「自助論」
サミュエル・スマイルズ
基本情報
初版 1859年(日本では1871年)
出版社 三笠書房
難易度 ★★★☆☆
オススメ度★★★☆☆
ページ数 304ページ
所要時間 3時間30分
どんな本?
欧米人300人の成功談を集めた自己啓発本の古典。序文の「天は自ら助くる者を助く(Heaven helps those who help themselves)」という言葉が特に有名。日本では「西国立志編」という名前で発刊され、福澤諭吉の「学問のすすめ」と並んで「独立自尊を説く書」として読まれた。
「世界最古の自己啓発本」「あらゆる自己啓発本のルーツ」とされることも多い。トヨタグループの創始者である豊田佐吉や、サッカー元日本代表の本田圭佑も愛読。
著者が伝えたいこと
財産も地位も天賦の才能もない人間でも、他人に頼らず独力で、勤勉と節約によって成功できる!
著者
サミュエル・スマイルズ
Samuel Smiles
1812-1904
スコットランド生まれの著述家・医者。エディンバラ大学で医学を学び開業、のちリーズの新聞社及び議会改革協会で選挙制度改革等に従事。
その後、鉄道会社への勤務等を経て、「人々の貧困は悪習慣から来ている」という基本思想から、労働者階級に対して自助努力の大切さを説いた「自助論」を出版。
「財産も地位もない人間でも、他人に頼らず独力で勤勉と節約によって出世できる」というビクトリア朝イギリスの処世術は多大な反響をよび、一大啓蒙書となって、世界各国語に翻訳された。
こんな人におすすめ
何となく惰性で過ごしてしまっていて、自らを奮い立たせたいと思っている人。
時代背景
本書が発刊された当時のイギリスは、経済・軍事・経済・文化のあらゆる面で世界をリードするヴィクトリア朝の真っ只中であった。
一方、繁栄の影で、貧富の差や、資本家と労働者の対立が社会問題になる(マルクスとエンゲルスが「共産党宣言」を発表したのが、本書発刊の約10年前である)。
スマイルズは労働者の政治的立場向上に努める一方で、財や地位を持たない労働者階級でも、政府や資本家に頼らずに成功できると、本書において労働者を鼓舞した。
要約・あらすじ
第1章「自助の精神」
・天は自ら助くる者を助く。外部からの援助は人を弱くするし、法律や制度が人を強くすることもない。自助の精神、つまり誠実に努力し続ける勤勉さがその国の政治のレベルを決めるのだ。
・自分自身の内面を律することができない人は、専制政治で外面を抑圧されている人より不幸である。
・科学でも文学でも芸術でも、偉人と言われる人は財産や身分に無関係に、弛まず努力してきた人々である。
・人間性は学校や読書で得られるものではなく、実際の仕事を通じて磨かれる。
・私たちは、先人たちの偉業や古今の格言、人生における実体験や書物、友人や隣人などから大きな影響を受けている。しかし、自分の幸福や成功については、あくまでも自分自身が責任を持たねばならない。
第2章「忍耐」
・何をするにしても、常識や集中力、勤勉、忍耐のような平凡な資質がいちばん役に立つ。そこには生まれつきの才能は不要だ。
・天才と称賛される人物ほど、必ずといっていいくらい、粘り強い努力家である。
・ニュートンは業績の秘訣を問われた際「いつもその問題を考えつづけていたからだ」と答え、フランスの博物学者ビュフォンは「天才とは、一つの問題に深く没頭した結果、生まれるものだ」と言った。
第3章「好機を確実に生かす」
・洞察力の優劣は、人間に大きな差をつける。どんな分野でも、ささいなことを細かく観察するのが成功の秘訣だ。ニュートンにしてもガリレイにしても、膨大な科学的知識を土台に、常に本質を探求する観察力や洞察力で、大きな功績を残した。
・我々を助けるのは、確固とした目標に向かって、粘り強く進む姿勢だ。毎日1時間でよいから、無駄に過ごしている時間を何か有益な目的のために向けてみると良い。どんな人間でも、10年もしないうちに博識な大人物に変わるはずである。
・偉人の中には、世間から認められず、辛酸をなめた経験を持つ者も多い。だが真に優れた人間は、他人の評価などにあまり重きを置かない。自分の本分を誠心誠意果たして良心が満足すれば、それが彼らにとっては無上の喜びとなるのだ。
