【人事部長の教養100冊】
「経営者の条件」ドラッカー

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経営者の条件(表紙)

「経営者の条件」
ピーター・ドラッカー

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基本情報

初版   1964年(米)、1966年(日)
出版社  ダイヤモンド社
難易度  ★★☆☆☆
オススメ度★★★★☆
ページ数 234ページ
所要時間 2時間30分

どんな本?

「自分自身のマネジメント」を解説したピーター・ドラッカーの代表作の一つ。

ドラッカー入門者は、まず、ドラッカー自身が自著の中から「自己成長」や「自己実現」に関するエッセンスを抜き出した「プロフェッショナルの条件」を読み、さらに関心を持った場合に本書を読むのが最適。

著者が伝えたいこと

エグゼクティブ(経営者、知的労働者、マネージャー)の仕事は成果をあげることであり、その能力は後天的に修得できる。

時間を有効に使い、常に目的を意識し、自分と周囲の強みを活かし、最も重要なことに集中することが成果に直結する。

知識やスキルは重要だが、エグゼクティブの自己開発とは、真の人格の形成でもある。成果をあげることができるエグゼクティブは、知識や作業に留まらず、人格を形成し、自らの使命を認識することで、組織への貢献と自己実現の双方を実現するようになる。

著者

ピーター・ドラッカー
Peter Drucker
1909 – 2005

PeterDrucker

オーストリア生まれのユダヤ系経営学者。20 世紀から 21 世紀にかけて経済界に最も影響力のあった経営思想家。現代マネジメント思想の巨人。

1931年フランクフルト大学で法学博士号を取得したが、1933年ヒトラーが政権を獲得したためロンドンに移住。1937年にイギリスの新聞社の在米通信員としてアメリカに渡り、その後帰化。1950~71年ニューヨーク大学教授、1971~2005年クレアモント大学大学院教授。

「分権化」「目標管理」「民営化」「ベンチマーキング」「コアコンピタンス」など、マネジメントの主な概念と手法を生み発展させたマネジメントの父。

日本では、ドラッカーから学んだ目標管理や役割分担を実践してチームで甲子園をめざす小説「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(いわゆる「もしドラ」)がベストセラーに。

こんな人におすすめ

ドラッカーの「プロフェッショナルの条件」を読んで感銘を受けた人、経営学の古典に触れたい人、初めて管理職に就く人

書評

ドラッカーの思想は大量消費の資本主義社会を前提にしており、IT技術やAIといった要素は考慮されていないが、だからと言って時代遅れということはなく、もはや経営学の「古典」のような位置付けになっている。

本書も、自己マネジメントにおける基本中の基本が、極めて論理的に展開されており、浮ついた自己啓発本とは一線を画す「教科書」といった趣になっている。全ての働く人にとって参考となる本と言えるだろう。

ピーター・ドラッカー
(ダイヤモンド社)

※経営学の大家が「成長」や「自己実現」について語る!

要約・あらすじ

第1章:成果をあげる能力は習得できる

■一昔前は肉体労働者が大多数だったが、最近増えた知識労働者(エグゼクティブ)は、自分自身をマネージし、成果を自ら生み出さねばならない。

■しかし、成果を出すことを阻む要因が主に3つある。

①打ち合わせや雑務に忙殺され、本来業務に十分な時間が割けないこと

②本来力を注ぐべき外部はよく見えず、組織内部ばかりよく見えてしまうこと

③組織に属しているがゆえに、部分的な貢献しかできないこと

■これらは全て内部の問題である。人は内部の些事に煩わされず、常に外部の変化を知覚し、「何が為されねばならぬか」を考えなければならない。

■成果をあげられる人に共通点はない。ただ、「成果をあげる能力」を身に付けられるか否かにかかっている。

■「成果をあげる能力」は先天的なものではなく、後天的なものだから、以下5つを習慣にすれば自然と身に付くものだ。

(1)自分の時間を適切にマネージする
(2)「期待されている成果は何か」というゴールから考える
(3)自分の「強み」を基盤にする(弱みからは何も生まれない)
(4)優先順位を決めて、それを自らに強制する
(5)正しい意思決定をする

