【人事部長の教養100冊】
「氷川清話」勝海舟

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氷川清話(表紙)

氷川清話ひかわせいわ」勝海舟

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基本情報

初版   2000年(底本は1914年)
出版社  講談社等
難易度  ★★☆☆☆
オススメ度★★★★☆
ページ数 408ページ
所要時間 4時間30分

どんな本?

新聞や雑誌に掲載された勝海舟の談話を、明治25~31年頃に吉本襄(のぼる)がまとめたもの。

幕末の大御所勝海舟が、伊藤博文や陸奥宗光等の明治維新の偉人たちを「俺の方がうまくやれる」と上から目線でぶった斬り、大局観を示しまくる、痛快エッセイ集!

勝海舟が伝えたいこと

政治に必要なのは至誠奉公の精神だ。明治維新後の政治家にはその精神がなく、嘆かわしい。維新で近代化と言っているが、幕府時代の方が良かったことも多いのではないか。

著者(語り手)

かつ海舟かいしゅう 1823-1899

勝海舟

江戸で下級幕臣の家に生まれる。幕末においては異国応接掛、軍艦操練所頭取、軍艦奉行等、幕府の要職を歴任。

明治維新後は新政府から乞われて外務大丞(外務省のナンバー4のような立場)、兵部大丞、参議兼海軍卿、元老院議官、枢密顧問官等を務めた。

江戸時代に開設した塾の筆頭塾生は坂本龍馬。江戸無血開城のカウンターパートは西郷隆盛。伊藤博文の政治を批判し、大久保利通からは相談を受けるような、明治時代前半における大御所中の大御所。

こんな人におすすめ

幕末にあっては幕府の高官、維新後にあっては明治新政府のアドバイザーという、これ以上ない高い視点・広い視野を持つ勝海舟の「大局観」に触れてみたい人。

講談社版を読むべき理由

講談社版を編集した江藤淳や松浦玲は、他社版ではなく講談社版を読むべき理由を、以下のように説明する。

・吉本襄(のぼる)は、勝の過激な政権批判等を和らげるため、勝が語ったとされる時期を改竄したり、内閣や大臣の名前を差し替えたりした。

・また、断片的な談話を一続きに見せるため、適宜、言葉を補ったりもしている。

・講談社版以外の「氷川清話」は、吉本版を底本としている。この講談社版こそ、勝の真意と肉声を現代に伝えているものだ。

書評

勝が様々な場面で語った談話が8つのカテゴリーに整理されており、非常に読みやすい構成になっている。

1.履歴と体験(幼少時代からの振り返り)
2.人物評論(西郷隆盛、李鴻章など)
3.政治今昔談(明治新政府の政策批判など)
4.時事問題(日清戦争など)
5.勇気と胆力
6.文芸と歴史
7.世人百態(人事の要諦)
8.維新後三十年

この中で、勝は伊藤博文や陸奥宗光、乃木希典ら、明治の巨人をぶった斬っている。幕末から明治にかけての動乱期を生き抜いてきた勝海舟の大局観を感じられる一冊。

一方、「俺の時代はこうだった。俺はこうやった。それが今の人間はどうだ。俺ならもっとうまくやれる」など、大御所特有の上から目線も炸裂している。ただし、勝自身は、自分が世間から「老いぼれ」だの「死に損ないの老爺」などと言われていることを認識していた。

前半3分の1くらいは勝の生い立ちや人物評が淡々と続く。本当に面白いのは後半3分の2で展開される政権批判・国際情勢の見方・仕事の心構え・人生訓等。時間の無い人は「3.政治今昔談」以降から読んでもいいだろう。

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勝海舟
(講談社学術文庫)

※オリジナルに最も近い講談社版がおすすめ!

