【人事部長の教養100冊】
「7つの習慣」S・コヴィー

人事部長の教養100冊ロゴ
7つの習慣(表紙)

「7つの習慣」
スティーブン・コヴィー

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基本情報

初版   1989年(米)、1996年(日)
出版社  キングベアー出版
難易度  ★★☆☆☆
オススメ度★★★★★
ページ数 560ページ
所要時間 5時間30分

どんな本?

過去の成功者に共通する法則を見出し、中でも重要なのは「高潔な人格」と「信頼に基づくWin-Winの人間関係」であると説く。全世界が認める20世紀最強の自己啓発本。何らかの目標や行動指針を持ちたいと思っている人に特におすすめ

著者が伝えたいこと

人生の成功に必要なのは、テクニックではなく、高潔な人格(誠実・謙遜・忠実・節制・勇気・正義・忍耐・勤勉など)そのものであり、それは自然の摂理である。

その高潔な人格を身に付けるためには、自分の進むべき道やゴールを明らかにし(知的創造)、意識的に時間とパワーを投下してそれに近づくこと(物的創造)が必要になる。また、外部からの刺激と自分の反応の間にスペースを置き、自分の反応に全責任を負わなくてはいけない。

自分の人格に自信を持つことで初めて、臆することなく他者と信頼関係を築くことができる。共感による傾聴によって相手の立場に立ち、単なる勝ち負けではなく、相手も自分も高められるような道を見付けることで、あなたの人生はより豊かになる。

著者

スティーブン・コヴィー
Stephen Covey
1932-2012

スティーブン・コヴィー

アメリカの大学教授、作家、経営コンサルタント。

1952年ユタ大学卒業。1957年ハーバード・ビジネス・スクールでMBA取得。1976年ブリガムヤング大学にて博士号取得。同大学で経営管理と組織行動学の教授を務める。教育系コンサル企業であるフランクリン・コヴィー社の共同創設者。モルモン教の信者でもある。

こんな人におすすめ

人生を何となく漫然と生きているなあと思っている人、何らかの目標や行動指針を持ちたいと思っている人、自分自身や他者との関係に悩みを抱えている人。

スティーブン・コヴィー
(キングベアー出版)

※言わずと知れた21世紀最強の自己啓発本!

要約・あらすじ

基本的な考え方

■アメリカ建国以来、成功した人に共通するのは「優れた人格」であって、「才能やスキル」は二次的なものである。

■「優れた人格」の基礎となるのは、以下のような基本原則である。

誠実と正直、奉仕と貢献、正義と美徳、謙虚と質素、勤勉と忍耐、人間の尊厳、成長可能性、黄金律(人がして欲しいと思うことをする)

■これらは人間の行動を導く「自然の法則」であり、人は生まれながらにしてその存在を知り、意識している。また、この法則が永続的な価値を持っていることは歴史が証明している。この法則に背く生き方など、考えられない。

■よって、まず「優れた人格」を形成することで私的に成功し、その後「才能やスキル」によって公的に成功するというステップを踏む必要がある。

「7つの習慣」の全体像

■「7つの習慣」のうち、第1~3の習慣は私的成功のための人格を、第4~6の習慣は公的成功のための対人関係を、第7の習慣は継続的な成長をもたらすためのものだ。よって、第1~3は「自分」、第4~6は「相手」が中心になる。一言で言うなら、第1~3は「自分と約束をし、それを守る」こと、第4~6は「他者と一緒に問題に取り組み、協力して解決策を見つける」と言い換えることができる。

「7つの習慣」全体像

https://www.franklincovey.co.jp/training/s_7habits/

■第1~3の習慣(私的成功の習慣) では、自分自身を深く知ることで、自分の本質、内面の奥深くにある価値観、自分にしかできない貢献に気付くはずだ。他者の意見や他者との比較からではなく、自分の内面から自分自身を定義できる。つまり、他者に振り回されなくなる。逆説的だが、周りからどう見られているかが気にならなくなると、他者の考えや世界観、彼らとの関係を大切にできるようになる。

■第4~6の習慣(公的成功の習慣)では、関わった全員のためになる結果に達するような、効果的な人間関係が築けるようになる。うまくいかなくなっていた大切な人間関係を癒し、築き直す意欲が生まれる。うまくいっている人間関係はいっそう良くなり、さらに深く堅固で、創造的な関係に発展する。

■そして、第7の習慣は、自分自身を充電する習慣である。最後の第7の習慣を身に付けることによって、それまでの六つの習慣を再新再生して磨きをかけ、真の自立、効果的な相互依存を実現できるようになる。

第1の習慣「主体的である」

第1の習慣(主体性モデル)

■外部からの刺激に即時に反応するのは動物のすることである。

■人間は「自覚」「想像」「良心」「意志」により、自らの価値観に基づいて、刺激と反応の間にスペースを作ることが可能である。これこそが「主体的反応」である。

■反応的な人の精神状態は、他者の出方次第でもころころ変わる。自分をコントロールする力を他者に与えてしまっているということだ。

■自ら責任を引き受けて行動を起こすのか、それとも周りから動かされるのか、どちらの道を選ぶかによって、成長や成功の機会も大きく変わる。

■問題が自分の外にあると考える人は、自分が変わるためには、まず外にあるものが変わるべきだと考える(アウトサイド・イン)。一方、主体的な人は、自分自身が変わる、自分の内面にあるものを変えることで、外にあるものを良くしていこうと考える(インサイド・アウト)。

