【人事部長の教養100冊】
「人体600万年史」
D・リーバーマン

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人体600万年史(表紙)

「人体600万年史」
ダニエル・リーバーマン

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基本情報

初版   2013年(米)、2015年(日)
出版社  早川書房
難易度  ★★☆☆☆
オススメ度★★★★☆
ページ数 735ページ(上下計)
所要時間 8時間00分

どんな本?

なぜ人類は体に悪いと知っていながら、糖や炭水化物を過剰摂取したり、運動を怠ったりするのか。その原因を「人類の生物的進化が文化的進化に追いついていないから」とした上で、進化生物学から考えられる医療・財政政策を提言する。

他にも進化生物学の見地から、例えば「人間はより多くの子孫を残すために適応を繰り返してきた(例:心配性な種が生き延びてきた)のであって、必ずしも肉体的・精神的な幸せを促進するようには進化していない」といった知見も得られる、科学方面に教養を広げられる良書。

著者が伝えたいこと

人類は進化の過程で、環境の変化に自らを適応させてきた。例えば、栄養は取れる時に出来るだけ取って、脂肪として蓄えられるような個体が自然淘汰を勝ち抜いてきた。

しかし、現代の科学技術の急速な発展により、自然選択のペースと影響力を文化的進化のペースと影響力がはるかに上回ってしまい、人類は取りたいときに取りたいだけ栄養を摂取できるようになってしまった。この状況が糖尿病や心疾患といった進化的ミスマッチを生んでいる。

このミスマッチは、人類が健康的な生活様式を自ら選び取るようには、まだ進化しきっていないことから生まれる。現在の報酬(いまここでクッキーをもう一枚)をつねに遠い未来の報酬(年をとったときに健康でいられる)と比較して、報酬の価値を遅延の長さに応じて割り引くようなことをしてしまうのだ。

それを是正するには、政府が炭酸飲料やジャンクフードに重税を掛けたり、添加物情報の開示を義務付けたりするなど、人々の環境や行動自体を柔らかい強制力を持って変えていくしかないだろう。

著者

ダニエル・リーバーマン
Daniel Lieberman
1964-

ダニエル・リーバーマン

ハーバード大学進化生物学教授。「ネイチャー」「サイエンス」をはじめとする専門誌に100以上の論文を寄稿。ヒトの頭部と「走る能力」の進化を専門とし、靴を履かずに走る「裸足への回帰」を提唱し、「裸足の教授」と呼ばれる。

こんな人におすすめ

人類の進化と病気の関係に関心のある人。進化生物学が現在の医療政策・財政政策にどう活用できるかに関心のある人。

ダニエル・リーバーマン
(早川書房)

※進化生物学の観点から医療政策・財政政策を提言する!

要約・あらすじ

■人類の最初の祖先がチンパンジーから分岐したのは約700万年前と推定されている。人類を他の類人猿と別の道に進ませる最初のきっかけとなったのは二足歩行だった。これは、より効率的に食物を集めるため、そして歩くときの燃費を減らすために賢明な適応だった。

■約400万年前、アウストラロピテクスが登場する。それまでの初期人類と異なる点は、固い食べ物を噛むために適応した歯と顔、そして食べ物を採集するために適応した長距離歩行能力だ。これは地球の寒冷化により、採取できる果実が減り、分散した結果、アウストラロピテクスに強い選択圧がかかったためである。特に歯は栄養を摂取するうえで死活的に重要で、自然選択の力が強く働いた。

■次に約240万年前に現れたホモ・ハビリスでは、脳がやや大きくなり、鼻面が突き出なくなった。そして約190万年前のホモ・エレクトスにおいては、はるかに現生人類の形状に近い足と腕が進化した。

■旧人類は道具を発明し、狩猟や食品加工に用いた。例えば肉や植物を食べる前に切り刻むことにより、①咀嚼と消化にかかる時間の短縮(=他のことに使う時間の創出)、②摂取カロリーの増大、③歯と咀嚼筋の縮小がもたらされた。これにより腸に回すエネルギーを脳の成長に回すことができた。事実、人類の脳は進化とともに大きくなり、腸は小さく短くなっている。

