【人事部長の教養100冊】
「歴史の大局を見渡す」ダラント

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歴史の大局を見渡す(表紙)

「歴史の大局を見渡す」
ウィリアム・ダラント

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基本情報

初版   1968年
出版社  パンローリング社
難易度  ★★★☆☆
オススメ度★★★★☆
ページ数 175ページ
所要時間 2時間00分

どんな本?

全11巻に及ぶ歴史書『文明の話』を著し、ピュリツァー賞を受賞したデュラント夫妻が、そのエッセンスを抽出して分析し、歴史から学べる教訓をまとめたもの。政治・経済・戦争・宗教等のテーマを中心に、人類の歴史を巨視的に俯瞰する。

例えば1968年の時点で「平和な時代が30年も続けば、社会主義・共産主義は維持できなくなるだろう」とソ連の崩壊(1991年)を見据える卓越した歴史観が示されるような、洞察に富んだ名著。

著者が伝えたいこと

歴史を「巨視的に」見ると、現在の世界の状況や将来の見込み、人間の性質、国家の行動について理解が進む。

人類は現在も多くの問題を抱えているが、過去の文明がもたらした豊かな遺産を受け継ぎ、新たな文明を築き、次代に伝えているという点においては、進歩していると言っていいだろう。

目下進行中の「資本主義vs共産主義」については、以下2つを心得て制御すべきである。

・経済力が平均以下の者だけが平等を求め、自分の優れた能力に気づいている者は自由を求める。
・経済力や能力が平均以下の人間は、宗教で慰めを得るか、共産主義で平等を求めるかのどちらかだ。

著者

ウィリアム・ダラント
William Durant
1885-1981
アリエル・ダラント
Ariel Durant
1898-1981

William-Ariel-Durant

アメリカの歴史家、哲学者、著述家。1935年から1975年にかけて、妻のアリエル・ダラントと共同で11巻に及ぶ歴史書『文明の話(The Story of Civilization)』を執筆。

夫婦はこのシリーズの第10巻”Rousseau and Revolution”(ルソーと革命)でピュリツァー賞(一般ノンフィクション部門)を受賞している。

こんな人におすすめ

人類3000年の有史を、政治・モラル・経済・宗教・戦争・人種といったテーマを切り口に、大局的に理解したい人。

ウィリアム・ダラント
(パンローリング)

※一通り世界通史を勉強した人が次に読むべき一冊!

要約・あらすじ

歴史と地球

■航空機などの技術が発達すると、地理的要素はあまり大きな影響力をもたなくなる。世界は大きく一つになりつつある。

生物学と歴史

■歴史から得られる生物学的教訓は、①人生は競争であること、②人生は淘汰であること(貧富の差は拡大する)、③人類は子孫を残さなければならないということ、である。

人種と歴史

■人種による能力の優劣は、現代においては否定されている。ギリシャ・ローマ、インダス、中国、エジプト、中央アメリカなど、世界中であらゆる人種・民族が文明を打ち立てている。アフリカで顕著な文明が見られないのは、地理的要件に叶わなかっただけだ。

■「人種」間の対立は、身につけた文化――言語や服装、習慣、モラル、宗教――の違いから生じるケースがほとんどだろう。

■歴史を学ぶと、文明は協力によって生まれるものであり、ほぼすべての人種が文明に貢献してきたことがわかる。

人の性質と歴史

■人の性質は、自然淘汰により、理論的には過去いくらか変化したはずである。しかし歴史をみるかぎり、人間の行動にはほとんど変化がない。

■有史以降における人の進化は、生物学的進化というより社会的進化なのである。種における遺伝的変異ではなく、政治的、経済的、知的、道徳的革新によって生まれたものであり、模倣、慣習、教育によって個人や次世代に伝えられるという形で進んできた。

モラルと歴史

■人が遵守すべきモラルは、経済の3つの段階において大きく変化した。今後も変化していくのだろう。

狩猟・・・強いものが生存する世界。好戦性、残忍性、強欲さ、強い性欲。

農耕・・・勤勉さと多産が生産性を決める世界。親の権威、勤勉倹約、純潔早婚、宗教。

産業・・・企業と大都会の創出により家族の絆が薄れた世界。個の尊重、理性、性の解放、晩婚。

宗教と歴史

■貧者が絶望しないためには神を信じるしかない。その希望を打ち砕くと、階級闘争が始まる。宗教が衰退すると共産主義が台頭するし、その逆もまた真である。

■現代先進国は法律や政治の力が強いので、信仰心やモラルは低下し、快楽主義が幅を利かせている。だが、社会が不安定になると、また宗教への回帰が発生するかもしれない。

経済学と歴史

■経済史とは、富の集中と強制的再配分の歴史である。強制的再配分は、反乱・革命のような暴力的な形で起こることもあれば、「持てる者」が「持たざる者」を宥めるために仕方なく与えることもある。

