「永遠平和のために」
イマヌエル・カント
基本情報
初版 1795年
出版社 光文社古典新訳文庫(日本)
難易度 ★★★★☆
オススメ度★★★★☆
ページ数 138ページ
所要時間 2時間00分
どんな本?
「人はどうすれば道徳的に生きられるか」という哲学的命題を、「世の中から戦争をなくすにはどうすればよいか」という政治的命題に拡張した哲学的平和論。
ヨーロッパを代表する大哲学者のカントが、18世紀の時点で、国際連合の設置、諸国家の民主化、自由に人が行き来できる経済圏の創出(=経済のグローバル化)といった現代に通ずる戦争回避策を提示した人類の至宝とも言える一冊。平和論の古典中の古典。
著者が伝えたいこと
人間は生来的に争いを好む傾向があるので、この世の中から戦争をなくすことは不可能である。しかし、「永遠平和状態」という理想を想定し、実現に向けて努力することは必要だ。
それは、人間が完全に道徳的であることは不可能だが、道徳的に生きようと努力しなければならないことと同様である。
著者
イマヌエル・カント
Immanuel Kant
1724-1804
プロイセン王国ケーニヒスベルク(現ロシア連邦カリーニングラード)出身の哲学者。ケーニヒスベルク大学哲学教授。
主著『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』は3批判書と呼ばれる。大陸合理論とイギリス経験論を統合し、ドイツ観念論を打ち立てた。
また、どのような状況でも道徳は厳格に守られるべきと主張し、「わたしたちが頻繁に、そして長く熟考すればするほどに、ますます新たな賛嘆と畏敬の念が心を満たす二つのものがある。それはわが頭上の星と、わが内なる道徳法則である」という言葉を残している。
こんな人におすすめ
政治と哲学に関心のある人、理想の世界平和を考えてみたい人、カントの実践理性批判を読んだ人
書評
カントは本書に先立ち執筆した『実践理性批判』で、「道徳の根拠は仮言命法ではなく定言命法であるべき」と主張した。
これは簡単に言うと、「〇〇のために〇〇する」とか「〇〇だから〇〇する」という道徳判断(仮言命法)は、主観的であり時代によって変わるので、「何があっても〇〇する」という道徳判断(定言命法)を採用すべきということ。
カントによれば、例えば「真実を話すこと」は定言命ほうに属する。仮に殺人犯から友人をかくまっているケースでも、道徳に従うのであれば、殺人犯に対して「私は友人をかくまっている」と真実を告げなければいけない。
「友人を助けるために嘘をつく」という仮言命法を例外的に許容すると、例外が拡張して道徳が成り立たなくなると考えるためである。
本書は、カントがこの考え方を「国家による平和維持」という政治の世界に拡張したものとされている。殺人犯の例からもわかるように、カントの理想はあまりに「理想的」すぎて現実とはかけ離れているが、「絶対的平和」に至るにはどうすればよいかを考える一つの手法としては、面白いと言えるだろう。
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(光文社古典新訳文庫)
※”あの”哲学者カントが唱える、リアリズムに基づく平和論
要約・あらすじ
第1章 永遠平和を実現するための6つの前提条件
■国家間に永遠の平和をもたらすためには、6つの前提条件がある。
①停戦条約のような平和条約を認めない
平和条約とは全ての敵意をなくすことであるから、将来の戦争の原因となり得る要素を、予め全て排除しなければならない。
②国家を財産のように扱わない
独立国は、その大小を問わず、継承、交換、売却、贈与などの方法で、他の国家の所有とされてはならない。国家は人間が集まってできているのであって、財産のように扱うのは間違いである。
③常備軍の廃止
常備軍の存在は、他国を絶えず戦争の脅威にさらす行為であって、結果的に軍拡競争を招く。傭兵の利用も、人を殺害し、殺害されるために人間を使用するということであり、道徳に反する。ただし、自衛軍を持って常に訓練することは差し支えない。
④軍事国債の禁止
国債の発行は、容易かつ安易な戦費調達に繋がるため、永遠平和の障壁となる。よって、国家は対外的な紛争を理由に、国債を発行してはならない。ただし、経済発展のための国債発行は認められるべきである。
⑤内政干渉の禁止
