「オイディプス王」
ソポクレス(ソフォクレス)
基本情報
初版 BC427年頃
出版社 光文社古典新訳文庫等
難易度 ★★☆☆☆
オススメ度★★★★★
ページ数 166ページ
所要時間 2時間00分
どんな本?
古代ギリシャ三大悲劇詩人の一人であるソポクレスが、紀元前427年ごろに書いた悲劇。人は運命にどう向き合うべきかを、壮大な世界観の中で精緻に描き出す。
アリストテレスが悲劇における最高傑作の例として挙げており、父殺し・近親相姦・出生の秘密等、悲劇的要素がふんだんに詰まった作品。フロイトが提唱した「エディプス・コンプレックス*」の語源にも。欧米知識人の間で共有されている教養の一部となっている一冊!
*エディプス・コンプレックス
男児が無意識のうちに同性である父を憎み、母を性的に思慕する傾向のこと。エディプスはオイディプスのドイツ語読み。
著者が伝えたいこと
主人公オイディプスは、先王殺害の真犯人を探究していった結果、「父を殺して母を妻とする」という神託の予言が知らぬ間に実現しているという恐るべき真実を発見する。
過去にどれだけ英雄的な行為を為したとしても、些細な言い争いから衝動的に老人を殺したり、占い師から不都合な事実を突きつけられて感情的に怒りをぶちまけたり、真実を見ようとせず短絡的に身内を死刑にしようとしたりするような傲慢で軽率な人間に待っているのは、悲劇的結末のみである。
人間は運命と向き合わなければならないのだ。
著者
ソポクレス(ソフォクレス)
Sophoklēs
BC497年頃-BC406年頃
アイスキュロス、エウリピデスとならぶギリシャ三大悲劇作家の一人。アテネ郊外の裕福な家に生まれる。その生涯の前半はアテネ・スパルタ連合軍がペルシャ戦争(BC499-BC449)に勝利するアテネの全盛期と重なるが、後半ではアテネはペロポネソス戦争(BC431-404)でスパルタに敗れ没落していく。
生涯で120編の戯曲を制作したが、完全な形で残っているものは7作品にすぎない。アテネの演劇祭である大ディオニューシア祭に30回参加し、18回優勝している(アイスキュロスは14回、エウリピデスは5回)。後年はアテネの官職につき、政治にも参加する。
こんな人にオススメ
演劇に関心のある人、サスペンス好きな人、いわゆる「世界の名著」を押さえておきたい人
書評
「悲劇における最高傑作」と評されるだけあって、観客・読者を物語に引き込む魅力は秀逸。「次はどのような展開になるのだろう」とドキドキしながら観る(読む)ことができる。
なお、一部に誤解があるようだが、ライオス王の殺害犯がオイディプス自身であることは、物語のかなり早い段階で観客・読者に知らされる。
よって、本作はミステリーやサスペンスに分類されるものではない。真犯人がオイディプス本人であることを観客・読者が了解した上で、オイディプスの思慮の浅さや数奇な運命について思いを馳せるという全体構成になっている。
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(光文社古典新訳文庫)
※「出生に関する衝撃的な秘密」を抱えたオイディプスが自分の運命を向き合う悲劇
要約・あらすじ
■テーバイの王ライオスは「妃との間に出来た子は王を殺し、妃を妻とするだろう」という神託を受けて、実の子のくるぶしをピンで串刺しにしたうえで山中に捨てる(注:オイディプスとはギリシャ語で「腫れた足」の意)。
■一方、その子は運よくコリントス王に拾われ、王子オイディプスとして育てられるが、「父を殺し、母と交わるだろう」という神託を受ける。その後、父殺しを避けるため放浪に旅に出た道中、些細な言い争いから衝動的に老人と家来を殺めてしまう。その老人こそ実の父、テーバイ王ライオスだった。
■王を失ったテーバイでは怪物スフィンクスが現れ、出会った人に謎かけをしては殺していた。オイディプスはこの謎を解き、テーバイを救ったため王として迎えられ、前王の妃(つまり実母)と結婚して4人の子供をもうける。
■しかし、テーバイでは不作と疫病が続く。神託は「前王ライオスを殺した犯人を追放せよ」と示したため、オイディプスはライオス殺しの犯人捜しを始める。