■ホモ・エレクトスはコーカサス地方、インド、ジャワ島、中国でも化石が見つかっており、複数の大陸を股にかけた最初の人類とされている。彼らの最大の発明は槍の穂先という武器と、火の使用だった。これにより食料の採集と消化効率が上がったほか、寒冷な地や夜間など、行動の幅が大きく広がった。

■以前より大きなエネルギーを得られるようになったことと、人間相互に協力して食料を確保した方が生存と繁殖に適していることを背景に、彼らの脳は徐々に大きくなる。結果、人類は高度な意思疎通や協調行動がとれるようになっていった。事実、チンパンジーやゴリラは食料を他の個体に分け与えるような行動を取らない。

■大量のエネルギーを消費する脳に糖分を送り続けるため、人類は効率よく脂肪を蓄えるようになった。現代ではジャンクフード等により脂肪蓄積効率が上がりすぎ、人類は脂肪過多に悩んでいる。脂肪は炭水化物から簡単に合成される一方、脂肪の1グラム当たりエネルギー量は炭水化物やたんぱく質の2倍以上ある。

■脳の進化は道具を生み、コミュニケーションを生み、記録を生んだ。人類は生物学的進化に加えて文化的進化という武器を得て、ネアンデルタール人やデニソワ人を駆逐していった。

■一部の人類は約1万2000年前から定住し、牧畜や農業を始めるようになる。それは獲得カロリー数を飛躍的に伸ばし、人口も爆発的に増加させる「農業革命」であったが、以下のような弊害も生んだ。
①感染症の流行
②天災等による飢餓への直面
③少数の農作物に依存することによる栄養の偏り(不足)
④食物を長期保存することによる汚染(カビなど)
⑤でんぷんや糖の摂りすぎによる虫歯

■特に「感染症の流行」は人類に最大の影響を与えた。感染症を媒介する生物が農業の開始によって人間により身近になったのである。例えば以下の通りだ。

・一か所に多数の人間が住むことによる不潔さ⇒ネズミ(ペスト、チフス等)

・用水路の整備⇒蚊(マラリア、黄熱病等)

・家畜⇒牛(結核、はしか等)、豚(インフルエンザ等)

環境の変化に人間の免疫系の進化が追い付かなかったということである。

■農業は確かに余剰を生み、その余剰によって、芸術、文学、科学といった「文明」が生まれた。その反面、余剰生産物は社会にヒエラルキーを生み、ひいては圧政、奴隷制、戦争、飢饉など、狩猟採集社会にはなかったさまざまな害悪をもたらした。さらには感染症や栄養不足も生んだ。それらは人類が狩猟採集民のままでいれば起こらない死だった。

■18世紀にはじまる産業革命は人間に大きな影響を与えた。栄養過多、運動不足、睡眠不足、ストレス増加、腸内細菌の減少等である。

■しかし、人はこれらの変化に適応しきれていない。栄養過多(特に炭水化物と糖の取りすぎ)による虫歯や糖尿病等はミスマッチの典型だ。そして厄介なことに、そのミスマッチから発生する病気に共通する特徴は、
①殆どが原因に対処しにくい非感染症であること
②繁殖適用度に影響を及ぼさないこと
③その原因が人間にとって利点のあること(高血圧になると分かっていながら、塩分の強い食べ物を好んで食べることなど)
などである。

■他にも、現代人には以下のような進化的ミスマッチが生じている。

・女性の産む子供の数の減少⇒月経の増加⇒生殖細胞がエストロゲン(女性ホルモン)に晒される期間が延伸⇒突然変異のリスク増→乳がん増

・抗生物質や除菌グッズ等の普及⇒細菌への遭遇率減⇒体内細菌と免疫系のバランスが崩れる⇒無害な異物に対しての過剰反応⇒アレルギー増

・靴を履くこと⇒偏平足、足底筋膜炎、足指の曲がり

・本を読むこと⇒近視、近眼

・長く座ること⇒筋肉バランスの崩れ、腰痛

■これらの進化的ミスマッチは、今後の人類の歴史の中で自然淘汰されていくかもしれない。しかし、自然選択が作用するのは繁殖成功度に影響し、なおかつ親から子へと遺伝的に伝達される変異だけだという事実に鑑みると、例えば糖尿病は繁殖を終えた年齢の人間が罹るものなので、淘汰されるかどうかは分からない。