■以前はムーア人によるイベリア半島征服にしても、モンゴル人の西アジア征服にしても、軍事的野心を実現した者が経済も支配した。しかし現代では、産業を分析し、融資・金利・事業をコントロールする銀行家が経済を支配している。

社会主義と歴史

■歴史上、社会主義(=生産手段の国有化)を実現しようとする試みは悉く失敗してきた。ソ連の誕生は、国内の混乱と外的脅威に立脚するものであり、平和な時代が30年も続けば、社会主義・共産主義は維持できなくなるだろう(注:本書が書かれたのは1968年で、著者はソ連崩壊を知らない)

■現在では、社会主義は資本主義への恐れから自由を拡大し、資本主義は社会主義への恐れから平等を目指している。東は西、西は東、両者はやがて相まみえるだろう。

政治と歴史

■プラトンは、政体は君主制、貴族制、民主制、独裁制の順で移り変わっていくと考えた。

■君主制は可もなく不可もない。継承問題が生じると人類に不幸がもたらされ、「正当」に継承されるとよい結果になった。

■貴族制では、貴族は特権には甘えるものの、責任はしばしば放棄される。自主的に何かを生み出すことはなく、利己的で近視眼的な搾取によって民衆が苦しめられることが多い。

■民主制は、アテネがそうであったように、無秩序な階級間の争い、文化の退廃、モラルの低下を招く。貧富の差は広がり、国内は分裂状態になる。人々は無秩序と自由をはき違え、親子や子弟は平等などと言い始める。結局アテネはスパルタに敗れることとなった。

歴史と戦争

■戦争は繰り返し起きる。記録に残る過去3421年のうち、戦争がなかったのはわずか268年である。

■世界秩序は紳士協定から生まれたりはしない。大国が決定的な勝利を収めて権力を手にし、国際法を押しつけるのだ。

■国が協力し合うのは、外から同じように攻撃を受けているときだけである。

発展と衰退

■文明とは「文化的創造を促す社会的秩序」であるが、その文明は歴史的に、芽生え、栄え、衰退し、消滅する。

■文明が衰退するのは、寿命が尽きるわけではなく、政治的リーダーや知的リーダーが変化に伴う問題に対処できないからである。

■しかし、国は滅びるものの、文明は次の世代に引き継がれる。ローマ帝国はギリシア文明を採り入れて西ヨーロッパに伝えたし、アメリカはヨーロッパ文明の恩恵を受けて、その文化を世界中に発信している。

進歩は本物か

■人類は本当に進歩していると言えるのか。非常に疑わしい。

生物学的・・・寿命は延び、疫病も減った。しかし現代病を産んだ。

社会学的・・・飢えはなくなった。しかし貧富の差を生んだ。

科学的・・・明確に進歩したが、文明の利器は体力の低下といった副作用をもたらしている

倫理的・・・宗教からは解放された。しかしそれに代わるモラルコードはまだない。

■幸福が増すことを進歩とするなら、間違いなく進歩していない。人は不満の塊だ。何かが満たされると、すぐに別の何かが満たされていないことを気にする。

■しかし、人類は教育という手段を得たおかげで、これまでの文明の蓄積を受け継ぎ、発展させ、後世に残すことができるようになった。古代の文学・哲学・建築・政治よりも、現代のそれらの方が、約2000年の蓄積がある分、優れたものになっていると言ってよい。

■私たちが問題をかかえつつも本当に進歩しているなら、それは私たちが昔の赤ん坊より健康で賢明に生まれてきたからではなく、豊かな遺産を受け継いだからである。

学びのポイント

民族性は気候条件に大きく左右される

先進地域の平均気温が10℃ほど上昇すると、おそらく人は無気力になり未開状態に後戻りするだろう。

本書に遅れること約40年、ジャレド・ダイヤモンドは著書『銃・病原菌・鉄』で「文明の発展した地域とそうでない地域の差は、気候や(主食に出来る)植生や(家畜に出来る)動物の分布に拠る」と主張した。