■王妃の弟クレオンは占い師テイレシアスに依頼し、真実を語らせるが、テイレシアスが語ったことは「オイディプスが父殺しの真犯人であること」そして「妃は実母であり近親相姦の罪を犯していること」であった。オイディプスは激怒し、自分の王位を狙った王妃の弟クレオンの陰謀だと誤解する。
■そこで王妃は、ライオス王との子は山に捨てたこと、そしてライオス王は盗賊に襲われて亡くなったこと、すなわち神託が実現しなかったことを語り、オイディプスの誤解を解こうとするが、オイディプスは逆に真実に気付き始める。
■そこへコリントスの使者が「コリントス王が亡くなった」と伝えに来たため、オイディプスは「神託は実現しなかった。自分は父を殺さなかった」と安堵した。しかしその後、古参の従者から「オイディプスは王ライオスの子であること」そして「王ライオスを殺害した張本人であること」が明かされる。
■真実を知ったオイディプスは、王妃のもとへ駆けつけるが、王妃は自害した後だった。オイディプスは絶望し、王妃の身に付けていたブローチで自らの目を刺し、盲目者となって、テーバイを出ていく。
学びのポイント
アリストテレスも絶賛
悲劇とは、一定の大きさを備え完結した高貴な行為の再現であり、快い効果をあたえる言葉を使用し、しかも作品の部分部分によってそれぞれの媒体を別々に用い、叙述によってではなく、行為する人物たちによっておこなわれ、憐みと恐れを通じて、そのような感情の浄化(カタルシス)を達成するものである。
憐みや恐れを呼び起こすものは視覚効果から生じることも確かにありうる。しかし、出来事の組み立てそのもの、すなわちストーリーから生じる方が優位性を持ち、したがってまた、それがより優れた詩人の仕事に属する。
というのもストーリーは、たとえ目で「見る」ことを伴わなくとも、悲劇中の出来事を耳で「聞く」だけで、その出来事に怖れおののいたり憐れんだりすることが起こるように構成されるべきだからである。『オイディプス王』のストーリーを聞く人は、まさにこの通りのことを経験するであろう。
どちらもアリストテレス著『詩学』より引用
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、『オイディプス王』を「悲劇における最高傑作」としてしばしば引用している。
アリストテレスが特に評価したのは、『オイディプス王』の以下のような要素であった。
①善人と悪人の中間に位置する人が、幸福から不幸へ転落する様を描いている
②視覚的効果に頼らず、ストーリーだけで憐みや恐れを呼び起こせている
③「逆転(物語が正反対の方向へ変転すること)」と「再認(知らなかったことを改めて知る)」という構成が含まれている
なお、③では具体的な場面にまで言及している。
【逆転】
コリントスの使者が「コリントス王が死んだこと(=オイディプスによる父殺しは実現しなかったこと)」と同時に、従者が「オイディプスは捨て子であったこと」を明かしたこと
【再認】
オイディプスが自分自身の素性や妻が実母であったこと等を改めて知ること
悲劇的要素(父殺し・近親相姦・出生の秘密)
オイディプス:ああ、これで何もかも明らかになった。すべて真実なのだ。光よ、もはやおまえを目にはすまい。生まれてはならぬ人から生まれ、娶ってはならぬ人を娶り、殺してはならぬ人を殺した呪われた人間なのだ、私は!
この『オイディプス王』は悲劇の古典と言われるだけあって、悲劇的要素がふんだんに詰まっており、後世の文学作品でも多く取り上げられている。
「父殺し」で最も著名なのは、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』だろう。
物欲と性欲の権化である父フョードルが殺され、その嫌疑がカラマーゾフ家の3兄弟(情熱に生きる長男ドミトリー、無神論者の次男イワン、同胞愛に傾倒する三男アリョーシャ)及びフョードルが身分の低い女に生ませた下男のスメルジャコフにかけられる。(関心のある方は是非読んでみてください!)
