【人事部長の教養100冊】
「ユダヤ人の歴史」
R・シェインドリン

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ユダヤ人の歴史(表紙)

「ユダヤ人の歴史」
レイモンド・シェインドリン

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基本情報

初版   2003年
出版社  中央公論新社
難易度  ★★★★☆
オススメ度★★★★☆
ページ数 310ページ
所要時間 3時間30分

どんな本?

紀元前6世紀にユダ王国を滅ぼされて以降、国家というものを持たず、ユダヤ教のみでアイデンティティを繋ぎ、現代でも大きな影響力を持っているユダヤ人の歴史を概観する。

全人口のわずか0.2%程度のユダヤ人が、世界で大きな影響力を保持しているのか。現代の国際社会を理解する上でも、ユダヤ民族に対する理解は必須。世界史通史は卒業し、個別の重要テーマを通じて、現在起きていることを理解したい人に特におすすめの一冊。

著者が伝えたいこと

ユダヤ人は大きな民族の中の少数派以上の立場を持たなかったため、その歴史を詳述するのは困難である。しかし、ユダヤ人の永続性やその多様性は注目に値する。

約2500年前に祖国を失ったユダヤ人は、中東・ヨーロッパ・北アフリカ、そして近代ではアメリカ大陸に離散し、概ね差別・迫害されていたが、その人的ネットワークや知的資源、金融資産等をもとに、大きな影響力を行使したケースもある。

私(=著者)はユダヤ人であるが、自分達が種々の伝統を維持しながらも、それぞれの国家や文化に適応しつつ、しかも互いに影響しあってきたことに関心を持っている。歴史を学ぶものは、より広い視野を手に入れるために、様々なテーマに関心を持つべきだ。

著者

レイモンド・シェインドリン
Raymond Scheindlin
1940-

RaymondScheindlin

アメリカフィラデルフィア生まれのユダヤ人。ペンシルバニア大学で東洋学を、コロンビア大学でアラビア文学を修める。アメリカ・ユダヤ神学校教授。

こんな人におすすめ

世界史通史は卒業し、個別の重要テーマを通じて、現在起きていることを理解したい人。全人口のわずか0.2%程度のユダヤ人が、世界で大きな影響力を保持している秘密に迫りたい人。

※やや冗長に歴史が語られる場面もあるので、第1~2章でユダヤ人の起源を押さえた後は、第7章の16世紀ヨーロッパ以降の動きを読むだけでも十分!

レイモンド・シェインドリン
(河出文庫)

※少数民族ながら世界に圧倒的影響力を持つユダヤ人の秘密に迫る!

ユダヤ民族について知っておくべきこと

①歴史の古さ

ユダヤ人(イスラエル人)は紀元前13世紀のエジプトの碑文に既に登場している。神話と史実の境目は不確かではあるが、「旧約聖書」には民族の歴史が詳細に記されており、その成立は紀元前5世紀から紀元前4世紀とされている。日本の「古事記」「日本書紀」の成立が紀元後8世紀初頭であることと比較すると圧倒的に古い。

②民族としてのアイデンティティ

紀元前6世紀に国を失ってからも、ユダヤ人が周囲の民族と同化せず、2600年後の現代でも独自性を保っているのは何故か。それはユダヤ教(他の神を認めない絶対的一神教、自分たちは選ばれた民であるという選民思想、生活と行動原理を事細かく規定したトーラーの存在)があるからに他ならない。

③ユダヤ民族をめぐる主要な出来事

■出エジプト(時期不詳)

旧約聖書の二番目の書「出エジプト記」に記載があるユダヤ民族苦難の経験。

パレスチナで牧畜に従事していたユダヤ人は、飢饉に遭遇し、豊かなエジプトに移動して、農耕生活を営むようになった。しかし、新たなエジプトの王(ファラオ)はユダヤ人の豊かな生活をねたみ、奴隷として都の造営などに使役することになった。