第2章:汝の時間を知れ

■人は誰でも、何の成果にも繋がらないが、無視できない仕事に時間を取られている。成果の出ない付き合い(会議・会食等)をやめ、他の人にできることは任せるべきだ。

■その後、細切れの時間をまとめなくてはならない。例えば会議を月曜か金曜にまとめたり、週1日は在宅勤務とすることだ。

■その後も、生産的でない仕事がその時間を蚕食しないか、常に目を光らせていなければならない。

第3章:どのような貢献ができるか

■目の前の仕事に忙殺されてはいけない。常に「自分は組織にどう貢献できるか」を考えなければ、時間だけが過ぎていくことになる。

■そのためには、自分の専門分野に留まっていてはいけない。組織にはゼネラリスト、すなわち「自らの知識を知識の全領域に正しく位置付けられる人」が求められる。

第4章:人の強みを活かす

■組織とは、強みを成果に結びつけつつ、弱みを中和し無害化するための道具である。

■弱みからは何も生まれないのだから、長所を生かした人事をやるべきだ。その際「自分と合う合わない」とか「自己中などの欠点がある」とかいったことを問題にしてはならない。「成果を出せるか否か」だけを見るべきだ。

■「いなくなると仕事が回らなくなる」と周囲が言う人は直ちに異動させた方がいい。その上司か部下が弱いだけだ。強みに着目し、成果の出るであろう最適な仕事に就ける、それが人事の大原則である。

第5章:最も重要なことに集中せよ

■成果をあげるための唯一の秘訣は「集中すること」である。成果をあげる者は、何か新しい活動を始める前に、必ず古い活動を捨てる。

■今ある仕事の半分以上は、前任者の意思決定の後始末だ。成果の期待できない仕事は躊躇なく捨てるべきだ。

■仕事に優先順位を付けるのは簡単だ。難しいのは「劣後に配した仕事をやらない」勇気を持つことである。未来に対して変革をもたらす仕事に集中して取り組まなければならない。

第6章:意思決定とは何か

■何らかの問題に対処する際には、以下5つのステップを踏まなければならない。

(1)起きている問題は例外的なものではなく、構造的なものであることを前提に、より一般的・概念的・包括的・長期的な解決策を講じる。

(2)そもそもの目的を見失わない。目的と手段を間違えない。

(3)原理原則からスタートする。最初から妥協を視野に入れてはいけない。

(4)決定をしたら、体制を整え、確実に実行に移す。

(5)実行したら、必ず現地現物を確認し、トレースする。

第7章:成果をあげる意思決定とは

■正しい意思決定のためには、正しい「評価基準」を設定しなくてはならない。例えば社員の平均欠勤率は正しい評価基準になり得ない。欠勤率には部署や属性によって偏りがあるからだ。

■意見の不一致を大切にしなければいけない。何故なら、①組織の中には特定の意思決定を求める勢力が必ずありそれを阻む機会となる、②他の選択肢を与える、③想像力が働くからだ。

■意思決定をしない、という意思決定もある。些事に捕われるくらいなら、何もしない方が良いこともある。

最終章:成果をあげる能力を習得せよ

■知識やスキルも大切だが、エグゼクティブの自己開発とは真の人格の形成でもある。

■知識や作業に留まらず、自らの人格を形成し、自らの使命を認識して成果を出すことで、自己実現と組織への貢献の双方が実現できるようになる。

学びのポイント

世の中の変化を「知覚」する能力

人は組織内部のことは詳細に把握できるし、データも豊富なので、定量的に分析して意思決定しようとする。

しかし、本当に大切なのは内部ではなく、外部環境、しかもその「変化」である。組織にとって重要な意味を持つ外部の変化は、多くの場合、定量化できないし、過去からの延長線上で論理的に説明できるものでもないので、知覚するしかない

組織に働く者は、必然的に組織の中で仕事をする。したがって、意識的に外の世界を知覚すべく努力しなければ、やがて内部の圧力によって外の世界が見えなくなる。(要約)