要約・あらすじ(勝の特徴的な主張)

■人の評価が定まるには通例100年、大人物なら200~300年はかかる。

■坂本龍馬が西郷隆盛に会いたいというので紹介状を書いてやった。坂本による西郷評は「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。もし馬鹿なら大馬鹿で、利口なら大いなる利口だ」というものだった。坂本は鑑識のあるヤツだ。
(西郷の人となりを表す有名なエピソード)

■漢学者というのは、人を感化する道徳も、世を救済する具体的アイデアもまるでないし、役に立たない詩や文章をこねくりまわしている。これは漢学が悪いのではなく、漢学者が悪いのだ。

■康有為(清朝の官僚)が「立憲国家である日本の支援を受けて、清朝を改革したい」と言ってきたが「外国の力を借りて国内を改革しようとするのは良くない。幕末の日本でもそんなことを言う奴がいた。支那には支那の長所があるのだから」と一喝した。

■治水も津波対応も江戸幕府のほうが上手く対応していた。足尾銅山のような公害は江戸時代にはなかった。維新もいいが、もっとうまくやらねばならぬ。

■外交とは明鏡止水の如しである。事前準備などせず、心を研ぎ澄ませておくだけだ。他人の意見を聞くなどは、ただ迷いの種になるばかりである。

■政治は至誠奉公の精神が大切だ。田沼意次の時代、その秘書官は孔子もロクに知らない程度の学しかなかったが、(貨幣経済の発展や蝦夷地の開発など)政治・経済はうまく回っていた。いまの秘書官は外国語の二つや三つは喋る有能な者が多いが、政治は田沼時代に比べて格段優れているわけでもない。やはり政治に大切なのは学問ではなく、至誠奉公の精神だ。

■西洋列強がアジアに進出する中、日本はこれまでの狭い視野を捨て、アジアの舞台に立って世界を相手に国益を守るだけの覚悟が必要だ。この大精神を国民の間に養成する基礎は小学教育にある。

■最近の若いのは理屈ばかりこねまわすし、気力も根気も足りない。才気ばかりあって、胆力がない。その点、江戸時代の武士は立派なものだった。全く嘆かわしい。

■しかし、武士道が廃れるのも仕方ないことだ。江戸時代、武士は幕府から禄をもらい、仕事は町人や商人にやらせていた。それゆえ、書を読んで忠義とか廉恥とか騒がなければ仕方なかっただけなのだ。別に武士道が素晴らしかったというわけではなく、状況がそれを生んだだけのことだ。

■人材は探す側の眼力一つである。太公望は周の文王に見出されるまで、釣りしかしていなかった。西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通などは、維新という機運の中で見いだされ、大活躍した。維新が収まると、案外小さく見えるものだ。人はどんな者でも決して捨ててはいけない。必ずどこかで役に立つものである。

■西郷隆盛は子分が何千人もいたから、維新後に自分だけ「華族様です」というわけにもいかず、西南戦争で自滅してしまった。全くもったいないことだ。私自身には子分がいないから、「華族様です」でやっていけるだけだ。

■幕末に江戸市民が戦火に巻き込まれなかったのは、無血開城を認めた西郷隆盛の功績。そして東京の今の繁栄があるのは、それを引き継いだ大久保利通の功績だ。私などは、ただ生き残ってしまっただけだ。

■俺が黙っていると、勝は老いぼれだの死に損ないの老爺だのと、途方もない悪口雑言をたたく輩が多いから、おれもモー黙ってはいられないぞ。

学びのポイント

人の活躍や評価はシチュエーション次第

人の評価というものは通例100年、今一層大きな人物になると200~300年後だ。

今は明治維新後たった30年で、大した人物はまだいない。西郷隆盛と横井小楠は恐ろしいくらいの大人物だ。一方、伊藤博文などは大したことない。

勝海舟にかかれば、あの伊藤博文も「小物」になってしまう。それほど、幕末は数多くの偉人を輩出した時代とされている。

しかし、本当にそうなのだろうか。ある特定の時代における「優秀な人材」の割合は一定のはずである。幕末は、単に目に見える仕事がたくさんある激動期で、ある程度の能力を持っていれば、具体的な実績を挙げやすかっただけ、ということではないのだろうか。

これは会社も同じである。確実に個人の能力差というものは存在するが、例えば役員になるかならないかくらいの高いレベルでの出世争いであれば、たまたまポストが空いていたとか、その人に合った仕事があったとか、既存の役員に気に入られていたとか、そんな「制御不能」な環境に左右されることが多い。