ファラオはユダヤ人の反発を恐れ、男の子を皆殺しにすることを命じたが、一人の男の子だけは葦船に乗せられて助けられた。その子が成長してモーセとなる。

モーセに率いられたユダヤ人はエジプトから脱出したが紅海を前に追いつめられる。モーセがヤハウェ神に祈ると、紅海がまっぷたつに割れて道が出来、イスラエル人は逃れることができた。エジプト兵があとを追ってその道に踏み込むと、海はもとどおりになって溺れ死んでしまった。

エジプトを逃れたモーセには、シナイ半島のシナイ山で神から十戒が授けられることになる。

出エジプト
出エジプト(赤字がユダヤ人の移動ルート)

■ダビデとゴリアテ(時期不詳)

新約聖書「サムエル記」に書かれている戦勝記録。

紀元前1000年頃、パレスチナの地ではユダヤ人と、地中海からやってきた海洋民族「ペリシテ人」が争っていた。ペリシテ陣営からゴリアテという巨漢の戦士が現れると、ユダヤ人は恐れをなして誰も戦いを挑もうとせず、一方的にやられていた。

そこでユダヤ人羊飼いのダビデ(後のイスラエル王国の二代目統治者)が戦いを申し出て、投石器と石でゴリアテをやっつけてしまった

ダビデ像(ミケランジェロ)

ちなみにこの「ダビデ」は、あのミケランジェロの作品「ダビデ像」のモデルである。確かに手に石を持っている。

■バビロン捕囚(紀元前6世紀)

紀元前587年、新バビロニアの王ネブカドネザル2世はユダ王国を亡ぼすが、その前後にユダ王国のユダヤ人たちを、バビロンを初めとしたバビロニア地方へ捕虜として連行した。これを「バビロン捕囚」という。

新バビロニアとバビロン
新バビロニアとバビロン

これ以降、ユダヤ人は祖国を失うこととなり、再びユダヤ人が国を持つのは約2500年後(気の遠くなるような年月!)のイスラエル建国を待たねばならない。

なお、紀元前539年、新バビロニアがアケメネス朝ペルシャ初代の王キュロス2世によって滅ぼされると、ユダヤ人はパレスチナに戻ってエルサレムで神殿を建て直すことを許される。

ちなみに「教皇のバビロン捕囚」と呼ばれる事件もある。14世紀フランスのフィリップ4世はイギリスとの戦費捻出のため、教会財産への課税に踏み切ったが、ローマ教皇ボニファティウス8世は直ちにこれに反対。

するとフィリップ4世はボニファティウス8世をアナーニに軟禁してしまう。この後。ボニファティウス8世は憤りのあまり死亡する(これを『憤死』と呼ぶ。(少なくとも私にとっては)このアナーニ事件でしか目にしない言葉である)。

次の教皇はフランスボルドー出身だったため、1309年、フィリップ4世は教皇庁をアヴィニョンに移してしまう。これが終了する1377年までの68年間を「教皇のバビロン捕囚」という。

■キリストの処刑

※意外に知られていないことが多いので、半分雑学として列記します

・時期は紀元後30年頃とされている。処刑のエピソードは新約聖書に記載がある。

・処刑場所はエルサレムにあるゴルゴダの丘。ゴルゴ13のネーミングはこれが由来(主人公デューク東郷の異様な雰囲気がゴルゴダの丘を連想させるということから)

・当時のエルサレムはローマ帝国が支配するユダヤ属州に属した。ローマから派遣されていた総督はピラト。彼がキリストの処刑を命ずる(ただし、ピラトは「十字架につけろ」と叫ぶ人々に対し「わたしはこの男に何の罪を見いだせない」と語ったとされている(ヨハネによる福音書))

キリスト自身はユダヤ人。戒律の厳しいユダヤ教を批判したため、ユダヤ人の指導者たちによって、ローマ帝国へ反逆者として告発されてしまった。

最後の晩餐(ダ・ヴィンチ)