第2の習慣「終わりを思い描くことから始める」

■目標や成果物といった「出口」をイメージし、そこから逆算して「今、何を為すべきか」「今、何が必要か」を考えることが大切だ。これは人生全体でも、キャリアでも、子育てでも、当てはまる。

■全てのものは「二度作られる」べきだ。まず頭の中で(知的創造)、そして実物として(物的創造)。しっかりとした事前の構想が、効果的・効率的に人をゴールへと導くとともに、自分の人生に自らリーダーシップを発揮することに繋がる。

■事前に構想するには「ミッション・ステートメント(信条・理念の表明)」が不可欠であり、その中心には「原則」が来るべきだ。これにより安定した心で、不動の信念に基づいて、周りに振り回されず、主体的な人生を送ることができるようになる。

【原則(再掲)】
誠実と正直、奉仕と貢献、正義と美徳、謙虚と質素、勤勉と忍耐、人間の尊厳、成長可能性、黄金律(人がして欲しいと思うことをする)

第3の習慣「最優先事項を優先する」

■第1の習慣で「自分の人生全てを、自分の責任で生きる」ことを決意し、第2の習慣で「将来ビジョン」を描き、実現のために今何をすべきかを考え(=知的創造)た。その際の基礎となるのは、人類に普遍的な「原則」だ。そして第3の習慣はそれを実際に物的創造に移すためのプロセスである。

■言い換えれば、第2の習慣である知的創造は進むべき道を示す「リーダーシップ」、第3の習慣である物的創造は「マネジメント」だ。

■効果的なマネジメントとは「最優先事項を優先する」ことである。特に長期的な視点で「緊急ではないが重要」な領域にどれだけ資源を振り向けられるかで人生の充実度は決まる。そのためには、第2の習慣で「将来ビジョン」を持たなければならない。

7つの習慣(時間管理のマトリクス)

■第Ⅰ領域の危機や問題は、大きくなる前に芽を摘む「予防活動」を通じて極力減らすべきだ。緊急度という刺激に反応し続けて人生を終えてはならない。

■自らの時間を第Ⅱ領域にうまく配分するには、「将来ビジョン」と「今、何をすべきか」を整理し、1週間単位でスケジューリングしていくことや、何でもかんでも自分でやるのではなく、特定の分野に優れた他者を活用することが有効だ。

■人に何かを任せる時には、効率性を追うのではなく、自律的にやる気を持って成果を追うように仕向けるのが良い。そのための近道は、相手を深く信頼し、それを相手に伝えることである。

第4の習慣「Win-Winを考える」

■人は「勝ち負け」や「優劣」の二元論で人間関係を見がちである。それは受験や出世競争などを通じて身に付いてしまったものだろう。しかし、どのような人間関係にもWin-Winという第三の道があるはずだ。Win-Winの道がないのであれば、No Deal(取引・関与しない)のが正しい。

■Win-LoseやLose-Winは短期的な効果をもたらすかもしれないが、「原則」に則った長期的関係を築くのであれば、Win-Winしか取り得ない。

https://note.com/aragakisai/n/n1ea14db8f4aa

■Win-Winの人間関係を築くには、次のステップが必要である。

1.人格を形成する

①誠実(自分の価値観に従うこと)
比較でしか物事を見られない人にWin-Winは実現できない。

②成熟(相手に配慮しながら、自分の思いを伝えること)
自分と相手の双方を尊重できない人にWin-Winは実現できない。

③豊かさマインド(この世には全ての人に行きわたる十分な幸福があると信じること)

パイの大きさは変わらないと思い込んでいる人にWin-Winは実現できない。

2.人間関係を築く

・Win-Winの人間関係の本質は信頼である。そのためには、誠実さと思いやりにより、常に「信頼口座」の残高を保つ必要がある。

・協力的でポジティブなエネルギーは、問題点を徹底的に理解し、お互いのためになる解決策を一緒に見つけることに資する。

3.協定を結ぶ

・手段ではなく結果を重視する。効率ではなく自律を重視する。よい写真を撮るのなら、シャッターの押し方を指示するのではなく、何が「良い」写真なのかを教えて、自律性や主体性を引き出す方がよい。

・Win-Win実行協定では、次の5つを明確に定めることが重要である。カッコ内は子供に芝生を管理させる際の例だ。

①望む成果(芝生を緑に&綺麗に保つ)

②ガイドライン (緑とは隣家の芝生と同じくらい、綺麗とはゴミが落ちていないという定義)

③リソース(スプリンクラーや掃除用具はこちらで用意する)

④アカウンタビリティ(週に2回、庭を点検し、報告する)

⑤評価の結果(お小遣いがもらえる)

4.システムを整備する

・協定を結んだら、次にお互いが共通の成果に向かえるように、インセンティブの体系を整備する必要がある。販売員の教育が目的なら、主任の給与を(自分自身の売り上げではなく)販売員の売り上げと連動させればよい。