幕末にも、明治期にも、大正期にも、昭和期にも、優秀な人材は一定の割合で存在したはずである。幕末がやけに目立つのは、単に実績をあげやすい環境だったからであろう。

内戦は外から見れば格好の獲物

幕府軍と薩長軍が交戦している最中、ロシアがやたらと「金を貸すので内戦を処理しなさい。我々は箱館でじっと見ているから」と言ってきた。

しかし、外国に抵当を取られるのは堪らない。これが一個人のことならどうなっても良いが、なにしろ一国のことだから、もし一歩誤れば、何千万人という者が、子々孫々までも大変なことになる。そこで、死んでも外国から借金はすまいと決心した。

最終的に日本は外国から借金することになるが、これは大いなる卓見である。

内戦に乗じて、外国が特定の国・地域に影響力を与えたり、征服してしまったりという事例は枚挙にいとまがない。古くは、多くの諸公国が反目し合い、群雄割拠していたルーシの地をいとも簡単に征服したモンゴル帝国、ゲルマン系民族同士の内紛に乗じてイベリア半島を征服したウマイヤ朝、そして幕末日本もそうである。

江戸幕府vs薩長の黒幕
江戸幕府vs薩長の黒幕

幕末、フランスは幕府を、イギリスは薩長を支援していた。そしてその背後にはユダヤ系の財閥が金を貸していた。つまり、幕府・薩長のどちらが勝っても、ユダヤ民族は儲かるようになっていたのである。

そして恐らくどちらが勝っても、その後、中国・朝鮮或いはヨーロッパ諸国との戦争を日本にけしかけ、更に金儲けしようとしていたのだろう。

こうした背景を、我々日本人はあまり知らない。これこそまさに、世界まで見据えた大局観の一例である。

正確な情報と論理性は、正しい判断の必要条件

私は幕末、幕府の海軍提督の任にあり、日本でも本格的な海軍を作らねばならないと考えるに至った。

しかし軍艦はべらぼうに高価で、一大名や幕府に賄えるものではない。そこで日本も海外のように、国全体の国家予算で軍隊を作ることを幕府に提案したが、謀反人のような扱いを受けた。

日本国内が攘夷だ尊王だと狭い視野で蒙昧な議論に明け暮れていた頃、勝は正確に世界の情勢を見抜き、日本の将来を見据えていた。

といっても、勝は特別なことはしていない。「西洋列強がアジアで横暴の限りを尽くしている」という「正確な情報」と、「日本を守るためには海軍が必要→しかし金がかかる→幕府ではダメ→中央集権国家だ」という、「当たり前の論理的思考」があれば、誰でも導ける結論である。

そしてこの「正確な情報」と「当たり前の論理思考」があれば正しい判断ができるという原則は、当然ながら現代のビジネスパーソンにも当てはまる。

このネット時代、情報は以前に比べて格段にオープンになり、誰でもググればある程度の情報は得られるようになっている。学問も以前は一部の裕福な知識階級のものだったが、最近では大学が授業の動画を公開していたりする。

一般のビジネスパーソンにとっては、会社情報の閉鎖性が最大のネックだろう。例えば私の勤める会社では、役員会議にどんな議題が提出されたかは、一部の部課長にしか公開されない。もちろん、一般公表前の情報などが含まれるからではあるが、共有している情報の少なさが、実務レベルでの判断力を削いでいることは間違いない。実務レベルまで同じ情報を持つことが、正しい判断の第一歩である。

そして「当たり前の思考」というのは、考えるか考えないか、というだけの差であり、考えることは誰でもできるはずだ。勝海舟の判断も当たり前の文脈から出てきているのであって、この「当たり前の論理的思考」に特別な頭の良さは要らない。どれだけ真剣に課題について考え抜くか、だけが問題となる。

以上のとおり、正しい判断には、この「正確な情報」と「当たり前の論理的思考力」が必要条件になる。では次に、十分条件も合わせて見ていこう。

徳(人間力)と経験は、正しい判断の十分条件

今の学生はただ一科だけ修めて、多少の智慧が付くと、それで満足してしまっている。しかし、それではダメだ。

世間の風霜に打たれ、人生の酸味を嘗め、世態の妙を穿ち、人情の機微を究めて、しかる後に経世(世の中を治める)の要務を談ずることができるのだ。

そして、名を世に残すといったことを考えてはいけない。心胆を練って、不動の信念を守り、ただ誠心誠意、目の前のことに応ずるだけのことだ。

「多少の知恵が付くとそれで満足してしまっている」というのは、「知恵」、すなわち先ほど触れた「情報(知識)」や「論理性」は大切だが、それだけではダメだということを言っている。