ここでの教訓は「組織の外を意識せよ」「外の変化は論理的に説明できるものではないので、全人格を以て感じよ」の2つである。

組織内部の方が、情報量が多い。定量的に分析もできる。上司にも説明しやすい。だから人の目は組織内部に向きがちになる。一方、組織外部の変化は、リアルタイムで変化が起こっているが故に、定量化したり分析したりすることは難しい。定性的でふわっとしたことを、上司に説明するのは難しい。

そうなると、「知覚」するしかない。その際に武器となるのは、歴史・哲学・人間の機微等への理解といった、全人格とも言えるアナログ的な要素しかない。「知」や「サイエンス(論理)」には限界があり、そこを超えるには「人間力」や「アート(徳)」を鍛え、活用するしかない。

経営学の大家が、まずもって「データより知覚」と主張していることは、注目に値する。本サイトのテーマである「徳>才」に通ずるところがある。

また、ドラッカーは本書最終章でこんなことも言っている。

論理はもともと愚かである。コンピュータは単純で明白なことしかできない。これに対し、人は論理的ではない。知覚的である。

人は聡明であり洞察力がある。応用力がある。すなわち人は、不十分な情報から、あるいは情報なしでも、全体像がどのようなものでありうるかを推し量ることができる。

論理は便利である。人に何かを説明する際、特に上司を説得する際に論理は大きな武器になる。

しかし、コンピューターはAIに進化し、論理は人間がAIに「外注」できるようになった。ロジカルシンキングが出来る人、というのは、暗算が得意な人、と同じくらい、無意味な人材になってきている。

人間にしかできないこと。それは直観・感性・想い・倫理観等をもとに、観念的・統合的・総合的に世界を知覚することであり、何が正しいか、善いか、美しいかを判断し追求することである。AIは何が正しいか、何が善いか、何が美しいかを示唆はするだろうが、最後に判断するのは結局、人間である。

物事を相対化する知性と座標軸を確立する

ゼネラリストについての意味ある唯一の定義は、「自らの知識を、知識の全領域に正しく位置付けられる人」である。

これは丁寧に言い換えると「目の前で起きている現象が、物事全体の中でどのように位置付けられるかを判断し、それに正しく対応する能力を持っている人」ということになろう。

この能力を身に付けるには、物事を相対化する知性と座標軸を確立する必要があるが、それは仕事や読書や人との交流を含むあらゆる経験を通じて、後天的に身に付けられる素養である。

例えば、台風を例に考えてみたい。次の図は、ある人が実際に経験したことのある台風の中心気圧と最大風速。つまり、この人は過去4つの台風の台風について情報を持っているということ。

ここで、来週、これまで経験したことがない気圧と風速を持った台風が日本に上陸するという予報が出たとする()。この人にとっては前代未聞の台風で、想定外の被害が出るかもしれない、と考えることになる。

一方、この人が、この青色の台風だけではなくて、次の図にある赤色の台風も経験していたらどうか。

この赤色の台風まで考慮すれば、座標軸は変化することになる。何が変化するか。まずは最大値と最小値。自分が知っているより風速が大きいor小さい台風があり、それでも被害は出ないことが分かる。これは思考の幅が広がるということを意味する。

次に平均値。赤色の台風を知ったことで、平均値が変化した。これは何が「普通」なのか、何が「中庸」なのかを正しく認識することに繋がる。

それから分散値、統計学で言えばシグマ。ある物事が、どのくらいの頻度や確率で発生するかという情報も変化する。

つまり「物事を相対化する知性・座標軸」は正しい判断に寄与するということだ。そのためには、幅広い経験や学びが必要になる。これは勉強が出来る出来ないとは、あまり関係がない。

なお、ドラッカーは本書の中で、物事を相対化する知性と座標軸によって、何が出来るようになるかも明らかにしている。

成果をあげるエグゼクティブは、原則や方針によって一般的な状況を解決していく。

そのため彼は、ほとんどの問題を単なるケースの一つとして、すなわち単なる原則の適用の問題として解決していくことができる。

才(知識・スキル)<徳(人格・人間力)

知識やスキルも大切だが、成果をあげるエグゼクティブの自己開発とは、真の人格の形成でもある。

ここでは「知識・スキル」と「人格」が対比されている。もう少し敷衍すると、以下のように整理できるだろう。

人格・・・人徳。人間力。何が正しいか、善いか、美しいかを判断し追求する力(梯子を正しい場所に掛ける力)