いかなる国も、他国の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない。仮にある国で暴動が起きたとしても、同国はその解決に向けて努力する権利を持っているのだ。内政干渉はその権利を侵害するものである。
⑥卑劣な敵対行為の禁止
いかなる国家も、国家間相互の信頼を不可能にするような敵対行為をしてはならない。具体的には、暗殺者や毒殺者を利用すること、降伏条約を破棄すること等である。
第2章 永遠平和を実現するための具体的提案
■人間の自然状態は「戦争状態」である。だからこそ、「平和状態」を意識的に創出しなければならない。
■「平和状態」を創出するために、3つほど提案する。
①すべての国を共和制(=代議制民主主義)とする
■まず共和制においては、人々はその国の法律以外に従属しないという点で「自由」であり、共通の法律の下で「平等」であることが前提となる。
■そのような制度下であれば、国民は戦争を始めることによって自らに降りかかる徴兵や増税を受け入れるかどうか、慎重に判断するだろう。一方、これが君主制の場合、君主の生活自体は戦争が始まってもほとんど変わらない。だから娯楽のように戦争を始めるケースもあるのだ。
②「国家連合」で平和を維持する
■永遠平和を維持するための機構として、対等な国家同士が集まる「国家連合」と、一つの政府が全世界を統一する「世界国家」が考えられる。
■「国家連合」においては、対等な主権を持つ国家同士が折り合いを付けながら平和を希求することになるので、常に妥協的になる。しかし、世界国家では強者の論理がまかり通り、国家維持という目的が、抑圧や戦争という手段を正当化する恐れがある。よって、消極的に「国家連合」を選ばざるを得ない。
③人々は各国を自由に行き来できる
■人々が自由に国家間を往来できるようになれば、「国家連合」の体裁のまま、「世界国家」の理想に近づくことが出来る。過去数世紀、ヨーロッパ人がアジアやアフリカに対してやってきた植民地化は、永遠平和に反する行為である。日本が鎖国したのも尤もである。
第1追加条項 永遠平和の保証について
■永遠平和を保障するのは「自然の摂理」である。
■自然は以下3つを人類にもたらしたが、これにより、言語と宗教の異なる民族が国民国家を形成し、互いに牽制しながら存在することになった。
①北極にはトナカイが、砂漠にはラクダがいて人間の生活を助けるように、人間があらゆる地方で生活できるように配慮した。
②人間の本性の発露である戦争により、人間を世界中のあらゆる場所に散らばらせた。
③同じく戦争により、人間を法的な状態に入らざるを得なくした。
■一つの強大国が世界国家を作って専制政治を敷くより、この国家連合の方が平和維持には適しているのである。
■加えて、人間社会は、適切な仕組みさえ整えば、自然の摂理から永遠平和に向かうようにできていると言える。(例えば利己的な複数の悪魔がケーキを分け合う場面を想定した場合、「ケーキを切った悪魔が最後に受け取る」というルールを導入すれば、悪魔の本性がどうであれ、必ず平和的にケーキが切り分けられるはずだ)
■人間同士が互いの利己心から商業で結びつき、互いの依存度を高めることで戦争を抑止しているのも、自然の摂理によるものと言えるだろう。
第2追加条項 永遠平和のための秘密条項
■道徳的な思索を行わない法律家は、国を戦争に導きやすい。よって、国家は哲学者の意見に耳を傾けるべきだ。これが永遠平和のための秘密条項である。
付録① 道徳と政治の不一致
■道徳とは留保条件なく「〇〇しなければならない」という行動原理である。永遠平和も同じく「実現されなければならない」ものだ。
■道徳家ぶった政治家は、国家権力が国民一人一人の意志を強制的に統一することは不可能であるから、道徳と政治は一致しないと言う。しかし、道徳という普遍的な意志によってのみ、永遠平和は実現できる。政治は道徳に服さなければならないし、両者は一致しなければならない。
付録② 法の公開性について
■国内法、国際法、世界市民法のどれをとっても、全て公開されるべきである。公開されないものは何らかの不正が含まれると考えざるを得ない。法は常に万人の目に耐えうる透明性を保たなければならない。
学びのポイント
歴史は失敗の繰り返し
予備条項①
将来の戦争の原因を含む平和条約は、そもそも平和条約とみなしてはならない。
これはカントが「永遠平和を実現するための条件」として一つ目に挙げた項目である。