では何が必要と言っているのか。それは、信念や誠意に基づいて正しいことを為すという「人徳」や、様々な苦労や場面を体験するという「経験」である。

すなわち、良い仕事や良い判断をするためには、「才」と言えるもの(知恵・知識・情報・論理性)を必要条件として、そして「徳」と言えるもの(人徳)と「経験」を十分条件として身に付けなければならないということだ。

これを端的に示すエピソードが次で語られる。

大局観=正確な情報+才(論理性)+徳(人徳)+経験

幕末、財政に困った大名が偽の銀を作り、海外との取引にも使用したところ、維新後、諸外国が明治新政府に(正当な銀との)交換を迫った。

困った大久保利通は仲介人を介して、私のところに相談に来たので、私は「全て引き換えろ」と指示した。いかに大名が偽銀をこしらえたとしても、たかが知れているだろうと思ったからだ。

事実、その額は案外少なく、数十万円で済んだとのことだ。

幕末の状況を知り尽くした勝海舟ならではの、大局観に基づく正しい判断である。

大局観=正確な情報+才(論理性)+徳(人徳)+経験

本件をこの公式に当てはめて見ていこう。

①正確な情報=諸外国は明治新政府に偽銀の引き換えを求めているという事実。

 

②才(論理性)=引き換えに応じない→国際ルール違反→日本の近代化にとって障害となり得る。


③徳(人徳)=偽銀の鋳造など、明らかに正しくなく、善くなく、美しくないからやめなければいけない。


④経験=大名が拵える偽銀など、どうせたかが知れている。

企業で言えば、

①正確な情報収集=課長補佐クラスの仕事

②広い視野・高い視座・深い思考による合理性・論理性の検討=課長クラスの仕事

③正しいことか、善いことか、美しいことかの判断=部長クラスの仕事

④経験則的にどうか=役員クラスの仕事

ということになるだろう。

老害と言われないように、、、

今回の三国干渉*のザマは何だ。伊藤博文、陸奥宗光はだらし無い。

幕末にこんなことがあった。幕府がイギリス・オランダ両国に海軍の育成を依頼してしまい、両国とも怒ってしまったのだ。俺はオランダに3年分の報酬を払ってこれを凌いだよ。三国干渉なんか俺に任せていれば朝飯前だった。

*三国干渉:日本が日清戦争で清から獲得した遼東半島を返還するよう、1895年4月に仏独露の三国が日本に求めたこと

政界の「大御所」ともなると、これくらいは言いたくなるのだろう。しかし、例に出したイギリス・オランダの件も、それほど大したことには思えない。

老人になると、自分の過去自慢や武勇伝を語りたくなるものだ。勝海舟ほどの人物ならまだ許せるが、会社や社会で少し成功したくらいの人間が、後輩や現役世代のやることにあれこれ注文を付けると、現役世代は煙たがるし、人も育たなくなる。

皆さんにも経験はないだろうか。部活やサークルのOBが時々練習に顔を出して、我が物顔でアドバイスするようなことを。

会社なら相談役や会長、社会なら引退組やOBといった方々に期待されているのは、「困ったときに助けてくれる」という機能であって、日々のオペレーションに口を出されることは、現役世代は望んでいない(ことが多い)。

現役世代の人間が肝に銘じておくべきは、「自分達がOBになった際、自分が思っているほど、現役世代は自分を必要としていない」という客観的事実だろう。

会社も、顧問や相談役を設置する際には「あなたに期待するのは、我々が困ったときに助けてくれることであって、日常の社業には口を出すな」と言えればいいのだろうけども。

ポストが人を育てる

薩摩に優秀な人材が多いのは、島津斉彬が(身分の低かった)西郷隆盛を登用し、西郷が門閥に関係なく、優秀な若手をどんどん役人に引き上げてポストを与えたからだ。

明治維新や終戦直後は、前体制の権力者が追放され、若い政治家や若い役人・企業人が実権を握っていった。若いなりの失敗もあっただろうが、明治日本の興隆も、戦後日本の復興も、主に若手がその担い手であった(平均寿命の違いはあるが、第1次伊藤博文内閣の大臣平均年齢は約47歳だった)。