第4章「仕事」
・仕事には誠心誠意、取り組まなければならない。勤勉は天賦の才能をさらに高めるし、才能がない場合でも勤勉がそれに取って代わるだろう。
・割りの合わない仕事やつまらない仕事でも、常に一歩でも二歩でも進むことが大切だ。あらゆる仕事は成長のための栄養剤である。
第5章「意志と活力」
・「意志のあるところ、道は開ける」という古いことわざは、まさしく真理そのものだ。決心さえ固めたなら、それはすでに現実に目標を達成したも同じことと言える。心から真剣に求めつづけていれば、すべては可能となる
・怠惰に流され、無目的に暮らす無能な青年の悪習に染まるか、活力を高めて人生を充実させるかは、大きな分かれ目である。
第6章「時間の知恵」
・どんなビジネスにも、それを効率よく運営するのに欠かせない原則が六つある。それは、①注意力(洞察力)、②勤勉さ、③正確さ、④手際のよさ、⑤時間厳守、⑥迅速さ、である。
・時間を正しく活用すれば、自己を啓発し、人格を向上させられる。仕事に身を入れず、怠惰な時間を過ごしていると、人はロクでもないことを考え出すようになる。小人閑居して不善を為す、ということだ。
・人生の残り時間が少なくなって初めて「時間をもっと賢く使うべきだった」と悟る人間の何と多いことか。だが、失われた時間だけは永遠に戻ってはこない。
第7章「お金の知恵」
・お金を人間生活の第一の目的だなどと考えるべきではない。しかし、社会の安定や繁栄にとって大切な要素ではあるので、聖人ぶってお金を軽蔑するのも正しくない。
・お金の使い方は、寛容、誠実、自己犠牲、分別、先見性、克己心など、人間の美徳と密接にかかわっている。一番大切なのは、正直な手段で金を得て、それを倹約しながら使うことである。身の丈を超える借金は絶対にしてはいけない。
・富は行動を妨げることもある。財産を相続した若者は、安易な生活に流されがちだ。望むものが何でも手に入るため、かえって生活に飽き飽きしはじめる。彼のモラルや精神力は、いつまでも眠りから覚めることがない。
第8章「自己修養」
・最良の教育とは、人が自分自身に与える教育である。確固たる目的や目標を持っていれば、勉強も実り多いものとなる
・人間は、困難や失敗を克服することで、自己を高めていく。困難に立ち向かわなくても済むようになるのは、人生が終わり、修養の必要もなくなった時だけだ。
・若いころ芽が出なくとも、粘り強く努力し続ければ、優れた人物になれる。神童と呼ばれた人が、立派な大人になるとは限らない。
第9章「出会い」
・人間性を育てる際の成否は、誰を模範にするかによって決まる。われわれの人格は、周囲の人間の性格や態度、習慣、意見などによって無意識のうちに形づくられる。
・「人生を変える一冊」「自分を奮い立たせる一冊」を持つことも大切だ。特に真の人生を生きた人の伝記は、現在に通ずる優れた知恵だ。
・人間は自らの意思によって、楽天的にも悲観的にもなれる。楽天性を育て上げる教育は、知識や教養を目一杯詰め込むより、はるかに重要だ。
第10章「信頼される人」
・立派な人格は人間の最良の特性である。人格者は社会の良心であり、同時に国家の原動力となる。世界を支配するのは高いモラルにほかならない。
・知性は大切だが、それだけでは人は尊敬されない。イギリス人はこう言う「我々は天才(知性ある人)に援助を求めることはあっても、最後には人格者に従う」。
・真の人格者は、力や才能に驕らず、成功しても有頂天にならず、失敗にもそれほど落胆しない。他人に自説を無理に押しつけたりせず、求められた時にだけ自分の考えを堂々と披瀝する。人の役に立とうという場合でも、恩着せがましいそぶりは微塵も見せないものだ。
学びのポイント
本書で最も著名なフレーズ
「天は自ら助くる者を助く(God (Heaven) helps those who help themselves)」
この格言は、幾多の試練を経て現代にまで語り継がれてきた。
この格言の意味は「天は、他人の助けを借りずに、自身で努力する者を助けて成功させる」ということである。
