「戦略的思考とは何か」岡崎久彦

  難易度 ★★★☆☆
オススメ度 ★★★★★
 所要時間 3時間00分

「戦略的思考とは何か」岡崎久彦日本人は敗戦から何を学ぶか
この記事を書いた人
人事部長


一般企業に入社以来、経営・財務・営業・人事・海外事業・役員秘書等を経験し、現在は約30名の部下を持つ人事部門のマネージャです。

「才徳兼備」を目指す部下に紹介している「骨太の教養本100冊」を、順次web上にも公開しています。

慶應義塾大学経済学部卒業、シカゴ大学経営大学院修了(MBA)、米国公認会計士。

「戦略的思考とは何か」岡崎久彦

基本情報

初版   1983年
出版社  中公新書
難易度  ★★★☆☆
オススメ度★★★★★
ページ数 279ページ
所要時間 3時間00分

著者

岡崎久彦(おかざきひさひこ) 1930-2014

岡崎久彦

岡崎久彦

元外交官、外交評論家。外務省では、調査企画部分析課長、調査課長、調査室長、そして調査企画部長、情報調査局長と、情報部門の幹部を歴任する。

駐タイ大使を最後に外務省を退官。祖父の岡崎邦輔は(明治時代に不平等条約の改正に尽力した外務大臣である)陸奥宗光の従弟にあたる。

こんな人におすすめ

日本の地政学的立ち位置を、論理的に理解したい人。中国の拡大に伴い、日本がどのように振る舞うべきか、ヒントが欲しい人。

作者が伝えたいこと

日本は地理的に見ても歴史的に見ても、アングロサクソン(米英)と手を組む他に道はない!(ロシアや中国と手を組むことはあり得ない!)

一行紹介

日本の取るべき外交戦略を、日本の地理・歴史(=地政学)から論理的に紡ぎ出す名著

背景解説

大東亜戦争以後、日本の外交的立ち位置に関する議論は安保闘争で終結したに見えたが、本書が発刊された1983年当時でも親米や親ソかで様々な意見があった。

岡崎はこれを「日本人に論理的な思考が欠如しているからだ」と考え、日本の地政的な位置付けを「論理的に」整理しようとして本書を執筆した。

当時と現代とでは、ソ連の影響力低下や中国の伸長、アメリカの自国第一主義宣言等、国際政治をめぐる環境は変化しているが、地理と歴史という普遍的な要素から論理的に導き出された「日本はアングロサクソンと組むしかない」という結論は、現代でも十分に通じる。

第1章(伝統的均衡)から第6章(デモクラシーで戦えるか)までは、主に歴史の話題であり、1983年発刊と言えど、現在でも普遍的に理解できる内容となっているので、精読をお勧めする。

一方、第7章(戦後世界の基本構造)と第8章(核の戦略)は、ベルリンの壁崩壊等を経て、状況が激変しているため、時間が無ければ読み飛ばしてもよい。

要約・あらすじ

■日本の外交政策が安定しないのは、日本人が論理的なものの考え方に弱いからである。そこで、国家戦略論の最も基礎的な事実関係である日本の歴史と地理から論を興していく。

■(地理)朝鮮半島は日本と中・ロの間にあるバッファゾーンとして考える。樺太の戦略的意義は朝鮮半島ほど大きくない。宗谷海峡と津軽海峡を押えておけば足りる。

■(歴史)日本が一度も異民族の支配を受けたことがなかったという事実は、国際政治の厳しさに対する日本人の考え方の甘さや楽天主義の元になっている。情報戦に弱く、大局観に欠ける。日清・日露の周到さと大東亜戦争の杜撰さは好対照だ。

■日本は地政学的な戦略価値が非常に高い。日本列島は、ソ連(+現代では中国)から見ると大洋進出を扼する形で連なっており、アメリカにとってはソ連(+中国)を押える前線基地として機能する。

■仮に日本の近くで戦争が起きた場合、どの国でも、まず戦略的に重要な場所(=日本)を取ろうとするのは当然であり、それは日本の地政学的宿命である。よって、日米安保があるから日本は戦争に巻き込まれるというのは全くの詭弁であって、たとえ日米安保がなくとも、日本は真っ先に狙われる対象だ。