・キリストが処刑前夜に12人の弟子と食事をしたシーンを描いたのが、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」。ここでキリストは「弟子の中の一人が私を裏切る」と予言する。

ユダの接吻(ジョット)

・その裏切者の名前は「ユダ」。反キリスト派にもちかけ、銀貨30枚でキリストを引き渡す約束をする。その時の合図として「私が接吻するのがその人だ。それを捕えろ」と伝えていた。このシーンを描いたのが、かの有名なジョットの「ユダの接吻」。

・最後の晩餐の参加者がキリストを入れて13名だったため、キリスト教圏において13は不吉な数とされている。

・キリスト処刑のシーンを描いた絵画は数多いが、16~17世紀に活躍したフランドルの画家ルーベンスの三連作が有名(上からキリストの「昇架」「磔刑」「降架」)

キリストの昇架
キリストの磔刑
キリストの降架

・アニメ「フランダースの犬」の主人公ネロは、アントワープ大聖堂にあるこの絵(降架)の前で、愛犬パトラッシュとともに亡くなる。

・「磔刑」でキリストのわき腹に刺さっている槍は「ロンギヌスの槍」。ロンギヌスというローマ兵が、キリストの生死を確認するためにわき腹を刺したとされる。「新世紀エヴァンゲリオン」では、人智を超越する存在の使徒を殺められる武器として同名の武器が登場する。

要約・あらすじ

■ユダヤ人(イスラエル人)は紀元前1000年頃には、カナン(地中海東岸地域一帯)に王国を築いていた。

■周辺の民族と争いながら、自分たちの信じる神以外は認めないという排他性の強い「一神教」と、自分たちの行動を規制する「律法」を形成していった。この後、民族としてのアイデンティティはこれらを総合した「ユダヤ教」で維持されることになる。

■イスラエルはダビデ王とその子ソロモン王のもとで繁栄するが、王国は北のイスラエル王国、南のユダ王国に分裂。イスラエル王国は紀元前721年にアッシリアに、ユダ王国は紀元前586年に新バビロニアに滅ぼされる。この時、新バビロニアのネブカドネザル2世が大勢のユダヤ人をバビロンに強制移住させたことを「バビロン捕囚」という。

■その後、ユダヤ人はローマの傘下に入る。紀元前4年、ユダヤ人達は、既存のユダヤ教を批判した同じユダヤ人イエス・キリストをローマに依頼して処刑した。

■紀元後66年、ローマ統治に反対するユダヤ人が反乱を起こすも、73年には完全に鎮圧された。紀元後132年には最後の大規模反乱を起こすが、ローマはまたも鎮圧。今回は容赦なく、ユダヤ領内のユダヤ人を完全に追放、律法を公の場で教えることを禁止、割礼(陰茎の包皮を切りとる風習)も禁止された。

■徹底的に弾圧されたユダヤ人ではあったが、その後、ローマ帝国やササン朝ペルシャといった大帝国の中の少数民族としての地位を確立していく。7世紀以降、中東から北アフリカ、イベリア半島を支配することになるイスラム教徒は、ユダヤ教・キリスト教に対して、神の啓示を受けた聖典を持つ同じ一神教の仲間として敬意を払った。

とはいえ、ユダヤ教徒はイスラム教徒より劣後におかれ、教会やシナゴーグの建設禁止、武器の携帯禁止など、様々な制約を受けることになる。

1096年から始まる十字軍は、キリスト教徒vsイスラム教徒という側面が強いが、キリスト教徒の攻撃対象はユダヤ教徒にも向かい、例えばライン地方に住むユダヤ人は大量虐殺され、強制的に改宗させられた。

そもそもキリストを死に追いやったのはユダヤ人であるという信念に加え、奇妙な宗教儀式やヘブライ語で祈るユダヤ人の姿は、悪魔の手先として映った。ユダヤ人の差別・迫害はその後も続くことになる。

