化が残っている(粉茶が中国から日本にもたらされたのは1191年)。
これは茶に限らず、多くの分野で認められる現象で、中国では王朝が変わると前時代のものは徹底的に破壊・否定されるのに比べ、日本では日本なりのカスタマイズを経て、文化として定着する。
このような「ルーツは中国だが、もはや日本文化」と言えるものとして、弓道・華道・剣道等が挙げられるだろう。これをもって「中国文化の正統な継承者は日本だ」とまで言う人もいる。
「漢字」にしても、中国では1950年代以降、従来の「繁体字」を簡略化した「簡体字」を使い始めている。日本や台湾では「簡体字」を採用していないので、本家本元の中国より相対的に古い形の漢字が残ることになる。
https://www.sonydna.com/sdna/solution/pr_loc/blog/201503.html より
なぜ日本で文化が長続きするかと言えば、日本が四方を海に囲まれていて、有史以来、他民族に征服された経験がないことが直接的な原因である。文化の「破壊者」がいないのだ。これは逆に言えば、大きな体制変更の経験がないことを意味する。
明治維新は欧米による植民地化を避けるための支配階級による体制変更だったし、戦後の民主化はアメリカによるものだった。日本には歴史的に市民革命が成功した例はないし、戦後約70年以上にわたり、憲法一つ変えられていない。
文化や体制の保存・マイナーチェンジには長けているかもしれないが、破壊と創造は経験がなく、苦手な分野と言えるのだろう。
日本の茶室と西洋のインテリア
日本人と西洋人の対比でこんなことも言っている。これも西洋へのアンチテーゼではあるが、冷静に見ると、ちょっとムキになっている感じもする。
日本の茶室=禅に基づく空虚な場。虚が万物を包有する。本当の美しさを追求するために、中心的な課題(=ここでは虚)に集中する。
西洋のインテリア=絵画や彫刻や骨董品が膨大に陳列されていて、悪趣味に富を見せつけている。
アンチテーゼシリーズをもう少し!
さらに!「花」に対する態度について。
アメリカ・ヨーロッパでは花を理不尽なほど無駄遣いしている。西洋において花のディスプレイは富の顕示であり、命に対して全く無頓着。一方の日本では「華道」が確立されており、花は崇拝の対象である。(趣旨要約)
んー、まあそう言うこともできるだろうけども。
次に「茶」について。岡倉は茶のことを「ワインのように傲慢ではないし、コーヒーのように自意識も高くないし、またココアのような見せかけの無邪気さもない」と表現している。こちらもなかなか面白い。
そしてアンチテーゼシリーズの最後、西洋人の芸術鑑賞について。
「(西洋人の)収集家たちは、その時代やその流派を説明するような標本を手に入れようと躍起になっている。分類することはたくさんするが、楽しむことはほとんどしていない。いわゆる『科学的な陳列法』は、審美的な要素を犠牲にすることで、多くの美術館に弊害をもたらしている」。
人事部長のつぶやき
アジアは一つ?
岡倉が本書に3年ほど先立つ1903年に書いた「The Ideals of the East(東洋の理想)」は、「Asia is one.(アジアは一つ)」という言葉から始まる。
西洋vs東洋の枠組みを意識したものだが、それから100年経っても、アジアは一つになっていない。EUのように「キリスト教、ギリシャ・ローマ文化」という共通項がないことに加え、地理的にまとまりがないことも要因だろう。
いち東洋人として「そうは言っても、アジア的なものはあるよなあ」と感覚的には思うけれど、それを体系化できるかと言えば、なかなか難しいような気もする。
ちなみに岡倉はそのことを「茶の本」の中で「いままで見たこともなく、また何と説明していいかわからないものに対して抱くモヤモヤした思いも、すべて東洋世界では感じることができるはずです」と述べている。
英仏独は歴史的に仲は良くなく、互いに罵り合ったりもしますが、キリスト教や個人の自由、法の支配、民主主義といった基本的な価値観を共有しています。日中韓は、、、どうでしょうねぇ、、、
ヨーロッパ人とキリスト教の欺瞞と横暴
本書の中にこんな表現がある。「キリスト教の伝道師たちは、授けるために他国に渡航はしても、受け取るために渡航することはありませんでした」。
これは西欧列強が一方的にアジア・アフリカ諸国に対して影響力を与えていたということ。スペインにしてもポルトガルにしても、布教・伝道を言いながら、やっていたことは明確に植民地化。それを堂々とやってのけ、反省の色も見せないヨーロッパ人の気質は、見習いたくはないものの、国際社会で太々しく生きていくための処世術であることは間違いない。
スペインによるアメリカ大陸での原住民虐殺の様子を、宣教師ラス・カサスはその著書「インディアスの破壊についての簡潔な報告」でこんな風に書いている。
原住民は謙虚で辛抱強く、また、温厚で口数の少ない人たちで、諍いや騒動を起こすこともなく、喧嘩や争いもしない。そればかりか、彼らは怨みや憎しみや復讐心すら抱かない。
しかしスペイン人たちは、誰が(原住民を)一太刀で真二つに斬れるかとか、誰が一撃のもとに首を斬り落とせるかとか、内臓を破裂させることができるかとか言って賭をした。彼らは母親から乳飲み子を奪い、その子の足をつかんで岩に頭を叩きつけたりした。
島には約300万人の原住民が暮らしていたが、今では僅か200人ぐらいしか生き残っていない。
この他にも、生きたまま火あぶりにしたとか、逃げ込むインディオを猟犬に襲わせて八つ裂きにしたとか、筆舌しがたい横暴ぶりを報告している。
岡倉は、彼らの大いなる自己矛盾を隠そうともしない厚顔無恥ぶりを指摘したということだ。これには大いに賛同する。
キリスト教の「隣人愛」はどこに行ってしまったのでしょうね!偽善にもほどがあります。