しかし、最初から非常にハードルが高い。「将来の戦争の原因を含む平和条約」で最も著名なものといえば、第一次世界大戦で敗戦国ドイツが結ばされた「ヴェルサイユ条約」だろう。
ヴェルサイユ条約において、ドイツは海外植民地の放棄、領土の割譲、軍縮などを飲まされるが、その最大のものは1320億マルクに及ぶ賠償金の支払いだった。
イギリスの経済学者ケインズは、ドイツの支払いの能力を最大400億マルクと見積もっていたので、1320億マルクという賠償金は、明らかに報復的措置と言える。
そもそもそんな多額な賠償金は支払えない上に、1929年に世界恐慌が起こると、いよいよドイツは追い詰められる。そこで現れたのが、賠償金支払い拒否を公約として掲げたヒトラー率いるナチス政権であった。
まさにカントの言うとおり「将来の戦争の原因を含む平和条約」は、逆に戦争を招いてしまうという典型例と言えるだろう。
永遠平和は仕組み次第
国家の樹立の問題は、たとえどれほど困難なものと感じられようとも、解決できる問題である。悪魔たちであっても、知性さえそなえていれば秩序ある平和な国家を樹立できるのだ。これは次のように表現できる。
「悪魔たちは、自己保存のために、全体としては普遍的な法則の適用を求めるが、自分だけはひそかにその法則の適用を免れたいと願っているとする。この国に秩序を与え、公的な行動においては私情をたがいに抑制させるにはどうすべきか」
ここで求められているのは、人間を道徳的に改善することではなく、自然のメカニズムを機能させることだからだ。
これは本書の中でもかなり有名な一節。「悪魔によるケーキの分配」で例えられることが多い。
悪魔たちがケーキを分配しようとしている。しかし悪魔は利己的なので、全悪魔が自分だけ抜け駆けして多くのケーキを得たいと思っている。この状態に秩序と平和を与えるにはどうすればよいか。
答えは単純で、「ケーキを切り分けた悪魔が最後にケーキを受け取る」とし、あとはじゃんけんででも順番を決めればよい。
このルールであれば、天使であろうと悪魔であろうと、ケーキを等分しようとする。これをカントは「自然のメカニズム」と呼び、人間が道徳的であろうとなかろうと、自ずと永遠平和が実現されるための有力な手段であると考えていた。
国際連盟と国際連合
国際法は、自由な国家の連合に基礎をおくべきだ。
戦争の防止だけを目的として諸国家が連合することが、諸国家の自由を妨げることのない唯一の法的な状態である。(中略)この連合的な組織は、原則に基づいた法の原理によって与えられる必然的なものなのである。
第一次大戦後に設立された「国際連盟」と第二次大戦後に設立された「国際連合」のオリジナルのアイデアは、カントが本書で提唱した「国家連合」であると言われている。
国際連盟 | 国際連合 | |
設立 | 1920年 | 1945年 |
本部 | ジュネーブ | ニューヨーク |
加盟国 | 最多58か国 アメリカは不参加 | 193か国(2021年) |
常任理事国 | 英・仏・伊・日 | 米・英・仏・ロ・中 |
議決 | 全会一致 | 多数決 |
制裁 | 経済制裁 | 経済制裁・軍事制裁 |
しかし、これらの国際組織が世界平和にどれだけ貢献しているかを評価することは、非常に難しい。少なくとも国際連盟は、日独伊の脱退などにより、第二次大戦を防げなかった。
国際連合の時代になっても、朝鮮戦争・中東戦争・ベトナム戦争等の戦争は起きているし、テロに対しては、ほとんど為す術がない。最近ではロシアによるウクライナ侵攻も、イスラエルによるガザ地区侵攻も防げなかった。
カントの理想が実現されない理由はどこにあるのか。もちろん理由は一つではないが、カントの理想と現在の国連を比較した際、圧倒的に異なるのは「常任理事国」の存在だ。
カントは、平等な主権国家同士が、折り合いを付けながら平和を維持する国家連合を想定していた。しかし、国連の事実上の最高意思決定機関である安全保障理事会では、常任理事国の米・英・仏・ロ・中のみが拒否権を持っており、自分たちにとって都合の悪い議案があれば、拒否権を使ってそれを無効にする力を持っている。
これは、第二次世界大戦の戦勝国のみに与えられた特権であり、「5大国の意見が一致して影響力を行使することで、はじめて世界の平和は維持できる」という、現実的と言えば現実的、しかし非民主的といえば非民主的な考え方に基づいている。
人事部長のつぶやき
「共和制」は戦争を抑制する統治体制?