■一方、1453年にビザンツ帝国を滅ぼしたオスマントルコはユダヤ教徒に比較的寛容な政策をとる。オスマン帝国にとってユダヤ人は、

・地中海世界に広範囲にネットワークを持っている

・オスマン帝国の利益を危うくするほどの勢力ではない

・オスマン帝国の当面の敵であるキリスト教国にひどい仕打ちを受けており、寝返る心配がない

といったことから、有益な存在だった。しかしオスマン帝国の没落とともに、ユダヤ人の繁栄も陰りを見せ始める。

■1618年から始まる三十年戦争では、ヨーロッパのユダヤ人が存在感を見せる。この戦争で皇帝や貴族は多額の戦費を必要としたが、それに応じたのがユダヤ人だったのである。ユダヤ人は借金減額の見返りとして、居住や商売の許可を得てその地位を向上させることになる。

■19世紀になると、商売で成功したり社会的な地位を得るユダヤ人も多くなり、自分たちの手の届くところになった職業や進路に進むため、自らユダヤ人社会の統制から去る者も増えた。

これに対しユダヤ教の指導者たちは、儀式や宗教的行為を最小限に絞ったり、説教に(ヘブライ語ではなく)ドイツ語を取り入れたりと宗教改革に着手する。これはユダヤ人の中に「正統派」と「改革派」を生むことに繋がる。

また、アメリカでは、先に移住していたドイツ系ユダヤ人と、後から移住した東ヨーロッパ系ユダヤ人の間で一定の対立があった。そうは言ってもユダヤ人同士、同族感情から、決定的な対立に至ることはなかった。

1930年代にはナチスドイツが登場し、ユダヤ人は徹底的に迫害・弾圧される。当時のドイツは第一次大戦に起因する莫大な賠償金支払いに苦しみ、かつ世界大恐慌の影響で経済も立ち行かず、民族主義的な極右がプロパガンダで政権を勝ち取っていた。

(ナチスによるホロコーストの悲劇は、自らもアウシュビッツに収容されたユダヤ人精神科医V.フランクル著「夜と霧」に詳しい)

■1897年のシオニスト会議を皮切りに、パレスチナの地にユダヤ人国家を建設する運動が高まりを見せる。第二次大戦後、国連は1947年にパレスチナの地をユダヤ人とアラブ人に分割する案を採択し、1948年にユダヤ人はイスラエルの建国を宣言する。

同時にこれまで書き言葉としてのみ存在していたヘブライ語を復活させ、公用語とした。2000年以上にわたり世界に離散していた民族が国家を樹立したこと、また、一度日常語として使われなくなった古代語が再び復活して実際に話されるようになったことは、歴史上この例だけである。

なお、アラブ諸国はイスラエルの建国を認めず、その後、数回にわたる中東戦争に繋がることになる。

学びのポイント

ユダヤ人と日本人

ユダヤ教が採用する「一神教」は、発足当時は珍しかった。

彼らはヤハウェを唯一の神として認め、天地の創造者、世界の支配者、全ての人の運命を司るものと考えた。


何故ユダヤ人が一神教を採用したかはよく分からない。ただし、エジプトでの圧制やペリシテ人との攻防など、旧約聖書を読む限りは多難な民族だったことが知れる。

集団の結束を高めるためには、何か絶対的なものを信じ、他の物を排他するような何かが必要だったのだろう。「今は苦しいが、いつか神が救ってくれるはず」と絶対的な存在にすがったのかもしれない。結束を強めるには、共通の目的を作るか、共通の敵を作る、というのは人類普遍の法則である。

とにもかくにも、ユダヤ教は厳格な一神教で、この流れで同じ旧約聖書を聖典の一部とするキリスト教もイスラム教も一神教となった。他の民族の神を否定する排他性が、その後の歴史に大きな影響を与えることになる。