■大国に挟まれて、しかも戦略的価値の高い国にとっての最善の選択は、まずは自国の力によって、そして足りない分は同盟国との共同の力で、侵略を抑止することだ。

学びのポイント

※これ以降は、どうしても私の個人的な考え方(外交や政治)が入ってきてしまいます。皆様のお考えと異なる内容を含むであろうことに、ご理解をいただければ幸いです。

現代はパックス・アメリカーナの転換期

国際平和はバランス・オブ・パワーで維持されるというのは近代の国際政治思想の一つの固定観念ですが(中略)、本当に長い平和は、パックス・ロマーナのように圧倒的な力の差があるときだけ存在するようで、戦後のパックス・アメリカーナも同じことだったと思っています。

これはつまり、同じような実力を持った国が並列するという春秋戦国の中国のような状況では、バランス・オブ・パワーは実現されるかもしれないが、長い平和にはならない。長い平和には圧倒的パワーを持った大国の存在が必要であるということを言っている。

では現代はどうか。トランプ大統領が自国第一主義を貫き始め、世界の警察の地位から明確に降りようとしている中、パクス・アメリカーナ(アメリカによる平和)は終焉を迎えようとしている。

一方で、アメリカに対抗できる勢力として、唯一、中国が台頭してきている。ウイグルにせよ香港にせよ、今のところやりたい放題だ。まだしばらくはアメリカの覇権は続くだろうが、大きな流れとして「圧倒的な力の差」はなくなってきている。

では、バランス・オブ・パワーは成り立つのか。岡崎のアプローチを実践すれば、地政学は不変であって、大きな構造としては大陸国家(ランドパワー)の中ロvs海洋国家(シーパワー)の日米ということになる。

やはり日本は、社会体制が異なりかつ大陸国家である中ロとは組めず、自由と民主主義の価値観を共有する海洋国家アメリカと組むよりほかに道はないということになるのだろう。

朝鮮半島の地政学的意義と日本の戦略

朝鮮半島は古来、中国と日本の間に存在する軍事的バッファゾーンだった。

歴史的に見ると、朝鮮民族は、唐の高句麗征伐や契丹の高麗侵攻など、漢族や北方民族による侵略を撃退している。唯一「元」は朝鮮半島南端にまで達したが、高麗はその「元」相手にもよく戦った。

もし、高麗が元に無条件に降伏していたら、日本は元寇に備える時間が短くなっていただろうし、元軍を撃退できていたかも分からない。

対外侵略の意図も能力もなく、他面、北からの脅威には敢然と抵抗する意思のある国が大陸本土と日本とのあいだに介在している──これほど日本の安全にとって有難い条件はないといえるだろう。

日本は朝鮮半島の地政学的な価値を評価すべきである。

確かに、ロシアの南下政策の結果としての日露戦争でも、東西冷戦の前哨戦でもあった朝鮮戦争でも、日本にとって朝鮮半島は、ロシア・中国という強力なランドパワーに対してのバッファゾーンとして機能した。朝鮮半島が無ければ、日露戦争にしても朝鮮戦争にしても、日本本土が戦場と化していただろう。

では現代ではどうだろうか。大陸間弾道ミサイルのようなものが開発され、北京からもモスクワからも東京が狙えるような状況で、朝鮮半島の物理的「バッファゾーン」の意義は低下しているのかもしれない。

しかし、例えば北朝鮮で何らかの政体変更があった場合、大量に発生する難民を主体的・好意的に受け入れられるのは韓国しかない。北朝鮮の防波堤という意味で、韓国の重要性は変わらない。

一方、当の韓国はどう考えているのか。正確なことは神のみぞ知るだが、文在寅のような左派は、北朝鮮を平和的に韓国に取り込んで南北統一し、核保有国として国際社会で(日本を凌駕する)地位を確立しようとしているのではないか。

文在寅大統領

文在寅大統領

※2019年8月の演説で「2045年までに南北統一を目指す」「我々が日本を乗り越え、東アジアを協力の道へと導く」と発言

その際の武器は朝鮮半島の「地理的条件」である。米中に挟まれた統一朝鮮が、独立した第三勢力として伍していくことは考えにくい。当然ながら事大主義でロシア・中国側か、アメリカ・日本側に付くことになり、統一朝鮮としてはここで握るキャスティングボートを力の源泉とするつもりなのではないか。

そうなれば、統一朝鮮は今の韓国より扱いにくく、厄介な存在になり、日本の国益は著しく損なわれる。今でも、慰安婦問題や徴用工問題、レーダー照射にGSOMIA破棄(結局撤回)と日韓関係には問題が山積みだ。

ならば、日本の長期戦略としては、南北統一を阻む工作を続けつつ、「日米豪印台」というシーパワー連合で中国と対峙し、韓国の短期的な「妄動」は無視する、というのが正しい態度ではないだろうか。