今の日本はどうか。少子化や定年延長の影響もあって、どんどん上が「詰まって」いる。ポストが空かず、若手が育たない。無駄な相談役や顧問ばかり増えて、雰囲気も沈滞気味。これでは国力は衰える一方である。

アメリカは移民を調整弁に、人口ピラミッドをほぼ二等辺三角形に維持している。一方、欧州・韓国・日本は少子高齢化で逆ピラミッド。日本は人口ピラミッドが変えられないなら、政府も企業も自助努力で「若返り」しなくてはいけない。しかし権力を握っているのが高齢層なので、それがうまくいかない。

この解決策は「雇用の流動化」と「職業移民の受け入れ」しかないのではないか。

まず雇用の流動化で「年功序列」を廃する。ある企業に長くいるからという理由で昇進していくのは非合理だ。雇用の流動化は、あらゆる人が、できる限り、自分の能力を最大限発揮できる仕事に就くことを可能にする。これは企業にとってもビジネスパーソンにとっても良いことである。

そして若手の不足は移民で補う。GDPを生まない介護のような産業に、低賃金の移民をどんどん入れていけばよいのである。国がコストを掛けて教育した人材には、GDPの創出と納税という形で国に還元してもらう。

かなり極端ではあるが、日本が国際社会で競争力を保っていくには、必須の改革のように思われる。

日中韓の合従連衡

1860年代前半、攘夷論が盛んだった。一方私は、海軍を拡張し、軍港を神戸・対馬・朝鮮・支那に置いて、三国が合従連衡して西洋諸国に抗すべしと主張したところ、朝廷は賛成してくれた。

日清戦争には反対だ。兄弟喧嘩してどうなる。日本が勝ったとて、支那の実力が世に晒され、列強を呼び込むだけだ。支那5億人は日本人にとっては良い顧客である。連携して東洋で経済圏を作れば良いのだ。

幕末~明治初期を生きた人間にとって、これは当然の発想だろう。しかし福澤諭吉が述べているとおり「近隣の支那・朝鮮でさえ余りにも前近代の体制に固執し続けているため、彼らの進化を待っていては日本が不当に立ち遅れてしまう。もはや待っている訳には行かぬ」という状況だったのだ。

中国では日清戦争前、清朝の高級官僚であった曽国藩・李鴻章らが「中体西用(伝統中国の文化や制度を本体として、西洋の科学技術の利用を目指す)」をスローガンに「洋務運動」を展開するが、中国の伝統的道徳倫理や皇帝による支配を脱却するものではなく、日清戦争の敗北で失敗することになる。

その後、康有為を中心に、国の伝統的専制体制の変革と、議会政治及び立憲君主政の樹立を目標とする「変法運動」が起こる。若い光緒帝を動かした康有為は、1898年には科挙の廃止などを断行し、立憲制の政体へ転換しようとした(戊戌の変法)。

しかし変法に反対する保守派は、西太后(前帝の母后)のもとに結束し、同年9月、クーデタをおこして光緒帝を幽閉し、政権を奪取する。

そして朝鮮は残念なほどに主体性がない。清の勢力下で朝鮮の安全維持をはかる事大党と、金玉均ら急進的改革による朝鮮の近代化を目指す独立党が小競り合いを繰り返し、結果的に清朝の介入を招くことになる。

朝鮮国王の皇后である閔妃は、提携先を日本→清→ロシアとコロコロ変える始末で、最後は日本の手で暗殺される。

といわけで、明治日本は、朝鮮・清と手を組みたくても組めなかったのである。特に、現代でも韓国という国は、中国・ロシア・北朝鮮・日米の間を浮舟のように揺れている。これは列強に囲まれる小さな国の宿命であろう。

