「伊勢物語」作者不詳
基本情報
初版 平安時代
出版社 角川ソフィア文庫、講談社学術文庫等
難易度 ★★☆☆☆
オススメ度★★★★☆
ページ数 252ページ
所要時間 3時間00分
どんな本?
和歌を中心にストーリーが展開する「歌物語」ジャンルの代表作。平安時代に成立したが、その経緯や作者は不詳。平城天皇の直系であり、世が世なら天皇になっていたかもしれない在原業平(とされる主人公)が、政治権力から離れた雅な世界で、数々のスキャンダラスな恋愛を展開する。
軽はずみなワンナイトから、神聖なる巫女さんと恋に落ちてしまう段、好きでもない熟女を抱く段まで、ラノベのような感覚でスラスラ読める。哲学的思索に耽る場面は少なく、ひたすら雅で風流な世界が歌とともに展開される。中世日本を代表する素敵な古典。
著者が伝えたいこと
在原業平は、権力の面では藤原氏に押されっぱなしだったものの、風流で恋多き人生を送った。
中でも業平が本気で愛した「藤原高子(後の清和天皇の后)」は受け身で流されやすい女性であったし、同じく業平が愛した「恬子(伊勢斎宮)」は禁を犯しても業平に会いに行く強い女性だった。
好対照の二人であるが、どちらも身分の異なる禁断の恋物語であり、人々の関心を集めている。
著者
※著者不詳
主人公とされている人物
在原業平 825-880
平城天皇の孫、桓武天皇の曾孫にあたる貴族。世が世なら天皇になっていた血筋だが、810年に発生した薬子の変で、皇統が平城天皇の弟である嵯峨天皇に移ったため臣籍降下し、在原姓を名乗る。
官職では藤原氏に押されて出世できなかったが、和歌に秀で、平安時代を代表する6人の歌人「六歌仙(ろっかせん)」に名を連ねており、『古今和歌集』には30首が入集している。
平安時代の歴史書では「容姿端麗、自由奔放、教養(当時は漢文・漢詩)は無いが見事な和歌を作る」と評されているほか、紀貫之は『古今和歌集仮名序』で業平を「その心余りて、言葉足らず(非常に情熱的ではあるが、表現がイマイチ)」と評している。
こんな人にオススメ
風流で雅な世界に浸りたい人、和歌に関心のある人、恋物語が好きな人
書評
平安時代の「物語文学」と言えば、伊勢物語と源氏物語が双璧だが、どちらも主人公の男性があらゆる女性と関係を持ちまくり、多くのスキャンダルを引き起こしていくという点で共通する。
もっとも、伊勢物語は作者不詳で、在原業平っぽい男を主人公とする伝記の形を取りつつも、多くの雑多な小話が後から追加されたと考えられており、全体としての構成力は源氏物語よりも圧倒的に低い。
作中では在原業平とされる男の元服から死に至るまでが全125段で語られる。各段は数行の散文と歌から構成されており、一つ一つの段は短く読みやすいと言える。
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(角川ソフィア文庫)
※忙しい日々から離れ、風流で雅な世界に浸るのに最適な古典
主要なエピソードと歌
※基本的には、主人公が行く先々で女性と出会い、和歌を交わし、夜を共にし、別れ、たまに京の女を想うというエピソードが繰り返される(たまに全く関係ない男女が出てくることもあるが、いずれにしても恋の歌と小話が展開される)
ここでは伊勢物語の中でも有名なエピソードと、そこで展開される歌についてしていく。
藤原高子(4段)
昔、男は左京に住む藤原高子(ふじわらのたかいこ)という身分の高い女性を、いけないと知りつつ、深く想い、足繫く通っていた。
しかし、梅の花咲く睦月、高子は天皇の妃になるために後宮に入ってしまい、男は一層つらい思いをした。1年経って、梅をまた眺めてみるけれども、去年とは違って香りも輝かしさもない。男は泣きに泣いて、誰もいなくなった部屋に、月が西の空に傾くまで臥せって去年を思い出して詠んだ。
月やあらぬ 春や昔の春ならぬ わが身一つは もとの身にして
(月は去年の月と同じではないのか。春は、去年の春と同じではないのか。私だけは昔のままで、周囲の環境は全て変わってしまった)
男は夜が明ける頃、泣く泣く帰ったのだった。
伊勢物語において、業平が本気で恋をした相手として、名前が特定されているのはたった2名しかおらず、この藤原高子はそのうちの一人である(もう一人は後述する伊勢斎宮の恬子)。名門藤原家に生まれ、25際で清和天皇の后になり、子はその後、陽成天皇となった。
業平は桓武天皇の血筋とはいえ、既に臣籍降下しており、高子に近づける身分ではない。この歌はその悲哀を詠んでいる。この手の「身分違いの恋」は、源氏物語は言うまでもなく、現代のテレビドラマに至るまで、万人受けするテーマなのだろう。
この歌の「月や」「春や」の「や」を、疑問とするか反語とするかで、専門家の解釈が分かれる。疑問とすれば、現代語訳は上記のとおり。反語とすれば、「月は去年と異なるのか、いや同じである。春は去年と異なるのか、いや同じである。私もやはり同じである(変わったのは周囲の環境だけだ)」という意味になる。