■また、感染症であれば有効なワクチンの開発により撲滅できるが、偏った食事や運動不足といった慢性病は、現代人に環境や行動を変化させなければならず、根絶することは極めて困難である。また、糖尿病や心臓病といった病気を引き起こす遺伝子は特定されつつあるが、種類が多すぎて、治療にはまだ役立たない。

■進化的ミスマッチへの最も効果的な対処法は、私たち自身が、健康に関する不合理な選択(現在の報酬(いまここでクッキーをもう一枚)を常に遠い未来の報酬(年をとったときに健康でいられる)と比較して、報酬の価値を遅延の長さに応じて割り引くようなこと)を避ける知恵を身に付けることである。しかし、それも難しいだろう。

■やはり最後は政府がタバコや炭酸飲料に重税を掛けたり、添加物情報の開示を義務付けたりするなど、人々の環境や行動自体を柔らかい強制力を持って変えていく必要がある。小学校の体育の授業をスポーツからフィットネスに変えて、運動習慣を身に付けさせるといった政策も効果的だ。

学びのポイント

人間の「適応」は、必ずしも幸せを促進するようにはできていない

生物学で言う「適応」とは、自然選択を通じて形成される、より多くの子孫を残すための特徴のことだ。

結果として、健康や長命や幸福を促進するように適応することもあるだろうが、それはその資質が、より多くの子を生き延びさせることに資する場合に限ってである。

私たちの種が怖がりで、心配性で、ストレスを抱えやすい傾向を持つことは様々な悲劇や不幸の原因になっているが、もともとそれらの性分は、危険を避けるため、あるいは危険に対処するための大昔の適応なのである。

要するに、人間の適応の多くは必ずしも、肉体的、精神的な幸せを促進するよう進化してはいないのである。

これはなかなか含蓄が深い。フランスの思想家アランは、著書「幸福論」の中でこう述べている。

人生というものは、元来しんどく、つらいものだ。何もしなければ悲観主義が真理である。

必要なのは、信じ、期待し、微笑むことだ。幸せになれるかどうかは、自分の心持ち次第。幸福は自分で作るものだ。(趣旨要約)

これは生物学的にも正しいということだ。人間は生来的に幸せになるようには出来ていない。あくまで、子孫を残すのに有利なように進化してきただけなのである。

そう考えれば、この世の中は少しは生きやすいのではないだろうか。人間は生まれつき幸せなのではない。「いま、幸せじゃないなあ」と思っても、それは異常なことなのではなく、当たり前のことなのだ。

その意味では、外部からの刺激にそのまま反応して喜怒哀楽を繰り返す人は、もはや動物と一緒と言えるだろう。

自己啓発本の頂点、スティーブン・コヴィー著『7つの習慣では、以下のように戒めている。

第1の習慣(主体性モデル)

・外部からの刺激に即反応するのは動物のすることである。

・人間は「自覚」「想像」「良心」「意志」により、自らの価値観に基づいて、刺激と反応の間にスペースを作ることが可能である。これこそが「主体的反応」である。

・反応的な人の精神状態は、他者の出方次第でもころころ変わる。自分をコントロールする力を他者に与えてしまっているということだ。

組織における適正な人数規模とは

人類学者のロビン・ダンバーが行なった有名な分析によれば、霊長類のそれぞれの種の大脳新皮質の大きさは、集団規模とある程度の相関関係にあるという。

この相関関係が人間にも当てはまるなら、私たちの脳は、だいたい100人から230人の社会ネットワークに対処できるように進化したことになる。

この100~230人の平均である150名という数字は「ダンバー数」として知られる。ダンバーはこれについて「もしあなたがバーで偶然出会って、その場で突然一緒に酒を飲むことになったとしても、気まずさを感じないような人達のことだ」と説明している。