 

知識・スキル・・・才能。マネジメント。何かをうまく為したり、自分を良く見せるための手段(梯子を上手く昇る力)

この「人徳>才能」という考え方は、古今東西、様々な思想家・哲学者が説いており、例えばこんな表現がなされている。

 人格才能
孔子
アリストテレスエトス(倫理)ロゴス(論理)
渋沢栄一論語算盤

また、歴史上、数多くの人々が、同じ趣旨のことを言っている。ここではその代表的なものを時代順に列挙しておきたい。

①洪自誠『菜根譚』

徳は才の主にして、才は徳の奴(ど)なり
(道徳は才能の主人で、才能は道徳の使用人である)

②サミュエル・スマイルズ『自助論』

知性溢れる人間を尊敬するのは一向に構わない。だが、知性以上の何かがなければ、彼らを信用するのは早計に過ぎる。

イギリスの政治家ジョン・ラッセルはかつてこう語ったことがある。「わが国では、いくら天才に援助を求めることがあっても、結局は人格者の指導に従うのが当然の道とされている」。これは真理を言い得た言葉である。

③勝海舟『氷川清話』

学問にも色々あるが、自分のこれまでの経歴と、古来の実例に照らして、その良し悪しを考えるのが一番の近道だ。

小さな理屈は専門家に聴けば事足りる。俗物は理屈詰めで世の中の事象に対応しようとするからいつも失敗続きなのだ。

理屈以上の「呼吸」、すなわち自分の中にある信念や経験をもとに判断するのが本当の学問というものだ。

今の学生はただ一科だけ修めて、多少の智慧が付くと、それで満足してしまっている。しかし、それではダメだ。

世間の風霜に打たれ、人生の酸味を嘗め、世態の妙を穿ち、人情の機微を究めて、しかる後に経世(世の中を治める)の要務を談ずることができるのだ。

④新渡戸稲造『武士道』

武士道は知識のための知識を軽視した。知識は本来、目的ではなく、知恵を得る手段である、とした。(中略)

知的専門家は機械同然とみなされた。知性そのものは道徳的感情に従うものと考えられた。

⑤昭和の知の巨人、安岡正篤『運命を創る

人間は「本質的要素」と「付随的要素」から成る。

「本質的要素」とは、これをなくしてしまうと人間が人間でなくなるという要素であり「徳」とか「道徳」という。

具体的には、人を愛するとか、人を助けるとか、人に報いるとか、人に尽くすとか、あるいは真面目であるとか、素直であるとか、清潔であるとか、よく努力をする、注意をするといったような人間の本質部分である。

もう一つは「付随的要素」で、大切なものではあるが、少々足りなくとも人間であることに大して変わりないというもので、例えば「知性・知能」や「技能」といったものである。

ことに戦後の学校教育は非常に機械的になり、単なる知識や技術にばかり走っている。近来の学校卒業生には、頭がいいとか、才があるとかという人間はざらにいるが、人間ができているというのはさっぱりいない。

そのために、下っ端で使っている間はいいが、少し部下を持たせなくてはならないようになると、いろいろと障害が出るといった有様だ。これは本質的要素を閑却して、付属的方面にばかり傾いた結果である。

⑥S・コヴィー『7つの習慣』

建国から約150年間に書かれた「成功に関する文献」は、誠意、謙虚、誠実、勇気、正義、忍耐、勤勉、質素、節制、黄金律など、人間の内面にある人格的なことを成功の条件に挙げている。私はこれを人格主義と名づけた。

ところが、第一次世界大戦が終わるや人格主義は影をひそめ、成功をテーマにした書籍は、いわば個性主義一色になる。

成功は、個性、社会的イメージ、態度・行動、スキル、テクニックなどによって、人間関係を円滑にすることから生まれると考えられるようになった。

⑦稲盛和夫『生き方』

人の上に立つ者には、才覚よりも人格が問われる。

戦後日本は経済成長至上主義を背景に、人格という曖昧なものより、才覚という成果に直結しやすい要素を重視してリーダーを選んできたが、それではいけない。

西郷隆盛も「徳高き者には高き位を、功績多き者には報奨を」と述べているし、明代の思想家呂新吾は著書『呻吟語』の中で「深沈厚重なるは、これ第一等の資質。磊落豪雄なるは、これ第二等の資質。聡明才弁なるは、これ第三等の資質」と説いている。