5.プロセスを踏む

①相手の視点に立って問題を眺めてみる

②対処すべき本当の問題点や関心事(立場ではなく) を見極める

③どんな結果であれば双方が完全に受け入れられるのかを明確にする

④その結果に到達するための方法として新しい選択肢を見付ける

第5の習慣「まず理解に徹し、そして理解される」

■人間関係における最も重要な原則は「共感による傾聴」だ。相手が心を開き信頼してくれるような人格を土台にして、相手に共感して話を聴く。それがないと決してあなたは理解されないし、影響力も及ぼせない。

■私たちが対話の中で「やってはいけないこと」と「やるべきこと」は以下のそれぞれ4つである。

【やってはいけないこと】
①評価する(同意するか反対するか)
②探る(自分の視点から質問する)
③助言する(自分の経験から助言する)
④解釈する(自分の動機や行動を基にして、相手の動機や行動を説明する)

【やるべきこと】
①相手の言葉をそのまま繰り返す(学校がイヤなんだね)
②自分の言葉に置き換える(学校に行きたくないということなんだね)
③相手の気持ちを言葉にする(ずいぶん不満があるようだね)
④「②と③」を同時に行う

■ギリシャ哲学ではこのことを「エトス(ethics)」「パトス(passion)」「ロゴス(logic)」の3つで鮮やかに説明している。

【エトス】
人格に基づく個人の信頼性。信頼残高。

【パトス】
感情、気持ち。共感して傾聴すること。

【ロゴス】
論理。自分の想いを分かりやすく伝えること。

■「エトス」「パトス」「ロゴス」の順番であることが重要だ。相手が心を開き信頼してくれるような人格(エトス)を土台にして、相手に共感して話を聴く(パトス)。その上で自分の想いを伝える(ロゴス)。そうして初めて、あなたは理解される。

第6の習慣「シナジーを創り出す」

■コミュニケーションに参加している人全てが、第1~5の習慣を守り、相互に信頼関係が出来ていれば、大きなシナジー効果が生まれるはずだ。

第6の習慣(シナジー)

https://note.com/aragakisai/n/n1ea14db8f4aa

■相互の信頼関係が低いと、自分の立場を守ることしか考えず、揚げ足をとられないように用心深く言葉を選び、予防線を張り、逃げ道を作る。このようなコミュニケーションでは、結果はWin-LoseかLose-Winのどちらかしかない。

■お互いを尊重し、協力するコミュニケーションでは、相手の身になって共感するところに至らないので、妥協点を見出すことになり、1+1=1.5やせいぜい2くらいにしかならない。相互に信頼関係があって初めてシナジーが生まれる。

http://bookcrew.jp/wp-content/uploads/2013/12/006.png

■意見が対立した場合でも、単純な妥協ではなく、「第3の解決策」を模索すべきである。自分はキャンプに、妻は実母の見舞いに行きたいのなら、実母の家の近くでキャンプをすればよいのだ。

第7の習慣「刃を研ぐ」

第7の習慣

■人間には、成果を生み出す4つの要素(肉体、精神、知性、情緒)があり、あなたは常にこれをブラッシュアップしなければならない。これらは全て第Ⅱ領域に属するので、主体的に時間を生み出す必要がある。

①肉体
身体によいものを食べ、十分な休養をとってリラックスし、定期的に運動すること。運動は「持久力」「柔軟性」「筋力」の三つを伸ばせるものが良い。

②精神
座禅や一人の時間など、人生の目的(ミッションステートメント)を定期的に見つめ直す機会を持つと、精神は安定し平静が保たれる。

③知性
自分のミッションステートメントを自ら見直す能力が知性である。知性を磨くには、古典・文学・自伝等を読むことや文章を書くことが磨かれる。

④情緒
内面が安定していない人は、他者との意見相違を避けてしまうため、信頼関係を築くことができない。内面の安定は、「原則」を信じる自分自身の中からしか生まれてこない。

学びのポイント

人格主義(人間性)>=個性主義(才能・スキル)

建国から約150年間に書かれた「成功に関する文献」は、誠意、謙虚、誠実、勇気、正義、忍耐、勤勉、質素、節制、黄金律など、人間の内面にある人格的なことを成功の条件に挙げている。私はこれを人格主義と名づけた。

ところが、第一次世界大戦が終わるや人格主義は影をひそめ、成功をテーマにした書籍は、いわば個性主義一色になる。成功は、個性、社会的イメージ、態度・行動、スキル、テクニックなどによって、人間関係を円滑にすることから生まれると考えられるようになった。

この個性主義のアプローチは大きく二つに分けられる。一つは人間関係と自己PRのテクニック。もう一つは積極的な心構えである。

これは言い換えるとこのようになるだろう。

人格主義・・・人徳。人間力。何が正しいか、善いか、美しいかを判断し追求する力(梯子を正しい場所に掛ける力)

個性主義・・・才能。スキル。何かをうまく為したり、自分を良く見せるための手段(梯子を上手く昇る力)

この「人徳>才能」という考え方は、古今東西、様々な思想家・哲学者が説いており、例えばこんな表現がなされている。

 人格主義個性主義
孔子
アリストテレスエトス(倫理)ロゴス(論理)
渋沢栄一論語算盤

また、歴史上、数多くの人々が、同じ趣旨のことを言っている。ここではその代表的なものを時代順に列挙しておきたい。

①太宗『貞観政要』

最近の役人は法律に偏重しすぎていて、国がうまく治まらない。役人はもちろん法律や行政のプロでなければならないが、その前に、儒学を修めた有徳の人物でなければならない。