ダラントの上記主張も、本質的には同じことを言っている。

確かに、例えばヨーロッパに眼を向けてみると、EUのお荷物と言われている国々には地中海沿岸国が多いことに気付く。ユーロ圏で財政状況がとりわけ厳しいポルトガル(Portugal)、アイルランド(Ireland)、イタリア(Italy)、ギリシャ(Greece)、スペイン(Spain)の5カ国を、その頭文字を取ってPIIGSと呼んでおり、実にそのうち4か国が地中海沿岸にある。

ちなみに世界に視点を広げてみても、主に熱帯である赤道~北緯・南緯30度くらいまでは、いわゆる先進国は見当たらない。

OECD加盟国

OECD加盟国

もしこの仮説が正しいとすれば、北欧の平均気温が10度上がれば、北方ゲルマン民族はラテン系のノリを会得することになる。何となくあり得そうな話ではないだろうか。

正論すぎる

経済力が平均以下の者だけが平等を求め、自分の優れた能力に気づいている者は自由を求める。

そして最後は能力のある者が意のままにする。

これは本当に、そのとおり。社会の仕組みとして、何となく理解していた事柄を、きれいに言語化してくれている。福澤諭吉は著書『文明論之概略』で同じことをこう表現している。

改革や革命を起こすのは、大雑把に言えば、才能があって権限や金のない人である。

仮に個人の経済状態だけが政治の論点になる民主主義社会があるとすれば、体制派50%・革新派50%で拮抗する。「経済力が半分以下」の人々は、しっかり結束すれば、体制派を追いつめることができるのだ。

しかし、実際にはそうなっていない。これは現代日本でも同様。ここから先は政治的議論なので正解はないが、まず「各人は能力に応じて働き、必要に応じて分配を受ける」ような社会を実現するのは難しいとみんな分かっているから、共産党には支持が集まりにくい。

社民・立憲・国民あたりは、大きな政府を志向するのは良いとして、安全保障やエネルギー政策といった経済の基本政策が矛盾だらけで、一体何を目指しているのか分からない。例えば原発ゼロを主張するとして、経済発展とはどう折り合いをつけるのか、はっきりしない。経済基盤がしっかりしていないと、そもそも分配の原資が作れない。

一方、体制派である自民党も盤石とは言えないが、革新系にまとまりがないことで、結果的に政権を担っている。この「革新系をまとまらせない」ことが体制派の基本戦略であり、まさに「能力のある者が意のままに」しているのだろう。

2013年、フランスの経済学者トマ・ピケティは著書『21世紀の資本』の中で「r>g」という不等式を提示した(r=資本収益率、g=経済成長率)。

トマ・ピケティ
トマ・ピケティ

これは、資産(資本)によって得られる富、つまり資産運用により得られる富は、労働によって得られる富よりも成長が早いということを意味する。言い換えれば「裕福な人 (資産を持っている人) はより裕福になり、労働でしか富を得られない人は相対的にいつまでも裕福になれない」ということだ。

人類の発展において、この状態が良いとはあまり思えない。しかし、共産主義・社会主義が失敗に終わり、資本主義一強の現代においては、「r>g」の問題を提起し、現体制にチャレンジする勢力が存在しない。バランスオブパワーが成り立たないため、主要国における貧富の差は広がるばかりである。

ジニ係数推移

https://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/17/backdata/01-01-03-01.html

ちなみに、NHKが放送した「ハーバード白熱教室」で話題となったマイケル・サンデル教授は、著書『これからの「正義」の話をしよう』で、ジョン・ロールズの「無知のベール」仮説を紹介している。

ロールズは「自分の立場(財産の多寡、宗教、民族、性別等)は不明」という「無知のベール」を被り、いわば純粋な初期状態であるべき社会の仕組みを問うと、以下2つの正義の原理が導き出されるとした。

①言論の自由や信教の自由といった基本的自由をすべての人に平等に与える(多数派が利する功利主義の拒否)

②所得と富の平等な分配を求めるものの、社会で最も不遇な立場にある人びとの利益になるような社会的・経済的不平等のみを認める(自由至上主義であるリバタリアニズムの拒否)

つまり、現実には貧乏な人が平等を求め、能力に恵まれた人が自由を求めるのだが、仮に「自分の立場は不明」としたうえで、どのような社会が良いかを尋ねると、人は(自分が裕福なのか貧乏なのか、能力があるのかないのか分からないので)「平等」と「自由」の双方を求めるということ。これはこれで、非常に興味深い。

