【人事部長の教養100冊】
「古事記」太安万侶編纂

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古事記(表紙)

「古事記」太安万侶編纂

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基本情報

初版   712年
出版社  角川ソフィア文庫、岩波文庫等
難易度  ★★★☆☆
オススメ度★★★★☆
ページ数 300ページ
所要時間 3時間30分

どんな本?

日本最古の歴史書。天武天皇の命でひえだのが口述し、元明天皇の命でおおのやすが編纂したとされる。720年に編纂された「日本書紀」とともに、神代から飛鳥時代までの神話と歴史を叙述する。

虚構と史実が入り乱れているが、神道や天皇制等、その後の日本の社会や文化に与えた影響は計り知れない。

本書が伝えたいこと

壬申の乱で天武天皇勝利 支配の正統性 神武天皇は天と地、海と山のあらゆる力を受け継いでいる

超要約

宇宙の混沌から多くの神が現れて世界を整え、その後、男神イザナキと女神イザナミが日本列島を創った。イザナキが亡くなると太陽の神アマテラスが生まれて地上を照らし、その弟スサノオがヤマタノオロチを退治して農耕を開始する。

アマテラスの孫ニニギは天界から高千穂に下り、その曾孫の神武天皇は大和へ進軍して政治的な支配を始める。その後、歴代天皇は優れた政治を行った。壬申の乱で一時的に国は乱れだが、天武天皇が卓越した手腕でこれを収める。国の基礎である歴史が確立していないことを憂慮した天武天皇は、本書「古事記」の編纂を命じた。

著者(編集者・口述者)

■太安万侶(おおのやすまろ) 生年不明-723年

太安万侶

飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。元明天皇の命により、稗田阿礼の口述を筆録し「古事記」を編纂。中級役人であったが、古事記の編纂でその名を歴史に残した。

■稗田阿礼(ひえだのあれ)生没年不明

「古事記」の序文によれば、天武天皇に仕えていたところ、記憶力の良さを見込まれて歴史の口述を命ぜられたと記録されている。しかし、それ以外の点は不明なため、実在を疑問視する説もある。

こんな人にオススメ

書評

要約・あらすじ

<高天の原、中原、黄泉の国の図>

1.日本列島と日本人の誕生

■宇宙の混沌から天と地が初めて分かれた時、多くの神が現れた。それらの神々は男神イザナキと女神イザナミに「あめ沼矛ぬぼこ」を授け、国土を形成するように命じた。そこで両神は沼矛で地をかき回し、淡路島・四国・隠岐・九州・壱岐・対馬・佐渡・本州を次々と生んだ。

■しかし、イザナミは火神を生んだことで亡くなってしまう。イザナキは黄泉の国まで迎えに行くが、イザナミは「黄泉の国の神と相談するから、それまで私の姿を見てはいけない」と諭す。しかし待ちきれないイザナキはイザナミが腐乱死体になっている姿を見てしまう。

■地上と黄泉の国の境界で二人は対峙し、こう言い合う。イザナミ「私はあなたの国の人間を一日1000人殺そう」。イザナキ「それならば、私は一日1500人生もう」。

※こうして日本の国土と日本人が誕生した

2.太陽の誕生

■黄泉の国から帰ったイザナキが穢れを清めたところ、日神アマテラス、月神ツクヨミ、そしてスサノオが生まれたので、日の国(天上界)をアマテラスに、夜の国(天上界)をツクヨミに、海の国(地上界)をスサノオに治めるように命じた。※後にアマテラスは地の国(地上界)を自分の支配下に置く

■しかしスサノオは「母のいる黄泉の国に行きたい」と駄々をこね、泣きわめくので、あらゆる災いが世界を覆った。そこで、怒ったイザナキはスサノオを天上界から追放することにした。

■スサノオは姉のアマテラスに相談するが、スサノオが数々の蛮行を働くので、アマテラスは天の岩戸あめのいわと(洞窟)に籠ってしまった。天上界(高天の原たかまがはら)も地上界(葦原の中つ国あしはらのなかつくに)も真っ暗になってしまったため、神々は次のようなものを用意した。