「一つの組織に適正な人数」には諸説あるが、まとめるとこんな感じになる。

・ピザ2枚分くらい(5~8名程度)【Amazonのジェフ・ベゾスCEO】

・せいぜい10人、通常は6名程度【ハーバード大心理学部リチャード・ハックマン教授】

・10人【モンゴル帝国の最小軍事単位】

・最大12人~15人【ピーター・ドラッカー『マネジメント』】

・最大10人【最近の経営学における「スパン・オブ・コントロール」の考え方】

遺伝子的に人類にはそれほど差異はない

ネアンデルタール人と現生人類のゲノムの違いを丹念に解析してみると、すべての非アフリカ人には、二パーセントから五パーセントというきわめて小さい割合ながら、ネアンデルタール人由来の遺伝子が含まれていることがわかる。

ネアンデルタール人は、現生人類よりも一足早く中東やヨーロッパに進出していた。よって、上記の事実が何を示すかと言うと、アフリカにいた人類のごく一部が(現在の学説によると約6万年前に)アフリカを出て、そこにいたネアンデルタール人と交配し、その後全世界に広がっていったということである。

これにより、アフリカ人(ネグロイド)からネアンデルタール人の遺伝子が出てこない理由が説明できる。アフリカを出なかった人類はネアンデルタール人と交わる機会を持たなかったからだ。

よって、人類20万年の長いスパンで見れば、アフリカ人遺伝子と非アフリカ人遺伝子は大きく異なっているが、非アフリカ人同士の遺伝子はそれほど変わらない(起源は一緒)ということになる。

例えば、ニューヨーク大学医学部教授のイタイ・ヤナイは著書『遺伝子の社会』で「例えば日本人とドイツ人よりも、アフリカの部族間ほうが遺伝的な距離が遠い」と述べている。

元々人類はアフリカで生まれ、相互に交渉のないまま小さな部族で何万年も過ごすうち、多様な進化を遂げたのだろう。そしてそのうちの一部が、アフリカを出て、全世界に広がることになる。

そう考えれば、アフリカ人と非アフリカ人では身体特徴が大きく異なることも理解できる。足が速い、高く飛べるといった特徴はアフリカ人に強く出る。事実、オリンピックの陸上では黒人選手が圧倒的に強い。似た者同士の非アフリカ人同士で争っても、五十歩百歩なのだ。

世界で遺伝的に最も多様性に富んだ地域はどこかと問われれば、それは間違いなくアフリカである。

暗黙のうちに受け入れている「費用対効果」という考え方

どうして私たちは、病気や死につながるとわかっている化学物質で水や空気や食料を汚染させることを企業に許しているのか。一つの大きな要因は、私たちの費用対効果の評価の仕方である。つまり、「副作用を超えて便利」ということだ。

このトレードオフは始終なされていて、たとえば一定の割合の人々が自動車事故や排気ガス汚染で死亡するのも、自動車を使うことの利益に対する代価として、あっさり許容されているように見受けられる。

この議論は非常に分かりやすい。食品に少量の保存料を入れることを許容するのも、分解されにくいと分かっているプラスチックを様々な場面で使うのも、全て費用対効果という考え方だ。

そして、最近の日本で生じた最大の議論は、原子力発電の費用対効果だろう。2011年の東日本大震災に伴う福島第一原発事故により、「とにかく危ない原発は廃止だ」という非理性的な議論が世間を席巻した。

<ここから先は政治的な議論にもなります。関心の薄い方や、他の見解をお持ちの方は読み飛ばしていただければ幸いです>

「エネルギー政策」という国の根本を左右する議論をするには、日本人は感情的になりすぎていた(或いはなりすぎている)。原発の事故リスクのみを過大評価し、CO2排出量や原料の安定調達、安定的な電力供給といった要素を冷静に評価する能力を失っていた(失っている)。