勝の支那観と共産党中国の今後

支那は国家ではなく人民だ。誰に統治されているかには関心がない。清の祖宗は井戸掘りという低い身分だが、そんなことは気にしない。

威海衛や膠州湾をヨーロッパに取られたからといって、大きな問題にならない。支那四百余州は奥深く、日本人には容易には理解できない。

中国とは元来、勝の言うような性質を持っている。支配民族は漢民族(宋)→モンゴル族(元)→漢民族(明)→満州族(清)→欧米列強による蚕食→漢民族(中国)と変遷しているが、社会の基礎は大きく変わらない。

このように歴史的に見ると、現在の共産党一党独裁というのも、どこまで強固なものかは分からない。

知識層が「違うイデオロギーの方が良くない?」と気付き、一定の潮流が生まれれば、民衆は抵抗感なく新しい体制を受け入れる可能性を秘めている。だからこそ習近平共産党は、情報統制や幹部引き締めに躍起になっているのだろう。

或いは、金融危機のような、庶民の生活を脅かす出来事が起きれば、こちらも一気に何かが変わるかもしれない。中国とは、どっしりしているように見えて、支配層の交代には柔軟な、本当に奥深い国である。

リスクマネジメントの要諦

昔の剣客の言葉に「切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ 踏み込み行けば後は極楽」というものがある。

※注)刀同士が打ち合う場面は地獄だが、そこで一歩前に出れば相手に勝てる。その一歩踏み込むことが大切だ、という意味。

人間には余裕が必要だ。小さいことを心配し、怖気づいてしまっては、大きな仕事はできない。目の前の困難を大きく見過ぎなのだ。

本来であれば、その困難を飲み込むくらいでなければいけないが、多くの人は困難に飲み込まれてしまっている。

これはリスクマネジメントの要諦だろう。何らかのトラブルや不祥事が起きた際、「この後に何が起こるのだろう。ああ、本社から怒られるなあ」などと小さいことを考えていてはいけない。

まずは現状を正確に把握し、情報を集め、何が最適な解決策なのかを一歩踏み込んで考える姿勢が大切だ。

一歩踏み込んで、全体が見えれば、何か解決策が見えてくるかもしれない。何もせずに悶々と心配だけしていると、何が真実なのかが見えなくなる。人間、情報や展望が無いと不安になるものだ。

人事部長のつぶやき

アイデアマン勝海舟

これからは海軍の時代ということで、将軍が江戸から上洛する際のルートを陸路(東海道)ではなく海路に変更した。

各藩に西洋型の軍艦を出させて江戸から大阪に入り、そこから上洛となった。幕府や諸藩の海軍を盛んにするための宣伝となった。

勝海舟、なかなか柔軟な発想の持ち主である。西洋列強の進出という「正確な情報」、日本も海軍を盛んにしなければいけないという「当たり前の論理的思考」、これは宣伝になるはず&幕府にも許されるはずという「直感」が生んだシナリオだ。

こういう「シナリオ」を書ける人は出世していきますね!

人間、歳を取ると・・・

昔の武士は心身を鍛え、主君のために身を捧げる心づもりができていた。学問はあまりしなかったが、いわゆる「君辱めらるれば、臣死す」という教えが頭に染み込んでいて、いつでも切腹する覚悟ができていた。

それが最近の人間はどうだ。学問を修めた者は小理屈ばかりで肝っ玉が小さい。空威張りに威張るが、まさかの時に役に立たないのがほとんどだ。

出ました、典型的な「昔は良かった、俺の頃は良かった」理論である。勝海舟という大局観の持ち主でも、こういうぼやきをやるのは面白い。「主君のために!」のような思想がグローバルスタンダードから乖離していることを勝は知っていたはずである。

しかし、これは鎌倉時代の武士を「お前、なんて封建的な奴だ」となじっても意味がないのと同様だ。特定の時代には特定の価値観があったのである。新しい法律を作った際、その法律の効力は施行時以前には遡って適用されないという「不遡及の原則」を、ここでも適用すべきであろう。

とはいえ、あまり「昔は良かった」をやりすぎると、老害と呼ばれてしまいますね!