・常世の国の長鳴鳥(悪霊を追い払う)
八咫鏡やたのかがみ(映る者の魂を呼び込む)※いわゆる三種の神器の一つ
八尺瓊勾玉やさかにのまがたま(日神を誘い出す)

■そして芸能の女神が洞窟の前で逆さにした桶を叩き、乳房を出し、腰巻の紐を陰部まで下げて踊ったところ、神々が爆笑した。気になったアマテラスが洞窟から少し顔を出したので、鏡を見せて関心を引き、最後には洞窟から引きずり出すことに成功した。

※こうして日本に太陽がもたらされた

3.農耕の開始(ヤマタノオロチ退治)

■スサノオは天上界を追われて地上界に下ると、食物をオホゲツ姫に求めた。しかし、数々の御馳走を鼻や口や尻から出すのを見たスサノオは、怒ってオホゲツ姫を殺してしまう。その頭からは蚕が、目から稲が、耳から粟が、鼻から小豆あずきが、股から麦が、尻から豆ができ、別の神がそれらを種にした。

■その後、スサノオは出雲の国の肥の河に降り立つと、泣き悲しむ老夫婦に出会う。事情を聴くと、娘をヤマタノオロチの生贄に出すとのことだったので、スサノオはオロチ退治の見返りに、娘クシナダヒメとの結婚を要求し、快諾される。

■スサノオはクシナダヒメに酒を造らせ、8つの器にそれを満たすよう命じた。酒好きのオロチは8つの頭を8つの器に突っ込むと、酔っぱらって寝てしまう。そこでスサノオはオロチを切り裂いた。その時、オロチから出てきた太刀が草薙剣くさなぎのつるぎ(三種の神器の一種)であった。

※オロチは氾濫する肥の河の比喩とされている。ここに穀物の種と治水が揃い、農耕がもたらされた

4.国譲り(天皇統治の開始①)

■スサノオの7代目子孫のオオクニヌシは、因幡で皮の禿げたウサギと出会う。「隠岐から本州に渡りたくて、鰐鮫を一列に並べてその上を歩いてきたが、利用されたことに気付いた鰐鮫に皮を食いちぎられた」とのことだった。オオクニヌシは真水で傷跡を洗い、蒲の花粉を塗れば治ると助言してやった。

(オオクニヌシに医学に心得、すなわち為政者としての能力があったことがここで語られている)

■オオクニヌシは兄弟から嫉妬され迫害を受けたため、スサノオが治める地底の国(根の堅洲国)に逃げた。そこでスサノオの娘スセリビメと恋に落ちて結婚し、スサノオから出雲の神を任される。

■しかし、出雲の支配権はスサノオが勝手に与えただけであるため、アマテラスは雷神・剣神のタケミカヅチを送り込んでオオクニヌシを軍事的に屈服させた。オオクニヌシは出雲を譲る代わりに、出雲に大神殿を作るように要求した。

※このように、天上界のアマテラスが地上の統治も始めることとなった

5.天孫降臨(天皇統治の開始②)

■アマテラスの孫ニニギは、後に朝廷の軍事を司ることになる役職の祖先、そして後に天皇の親衛隊となる役職の祖先となる神とともに、三種の神器を伴って、高千穂の霊峰に降り立った。

■ニニギには、山神から醜女イワナガヒメと美女コノハナノサクヤビメの姉妹が結婚相手として差し出されたが、ニニギは美女の妹にしか関心を示さなかった。姉は岩のような永遠不滅を、妹は花が咲くような子孫繁栄を願ったものであったため、以来、天皇は通常以上に長生きは出来なくなった。

■コノハナノサクヤビメは兄弟を生み、兄の海幸彦は漁猟を、弟の山幸彦は狩猟を司った。ある時、兄弟は互いの釣り針と弓矢を交換するが、山幸彦は兄の釣り針を無くしてしまう。困った山幸彦は潮の神に導かれ、海神ワタツミの宮殿に案内される。