中国やロシアにとっても、朝鮮半島が統一され、今より交渉力を増すことは避けたいはずだ。ここにおいて、北朝鮮・韓国以外の全ての国の利害は「朝鮮半島は分断させておく」ことで一致する。それが国際政治のリアリズムではないだろうか。

日本の安全保障に対する基本的な考え方

いま必要なのは、日本が直面している潜在的脅威を計算して、有事の際日本に来援可能な米軍の力と、現在の日本の自衛隊の力を足してみて、足りない分を早くアメリカと協力して、相談ずくで何とかするということです。足りないものを買うのに右翼思想もなにもありません。

本書は1983年発行だが、現在でも全く色褪せない主張と言える。中国・北朝鮮の脅威が増加し、トランプ政権下で「有事の際日本に来援可能な米軍の力」に頼れない現実を直視して、日本の安全保障政策を考えていく必要がある。

岡崎は「足りない分を早くアメリカと協力して、相談ずくで」と書いている。当然、アメリカには相談しなければいけないが、日本はもっと主体的に「何が足りないか」を考え、「自らそれを補っていく」努力をしてもいいのではないか。

それで防衛費がGNPの1%を超えてしまったとしても、以下の等式が成り立っている限りは、国民の納得は得られるはずである(納得できない人は、等式の意味を理解できていない人である)

①日本を取り巻く潜在的脅威に対応するために必要な最低限の軍事力
=②日米安保条約+③現在の自衛隊+④日本が主体的に補うべき部分

①は以前より増加し、②は以前より低下しているのだから、③+④を増加させるほかに、この等式を成り立たせる方法はない。これは自明のことだ。

2014年に、それまで禁じられていた「集団的自衛権」を限定的に行使することができるという、憲法解釈を変更する閣議決定がなされたのも、当然のことである。

ちなみに筆者の岡崎久彦は、「要件を満たせば、集団的自衛権による武力行使は憲法上可能」という報告書を政府に出した「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」のメンバーだった。これが後々、政府の憲法解釈変更の根拠となる。

岡崎は日本防衛力について本書の中で「一般論として、どんなデモクラシーの社会も、いざという場合の準備というものはしているのですから、日本も民主主義国であることと背反しない有事立法をもつことは可能」と述べている。

国民には中・ロ・北の直接的脅威を示す必要あり

私が「日本人は自由と民主主義のために戦争をするか」とある社会人類学者に問うたところ「日本人は肌で感じないと分からない国民だから、自由とか民主主義とか、観念的なもののためには死にません。ただ敵が攻めてきたならば、これは大変だといって皆で国を守るでしょう」という回答だった。

ひょっとするとこのあたりが真実かもしれない、という感じを拭い切れません。

日本は外交の場面で「自由、民主主義、法の支配という価値観を共有云々」という表現を使うことがある。私は個人的に「なんだか地に足が付いていない気がする。全てヨーロッパからもたらされたものだからかなあ」などという感想を持っていたが、岡崎はこんな形で私の違和感を裏打ちしてくれた。

自由や民主主義は大切だが、いまいち腹落ちしないという感覚をお持ちの方も多いのではないか。理由は様々だろうが、少なくともヨーロッパでは市民革命により「自分たちで自由や独立や民主主義を勝ち取った」という意識がある。

【ヨーロッパにおける市民革命の例】
1640年清教徒革命(チャールズ1世の専制政治に対抗)
1688年名誉革命(カトリック信者であるジェームズ2世の追放)
1776年アメリカ独立(宗主国イギリスからの独立)
1789年フランス革命(ブルボン朝絶対王政への対抗)

一方の日本では、島原の乱や百姓一揆といったの局所的な「反乱」はあったものの、明治維新は「欧米の脅威に対抗するための武士階級による武士階級の解体」であったし、戦後の民主化はGHQによってもたらされたものだった。

日本人が自由や民主主義を「観念的」と捉えるのは、自分自身で勝ち取ったものではないからではないか。

よって、日本が安全保障のための取組みで国民の理解を得るには「自由と民主主義が脅かされるので」という観念的な説明ではなく、「中国・ロシア・北朝鮮が日本の安全にとって直接的な脅威であるため」として、領海侵犯や領土問題等の具体的事象を説明するのが良いはずだ。