過去の皇帝を見ても、法に任せて統治した者(秦)は、一時的な弊害を救うことができても、滅亡もすぐにやってくる。一方、仁義を根本とした国(周・漢)は長続きした。

②洪自誠『菜根譚』

徳は才の主にして、才は徳の奴(ど)なり
(道徳は才能の主人で、才能は道徳の使用人である)

③サミュエル・スマイルズ『自助論』

知性溢れる人間を尊敬するのは一向に構わない。だが、知性以上の何かがなければ、彼らを信用するのは早計に過ぎる。

イギリスの政治家ジョン・ラッセルはかつてこう語ったことがある。「わが国では、いくら天才に援助を求めることがあっても、結局は人格者の指導に従うのが当然の道とされている」。これは真理を言い得た言葉である。

④勝海舟『氷川清話』

学問にも色々あるが、自分のこれまでの経歴と、古来の実例に照らして、その良し悪しを考えるのが一番の近道だ。

小さな理屈は専門家に聴けば事足りる。俗物は理屈詰めで世の中の事象に対応しようとするからいつも失敗続きなのだ。

理屈以上の「呼吸」、すなわち自分の中にある信念や経験をもとに判断するのが本当の学問というものだ。

今の学生はただ一科だけ修めて、多少の智慧が付くと、それで満足してしまっている。しかし、それではダメだ。

世間の風霜に打たれ、人生の酸味を嘗め、世態の妙を穿ち、人情の機微を究めて、しかる後に経世(世の中を治める)の要務を談ずることができるのだ。

⑤新渡戸稲造『武士道』

武士道は知識のための知識を軽視した。知識は本来、目的ではなく、知恵を得る手段である、とした。(中略)

知的専門家は機械同然とみなされた。知性そのものは道徳的感情に従うものと考えられた。

⑥昭和の知の巨人、安岡正篤『運命を創る

人間は「本質的要素」と「付随的要素」から成る。

「本質的要素」とは、これをなくしてしまうと人間が人間でなくなるという要素であり「徳」とか「道徳」という。具体的には、人を愛するとか、人を助けるとか、人に報いるとか、人に尽くすとか、あるいは真面目であるとか、素直であるとか、清潔であるとか、よく努力をする、注意をするといったような人間の本質部分である。

もう一つは「付随的要素」で、大切なものではあるが、少々足りなくとも人間であることに大して変わりないというもので、例えば「知性・知能」や「技能」といったものである。

ことに戦後の学校教育は非常に機械的になり、単なる知識や技術にばかり走っている。近来の学校卒業生には、頭がいいとか、才があるとかという人間はざらにいるが、人間ができているというのはさっぱりいない。

そのために、下っ端で使っている間はいいが、少し部下を持たせなくてはならないようになると、いろいろと障害が出るといった有様だ。これは本質的要素を閑却して、付属的方面にばかり傾いた結果である。

⑦ピーター・ドラッカー『経営者の条件』

知識やスキルも大切だが、成果をあげるエグゼクティブの自己開発とは、真の人格の形成でもある。

⑧稲盛和夫『生き方』

人の上に立つ者には、才覚よりも人格が問われる。

戦後日本は経済成長至上主義を背景に、人格という曖昧なものより、才覚という成果に直結しやすい要素を重視してリーダーを選んできたが、それではいけない。

西郷隆盛も「徳高き者には高き位を、功績多き者には報奨を」と述べているし、明代の思想家呂新吾は著書『呻吟語』の中で「深沈厚重なるは、これ第一等の資質。磊落豪雄なるは、これ第二等の資質。聡明才弁なるは、これ第三等の資質」と説いている。

この三つの資質はそれぞれ順に、人格、勇気、能力とも言い換えられる。(一部要約)

「優れた人格の形成」は、人類が従うべき自然法則

(優れた人格は)人間の成長と幸福を左右する原則であり、人類の歴史がたどってきたあらゆる文明社会に織り込まれ、長く繁栄した組織や家族の根っことなっている自然の法則である。

この自然の法則は、社会の歴史のサイクルを深く調べ、思索している人からすれば、今さら言うまでもない明白なものである。これらの原則の正しさは、歴史の中で幾度となく証明されている。

ある社会の人々が原則をどこまで理解し、どこまで従うかによって、その社会が存続と安定へ向かうのか、逆に分裂と滅亡に至るのかが決まるのである。

原則は手法ではない。手法とは具体的な活動、行動である。ある状況で使えた手法が、別の状況にも通用するとは限らない。手法は個々の状況に応じて使い分けるものだが、原則は、あらゆる状況に普遍的に応用できる深い基本の真理である。

原則は人間の行動を導く指針であり、永続的な価値を持っていることは歴史が証明している。原則は基礎的なものであり、自明であるから議論の余地すらない。

原則の定義、実行の方法については議論があるにしても、人は生まれながらにして原則の存在を知り、意識しているのである。

正しい原則は自然の摂理であると私は考えている。神から授かった良心に忠実に生きる限り、人は自らの天分を存分に生かすことができ、良心の声に耳を傾けない人ほど、動物のような人生を送ることになると信じている。