その中でも最大の要素は「発電コスト」である。

発電コスト比較
発電コスト比較

原子力発電は、主要な発電方法の中で、最も低コストだ。もちろん、だからと言って原子力発電の一歩足打法では、ウランの輸入が止まるリスクを分散できない。よって、それぞれの発電方法によるメリット・デメリットを勘案して、ベストミックスを追い求める、というのがあるべき姿だろう。

とにかく「原発反対」「自然エネルギー賛成」と原理主義者のように唱える人は、全てを自然エネルギーにすると、電気代が単純に3倍になること、あらゆるものの製造コストが増加すること、日本の国際競争力が減じられること、などを理解しているのかどうか、甚だ疑問である。

ここから先は自然科学・社会科学からは離れるが、個人的には、人類が過去「火」の使い方を覚えて進化したように、「原子力」も人類の進化の過程であるように思える。

人類が最初に火を扱った際、恐らく色々な失敗をしただろう。火力をうまく制御できずに、山一つ焼いたこともあるだろう。深刻な火傷を負ったこともあっただろう。

しかし、そのような失敗を経て、人類は火を扱えるようになった。その結果、火で調理した食べ物を摂取することで、消化に費やすエネルギーを他に回すことができるようになり、脳が進化した。

原子力は現代の「火」ではなかろうか。深刻な事態を引き起こすことは本意ではないが、原子力技術をここで絶やすことは、後世の人類のためにならないのではないかと思われる(これは、あくまで個人的な見解です。様々な議論があってしかるべきかと思います)。

「疾病予防」が国の財政を救う(かも)

2008年のある研究の概算では、運動と禁煙と食事改善に取り組む地域主導の健康改善プログラムに一人当たり年間10ドルを費やすことで、アメリカは5年以内に年間160億ドル以上も医療費を節約できるという。

正確な数字に関しては異論もあるが、要するに、予防は基本的に好ましく、健康と長命を促進する手段としてのコスト効率が高いのである。

大数の法則で見れば、疾病を「予防」することで発病率は下がり、医療費支出も抑えられる。これは直観的にも理解できることだろう。

現行の健康保険の仕組みは、収入に応じて保険料を取られ、治療費に応じて補てんが受けられるというものだ。

しかし、普段から健康に留意して病院に行かない生活を送っている人からすると、タバコや過度の飲酒で生活習慣病になった不摂生な人間の治療費を間接的に負担していることになり、あまりに不合理である。

ではこの不合理を解決するにはどうしたら良いか。まず考えられるのは、健康を害すると科学的にある程度証明されているもの(タバコ、アルコール、糖分を多く含む飲料など)に多額の税金を掛けて、医療費に補助に使うというもの。或いは、生活習慣病の治療を保険対象外にすることである。

本来であれば、健康増進に努めている人の負担を軽減する(=健康でいることにインセンティブを与える)方が政策としては好ましいが、現実的にはこの「ペナルティ型」しか方策は無いように思える。

 

人事部長のつぶやき

進化生物学の重要な知見

人類は、生存に適した形で進化してきたのであって、その個体が幸せになるようには設計されていない。

⇒人間は放っておけば悲観主義である。それは危険に対処するための適応の名残だ。だから人は自分の感情を制御して、主体的に幸福を感じなければならない。

現世人類は、健康的な生活様式を自ら選び取るようには、まだ進化しきっていない。科学技術の進化のスピードが、人類の生物としての進化のスピードを上回ってしまっているからだ。

⇒だから、人は自らの健康に対して意識的に留意するか、政府が不健康を生むもの(酒・たばこ等)に重税を掛けるといった積極的な対応が必要である。

これらは進化生物学から得られる共通の教訓である。日本では学問を文系と理系に分ける習わしがあるが、ここに至っては文系と理系の境目はない。進化生物学を基礎に、心理学や政治学の分野が議論されている。

文系の方々も、理系の知見を活かせると、人生はより豊かになるかもしれません!(私も出身は文系です)

ダニエル・リーバーマン
(早川書房)

※進化生物学の観点から医療政策・財政政策を提言する!