複数の解釈が可能なためか、紀貫之が業平を「その心余りて、言葉足らず」と批判した実例として挙げたのが、この「月やあらぬ」の句であった。
芥川(6段)
業平は何年も高子に求婚し続け、やっとのことで二人で駆け落ちして暗い中を逃げてきた。
芥川という川のほとりで、高子は草の上の露を見て「あれは、なあに?」と業平に問う。高子は鬼がいる所とも知らず、その上、雷と雨がひどかったため、業平は高子を荒れ果てた蔵に押し入れて、弓を持って入口を守ることにした。
業平は、早く雨がやみ、夜が明けてほしいと思い続けていたが、蔵の中では鬼がたちまち高子を食べてしまった。高子は「ああ」と声をあげたが、雷の音でそれが業平には聞こえなかったのだった。
業平は夜が明けて見てみると、高子がいないことに気付く。嘆いてみても、何の意味もなかった。
白玉か なにぞと人の 問ひし時 露とこたへて 消えなましものを
「あのきらきらしている玉はなあに」と女が尋ねた時、私は「あれは、露だ」と答えて、露のようにはかなく消えてしまえばよかった。
これは高子の兄たちが取り返しに来たのを、「鬼の仕業」などと言ったのだった。
業平はついに高子と駆け落ちしてしまう。まず印象的なのは、高子が露を見て「あれは、なあに?」と無邪気に問う場面だろう。現代的な感覚では、あざとさMAXではあるが、これは天皇の妃となることを前提に箱入りで育てられていることを暗示していると考えられる。
「露」は、はかないものの代表例で、高子と話されてしまうのであれば、露のように消えてしまえばよかった、つまり死んでしまえばよかったと、かなり強い口調で嘆いている。さすが、業平が本気で恋をした女性のうちの一人と言えるだろう。
東下り①(9段-1)
業平は「自分は京では役立たずだ」と思い、友人達と東国へ旅立った。途中、三河の国でカキツバタが美しく咲いているのを見た友人が「か・き・つ・ば・た」の五文字を各句の初めに置いて、旅の心を読め」というので、男は次のような句を詠んだ。
からころも 着つつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ
(唐衣を着慣れるように、慣れ親しんだ妻が京にいるので、ああ、こんな所まではるばると来てしまったなあ、としみじみ旅の空を淋しく思う)
そこにいた人は皆、涙を流して京を懐かしんだので、昼ご飯の干したおにぎりがふやけてしまった。
業平が京を捨てて東国に下っていく様子が語られている。その理由としては、藤原高子との失恋を癒すためとも、京で権勢を振るう藤原氏に排斥されたためとも言われているが、業平が東国に旅したこと自体を否定する説もあり、定まっていない。
そしてこの歌は、伊勢物語の中でも一二を争う有名な歌と言える。各句の一文字目をつなげると「かきつばた」になる以外に、唐衣という衣類と、妻を置いてきた旅の双方を表す掛詞が多用されている。
きつつ(着つつ、来つつ)、つま(褄*、妻)、はるばる(張る張る、遥々)、きぬる(着ぬる、来ぬる)
*衣類の裾のこと
これだけの技巧を含む歌をぱっと詠めるほど、業平の和歌の能力は高かったということだろう。現代であれば「大喜利」が大得意に違いない。ちなみに「カキツバタ」はアヤメの一種で、伊勢物語のこの段を由来とし、愛知県の県花に指定されている。
東下り②(9段-2)
東国への旅は隅田川に至り、皆で京を懐かしんでいたところ、船の渡し守から「早く船に乗れ、日が暮れるぞ」と叱られてしまい、いっそう侘しくなってしまった。
ちょうどその折、体が白くて、くちばしと脚が赤い、鴫くらいの大きさの鳥が水遊びをしていた。京では見ない鳥なので、船の渡し守に尋ねたところ「都鳥(=ユリカモメ)だ」というので、次のような句を詠んだところ、皆、揃って泣いてしまった。
名にし負はば いざこと問はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと
(都鳥という名を持っているのならば、さあ、問うてみよう、都鳥よ、私の思うあの女は、無事でいるのかどうかと)
関東まで辿り着き、それなりの大河である隅田川を渡るとなると、いよいよ遠くまで来てしまったと京を懐かしむ気持ちが強くなる。そこに(聞きなれない)関東の言葉で叱られたとなると、一層心細くなるのも当然だろう。
さらに、見たこともない鳥というのも、京からの距離感を感じさせる。しかも名前が「都鳥」というから、一行が泣いて都を懐かしむのも無理はない。
なお、隅田川にかかる「言問橋(ことといばし)は、この歌の「いざこと問わん」という句が由来という説がある。
狩の使(69段)