人類には普遍的な「理想とすべき世界」や「従うべき大原則」があり、それを実現することが幸福に繋がる、という考え方である。

これは日本でも、様々な識者が様々な言い方をしている。いくつか例を挙げてみる。


最上の人は宇宙の真理を師とし、二番目の人は立派な人を師とし、三番目の人は経典を師とする。

佐藤一斎「言志四録」

天が指し示す道理というのは、人為によって左右されるものではないというのが、この天や道についての基本なのである。だから「私」を差し挟んではいけない。

西郷隆盛「南洲翁遺訓」

(理想の世界においては)世界の人民は礼を空気として、徳の海に浴している。

これが「文明の太平」である。今から数千年後には、このような状態になるだろうか。私には分からない。

福澤諭吉「文明論之概略」

利をあげることが生きる目的ではない。誠実、正義、人の道こそ目指すものである。法と道(真理)は違う。法は時代によっても解釈によっても形を変える。

一方、真理は永遠から出てくるものだ。

中江藤樹

人間の繁栄は、全て宇宙の秩序に基づいて与えられるものであります。この秩序に従って生きることが大義であります。

松下幸之助「松下幸之助の哲学」

宇宙を貫く意志は愛と誠と調和に満ちており、すべてのものに平等に働き、宇宙全体をよい方向に導き、成長発展させようとしている。

稲盛和夫「生き方」

西洋でも同じことが述べられている。

神々のわざは摂理にみちており、運命のわざは自然を離れては存在せず、また摂理に支配される事柄とも織り合わされ、組み合わされずにはいない。

マルクス・アウレリウス・アントニヌス「自省録」

確かに、「人には従うべき摂理がある」という前提で思考をスタートさせると、「それにどう従うか」という点に議論が絞れるので分かりやすい。逆にここが揺らぎ、「人には従うべき摂理があるかどうか」と考え始めると、思考が少しも進まない。

よって、多くの人は「人には従うべき摂理がある」ということを自明の真理としているのだろう。確かにこう考える方が、(短絡的なのかもしれないが)日々の具体的な言動における分かりやすい指針となるだろう。

自分の精神状態を相手に支配させない

(外部からの刺激にそのまま反応するような)反応的な人は、社会的な環境にも左右される。人にちやほやされると気分がいいし、そうでないと、殻をつくって身構える。

つまり、反応的な人の精神状態は、他者の出方次第でころころ変わるのである。自分をコントロールする力を他者に与えてしまっているのだ。

私たちは自分の身に起こったことで傷つくのではない。その出来事に対する自分の反応によって傷つくのである。

もちろん、肉体的に傷ついたり、経済的な損害を被ったりして、つらい思いをすることもあるだろう。しかしその出来事が、私たちの人格、私たちの基礎をなすアイデンティティまでも傷つけるのを許してはいけない。

簡単に言えば、刺激と反応の間にはスペースがあり、そのスペースをどう使うかが人間の成長と幸福の鍵を握っているということだ。

人間の本質を突く指摘であろう。日常生活でも、コンビニ店員の態度、満員電車での周囲の人々、券売機の前でモタモタしている人・・・

「イライラ」という反応をしたくなるが、それらに一喜一憂してはいけない。外部からの刺激に、何も考えずに感情的に反応しているだけで、自分をコントロールする力を他者に与えてしまっている。

仕事でも往々にしてあるだろう。相手が快活ならこちらも快活になり、相手が陰気であれば何となくこちらの空気も重くなる。しかしそれではダメなのだ。自分の価値軸に基づいて、自分のありたいように振る舞うべきなのである。

人間の本質を突く指摘であろう。日常生活でも、コンビニ店員の態度、満員電車での周囲の人々、券売機の前でモタモタしている人・・・

「イライラ」という反応をしたくなるが、それらに一喜一憂してはいけない。外部からの刺激に、何も考えずに感情的に反応しているだけで、自分をコントロールする力を他者に与えてしまっている。

仕事でも往々にしてあるだろう。相手が快活ならこちらも快活になり、相手が陰気であれば何となくこちらの空気も重くなる。しかしそれではダメなのだ。自分の価値軸に基づいて、自分のありたいように振る舞うべきなのである。

人から殴られそうになったら、よければいい。人から気分を害されそうになったときにも、よければいい。気にしなければ良いのだ。

過去の偉人たち、とりわけ「世界3大幸福論」が全て同じ主張をしているという点にも、ご注目いただきたい。マルクス・アウレリウス・アントニヌスに至っては2000年前の人である。

自分が不幸であることに不機嫌になってはいけない。不幸なだけでも十分なのに、不機嫌になることはそれに輪をかけて二重に不幸になる。

アラン「幸福論」

愚者は汽車に乗り損なえば腹を立てるし、昼飯がまずければ不機嫌になり、煙突が煙ければ絶望に打ち沈む。こうした人たちが些細なトラブルに消耗するエネルギーは相当なものだ。