■山幸彦は宮殿で、海神ワタツミの娘であるトヨタマビメと結婚する。3年ほどが経った頃、ワタツミは全ての魚類を招集し、釣り針を飲み込んだ鯛を割り出した。そして山幸彦に海幸彦を懲らしめる方法を伝授し、ついに山幸彦は海幸彦を従えた。

■その後、トヨタマビメは山幸彦の子を産み、そのさらに末っ子(つまり山幸彦の孫)が、後の神武天皇となる。

※結果的に、天皇家に山神と海神が組み込まれることとなった

6.神武東征

■神武天皇は兄イツセとともに、東方へ向かうことを決意した。日向を出て筑紫、安芸、吉備と進むが、大阪の白肩の津ではナガスネビコの激しい攻撃に遭い、兄イツセが戦死する。

古代日本の歴史を謎解き
https://blog.goo.ne.jp/ikejun_2007/e/ad94a0c31a0d3f2abd58244e1be8a1eb

■紀の国の南端から熊野に入ると、道が険しく、厳しい行軍になったが、天上界から八咫烏やたがらすが派遣されて道案内をしてくれたので、無事に大和の国に入ることが出来た。

■最後に、神武天皇の親衛隊であるクメベが、兄の宿敵ナガスネビコを討ち、ここに神武東征が完了する。

※天皇家が日本を統治することになった

7.ヤマトタケルの西征・東征

■景行天皇は妃候補に求婚するため、自分の子であるオオウスを使者として派遣したが、オオウスは妃候補を略奪してしまう。オオウスが顔を見せなくなったので、天皇はその弟のオウス(後のヤマトタケル)に「兄を諭すように」命ずる。しかし、ヤマトタケルは父の感情を慮り、オウスを殺してしまう。

■天皇はヤマトタケルの凶暴さに恐怖心を抱き、九州のクマソ討伐を命じて朝廷からタケルを遠ざけようとした。タケルは西征完遂を祈願し、伊勢に寄って斎宮の叔母から女装用の衣装と剣を受け取った。

学びのポイント

旧約聖書「創世記」との違い

大陸の玄関口出雲、海の玄関口東京

三種の神器

日本最初の和歌

八雲立つ 出雲八重垣 妻みに 八重垣作る その八重垣を

出雲の国を幾重にも取り巻いている雲のように、愛する妻を住まわせる家の周りにも、幾重にも囲いを作ろう。ああ、八重垣よ。

これは、暴れ者のスサノオがヤマタノオロチを退治し、生贄になるはずだったクシナダヒメを妻にしたときの喜びを詠んだ歌である。

この歌で言いたいことは「新居に幾重にも囲いを作るよ」ということだけであり、八重垣が3回も繰り返されるあたりは、野暮ったいと言えば野暮ったい。しかし、これが日本最初の和歌なのである。

古今和歌集の仮名序(古今和歌集のに添えられた2つの序文のうち、仮名で書かれている方の名称)で、紀貫之はこの歌についてこんなことを書いている。

紀貫之
紀貫之

この歌は、天地の開闢の時から出て来た。しかしながら、世に伝わっている上からいうと、 天 にあっては下照姫の歌から創まり、 地にあってはスサノオの歌から起ったのである。

神世には、歌の字数さえも定まってはいず、心のおもむくままをつくろわずいったもので、そのいっている事の意味は解しがたいものであったらしい。人の世と移って、スサノオから初めて三十一字の歌は詠むようになった。

古今和歌集仮名序

スサノオが和歌の元祖というのは、あまり世の中に知られていない事実ではないだろうか。なお、天の「下照姫」の歌は古事記には無く、日本書紀に2首、掲載されている。

人事部長のつぶやき

教科書に出てこない古事記

イザナキがイザナミに「あなたの体はどんなふうにできていますか」と尋ねた。イザナミは「 私の体は完成しましたが、 塞がらない裂け目が一か所あります」と答えた。

するとイザナキが「私の体も完成したが、よけいな突起が一か所ある。だから、私の体の突起 したものを、あなたの体の裂け目に差し入れて塞ぎ、国生みをしようと思う。国を作りたいがどうだろうか」と誘うと、イザナミは「それはいいですわね」と 賛成した。