そして「近親相姦」「出生の秘密」といえば、我々日本人になじみ深い『源氏物語』が挙げられる。
純粋な血のつながりはないが、光源氏は父桐壺帝の妻である藤壺と近親相姦で交わり、冷泉帝という不義の子をもうけてしまう。
一方、光源氏のライバルである柏木は、光源氏の妻である女三宮と交わり、生まれた子である薫は光源氏の子として育てられる。薫は大人になってから、自らの出生の秘密を知ることになる。
古今東西、これらの「父殺し」「近親相姦」「出生の秘密」といった要素は、普遍的な悲劇的要素として捉えられていることが分かる。
エディプス・コンプレックス
イオカステ:多くの男性が夢の中で、自分を生んだ母と結ばれる夢を見るものです。それでも気に留めない者が、幸せに生きられるのです。
オーストリアの精神科医ジークムント・フロイトは「男児は3歳から6歳にかけて、父親に敵意を抱き、母親に対して愛情を求めようとする性的願望をもっている」という学説を発表し、これをオイディプス王になぞらえて「エディプス・コンプレックス」と名付けた。※エディプスはオイディプスのドイツ語読み
フロイトは、男児が父親との対立を諦めて精神的に自立していく過程でエディプス・コンプレックスを克服していくと説明しているが、そもそも幼児に「性欲」があるのかどうかといった批判も多い。
ただし、2500年前の悲劇でもその存在が主張されているということは、人間にとってある程度普遍的な感情と言えるのかもしれない。
眼は見えていても真実は見えない
※テ=盲目の占い師テイレシアス オ=オイディプス王
テ:この国の穢れ(=先王ライオス殺しの真犯人)とは、そなた自身である。
オ:なんと恥知らずな! どういうつもりだ。そんなことをほざくと、その報いを受けるぞ。
テ:私に害は及ばぬ。真実に力あり。(中略)
オ:これはクレオンの陰謀か。おまえのか。
テ:クレオンは無関係だ。汝が敵は汝のみ。
オ:ああ、富よ、権力よ、名声よ、人々が羨むその高みにはなんという妬みがつきまとうことか!求めもせぬこの私に、この国が贈り物として与えてくれた王位を、わが信頼の厚いクレオンが奪おうとする。
わが旧友ともあろうものが、こそこそと陰謀を巡らせて、私を蹴落とそうとして、この魔法使い、この策士を雇ったのだな。(中略)
テ:そなたはわが目が見えぬを嘲るが、そなたは目が見えながら、自らの苦境が見えていない。
盲目の占い師テイレシアスは、先王ライオス殺しの犯人がオイディプスであるという真実を知っている。一方、オイディプスには真実が見えていない。オイディプスは、テイレシアスを手配した妃の弟クレオンが、王座を狙って自分を陥れようとしていると勘違いする。
つまり、盲目のテイレシアスには真実が見えていて、盲目ではないオイディプスには真実が見えていない。この伏線は、本悲劇最後の場面で回収されることになる。
使者:王様(オイディプス)は、お妃様の服を飾っていた金の針を取ると、ご自分の両の目を、こう言いながら突き刺したのです。
「もはや見てはならぬ。わが恐ろしき苦しみも、呪わしき罪も。この目は、見てはならぬ人を見、知りたいと願った人を見分けられなかった。これからは、闇の中で見るがいい」
そう叫ぶと、一度ならず幾度も、手を振り上げて針を目に突き立てました。両の目からは血がどっと噴き出し、深紅の雨となって激しく顎鬚を濡らし、血の滴りというより、血糊の雹のように降り注ぎました。(中略)
オイディプス:もし目があったら、黄泉の国へ行ってどんな目で父を見たらよいのか。どんな目で惨めな母を見たらよいのか。この首をくくってもお詫びできぬことをしてしまったのだから。
オイディプスは自分が父親を殺し、母親を妻として交わったことを悟ると、「たとえ目が見えていても、真実は分からなかったではないか」「あの世で父と母を直視することなどできない」と絶望し、自らの目を潰して盲目になろうとしたのである。
なかなか心憎き伏線回収と言えるのではないだろうか。
人事部長のつぶやき
スフィンクス退治
異国コリントスの王子だったオイディプスは、この地へ旅をし、「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足。これは何か」という謎をかけてテーバイの住民を苦しめていた怪物スフィンクスの謎を解いて、テーバイを解放した。
この場面は本作の冒頭で出てきます。この問いの答えは一般的に「人間」とされていますが、それを「オイディプス王本人」とする説もあります。初めは立派な人間(=二つ足)だった、実母と交わるという獣の行いを犯し(=四つ足)、最後は盲目となって杖をついて(=三つ足)国を出て行く、数奇な運命を表しているという解釈です。
スフィンクスは有名ですね。スフィンクスはもともとエジプト起源で、人間の頭と獅子の体に翼をもつ怪物です。「ギザのスフィンクス」が出来たのは紀元前2500年頃ですが、現在まで残っているので、世界的にも広く知られています。
ちなみに、このスフィンクスの問いは「世界最古のクイズ(?)」と言われることもあります。しかしこれには諸説あって、紀元前18世紀頃に古代シュメールの楔形文字で書かれた「建物がある。そこに入るとき、人は目を閉じている。そこから出るとき、人の目は開いている。この建物とは何だろうか?」というクイズ(なぞなぞ?)を最古とするケースもあるようです。
ちなみにシュメールのなぞなぞの答えは「学校」だそうです!
(光文社古典新訳文庫)
※「出生に関する衝撃的な秘密」を抱えたオイディプスが自分の運命を向き合う悲劇