共和制では「戦争するかどうか」について、国民の同意を得る必要がある。共和的な体制で、それ以外の方法で戦争を始めることはありえないのである。そして国民は戦争を始めた場合にみずからにふりかかってくる恐れのあるすべての事柄について、決断しなければならなくなる。(中略)
だから国民は、このような割に合わない〈ばくち〉を始めることに慎重になるのは、ごく当然のことである。
カントの言う「共和制」とは、「代議制民主主義」にあたる制度のことで、現代の欧米先進国や日本・韓国・台湾・インド等がこれに該当する。
一方、中国は名前こそ「中華人民共和国」ではあるし、見かけ上「代議制」を取ってはいるが、統治機構は専制的であるため、カントの言う共和制にはあたらない。
中国においては支配層である共産党と一般市民は分離されており、中国が戦争を起こそうとも、(恐らく)共産党幹部の暮らしぶりは変わらず、負担を強いられるのは一般市民ということになる。これでは、国家はたやすく戦争に向かうことになる。
しかし、中国のことばかりを言ってはいられない。戦前の日本も同様である。戦前の日本は大日本帝国憲法下で議会制民主主義を採っていたが、
①内閣(陸海大臣)には陸海軍の指揮権がない
②天皇は「君臨すれども統治せず」という立場にあったため、陸海軍の指揮権を行使することはない
ことから、軍部の独走を許してしまい、戦争へと突き進んでしまった。
もっとも、戦争を支持する国民が多数派だったので、議会制民主主義であろうが、軍部独裁であろうが、戦争は起こしていたのかもしれない。
非常に悲しい現実ではありますが、平和を維持できるか否かは統治機構の問題ではなく、「民度」の問題なのかもしれません。
理想と現実の乖離
永遠平和を保証するのは、偉大な芸術家である自然。
自然の機械的な流れからは、人間の意志に反してでも人間の不和を通じて融和を作りだそうとする自然の目的がはっきりと示されるのである。
若干小難しく書いているが、平たく言うとカントは「人間は生来的に邪悪な生き物だが、理性の力で平和状態を作り出すことができる」と説いている。
しかし、これは本当だろうか。ヨーロッパ人は歴史的に「総論で反対できない理想」を掲げて、自分たちの都合のいいように世の中を動かしてきた。
例えば「蒙昧な非ヨーロッパ人を啓蒙する」という理想を掲げて世界各地をキリスト教化・植民地化したり、「自由貿易」の大義名分のもとにアヘン戦争を起こしたり、最近では「カーボンニュートラル」という看板を掲げて、日本のハイブリッド車を欧州市場から締め出そうとしている。
同じようなことを、福澤諭吉が著書『文明論之概略』でこう述べている。
天地の公道(公正で道理のあること)は、もちろん慕うべきである。
西洋諸国がこの公道によって我々に接するのであれば、我々もまたこれに応じよう。しかし、西洋諸国がインドや中国でやっていることを見れば、そうは言っていられないことは容易に分かる。
公道に拠るのであれば、世界中の政府を、日本で旧藩を廃止したように、廃するべきである。その見込みは立っているだろうか。
福澤はカントの言う「理性」を「天地の公道」と表現している。福澤はカントを読んでいたかもしれないが、カントと同じ「世界国家」を想定しつつも、それは「ムリ」とバッサリ棄却している。非常に興味深い。
【参考】ドイツ観念論とは
カントは大陸合理論とイギリス経験論を統合し、ドイツ観念論を打ち立てた哲学者として知られている。最後にドイツ観念論とは何かについて、簡単に解説しておきたい。
合理論・経験論・観念論の違い
大陸合理論:人間は理性によって真の世界を認識することが出来る。
イギリス経験論:人間はそれまで経験した範囲内でしか世界は認識できない。
ドイツ観念論:人間は人間なりの方法で世界を認識しているにすぎない。
ドイツ観念論の考え方
・人間は経験したことしか認識できない。
・しかし、数学や論理学など、経験に拠らず人類共通で認識できる対象もある。
・ただしどちらにしても、人間というフィルターを通った世界であって「真の世界」ではない。
・「真の世界」を人間が認識することは出来ない。人間が認識している世界が、人間にとっての世界そのものである。
・つまり「認識が対象に従うのではなく、対象が認識に従う」のだ(←カントはこの逆転の発想を自身で「コペルニクス的転回」と呼んだ)
・よって、人間の認識を超える「神の存在」「魂の不死」「宇宙の全体」といった問題は解決不可能である。
(光文社古典新訳文庫)
※”あの”哲学者カントが唱える、リアリズムに基づく平和論