古事記の冒頭に出てくる有名な「国生み」のワンシーンである。小学生が読んでも、何のことを言っているのかストレートに分かる。

しかも国を生む時には「天の沼矛を地上に挿してかき回し、引き上げるときに矛の先から滴る潮が固まっ」たそうである。さすがにここまでストレートに性交について書いてあるので、このエピソードは教科書には出てこない。性に関しては昔からおおらかだったということだろうか。

初めて見た時にはびっくりしますね

出雲の巨大神殿

この葦原の中心の国は、仰せの通り献上致しましよう。

ただわたくしの住まいを、天の御子の帝位にお登りになる壯大な御殿のとおりに、大磐石に柱を太く立て、大空に棟木を高くあげてお作り下さるならば、わたくしは所々の隅に隱れておりましよう。

これはアマテラスに出雲の国を譲った際のオオクニヌシの言葉である。出雲を譲る代わりに、柱を太く立てて、天にも届く神殿を作ってほしいと願い出ている。

出雲大社では古来「本殿が大昔、今の2倍の高さの16丈(48m)あった」という言い伝えがあった。これを模型化したものが、古代出雲博物館にある以下の神殿である。

出雲大社模型
平安時代の出雲大社本殿模型
古代出雲博物館

神殿の実在性は疑問視されていたが、2000年4月5日、発掘調査中の出雲大社の境内で、本殿を支えた巨大な支柱が出土した(以下の写真)。現在のものと比べると、直径は3倍近くになる。巨大なしhン電は実際にあったのかもしれない。

出土品(柱根)
出土品(柱根)

オオクニヌシの願いは、聞き入れられたのかもしれませんね

現代ならクズ男

ある日、サクヤビメがニニギに「私のお腹にはあなたの子がいます。(中略)」と、妊娠の事実を告げた。

ところが、これを聞いたニニギは「サクヤビメよ。たった一夜の交わりで子ができたというのか。これは私の子ではあるまい。きっと国つ神の子に違いない」と否定した。 

ニニギは神様なので許されるかもしれないが、現代なら炎上間違いなし。さすがに交わりを持っておいて「自分の子ではない」と責任逃れをするのは、古代でも現代でもあり得ない。

しかしさすが古事記の世界。サクヤビメ側が「じゃあ、実際に産んでみよう」と言って、なぜか炎の中で出産する。国生みでの性交描写といい、ワンナイトで出来た子を「俺の子じゃねえ」と言い張る場面といい、旧約聖書のような形而上学的な議論や教訓は一切なく、ただただ人間臭いドラマが展開される。日本人はこういうものが好きなのかもしれない。

古典のベストセラーである源氏物語や伊勢物語は、男女関係を主軸にしていますね

JFAの八咫烏やたがらす

天神の御子よ。これ以上、奥に入ってはなりません。邪神どもがたくさんおります。今、天上界から八咫烏を遣わします。その八咫烏が道案内をしますので、飛んでいく後ろについて進みなさい。

これは神武東征の一場面。道が険しい熊野で行軍する一行に対して、天上界から道案内役として八咫烏が派遣される。そのおかげで、神武天皇は無事に熊野国から大和国に辿り着く。

八咫烏といえば、JFA(日本サッカー協会)のエンブレムとして知られているだろう。3本足のカラスとして描かれているが、それは中国・朝鮮の伝説の影響を受けており、古事記にはそのような記述はない。

なお、JFAが八咫烏をエンブレムに採用した理由は、①日本にサッカーを広めた中村覚之助が若山出身だった、②神武天皇が大和の国に導かれたように、ボールがよくゴールに導かれるように、などがあるようだ。

身近なところに古事記のエピソードが隠れていますね