一方、賢者はこうした問題を「感情抜きで」処理する。怒ったり不機嫌になることは、何の目的にも役立たない感情である。

ラッセル「幸福論」

人が、君の肉体を自由にする力を勝手に誰かに与えたならば、君は憤慨するだろう。

ところが、君が誰かとトラブルを起こして、そのために心をかき乱され、不安に陥り、その者に対して君の心を自由にする力を与えることを、君は厭わないのか。

ヒルティ「幸福論」

我々が怒ったり悲しんだりする事柄そのものにくらべて、これに関する我々の怒りや悲しみのほうが、どれほどよけい苦しみをもたらすことであろう。

マルクス・アウレリウス・アントニヌス「自省録」

まさに、第1の習慣「主体性を発揮する」と同じ主張である。刺激と反応の間に、「自分の価値観」というスペースを作る必要があるのだ。

リーダーシップとマネジメントの違い

マネジメントはボトムライン(最終的な結果) にフォーカスし、目標を達成するための手段を考える。

それに対してリーダーシップはトップライン(目標) にフォーカスし、何を達成したいのかを考える。

整理するとこのようになるだろう。

人格主義(徳・人間力)個性主義(才能・スキル)
リーダーシップマネジメント
目的手段
トップライン(目標)ボトムライン(成果物)
何を達成するかどう達成するか
正しいことを行う正しく行う
梯子を正しい場所に掛ける梯子を上手く昇る

本書の中で著者は「全てのものは2度作られる。まずは事前の構想として、最後に成果物として」という趣旨のことを述べている。

この「事前の構想」こそが、自らの人生を主体的に生きるためのリーダーシップであり、第2の習慣「終わりを思い描くことから始める」ことを意味する。

また、「成果物」に至るプロセスはマネジメントであり、第3の習慣「最優先事項を優先する」ことで効率的に実現できる。

いわゆる「黄金律」

「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」(『マタイによる福音書』七章一二節) という黄金律がある。

文言をそのまま解釈すれば、自分が他の人からしてもらいたいと思うことを他の人にしてあげる、という意味だが、もっと掘り下げて考えてみると、この黄金律の本質が見えてくる。

自分はこう理解してほしいと思うように、相手を一人の人間として深く理解し、その理解に従って相手に接する、ということではないだろうか。

この、いわゆる「黄金律」は、著名な自己啓発本には必ずと言っていいほど登場する。そしてこの教えは、キリスト教だけでなく、他の主要宗教でも説かれている。

「己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ」論語(儒教)

「人が他人からしてもらいたくないと思ういかなることも他人にしてはいけない」マハーバーラタ(ヒンズー教)

また、仏教ではこの教えは明示されていないが、根本として人間には「私」や「あなた」と区別する意味がなく、皆、精神共同体の一員であるという教えがある。

つまり、他人がしてほしくないことをすることは、自分を傷つけることになるという教えとは整合的と言える。

第6の法則「シナジー」はヘーゲル弁証法そのもの

(仮にAとBの意見が対立しても)話し合いを続けて、お互いが納得できる解決策を見つけ出せれば、それは最初に出していたそれぞれの案よりも良い解決策になるはずだ。

お互いの希望を出して取引し、ほどほどのところで妥協するのではない。シナジーのプロセスは、二人が望むものを与え、そして二人の絆を強める。

これはもう、そのままヘーゲルの弁証法である。

ヘーゲル弁証法

https://www.yuulinux.tokyo/6757/

①テーゼ(命題)が提示される【正】

②「①」と矛盾するアンチテーゼ(反命題)が提示される【反】

③「①と②」の矛盾を解決するジンテーゼ(統合案)が提示される【合】

正と反から合を生み出す過程をドイツ語で「アウフヘーベン(日本語では止揚)」と言う。7つの習慣で説いているシナジーとは、まさにこのアウフヘーベンのことを言っている。

ちなみに、ヘーゲルが著書『精神現象学』の中で挙げているのは、以下の「主人と奴隷の弁証法」という例である。

①テーゼ=自立するために支配できる奴隷を持つ【正】

②アンチテーゼ=いつの間にか奴隷に頼って生活していることに気づく【反】

③シンテーゼ=誰かに頼らず自分の力で自立しようと考える【合】

どんな相手に対しても、尻込みせず相対する

内面が安定していない人は、知力がどれほど高くとも、人生の難しい問題で自分とは違う考えを持つ相手に対して、自分との違いを脅威に感じて尻込みしてしまうだろう。

心の安定の源はどこにあるのだろうか。他の人たちにどう見られているかとか、自分がどんな扱いを受けるかというようなことから得られるのではない。周りの環境や自分の地位も心の安定を与えてはくれない。

心の安定は自分自身の内側から生まれる。心の奥深くにある価値観と一致する習慣を、日々実践する誠実な生き方から生まれるのだ。

役職の高い人、何となく威圧的な人、オーラがある人、、、こういった人に「尻込み」したことはないだろうか。少なくとも私は何度もある。

なぜ尻込みするのかと言えば、それは自分の方が劣っているという劣等感に他ならない。馬鹿だと思われたくない、論破されたくないという気持ちもあるかもしれない。

いずれにしても、自己の人格や教養に自信があれば、どのような人に対しても、落ち着いて対応できるはずだ。

そして、その「自信」は、自分の中からしか生まれてこない。会社の役職や評判等というものは相対的なもので、風が吹けば飛んで行ってしまうようなものだ。

自分がどれだけ自分の価値観に沿って生きてきたか、どれだけ第Ⅱ領域に時間を掛けてきたか、どれだけ周囲を大切にしてきたか、、、自信は「自分がどう生きてきたか」からしか、生まれ出てこないということだろう。