ちなみにアメリカは真珠湾攻撃を「自国の自由と民主主義が侵されるもの」と捉え、世論も含めて戦争に進んでいった。一方、ベトナム戦争については、ある学者が「アメリカの国民も政府も、朝鮮戦争や第二次大戦に比べて、アメリカ自身の安全保障がかかっている戦争だという風に思わなかった」と言っている。だから上手くいかなかったと。

これが事実だとすれば、日米安保条約はなかなか危うい。アメリカ自身の安全・自由・民主主義が脅かされない限り、アメリカは動かないのではないか。折しもトランプ大統領は自国ファーストを掲げている。

日本は現在の東アジア情勢と、アメリカがどこまで頼りになるかと、自国の国力を総合的に考慮して、安全保障政策を決めていかなければいけない。

日本民族の理性軽視&情報軽視のナイーブさ

日本軍国主義の最盛期、満州と朝鮮の資源を押さえたうえでも、日本はロシアまたはアメリカ一国と一対一の勝負で勝つ力はなかった。

日本は、ヨーロッパにおける戦争とロシアの革命とアメリカの孤立主義でできた極東の力の空白の中で、勝手なことをしていただけなのだ。

歴史を紐解くと、日本人というのは大局を見抜く力と情報戦に弱いと言わざるを得ない。

日清・日露では資金調達や情報収集、戦力比較等、理性的かつ論理的に戦争準備を進められた日本人が、なぜ大東亜戦争では、やれ「大東亜共栄圏」だの「八紘一宇」だの「五族協和」だのと理想や理念を優先させて戦争に入っていってしまったのかなぜ、事前のシミュレーションでは敗戦必須と分かっていながら、開戦に踏み切ったのか(これは「昭和16年夏の敗戦」に詳しい)。

当然ながら、「統帥権」という明治憲法の制度欠陥であったり、幼い愛国主義で開戦を支持した国民(と、国民を啓蒙できなかった指導者層)といった要素はあったし、言い訳はできる。しかしながら改めて、私達日本人は、国際政治の前では「ナイーブ」になり得る集団であることを、再認識しておきたいところである。

日露戦争以降、海洋国家(日米)vs大陸国家(中ソ)という日本の地政学的立ち位置を理解せず、
①中国大陸に進出し、大陸国家を目指し、
②同じ海洋国家であるアメリカに戦争を挑んでしまった
この2点だけでも、日本が「ナイーブ」であったことを証明するのに十分なのではなかろうか。

情報を共有化することの重要性

一方、大東亜戦争の敗因を、日本の国力を過信した「明治の第二世代」のせいだけにすべきではない。

まず明治の第二世代は、日本の帝国主義的な発展を所与(当たり前の前提)としていた。加えて、例えば日露戦争を国民の反対を押し切って妥協で終了させねばならなかったような情勢判断は、政府中枢のごく少数だけが知っていて、政府と軍の幹部の大多数も知らされず、指導者層にも「戦略的白痴」の状態があった

情報が正しく共有されていなかったということで、これでは日本の国力を過信してもおかしくない。(要約)

日露戦争については、「賠償金が取れなかった」と言って、暴徒化した市民が「日比谷焼き討ち事件」を起こした。日本がギリギリのところで講話に持ち込んだという国内情勢は、ロシアに漏れると講和が不利になることから、日本政府は機密扱いにしていたのである。

日比谷焼き討ち事件

1905年日比谷焼き討ち事件

※日比谷焼き打ち事件を伝える「東京騒擾画報」から、夜に群衆が路面電車を焼く絵=東京都立図書館所蔵

「無知」というのは怖いものである。政府中枢と一般官僚、政府と国民、会社と社員、上司と部下など、情報に非対称があると、情報の少ない側は、情報の多い側の意思決定に対して「何故そうなるのか」と不信感を持つ。これはどのような組織でもあり得ることだ。

情報を正確に周囲と共有する、ということは、政治でもビジネスでも、理解者・協力者を増やし、敵を減らすという効果がある。一般的に欧米は情報に対してオープンでありフェア、日本は「一部の人間が知っていればいい。他に知れると面倒だ」というメンタリティがあるように思う。

日本人の情報軽視癖は現代も続く

日本の戦略思想の中に存在する伝統的な任務と作戦重視、情報と戦略軽視というものは、島国日本の歴史始まって以来の問題である。そして、その根は深い。

要は、日本の情報戦略は、今までやってきたことの手直しだけでなく、抜本的な改善が必要だ。

また、情報の運用の観点からも、大局的な情勢判断や大戦略は本来軍事専門家がするべきでなく、自衛隊外に、国際情勢全般の判断と国家戦略とを綜合的に考えることができるような機構か既存制度の運用が必要だろう。