続・正論過ぎる

不公平な世の中で多くの人が貧困、挫折に追い込まれるが、こんなとき絶望しないためには神を信じて希望を持つしかない。その希望を打ち砕くと、階級闘争が激化する。

宗教は社会の底辺にいる人々にも存在意義と尊厳を認め、儀式を通じて人と人ではなく、神と人とが契約を結ぶことで、社会は安定した。宗教のおかげで富める者は貧しき者に殺されずに済む(とナポレオンは言った)。

天国とユートピアは井戸に吊り下げられた二つの桶のようなものである。一方が下がると、もう一方が上がる。宗教が衰退すると、共産主義が台頭する。

これもまたド正論である。体制派から見れば、

経済力や能力が平均以下の人間は、宗教で慰めを得るか、共産主義で平等を求めるかのどちらかだ。

ということになる。

となると、体制派の基本戦略は、先ほどの議論とも重なるが、「経済力や能力が平均以下の人間を、宗教と共産主義と何もしない人に分裂させておくこと。適度なアメを与えて、体制への抵抗を緩和すること」ということになるだろう。

現に歴史とは「富の集中」と「反抗・反乱 or 適度なアメ」の繰り返しである。紀元前6世紀のアテネでは貧富の差が激しく、貧困層は反乱を起こそうとしたが、穏健派のソロンが負債軽減・累進税導入等で貧困層を懐柔した。

同じく貧富の差が激しくなった古代ローマではグラックス兄弟が無産階級に土地を再分配しようとし、プロテスタントは露骨に富を蓄積しようとするカトリックから独立した。

フランス革命は、王族・貴族の特権を剥奪すべく、中産階級の人々が立ち上がった体制変更運動だったが、中産階級の中の経済格差から「フイヤン派(裕福な市民や自由主義貴族)」「ジロンド派(富裕・中流市民や商工業ブルジョワ)」「ジャコバン派(主に中流以下)」に分裂し、ナポレオンの台頭を招いてしまう。結局、「反抗・反乱」は起こしたものの、「適度なアメ」は貧困層には行きわたらず、貴族の財産・特権は一部の資本家階級に留まった。

現代世界も、貧富の差はますます開く一方である。体制派は、現在の体制を維持したいのであれば、宗教も共産主義も流行らない今、低所得層に適度な「アメ」を準備してやる必要があるということになるだろう。

進化論への「個」としての対抗策とは

自然は個々の生き物ではなく種のほうに関心があり、文明が発達していようが未開状態であろうが、そんなことは気にとめない。

これも卓見である。例えば農業の開始は、結果的に人類の人口を爆発的に増やした。「種」としては成功した。しかし、個体レベルで見ると、様々なデメリットも抱えることになった。

①人口増による一人当たりの栄養量減少
②定住化による感染症の流行
③天災等による飢餓への直面
④少数の農作物に依存することによる栄養の偏り(不足)
⑤貧富の差の創出

人類にはこれらのことは見越せなかった。ただ単に、数人の腹を狩猟採取生活の時よりも余分に満たしたいという純粋な欲求が、人類を農業から離れられなくしただけである。農業革命を企てた人もいなければ、穀類の栽培に人類が依存することを求めた人もいなかった。ただ、結果として人類においては「個」としてより「種」としての成功が優先された。

自然が「個」より「種」を優先するならば、「個」が取り得る対抗策は何なのだろうか。狩猟生活に逆戻りすることなのか。この問の答えは、まだ出ていない。

失敗続きの社会主義・共産主義

産業の独占的支配、価格操作、ビジネス上の不正、無責任な富の使われ方などに対する抵抗や反抗が繰り返し起きるのはなぜなのだろう。

こうした問題は遠い昔からあったに違いない。(なぜなら、これらを克服しようと)様々な時代に様々な国で、社会主義的実験が行われているからだ。

著者の言う「社会主義的実験(の失敗例)」を整理すると以下のようになる。そして著者が亡くなったちょうど10年後、ソ連は崩壊し、また一つ失敗例が増えることとなった。

①プトレマイオス朝エジプト
土地を国家が保有し、農業・流通・小売を国が管理した。国は大勢の書記官をかかえ、住民や財産に関する複雑な登録制度を維持し、全ての人・取引・事業等から徴税した。

アレクサンドリアのムセイオン建設等、文化面は充実したが、最後は市民が努力するインセンティブが無かったことから経済は衰退し、モラルは退廃。ローマの支配下に入ることになる。