人事部長のつぶやき

意外に難しい「傾聴」

わが身を振り返ってみてほしい。誰かと話をしているとき、相手の話を理解しようと真剣に聴くどころか、相手が話し終わった後のリアクションを考えながら聞いていないだろうか。

あなたが本心から真剣に話を聴いてくれたと感じたとき、あなたはその人に影響を与えられるようになるのだ。

共感して話を聴くのはたしかに時間がかかる。しかし、相手に心理的な空気を送らず未解決の問題を抱えたまま、ずっと先に進んでから誤解を正したり、やり直したりすることに比べれば、たいした時間ではない。

特にマネージャーの皆さん、部下の話をしっかりと傾聴できているでしょうか。

私は耳つまされる思いをしました。マネージャーは忙しい、できるだけ早く業務を処理したい、判断したい。そのために、部下には要点を簡潔に話してほしいと思う、冗長に話されるとイライラしてしまう、話の要点が見えた瞬間に話を遮って、指示を出してしまう。。。今の私です。

部下の話を遮ることで節約できる時間と、その後の部下のパフォーマンスの費用対効果を考えても、部下の説明には傾聴すべきだと改めて痛感しました。

「言うは易く、行うは難しの」良い例ではありますが!

最期の時に思うこと

死の床で自分の人生を振り返ったとき、もっと多くの時間をオフィスで過ごせばよかった、あるいはテレビをもっと見ればよかったと悔やむ人は、果たしてどれくらいいるのだろうか。答えは簡単だ。一人としているわけがない。

死の床にあって思うのは、家族や愛する者のことである。人は誰かのために生き、最期はその人たちのことを思うのだ。

これもドキリとさせられる指摘ではないでしょうか。もちろん価値観は多様で良くて、もっと趣味に費やせばよかったという人もいるでしょうし、本を読んでおけばよかったという人もいるでしょう。

大切なことは、短期の義務や快楽に惑わされず、長期の「ありたい自分」を日頃から意識するということだと思います。現代人は、放っておくと、スマホからの情報、仕事で起きる様々なハプニング、周囲の人々の態度等々の刺激に「単純に反応し続けるだけの単なる感覚器官」に成り下がってしまいます。

人間は弱いので、常にこれを意識しないと、日々の刺激に流されてしまいます

最期の報告や発表をイメージして仕事をする

すべてのものは、まず頭の中で創造され、次に実際にかたちあるものとして創造される。第一の創造は知的創造、そして第二の創造は物的創造である。

ビジネスも同じだ。ビジネスを成功させたいなら、何を達成したいのかを明確にしなければならない。

ターゲットとする市場に投入する製品やサービスを吟味する。次は、その目的を達成するために必要な資金、研究開発、生産、マーケティング、人事、設備などのリソースを組織する。

最初の段階で終わりをどこまで思い描けるかが、ビジネスの成功と失敗の分かれ道になる。

これは大袈裟な話ではなく、日常の場面でも応用できる考え方でしょう。

例えば何か仕事を始める時、「これを報告会でプレゼンするとしたら、どういう要素が欲しいだろう」という視点も持つことで、手戻りを防いだり、成果物のクオリティを挙げることができる。そのような経験はないでしょうか。

もちろん、この考え方はスケジューリングにも応用できます。3週間後にプレゼンがあるなら、2週間後には上司に報告、そのためには1週間後には粗々のスライドが出来ていなければいけない、というふうに。

また、自分がプレゼンしたり上司に報告する姿を思い浮かべる「イメージトレーニング」も効果的です。架空の世界で失敗し、緊張しておき、本番で想定通りのパフォーマンスを行う、ということですね。

ゴールをイメージしてから着手する、大切な基本動作です!

大事を小事の犠牲にしてはならない byゲーテ

第Ⅱ領域(緊急度低・重要度高)の活動には自分から主体的に取り組まなくてはならない。さもないと、第Ⅰ領域(緊急度高・重要度高)や第Ⅲ領域(緊急度高・重要度低)にすぐに飲み込まれてしまう。

第Ⅱ領域の重要な最優先事項に「イエス」と言うためには、他の用事がいくら緊急に見えても、「ノー」と言うことを学ばなければならない。

ためらわずに「ノー」と言うためには、それよりも強い「イエス」、もっと大事なことが、あなたの内面で燃えていなくてはならない。多くの場合、「最良」の敵は「良い」である。

ビジネスにおいて、優先順位付けは管理職の仕事です。しかし、世の中には「やるべきこと」と「やったほうが良いこと」の区別が付かず、どれだけ後者に資源を投入させている管理職の多いことか(少なくとも私の勤める会社では顕著です・・・)。

この考え方は、当然ながら個人の行動にも応用できます。「行ったほうがいい飲み会」「出たほうがよい会議」「知っておいた方が良いこと」、これらを全て追い始めると、長期的な「将来ビジョン」はいつまでたっても達成できません。

「将来ビジョン」がなく、ふらふらしている人は、放っておけばいいだけです!