目的志向で感情の揺れを制御する

西郷隆盛はとてつもない人物だった。私と西郷は敵同士だったのに、江戸城無血開城では、西郷は私に江戸の始末を全部任せ切った。その他の案件でも「勝さんが万事詳しいから、よろしく頼みます」などと言って、昨日まで敵味方だったことを忘れてしまっているかのようだった。

従来敵視していた人の中にも、(目的さえ共有できれば)理解しあえる人はいるものだ。世間の毀誉褒貶は気にしてはいけない。

これは突き詰めれば「目的志向」についての話である。行く手に抵抗勢力がいようとも、困難が待ち受けていようとも、「○○という目的のためにやるんだ」と割り切れれば、感情を乱されることなく、仕事を進めることができる。

例えば何か新しいことを始めようとすると、組織には必ず「慣性の法則」が働き、抵抗勢力が出てくる。評論家もいれば、「お手並み拝見」を決め込む連中もいる。

そうなるとイライラしたり、弱気になったりもするが、ここは「目的志向」の出番である。正しいことをやるという決意を持ち、雑音は無視するという腹積もりができれば、感情は乱されず、もしかしたら理解者も出てくるかもしれない。

目的志向で感情を制御する、これは様々な場面で使える考え方だと思います!

徳>才の主張は勝海舟も同様

学問にも色々あるが、自分のこれまでの経歴と、古来の実例に照らして、その良し悪しを考えるのが一番の近道だ。

小さな理屈は専門家に聴けば事足りる。俗物は理屈詰めで世の中の事象に対応しようとするからいつも失敗続きなのだ。

理屈以上の「呼吸」、すなわち自分の中にある信念や経験をもとに判断するのが本当の学問というものだ。

徳(真・善・美を判断する信念や経験)と才(専門的知識や論理的思考)に関する勝海舟の見解である。

明代末期に洪自誠の著した「菜根譚」には「徳は才の主にして、才は徳の奴なり」という言葉があり、同じようなことを言っている。

日本の学校は才(偏差値)至上主義で、その卒業生も「才」偏重型。できるだけ多くの人と交わり、多くの本を読み、多くの経験を積み、「徳」を涵養したいものです!

世の中「ここぞの節目」が多すぎる

困難に直面すると、人は「ここが大切な関門」と思って一生懸命になるが、これは一番いけない。どこにでもあるような困難で、一々右往左往していては、とても大事業などできはしない。

ここは支那流に、平気で澄まし込むだけの余裕が必要だ。そう何度も一生懸命になっていては、とても根気が続かない。

せっせと働きさえすれば儲かるというのは、日雇い労働者の発想だ。天下の仕事がそのような了見でできるわけがない。

会社というものは、やたらと「今年が勝負の年」「今が節目」「ここを乗り切ろう」などと社員を鼓舞する。年始の挨拶はいつでも「今年は特別な年」というロジックを無理やり引っ張ってくる。

社員は社員で真面目なのか、これに応えようとする。「これが無事に終われば、少し落ち着く」と自分に言い聞かせて、残業したり休日出勤したりする。

しかし、本当に落ち着くことなどあるのだろうか。一つ波が去っても、どうせ次の波が来るに決まっているのだ。

であれば、忙しい時期でも、多少の残業はあるにしても、少なくとも心には余裕を持って、あくせくしないことが大切だ。会社や管理者に踊らされてはいけない。

数年で成果の出るような仕事を選好するようでは、日雇い労働者と何ら変わらないのだ。

社員を鼓舞し、煽るのが、管理者の仕事ではありますが!

無神経は強い

世の中に無神経ほど強いものはない。

むやみに神経を使って、やたらに世間のことを苦に病み、朝から晩まで頼みもしないことに奔走して、それがために頭が禿げ髭が白くなって、まだ年も取らないのに耄碌してしまうような憂国家に、俺はなれない。

まさに「鈍感力」の議論である。勝の言うような人は自縄自縛なので放っておけばよいが、タチが悪いのは、自分は無神経で何も気にしないが、周囲に迷惑をかけるタイプである。

迷惑を掛ける方か、掛けられる方か、なかなか難しいところだが、少なくとも神経質になりすぎて自分を削ってはいけないだろう。

勝海舟
(講談社学術文庫)

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