そしてこの言葉の出典はと言えば、これは諸説ある。少なくとも日本語のサイトでは適当なものは見当たらず、英語版Wikipediaに拠れば、
・古代ギリシャの悲劇やイソップ物語に同趣旨の言葉がある
・”God helps those who help themselves”という表現を最初に使ったのは、17世紀イングランドの政治家であるアルジャーノン・シドニー
・アメリカ独立宣言起草者の一人であるベンジャミン・フランクリンが引用して、世間に広まった
・聖書が出典と思われることが多いが、そうではない
となっている。いずれにしても、欧米人には馴染みの深いフレーズである。
一定年齢以上の日本人にとっても、英語構文の例文として見たことがあるのではないだろうか。
全ては自己責任
人間の性質は目に見えない無数のものによって形づくられていく。先達や古今の格言、人生における実体験や書物、友人や隣人、現在の社会や祖先の英知―これらすべてをわれわれは受け継ぎ、疑いもなくそこから大きな影響を受けている。
しかし、自分の幸福や成功については、あくまでも自分自身が責任を持たねばならない。我々は、我々自身をして、自身への最大の援助者とならなくてはいけない。
古今東西、様々な自己啓発系の本が出版されているが、この「自分の幸福や成功を決めるのは自分自身である」という考え方は、普遍的に登場する。自己啓発業界の「真理」と言ってもいいだろう。
例えば、20世紀最強の自己啓発本と名高い、スティーブン・コヴィー著「7つの習慣」では、第1の習慣として「主体的であること」を挙げている。
【第1の習慣「主体的である」要約】
・外部からの刺激に即反応するのは動物のすることである。
・人間は「自覚」「想像」「良心」「意志」により、自らの価値観に基づいて、刺激と反応の間にスペースを作ることが可能である。これこそが「主体的反応」である。
・反応的な人の精神状態は、他者の出方次第でもころころ変わる。自分をコントロールする力を他者に与えてしまっているということだ。
・自ら責任を引き受けて行動を起こすのか、それとも周りから動かされるのか、どちらの道を選ぶかによって、成長や成功の機会も大きく変わる。
・問題が自分の外にあると考える人は、自分が変わるためには、まず外にあるものが変わるべきだと考える。一方、主体的な人は、自分自身が変わる、自分の内面にあるものを変えることで、外にあるものを良くしていこうと考える。
仕事における時間の使い方
仕事を明日に延ばすと、時間が二倍かかる。
短いが、けだし名言である。仕事はとにかく手を付けることが大切だ。まず20%やってみれば、ゴールまでに何が必要なのかが見えて来る。誰かに何かをお願いしておいたり、何にどれだけ時間を使おうかと考えたりできる。
また、最初の20%はイヤイヤ仕事でも、人間とは不思議なもので、ゴールへの道筋が見えれば、そこに辿り着こうという意欲が自然と湧いてくる。
同じ出来栄えでも、今日なら80点、明日なら50点というケースもある。とにかく仕事は早めに手を付けるのがよい。
ちなみに、ドイツの法学者・思想家であるカール・ヒルティは、著書「幸福論」の中で、時間を有効に使う心構えを次のように言っている。これも参考になるだろう。
①規則正しい生活を送る(残業や休日労働はもっての他)
②とにかく手を付けてみる(気分はあとから乗ってくる)
③断片的な時間を活用する(まとまった時間を取ろうとしない)
④複数の仕事を同時に進める(気が乗らない仕事もある)
⑤手早く仕事をする(100点を目指さない)
⑥無駄な時間をなくす(社交は大いなる時間の無駄遣いだ)
小人閑居して不善を為す
時間を浪費していては精神の中に有害な雑草がはびこるばかりだ。何も考えない頭は悪魔の仕事場となり、怠け者は悪魔が頭を横たえる枕となってしまう。
航海においても、船員たちは暇が多いほど不平不満をつのらせ、船長に刃向かうようになる。そのことを熟知していたある老船長は、何も仕事がなくなると、必ず「イカリをみがき上げろ!」と船員たちに命じたそうである。
人は時間を持て余すと、ロクなことを考えない。適度に忙しい方が良い人生を送れるのだ、ということを言っている。
これは古今東西で真理のようで、数々の偉人たちが同じ趣旨のことを述べている。