これはつまり、「人はどんな神様を信じてもいいよね」という柔軟性が一切ないことを意味する。歴史が始まる初期の初期から、宗教対立という芽が出始めていたことが分かる。

一方、日本は古来から「八百万の神」の国、つまり万物に神は宿ると信じてきた。これは神道の起源であり、一種のアニミズムと言える。事実、神社にはさまざまな神がまつられているが、日本人はあまり意識せず、伊勢神宮でも出雲大社近所の神社でも、とりあえずお祈りする。

また、仏教も人知を超えた唯一神という考え方を取らない。僧侶には厳しい規範があるが、一般信者の行動を規定する厳しい「律法」はない。そして様々な神様や仏さまは、お互いに排他せず、共存共栄している。

これは、海に守られ、海産物や農作物にも豊かで、相互に譲り合えば争うことなく生きていけた日本ならではだろうか。あるいは、地震・津波・火山・台風と自然災害のオンパレードで、自然を畏怖する感覚を持つ日本人は、自然自体が神であって、それらを超越する存在は信じられなかったのかもしれない。

これらは仮説でしかないが、与えられた自然環境や生存環境が、諸民族の特性をある程度説明する、というのは正しいのではないか。

2000年前の敗北を忘れないユダヤ人

ローマ帝国支配下の紀元後66年、ローマ帝国に対してユダヤ人が決起し、ユダヤ戦争が勃発する。形勢はユダヤ反乱軍不利に傾き、73年についにユダヤ反乱軍は断崖絶壁のマサダ要塞に立てこもる(ちなみにマサダはヘブライ語で「要塞」の意味)。

しかし、進軍したローマ軍が見たのはもぬけの殻と化した要塞。当時は、抵抗を続ければ全員が虐殺され、降伏すれば全員が奴隷になるため、ユダヤ人達は集団で身を投げていた。

この歴史を受けて、現在のイスラエル国防軍の入隊宣誓式はマサダで行われ、「マサダは二度と陥落せず」と唱和し、民族滅亡の悲劇を再び繰り返さないことを誓う。

マサダ要塞
マサダ要塞


日本のような地理的同一性があれば、2000年経とうと「同じ場所に暮らしていた祖先」ということでアイデンティティを共有できるのは分かる。縄文時代に日本に住んでいた人間は日本人の祖先だろうな、と自然に思える。天皇陛下の存在も、民族的アイデンティティと言えるだろう。

しかし2000年以上、自国を持たなかった民族が、神への帰依と律法を軸としてアイデンティティを保ち続けている事実には、驚愕せざるを得ない。

ちなみにローマ帝国はユダヤ戦争の勝利を記念し、ローマに「ティトゥスの凱旋門」を建設。エルサレム神殿から奪った「メノーラー(旧約聖書の出エジプト記に登場する燭台。ユダヤの象徴でもある)」を彫り込んだ。

ティトゥス凱旋門(エルサレム神殿からユダヤの象徴メノーラを持ち出す)
ティトゥス凱旋門のレリーフの一部
メノーラー(燭台)
メノーラー(燭台)

ユダヤ人が迫害された理由

ローマ帝国がキリスト教を国教とすると、キリスト教は瞬く間に帝国中に広まっていった。キリスト教は「指導者による民族再生」というユダヤ教の考え方を「個人個人が救済を求める」という考え方に改めるとともに、複雑な儀式や慣例をほとんど捨て去った。

一方のユダヤ教は、以下のような理由から、為政者のみならず、周辺異教徒からも迫害の対象となった。

①ユダヤ教徒以外の神々や儀式を尊重しなかった

②自分たちの神のみを崇拝し、皇帝崇拝に抵抗した(国家に対する忠誠を疑われた)

③自分たちだけで寄り添って住み、別個の独立した共同体として振る舞った


特に②は、戦国時代にキリスト教が日本に入ってきた頃の様子と相似する(キリスト教は、ユダヤ教の「一神教」という考え方は継承した)。

一部にキリシタン大名のようなものは出現したが、統治する側から見ると、絶対的な神を信じ、かつ個人の救済を尊重するキリスト教の精神は、日本の「忠(主君への義務)」や「孝(両親への義務)」に基づく封建制度とは馴染まなかった。