これが書かれたのは繰り返しになるが1983年である。岡崎の言う「国際情勢全般の判断と国家戦略とを綜合的に考える」ための機関である国家安全保障局(National Security SecretariatNSS)が発足したのは、それから約30年後の2014年であった。

NSSを支える実務部隊である国家安全保障局の初代局長には、谷内正太郎元外務次官が就任。この任には外務官僚が最適任であるはずだが、2019年9月に局長が北村滋元内閣情報官(警察官僚)に交代となった。

刻一刻と変化する国際環境に対し、外交的・軍事的にどう対応するかという組織の長に警察官僚を据えるというのは、直感的には理解しがたい。軍隊と警察は明確に異なる。

一国民としては「大丈夫なのか?」と思うところではあるが、恐らく、

1.北村氏の基礎能力は極めて高く、外事系の職歴も長いため、大局観も備えている
2.北村氏は第一次安倍内閣で総理秘書官を務めており、安倍総理の覚えがめでたい
3.元内閣情報官で、内外の情報に精通している

といったところなのだろう。

そもそも内閣情報官が長を務める「内閣情報調査室(いわゆる内調)」は、内閣衛星情報センターなどを抱える「日本のCIA」とも言われる組織であるが、その構成員は警察庁からの出向者が大半を占めている。

日本の官僚が優秀なのは認めるものの、情報を扱う組織なのであれば、プロパーを採用し、時間をかけて特殊な能力を身に着けさせる必要があるのではないか。情報収集と一口に言っても、公開情報の収集、衛星などの画像分析、人的情報、通信情報など、多岐にわたり、専門性は高い。日本人の情報軽視癖は、一体いつまで続くのか。

ちなみにNSSの創設が提唱されたのは第一次安倍内閣時代の2006年。検討の実務を担っていた「国家安全保障に関する官邸機能強化会議」には、柳井俊一元外務次官や佐藤謙元防衛次官に並び、著者の岡崎久彦も参加している。

人事部長のつぶやき

中国という国の奥深さ

中国は攻撃力はないかもしれないが、完全な防御力と内需で成り立つ経済力を持っている。力で脅しても、経済で脅しても、中国に言うことをきかせる決め手はない。つまり中国は完全に自主独立の国で、自分の国益にだけしたがって行動する自由をもっているということだ。

これは1983年当時の記述。2020年時点では、既に中国は攻撃力も持っており、中国を軍事力や経済力で封じ込んでいくことは事実上不可能となっている。

改めて「中国は完全に自主独立の国」という認識は改めて持つべきで、いくら「米中貿易戦争」が激しくなったところで、中国は(羨ましいけど)内需でそれなりに食っていける国なのである。

そこが日本と決定的に異なる点だ。日本は原材料から市場まで海外に頼っている。日本はシーレーンをどう守るか、基本的価値観を共有できる国々といかに協調できるかを考えていかなければならず、中国と同じ土俵で戦おうとしてはいけないということになる。では具体的に、日本はどのような道を取るべきか。

目下、中国は「一帯一路」政策を通じて、大陸国家と海洋国家の二兎を追う作戦を展開中である。

中国の一帯一路政策

中国の一帯一路政策

中国を取り巻く国々を仔細に見ていくと、インドをインド洋・ベンガル湾・ヒマラヤ山脈に囲まれた「島」と考えれば、

海洋国家 アメリカ・日本・台湾・インド・オーストラリア・ニュージーランド
VS
大陸国家 中国・ロシア・朝鮮半島

という大きな構図が見えてくる。たまたまなのか、構造的なのかはよく分からないが、海洋国家=民主主義国家大陸国家=共産主義国家、という構図ともきっちり重なる(韓国は民主主義国家だが、2020年時点では中国・北朝鮮に近づこうとしている)。

日本の基本戦略としては、中国を海洋国家(シーパワー)にしないために、アメリカや台湾などと協調していく他、ないのであろう。まず太平洋を中国の海にしない、そしてインド洋も中国の海にしない、ということだ。

高校時代に読まれていたそうです

本書は「今でしょ!」で一世を風靡した林修先生が「30~40回は読んだ」と言っている名著。1983年発刊だが、今読んでも殆ど色褪せていない。
“いつやるか?今でしょ!”の林修先生が伝授! 「仕事で成果を上げる思考法」

林先生記事

人事部長

高校生の時に読んでいた、というのはさすが林先生!

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