小人閑居して不善を為す(=教養や人徳のない小人は、一人でいたり時間を持て余すと悪事を犯す)
『大学』(四書五経の一つ)
人生は、あまりに閑すぎるといつの間にか雑念が生じてくるし、あまりに忙しすぎると本性を発揮できない。
洪自誠『菜根譚』
人は退屈なので、それから逃れるために、心配したり怒ったりする。もし彼が朝から晩まで働いていたら、これほど退屈しなかったに相違ない。だから金持ちは退屈するし、ロクなことをしない。
自分自身の内側に財産を持っていないものは、倦怠に待ち伏せされ、やがて捕まってしまう。
アラン『幸福論』(一部要約)
人間は何かやっている時が一番満足しているものである。というのは、仕事をした日彼らは素直で快活で、昼間よく働いたと思うものだから、晩は楽しく過すのであったが、仕事が休みの日にはとかく逆らいがちで喧嘩っぽく、豚肉やパンや何かに文句をつけ、終日不機嫌でいるのだった。
それで私はある船長のことを思い出したのである。彼は部下の者にたえず仕事をあてがっておくことにしていた。ある時、航海士がやってきて、仕事はすっかりすんで、もう何もさせることがないと告げると、彼は言ったものである。「では錨を磨かせるがよい」
ベンジャミン・フランクリン『フランクリン自伝』
ちなみに英語には「Idle hands are the Devil’s workshop」という同じ意味の諺がある。
日本で振り返ると、一昔前の労働組合運動などは、その典型ではなかろうか。もちろん、労働者が団結して、自らの処遇や労働環境を良くすることは尊重されるべきである。
しかし、旧国鉄の労組がそうであったように、政治的イデオロギーと相まって、毎日のように会社と団体交渉を繰り返すような労組運動は健全とは言えない。
仕事が充実していて、日々忙しく働いていれば、あれだけ労組運動に時間やパワーを割けなかったはずである。それだけヒマだったということだろう。労使問題は国鉄分割民営化の一つの原因であった。
ちなみに1975年には8日間にわたって、国鉄のほぼ全線でストライキが行われた。ストライキが禁止されていた国鉄職員が、ストライキ権を求めてストライキをやるという、なんとも訳の分からない所業で、歴史的には「スト権スト」と呼ばれる。
上:国鉄が止まり、マイカー渋滞が発生
下:地下鉄に乗るための長い列(池袋駅)
日本経済は大混乱である。また、同時期のものかは不明だが、国鉄労働運動では、自社製品である車両にもスローガンが描かれていた。
これが日本の民度かと思うと、悲しくなるばかりである。
投資・消費・浪費
時間を正しく活用すれば、自己を啓発し、人格を向上させ、個性を伸ばしていける。
もしも毎日がつまらぬことに向けられムダに浪費されているなら、そのうちの一時間でも自己啓発のために充てるべきだ。
人の時間・お金・パワーの使い道には、大きく「投資」「消費」「浪費」の3つがある。
投資・・・将来のために、現在、何かを為すこと(英語の勉強等)
消費・・・現在のために、現在、何かを為すこと(趣味のカラオケ等)
浪費・・・無駄遣い(ダラダラスマホなど、自分で不本意と思った全て)
投資と消費は必要、浪費は不要だ。将来のためと言って、「投資」ばかり行い、今を楽しまなければ、息が詰まってしまう。かといって「消費」ばかりでは、将来的に行き詰まる。人生にはダラダラ過ごす時間も必要だろうが、意識的にダラダラしているなら消費、そうでないなら浪費だ。
そして、この投資と消費のバランスは、人によっても、人生のステージにおいても異なる。若いうちは、当然ながら「投資」に重心が置かれるべきだろう。大人よりも、1単位あたりのリターンが大きいからだ。
一方、40代を超えたような大人は、「消費」を増やして、人生を楽しむというのも一つの選択肢だ。80歳になってから、外国語を習得しようとしても、それが活かされる前に命尽きてしまうかもしれない(趣味、つまり消費として学ぶ分にはよいだろうが)。
この、「時間」「お金」「パワー」×「投資」「消費」「浪費」は、豊かな人生を送るために、常に意識しておきたいところだ。
読書をして、考える