歴史に「もし」はタブーだが、もし戦国時代に日本にキリスト教が広まっていたら「皇室」「教会」「世俗の大名」が三つ巴になり、日本は分裂していたかもしれない。(皇室と大名は結びついたかもしれないが)。

豊臣政権や江戸幕府がキリスト教を禁止した理由にはさまざまな説があるが、スペイン・ポルトガルの影響力を排し、独立独歩を堅持したという結果だけ見れば、正しかったといえる。

金融の世界で名を馳せるユダヤ人

1215年に開かれた「第4回ラテラノ公会議」において、キリスト教徒の間では、金銭の貸し借りに金利を取ってはならないと決まった。

これは事実上、高利貸しという忌むべき仕事をユダヤ人にやらせるのと同じ意味を持った。


高利貸しは忌むべき仕事という概念が少なくとも中世ヨーロッパにあったことが分かる。そしてイスラム教徒はそもそも利息を取ることをコーランで禁止されている。この背景を踏まえると、地中海世界において、ユダヤ人が金融業の分野で大きく蓄財していった理由がよく見えてくる。

現在、世界最大の財閥と言われるロスチャイルド家もユダヤ系であるし、明治維新の際に薩長軍、幕府軍双方に対して資金や武器を提供したのはそのロスチャイルド系であった(恐らくどちらが勝っても、その後、朝鮮半島等の海外で戦争をさせようと考えていたのだろう。ユダヤ人、恐るべし、、、)

江戸幕府vs薩長の黒幕
江戸幕府vs薩長の黒幕

ほかにも、日露戦争の時に高橋是清が外債調達で頼ったのもユダヤ系銀行であった。産業革命と資本主義の登場は、ユダヤ人の地位向上に大きな役割を果たした。

しかし、高利貸しというのは嫌われる存在である。シェークスピアの「ヴェニスの商人」に出てくるシャイロックはユダヤ人だった。

シャイロックは友人に貸す金が必要だったアントニオに「返せなかったら肉を1ポンド切り取る」という条件で金を貸す。アントニオは返済不能に陥るが、(アントニオの友人の婚約者扮する)裁判官が「肉は切り取っていいが、血を流してもよいとは契約書に書いていない」と指摘したという有名な話。

結局シャイロックは金も返してもらえず、財産も没収となり、挙句の果てにはキリスト教に改宗させられる。まさにユダヤ人、踏んだり蹴ったりである。ヨーロッパにおけるユダヤ人の位置づけを知るよい例と言える。

ユダヤ人差別は根深い

13~14世紀には、イギリス・フランスで相次いでユダヤ人の財産没収と国外追放が行われた。

フランスでは「井戸に毒を投げ込んだ」として、5,000人のユダヤ人が生きながらにして埋められたという。


ユダヤ人の虐殺というとナチスドイツが頭に浮かぶが、その歴史は古く、非常に根深い問題であることが分かる。ユダヤ教・イスラム教・キリスト教の対立は現代の国際紛争を理解するうえで欠かせない。

ちなみに、関東大震災後の日本では「朝鮮人が井戸に毒を入れた」という情報が流れ、(色々と説はあるが)朝鮮出身者が虐殺された。まさに歴史は繰り返す、という事例。

少数ながらも圧倒的な影響力

18世紀に建国されたアメリカには、多くのユダヤ人が移住した。少数派の自由を守り、保証するための戦いによって建国され、かつ個人主義の徹底したアメリカは、ユダヤ人にとっては迫害続きのヨーロッパより住みやすかったという背景がある。

ヨーロッパ大陸でシオニズム運動(パレスチナの地にユダヤ人国家を作る)が盛り上がった際も、アメリカ在住ユダヤ人は資金面での援助はしたものの、アメリカでの生活を捨ててまで、自らパレスチナに移住するということはなかった。