業平が朝廷の狩の使*1として伊勢に赴いたとき、伊勢神宮の斎宮*2だった恬子は、親の言うとおり業平を丁寧にお世話した。
*1狩の使・・・鷹狩りをして朝廷に届ける勅使
*2斎宮・・・伊勢神宮に仕える未婚の皇女
業平が恬子に「逢いたい」と言うと、恬子もまた業平を憎からず思っていたが、斎宮という身なので、夜中に忍んで業平の寝床に入った。3時間ほど一緒にいたが、満足に語り合わないうちに恬子は帰ってしまい、業平は朝まで眠れなかった。
翌朝「あれは夢だったのか」という歌を詠みあった後、業平は鷹狩りに出たが、なんとも心が落ち着かない。しかも夜は伊勢の国守が一晩中酒宴をしたものだから、逢うこともできなかった。
夜が明けると女から上の句だけの歌が届いた。
かち人の 渡れど濡れぬ えにしあれば
徒歩の人が渡っても濡れない浅い入り江ですから、私たちのご縁も本当に浅いのですね。
そこで業平は下の句を付け足した。
また逢坂の 関は越えなむ
私はまた逢坂の関を越えて参りましょう。そしてきっとまた、お逢いしましょう。
ここで出てくる伊勢斎宮の恬子は、伊勢物語で名前が特定されている女性2名のうちの一人である(もう一人は既出の藤原高子)。
高子は箱入りで育てられ、葉に乗る露を見て「あれは、なあに」と問うてしまうくらい、か弱い印象の女性。業平と駆け落ちするも、結局、兄たちに連れ戻されてしまった。一方の恬子は、何とも主体性と行動力のある肝っ玉の座った女性。禁を犯してでも、好きな男の寝床に行ってしまう。
なお、「逢坂の関」は、山城国(京都)と近江国(滋賀県)の間にある関。百人一首に収められている以下の歌でも有名。
これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関
これがあの、京から出て行く人も帰る人も、知り合いも他人も、皆ここで別れ、そしてここで出会うと有名な逢坂の関なのか。
渚の院(82段)
在原業平、紀有常、惟喬親王の3名は、連れの者と共に、交野にある「渚の院」に出向いた。そこは桜が格別晴れやかに咲き乱れていたため、鷹狩はそこそこに、身分の高いものも低いものも、桜の枝を折って冠に挿し、次々に歌を詠んだ。
業平が詠んだのは次の歌であった。
世の中に たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし
世の中にまったく桜というものがなかったならば、春の人の心はどんなにかのどかであろうなあ。
なんともはや、風流で雅な場面&歌であろうか。日々、忙しくしているビジネスパーソンとは全く異なる世界観が展開されている。
主な登場人物3名は、互いに親戚同士。また、皇位継承からは遠のき、藤原氏に追いやられた身としてシンパシーを持つ。年に一度、桜の時期に集まり、藤原氏から離れた場所で、のびのびと雅な才能を発揮していたのだろう。
業平の歌は、実際とは異なる仮定を置き、「桜が無かったら、人の心は穏やかだった。しかし実際は、咲くのを待ち、散るのを惜しみ、雨や風に気をもみ、心が落ち着くことがない」という意味にまとめている。
龍田川(106段)
業平は、親王たちがぞろぞろ歩いている龍田川のほとりでこう詠んだ。
ちはやぶる 神代も聞かず 龍田河 唐紅に 水くくるとは
神聖な神代でもこのようなことは聞いておりません。龍田河を、深紅の絞り染めにしようとは
小倉百人一首にも収録されているため、業平の歌の中でも最も有名と言ってよいかもしれない。
龍田川(竜田川)は、現在の奈良県を流れる一級河川で、紅葉の名所。この歌は、もみじの葉が川面を紅く染め上げている様を表現している。実に風流で雅と言えるのではないだろうか。
「伊勢物語」では、業平はこの歌を龍田川河畔で詠んだことになっているが、「古今和歌集」では、藤原高子が催した歌会で、屏風に描かれた龍田川の絵をお題に、業平が披露した歌とされている。もしそうだとしたら、よく屏風の絵からここまでの情景豊かな歌を詠んだものである。
ちなみに、競技カルタをテーマにした少女漫画「ちはやふる」のタイトルは、この業平の歌を由来としている。2016年には広瀬すず主演で映画化もされた。
人事部長のつぶやき
業平の最期(125段)
つひに行く 道とはかねて 聞きしかど 昨日今日とは 思はざりしを
死出の道は、最後には行く道だとかねてより聞いていたが、昨日今日にも、その日が来るとは思っていなかったのに
これは業平の辞世の歌です。目立った技法もなく、有名な歌とは言えませんが、風流と女に生きた男の最期の歌として、清々しく見えます。
ちなみに「大和物語」によると、業平は死ぬ間際まで(本妻ではない)女性のところに通っており、いよいよ死ぬという日にその女性が手紙をよこさなかったので、嘆きの歌を詠んだそうです。
さすが、名代の在原業平ですね!
(角川ソフィア文庫)
※忙しい日々から離れ、風流で雅な世界に浸るのに最適な古典