読書から知識を吸収するのは、他人の思想を鵜呑みにするようなもので、自分の考えを積極的に発展させようとする姿勢とは大違いだ。
本を読むことは自己修養に欠かせないが、単に読むだけではダメで、よく考え、自らの人生に実際に活かしていかねばならない、ということ。
これも古今東西色々な人が同じようなことを言っている。
読書とは他人にものを考えてもらうことである。本を読む我々は、他人の考えた筋道を辿るにすぎない。
ドイツの哲学者 ショーペンハウアー『読書について』
子曰く、学びて思わざれば、則ち罔し。思いて学ばざれば、則ち殆し。
知識や情報をたくさん得ても、それをどう社会のために役立てるかを考えなければ意味がない。逆に、社会のために役に立つことを考えるばかりで、知識や情報の裏付けがなければ、独善的になってしまう。
孔子『論語』
家庭の大切さ
「社会の中でわれわれが属している最小単位、すなわち家族を愛することが社会全体を愛するための第一歩である」と政治思想家バークは語っている。
この「家庭を大切にせよ」という教訓も、古今東西、様々な自己啓発・処世術系の書物に登場する。
先ほども出てきた「菜根譚」では、このように表現される。
家庭の中にこそ一個の真の仏があり、日々の生活の中にこそ一種の真の道がある。
まさに人の心が誠で気が和らぎ、穏やかな顔つきで優しい言葉を使い、そして父母兄弟の間がまるで体がとけあうように気持ちが互いに通じ合えば、正座をして息を整え、座禅して念を凝らすことよりも数万倍の効果があろう。
確かに人生において「家庭」は重要だ。ここから先は筆者の見解ではなく、私の持論だが、人間を取り巻く基本的な構成要素には、大きく、
①家族・親族
②仕事・社会
③友人・プライベート
④自分自身
の4つがある。
そして、この4つの要素とも、全てが順風満帆ということは多くない。家族とうまくいかないこともある、仕事でミスが続くこともある、友人に裏切られることもある、自分自身の感情をうまくコントロールできないこともある。
しかし逆に、全てが全て上手くいかない、ということも多くない。例えば、何かが上手くいかなくとも、別の何かが自分を支えてくれるはずだ。
仕事がうまくいかなくても、家族が話を聞いてくれるかもしれない。友人とモメても、自分に気力があれば乗り越えられるかもしれない。だからこそ、常にこの4つとは真摯に向かい合っておく必要があるのではないか。
中でも、家族・親族というのは、人間社会の最も基本的な単位であり、特に大切な要素だということでだろう。
イギリスという国の底強さ(人徳>知性)
知性溢れる人間を尊敬するのは一向に構わない。だが、知性以上の何かがなければ、彼らを信用するのは早計に過ぎる。
イギリスの政治家ジョン・ラッセルはかつてこう語ったことがある。「わが国では、いくら天才に援助を求めることがあっても、結局は人格者の指導に従うのが当然の道とされている」。これは真理を言い得た言葉である。
これぞ、一部のエリートが、大局観を持って国を引っ張るイギリスの価値観だろう。イギリスでは、貴族の子弟が全寮制のパブリックスクールに入り、オックスフォードかケンブリッジに入学するというパターンが多く、その過程では知性とともに人格教育がなされる。当然ながら、国の政治はそれらエリートが引っ張ることになる。
もちろんイギリスは民主主義の国なので、民衆(労働者階級)がリーダーや政権を選ぶ。しかし、選ばれる側がエリート揃いなので、外交にしても内政にしても、実に老練で狡猾で成熟している。Brexitも現時点では混乱しているが、あの国は確実に自国の利益を確保する方向に収めていくだろう。民衆は基本的にエリートを信頼している。
その源泉は「知性以上の何かがなければ、彼らを信用するのは早計に過ぎる」というイギリスの基本的な価値観だ。ここでは「知性」と「人格」が対比されている。もう少し敷衍すると、以下のように整理できるだろう。
知性・・・知識。才能。スキル。何かをうまく為したり、自分を良く見せるための手段(梯子を上手く昇る力)
この「人格>知性」という考え方は、古今東西、様々な思想家・哲学者が説いており、例えばこんな表現がなされている。
人格 | 知性 | |
孔子 | 徳 | 才 |