成熟した大人とは

成熟──成熟とは、勇気と思いやりのバランスがとれていることである。私は1955年の秋、ハーバード・ビジネス・スクールのフランド・サクセニアン教授からこの成熟の定義を教わった。

教授は、「相手の考え方や感情に配慮しながら、自分の気持ちや信念を言えること」が成熟だと教えていた。

ビジネスパーソン、特に管理職であれば、この「成熟さ」は必要不可欠な要素といえるでしょう。

まずもって「自分の気持ちや信念」があることが前提です。これだけでも成熟に相応しいと言えますが、加えてそれを「相手の考え方や感情に配慮しながら」伝えるのです。

中には「自分の気持ちや信念」を一方通行に押し付ける人もいます。そしてその部下が優秀であれば優秀であるほど、適切にその言葉が噛み砕かれて、実際の業務に落とし込まれていきます。結果として、自分の信念を押し付けた人は、自分は優秀であると勘違いするのです。

ただ、労働力が豊富にあった昭和時代ならいざ知らず、採用も厳しいこの令和時代においては、部下の考え方や感情に配慮できないリーダーは「労働力の無駄遣い」とみなされて評価を失っていくでしょう(というか、失わなければならないと思います)。

過剰な長時間労働&その後の飲み会、パワハラとリーダーシップのはき違え、そういった昭和型リーダーは淘汰されるでしょう。令和型の成熟リーダーに期待したいですね!

おじさんたちの会議スタイル

コミュニケーションにおいて相互の信頼関係が低いと、自分の立場を守ることしか考えず、揚げ足をとられないように用心深く言葉を選び、予防線を張り、逃げ道を作る。

このようなコミュニケーションでは、結果はWin-LoseかLose-Winのどちらかしかない。

当社のいわゆる「経営会議」はまさにこれです。私も立派なおじさんですが、それよりずっと偉いおじさんたちは、会議の場で何か発表することがあると、自分がアホと思われたくない一心で、完璧な「読み原稿」と詳細な「想定QA」を部下に作らせようとします。

これが結構な労力になるのです。おじさんたちの「相互信頼の低さ」と「自己保身」により、会議は活性化せず、部下の残業は続きます。

こういった昭和型の働き方からも脱却したいものです!

「無知の知」という謙虚さが必要

多くの人が「自分は視野が広く、客観的に物事を見られている」と思い込んでいる。

しかし、本当の意味で効果的な人生を生きられる人は、自分のものの見方には限界があることを認められる謙虚さを持ち、心と知性の交流によって得られる豊かな資源を大切にする。

そういう人が個々人の違いを尊重できるのは、自分とは違うものを持つ他者と接することで、自分の知識が深まり、現実をもっと正確に理解できるようになるとわかっているからなのである。

これこそが成熟した大人の態度でしょう。私自身も自戒しなくてはいませんが、人間、歳を取ると、どうしても謙虚さが無くなります。

さすがに「俺は仕事ができるぞ」と声高に主張するほど野暮な人間はいないでしょうが、役職が上がるにつれて横柄さが滲み出てくる人が多いことも事実です。部下や周囲が甘やかしすぎという側面もあるのだと思います。

「最近、仕事がスムーズに回るようになった」「あれ、最近コミュ力が上がった?」と思うような方は要注意。単に部下が優秀なのか、適切に気を遣ってくれているだけかもしれません。

「自分は万能ではないが、足りない要素が何かを知っている。だから他者との交流を大切にする」というソクラテス的な態度が望まれますね!

SNSに振り回される人々

高度な技術をうまく使うには人間性が不可欠です。

テクノロジーの影響力が増せば増すほど、そのテクノロジーをコントロールする人間性が重要になるのです。

本書が出版されたのは1989年で、インターネットはまだ一般的ではありませんでした。しかしその30年前から(或いはもっと前から)、「テクノロジーをどうコントロールするか」という課題は広く認識されていたということです。

現代ではどうでしょうか。ICTは人間の生活を更に快適にしているのは事実である一方で、例えばSNSに振り回され、時間を浪費し、承認欲求を満たすために躍起になるような人も生み出しています。

人類は農業を開始すると、その恩恵と同時に、栄養の偏りや感染症リスクを負うこととなりました。また、工場での大量生産を開始すると、その恩恵と同時に、運動不足や環境問題を負いました。では、ICTはその恩恵と同時に、どんな副作用を生むのでしょうか。

ICTは活用するものであって、振り回されるものではありませんね!

書評

第1~3の「私的成功」は、「自らの感情を理性で制御せよ」と主張するストア派哲学や、「不幸を周囲のせいにせず、自らが意識的に上機嫌になって周囲を幸福にすればよい」と説くフランスの思想家アランらの主張に近い。

また、本書では、強制収容所という極限状態でも、自分自身の使命と希望を見失わなかったユダヤ人精神科医ヴィクトール・フランクルの著書も多く引用されている。

【参考】
「自省録」マルクス・アウレリウス・アントニヌス(ストア派)
「幸福論」アラン
「夜と霧」ヴィクトール・フランクル

第4~6は「相手」のある話なので、(当然のことながら)幾分テクニック的な要素も含まれる。第5の習慣については、筆者が「『まず理解に徹し、そして理解される』習慣は『7つの習慣』の中でもっともエキサイティングな習慣であり、すぐに実生活で応用できる」と言っているが、解説のボリュームはそれほど多くない。

全体として「普遍的」「一般的」な教訓がふんだんに盛り込まれているので、時間をあけて何度か読み直し、その都度、自分の人生を軌道修正することが有効と思われる。

スティーブン・コヴィー
(キングベアー出版)

※言わずと知れた21世紀最強の自己啓発本!