②ディオクレティアヌス帝のローマ帝国(3世紀)
大規模な公共事業を行って失業者に職を与え、貧者には無料か割引で食料を配給した。経済を細かく統制するため官僚制を整え、市民には重税を課した。当時は異民族が迫っていたことから、個人の自由を制限して集団を維持する意図があったが、人々は働く意欲を失った。
③宋代の王安石
農民や資本のない商人に低利で融資をしたり、全国に賃金や物価を管理する役人を置くなど、大商人・大地主達の利益を制限して中小の農民・商人たちの保護をする政策を進めた。大規模な土木事業で雇用の促進を図るとともに、商業を国営化し、高齢者、失業者、貧者には扶助料が支払われた。しかし、高い税金や役人の腐敗により、失敗に終わる。
④ドイツ農民戦争のトマス・ミュンツァー
1524年から始まるドイツ農民戦争で指導者となったトマス・ミュンツァーは、諸侯、聖職者、金持ちを倒し、すべてが共有される「神の国」を建設しようと主張し、農民団を結成して共産主義的思想を吹き込んで、戦いへ導いた。しかし農民側は敗れて5000人が命を落とし、ミュンツァーは斬首された。
⑤イギリス・フランスの左派
1642年のピューリタン革命では急進左派の「水平派」が、1789年のフランス革命では同じく急進左派の「ジャコバン派」が一時勢力を持つが、最終的には革命主体の主流派に敗れることになる。

能力が正当に評価される時代へ

経済が複雑化するにつれて優れた能力をもつ者の価値が上がり、富と責任と政治的権力の集中が一段と進む。

これは筆者が繰り返し主張しているテーマである。そして現代自由主義経済においては、先ほど登場したピケティが指摘するとおり、貧富の差が拡大し続けている。

そこに来て、このICT時代・AI時代である。単純労働や簡単な知的労働はどんどんAI搭載のロボットに置き換わり、能力が及ばない層は社会で価値を産めない。

一方、ネット社会の拡大により、「優れた能力を持つ者」は益々価値を産むようになる。YouTuberやネット起業家はその典型例だろう。端的に言えば、価値を産む能力のない者は益々貧しくなり、価値を産める能力を持つ者は益々富むということだ。

これは自由主義の行きつく先である。大企業に勤めているからといって雇用が守られると、能力の無い者に対して不当な給与が払われ、市場が歪む。

逆に、これまで大手広告代理店に潰されてきた新進気鋭のプロデューサーが、ネットでその能力を発揮し、世間に認められるようなこともあるだろう。各人の能力が収入と正比例するような世界が間近に迫っていると言えるのではないか。

これをどう見るか。まさに、能力が平均以下の人間はこれに反抗し、平均以上の人間はこれを支持するということになるのだろう。

人事部長のつぶやき

「歴史学」の定義

どう考えても、歴史について書く作業は科学とはいえない。せいぜい、産業、芸術、哲学といったところだろう

(歴史学は)真実を追求する産業であり、種々雑多な資料に意味のある秩序を与える芸術であり、広い視野と深い認識を求める哲学である。

「歴史」には色々な定義があるが、これはなかなか面白い。最近では進化生物学や地質学が歴史を解明することも多くなり、科学の要素も多く流入してきている。

特に人類の進化に関する歴史の解明は、ここ十数年で大きく進展しています!

エリート意識と言えば、それまでですが

経済が拡大すると不平等が深刻化し、社会は教養を身につけた少数の人々と、生来、あるいは何らかの事情で恵まれない環境にある多数の人々に二分される。

この多数派が増えることは、少数派にとって文化面での脅威である。彼らの話し方、服装、娯楽、感覚、判断、思考が社会の上層部にも広がる。多数派による社会の粗野化は、教育機会、経済機会をコントロールする少数派が支払わなければならない代償の一つである。

本書では繰り返し出て来る「能力のある人vs能力の無い人」という二元論。この世の中を完璧に切り取る手法ではないが、極めて単純化されていて分かりやすいモデルと言える。

貧富の差が固定されてくると、教育にかけられる費用も固定化する。教育と収入には正の相関があるから、当然ながら収入も固定化されることになる。

なお、結婚相談所の調査によると、一般論として、女性は男性に収入を求め、男性は女性に若さを求める。女性の若さは全員に平等だが、男性の経済力には格差がある。となると、最も浮かばれないのは経済力のない男性ということになる(かなり乱暴な議論ですが)。

不都合な真実ですが、是非勉強嫌いの中高生にも知ってもらいたいですね

ウィリアム・ダラント
(パンローリング)

※一通り世界通史を勉強した人が次に読むべき一冊!