アリストテレス | エトス(倫理) | ロゴス(論理) |
渋沢栄一 | 論語 | 算盤 |
また、歴史上、数多くの人々が、同じ趣旨のことを言っている。ここではその代表的なものを時代順に列挙しておきたい。
①太宗『貞観政要』
最近の役人は法律に偏重しすぎていて、国がうまく治まらない。役人はもちろん法律や行政のプロでなければならないが、その前に、儒学を修めた有徳の人物でなければならない。
過去の皇帝を見ても、法に任せて統治した者(秦)は、一時的な弊害を救うことができても、滅亡もすぐにやってくる。一方、仁義を根本とした国(周・漢)は長続きした。
②洪自誠『菜根譚』
徳は才の主にして、才は徳の奴(ど)なり
(道徳は才能の主人で、才能は道徳の使用人である)
③勝海舟『氷川清話』
学問にも色々あるが、自分のこれまでの経歴と、古来の実例に照らして、その良し悪しを考えるのが一番の近道だ。
小さな理屈は専門家に聴けば事足りる。俗物は理屈詰めで世の中の事象に対応しようとするからいつも失敗続きなのだ。
理屈以上の「呼吸」、すなわち自分の中にある信念や経験をもとに判断するのが本当の学問というものだ。
今の学生はただ一科だけ修めて、多少の智慧が付くと、それで満足してしまっている。しかし、それではダメだ。
世間の風霜に打たれ、人生の酸味を嘗め、世態の妙を穿ち、人情の機微を究めて、しかる後に経世(世の中を治める)の要務を談ずることができるのだ。
④新渡戸稲造『武士道』
武士道は知識のための知識を軽視した。知識は本来、目的ではなく、知恵を得る手段である、とした。(中略)
知的専門家は機械同然とみなされた。知性そのものは道徳的感情に従うものと考えられた。
⑤昭和の知の巨人、安岡正篤『運命を創る』
人間は「本質的要素」と「付随的要素」から成る。
「本質的要素」とは、これをなくしてしまうと人間が人間でなくなるという要素であり「徳」とか「道徳」という。具体的には、人を愛するとか、人を助けるとか、人に報いるとか、人に尽くすとか、あるいは真面目であるとか、素直であるとか、清潔であるとか、よく努力をする、注意をするといったような人間の本質部分である。
もう一つは「付随的要素」で、大切なものではあるが、少々足りなくとも人間であることに大して変わりないというもので、例えば「知性・知能」や「技能」といったものである。
ことに戦後の学校教育は非常に機械的になり、単なる知識や技術にばかり走っている。近来の学校卒業生には、頭がいいとか、才があるとかという人間はざらにいるが、人間ができているというのはさっぱりいない。
そのために、下っ端で使っている間はいいが、少し部下を持たせなくてはならないようになると、いろいろと障害が出るといった有様だ。これは本質的要素を閑却して、付属的方面にばかり傾いた結果である。
⑥ピーター・ドラッカー『経営者の条件』
知識やスキルも大切だが、成果をあげるエグゼクティブの自己開発とは、真の人格の形成でもある。
⑦S・コヴィー『7つの習慣』
建国から約150年間に書かれた「成功に関する文献」は、誠意、謙虚、誠実、勇気、正義、忍耐、勤勉、質素、節制、黄金律など、人間の内面にある人格的なことを成功の条件に挙げている。私はこれを人格主義と名づけた。
ところが、第一次世界大戦が終わるや人格主義は影をひそめ、成功をテーマにした書籍は、いわば個性主義一色になる。成功は、個性、社会的イメージ、態度・行動、スキル、テクニックなどによって、人間関係を円滑にすることから生まれると考えられるようになった。
⑧稲盛和夫『生き方』
人の上に立つ者には、才覚よりも人格が問われる。
戦後日本は経済成長至上主義を背景に、人格という曖昧なものより、才覚という成果に直結しやすい要素を重視してリーダーを選んできたが、それではいけない。
西郷隆盛も「徳高き者には高き位を、功績多き者には報奨を」と述べているし、明代の思想家呂新吾は著書『呻吟語』の中で「深沈厚重なるは、これ第一等の資質。磊落豪雄なるは、これ第二等の資質。聡明才弁なるは、これ第三等の資質」と説いている。
この三つの資質はそれぞれ順に、人格、勇気、能力とも言い換えられる。(一部要約)