アメリカの人口約3億人のうち、ユダヤ人はおよそ540万人、例えばアフリカ系はおよそ4,000万人。人口比率で見ればユダヤ人は少数だが、政治や経済に与える影響力は非常に大きい。ワシントンDCにはユダヤロビーが存在し、時の政権が自分たちの気に入らない政策を取ると、献金を止めてしまう。

事実、歴代アメリカ政権は基本的に親イスラエルであったし、アメリカとイスラエルは同盟国と言ってもよい関係になっている。たとえ少数派であっても、横の繋がりと経済力をもってすれば、世界の政治経済に大きな影響を与えられる一例だろう。

イギリスの狡猾さ「三枚舌外交」

現代に続く「中東問題」は、ユダヤ人固有の問題の他に、イギリスが第一次大戦の際に展開した「三枚舌外交」にその根がある。

イギリスは連合国の一員として、ドイツ、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国と戦っており、オスマン帝国の敵対勢力であるアラブ人、連合国であるフランス、資金提供源としていたユダヤ人それぞれから協力を引出すべく、以下のような約束をしたが、結局アラブ人・ユダヤ人の期待は裏切られることになる。

その「3枚舌外交」の結実が以下の「約束」である。

①1915年 フサイン=マクマホン協定(オスマン帝国支配下におけるアラブ人居住地の独立を支持する)

 

②1916年 サイクス=ピコ協定(パレスチナはイギリスとフランスの共同統治とする)

③1917年 バルフォア宣言
(パレスチナにおけるユダヤ民族居住地の建設に賛同する)

サイクス=ピコ協定
サイクス=ピコ協定

①・③は実現せず、②はその後のシリア・ヨルダン・イラク辺りの不自然な国境線に影響を与えることになる。

ここまでくると笑ってしまう。もはや「なんでもアリ」の世界である。人道的・倫理的に明らかにおかしいことでも、面の皮が厚いイギリスは何とも思わず、国際社会で名誉と影響力のある地位を保持し続けている。

国際政治に限れば、「徳」よりも「力」が物を言うということになる。日本は「徳」で世界から仰ぎ見られる存在になってほしいとは思うが、それは何百年も先のことなのだろう。

本書に関するあれこれ

■とにかくユダヤ人の歴史は気が遠くなるほど長く、深い。それ自体が尊敬の対象と言ってもいい。現在の紛争地域である「パレスチナ」の名も、もともとはと言えば、紀元前1000年の昔にユダヤ人と争っていた海洋民族「ペリシテ人」から来ている。

■そして「ユダヤ人」の定義は非常に難しい。例えば「日本人」と言えば、厳密に言えば日本国籍を持っている人、おおざっぱに言えば両親のどちらかが日本人なら、まあその人も日本人と言っていい。大多数が日本に住んでいるし、概ね日本語を話す。仏教徒でもキリスト教徒でも日本人は日本人。

しかし「ユダヤ人」は国籍とは一切関係なく、一般的には「ユダヤ教を信じる集団」を指す。ユダヤ人は世界中に散らばっていて、話す言語も多様。世界に民族は多くあれど、居住地域と使用言語がここまで多様なのは、ユダヤ人だけではないか。

■4~7世紀のビザンチン帝国において、ユダヤ人によるキリスト教徒の奴隷保有が禁止された。これにより農業におけるユダヤ人の競争力が削がれ、中世にほとんどのユダヤ人が街で生活することになる布石となった。

■15世紀、キリスト教徒がイベリア半島をイスラム教徒から「奪還」した後、イベリア半島をよく知るユダヤ人は、キリスト教徒支配者を補佐するポジションを獲得する。この時期、アラビア語・ヘブライ語に翻訳されてイスラム世界で生き延びていた古代ギリシャ・ローマの書物が、多くラテン語に翻訳されていくことになり、その後のルネサンスに繋がることになる。

レイモンド・シェインドリン
(河出文庫)

※少数民族ながら世界に圧倒的影響力を持つユダヤ人の秘密に迫る!