この三つの資質はそれぞれ順に、人格、勇気、能力とも言い換えられる。(一部要約)

組織は何かをやめるのが不得意

成果をあげるための唯一の秘訣は「集中すること」である。成果をあげる者は、何か新しい活動を始める前に、必ず古い活動を捨てる。(要約)

本書中にも多く触れられているが、とにかく大きな組織というものは、何かをやめることが不得意である。

何かをやめる際には「以前は○○だったのでこの仕事には意味があったが、今は○○という環境変化があり、既に○○で大部分が代替されているので、廃止しても構わない」といった理屈が必要になることが多い。

しかし、このような綺麗な理屈が作れることは稀だ。すると、何かをやめる代わりに、それと似た別の何か新しいことを始めることになる。

何かの本で、この現象を「信号機理論」と呼んでいた。一度、信号機が設置されると、それを撤去する理屈を作るのは困難であるという現象だ。

信号機には、事故を減らす効果があると考えられている。いくら交通量が少なくとも、信号機を撤去すると事故が増えるかもしれない。それを否定するには、交通量が全くのゼロであることを証明するか、信号機に全く効果がないことを示すかの2通りしかない。実際、それは難しいので、理屈ではなく、大局判断で撤去することになる。

仕事をやめる判断をする際、この「信号機理論」は頭の片隅に置いておくのがよい。そうでないと、何もやめられなくなる。

ちなみにアメリカのトランプ大統領は就任当初、「1つ規制を作るなら、2つ規制を撤廃する」と言っていた。仕事を減らしていくには、これくらいの分かりやすい態度が必要なのかもしれない。

人事部長のつぶやき

ポストコロナの働き方

時間管理の最終段階は、時間の記録と仕事の整理によってもたらされた自由な時間をまとめることである。ある人たち、なかでも年配の人たちは、週に一日は家で仕事をしている。編集者や研究者がよく使う方法である。

ある人は会議や打ち合わせなど日常の仕事を週に二日、例えば月曜日と金曜日に集め、他の日、特に午前中は重要な問題についての集中的かつ継続的な検討に充てている。

2020年春の新型コロナウィルスによる緊急事態宣言で、完全テレワークに移行する企業が多数見られた。しかし、その後、完全テレワークの生産性の低さが指摘され始め、通常出社に戻す企業もそれなりにあった。

まだまだ結論は出ていないが、週1~2日程度は会議や打ち合わせを排除して何らかの課題に集中し、それ以外は出社してface to faceで仕事を進めるのが最適解なのかもしれない。

以前は「年配の人たち」がやっていた在宅勤務が、アフターコロナで一般的になる。歴史は繰り返す、とは、まさにこういったことだろう。

居酒屋での愚痴に対する戒め

明らかに間違った結論に達している人は、自分とは違う現実を見て、違う問題に気付いているに違いないと考えるべきである。

もしその意見が知的で合理的であるとするならば、彼はどのような現実を見ているのかを考えなければならない。

サラリーマンが居酒屋で上司批判や他部署批判をやる際には、このドラッカーの言葉を思い出した方がいいだろう。

どのような組織にも、情報の非対称がある。愚痴っている本人達は知らないが、上司なり他部署は意思決定を左右する何らかの情報を持っているのかもしれない。

例えば、「Aさんは法務の経験がないのに法務部に配属された。変な人事だ」という批判も、もしかしたらAさんが自費で法科大学院に通い、学位を取って法務部配属を希望したのかもしれない。

何らかの判断には必ず根拠があるのだから、自分からはそれが見えないだけかもしれないという謙虚さを持ったうえで、大いに居酒屋で愚痴りたいものである。

ピーター・ドラッカー
(ダイヤモンド社)

※経営学の大家が「成長」や「自己実現」について語る!