「夜と霧」
ヴィクトール・フランクル
基本情報
初版 1946年
出版社 みすず書房
難易度 ★★☆☆☆
オススメ度★★★★★
ページ数 184ページ
所要時間 2時間00分
どんな本?
「ナチスドイツの強制収容所での生活」という自分自身が経験した極限状態を考察することで、人間の根源(生き方、モラル、真善美の判断)に迫る。
アメリカでは「私の人生に最も影響を与えた本」でベスト10入りした唯一の精神医学関係の書。欧米の知識階級で、この本を読んでいない人は存在しないのではないか、というくらい特に欧米では有名な本。
著者が伝えたいこと
強制収容所という極限状態で生き延びたのは、体の強い者でもなく、歳の若い者でもなく、明日への希望と生きる意味を見失わなかった者だ。人間がどう生きるかを決めるのも、また人間である。
著者
ヴィクトール・フランクル
Viktor Frankl
1905-1997
オーストリアの精神科医、心理学者。ウィーン大学在学中よりアドラー、フロイトに師事し、精神医学を学ぶ。ユダヤ人だったため、第二次世界大戦中にはナチスドイツにより強制収容所へ収容される。
こんな人におすすめ
「人類は負の歴史から何が学べるか」「人の生きる意味とは何か」に関心のある人。生涯の一冊に出会いたい人。
背景解説
ナチスドイツ支配下において、作者のヴィクトール・フランクルはユダヤ人として強制収容所に収容された。
終戦後、強制収容所における体験記は多く出版されたが、フランクルは自らの体験を心理学・精神医学の観点から「科学的」に分析し、記述することで、極限状態に置かれた人間の行動や心理を誰にでも分かる形で世の中に提供した。
要約・あらすじ
■精神医学の観点から見ると、強制収容所の生活を通じ、時系列で大きく3つの反応が観察された。
①収容当時:内面の死、無関心・無感情、生命維持のみ、願望の幼児化
②収容生活:人格の尊厳や個性の没価値化、ユーモアへの逃避、孤独の渇望、未来への絶望と過去への追憶
③解放後:感情の喪失、自分の不遇を前提にした過大な権利意識
■自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。最後まで生き延びたのは、未来に対する希望や生きる意味を見失わなかった者だ。
■人間は突き詰めると、善にも悪にもなれる。しかし最後にそれを決めるのも人間である。
学びのポイント
善悪を判断するのは最後は人間
私たちは、恐らくこれまでどの時代の人間も知らなかった『人間』を知った。では、この人間とは何者か。
人間とは何かを常に決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りの言葉を口にする存在でもあった。
極限状態で観察された人間は善にも悪にもなれた。しかし善になるか悪になるかを決めるのもまた人間であった。
何がこの差を作るのか。それは「頭の良さや知識(=才)」ではなく「真・善・美の判断力(=徳)」であろう。
才・・・才能、スキル。何かをうまく為す能力(例:梯子を上手く昇る力)
徳・・・人徳、人間力。何が正しいか、善いか、美しいかを判断する能力(例:梯子を正しい場所に掛ける力)
歴史上、数多くの人々が、「才よりも徳の方が大切」と繰り返している。ここでは中国・ヨーロッパ・日本における代表的なものを、時代順に3つほど挙げてみたい。
①洪自誠『菜根譚』
徳は才の主にして、才は徳の奴(ど)なり
(道徳は才能の主人で、才能は道徳の使用人である)
②サミュエル・スマイルズ『自助論』
知性溢れる人間を尊敬するのは一向に構わない。だが、知性以上の何かがなければ、彼らを信用するのは早計に過ぎる。
イギリスの政治家ジョン・ラッセルはかつてこう語ったことがある。「わが国では、いくら天才に援助を求めることがあっても、結局は人格者の指導に従うのが当然の道とされている」。これは真理を言い得た言葉である。
③安岡正篤『運命を創る』
人間は「本質的要素」と「付随的要素」から成る。
「本質的要素」とは、これをなくしてしまうと人間が人間でなくなるという要素であり「徳」とか「道徳」という。
具体的には、人を愛するとか、人を助けるとか、人に報いるとか、人に尽くすとか、あるいは真面目であるとか、素直であるとか、清潔であるとか、よく努力をする、注意をするといったような人間の本質部分である。
もう一つは「付随的要素」で、大切なものではあるが、少々足りなくとも人間であることに大して変わりないというもので、例えば「知性・知能」や「技能」といったものである。
ことに戦後の学校教育は非常に機械的になり、単なる知識や技術にばかり走っている。近来の学校卒業生には、頭がいいとか、才があるとかという人間はざらにいるが、人間ができているというのはさっぱりいない。
「徳」があれば、ガス室の発明と使用は阻止できたかもしれない。将来的に、善悪を判断するAIが登場するかもしれないが、その開発を許すか否かは人間であり、その判断を採用するか否かも人間の仕事である。
自分を取り巻く4つの要素と真摯に向き合う
自分を待っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。
私たち人間を取り巻く世界は、大きく「仕事・社会」「家族・親族」「プライベート・友人」の3つがある。そしてその中心に「自分自身」がある。
そして、この4つの要素とも、全てが順風満帆ということは多くない。家族とうまくいかないこともある、仕事でミスが続くこともある、友人に裏切られることもある、自分自身の感情をうまくコントロールできないこともある。
しかし逆に、全てが全て上手くいかない、ということも多くない。例えば、何かが上手くいかなくとも、別の何かが自分を支えてくれるはずだ。仕事がうまくいかなくても、家族が話を聞いてくれるかもしれない。友人とモメても、自分に気力があれば乗り越えられるかもしれない。だからこそ、常にこの4つとは真摯に向かい合っておく必要がある。
そしてこの4つの要素は、生きる目的やパワーになる。「4つの要素」と真正面から向き合い、責任を自覚した人間は、まさに「生きることから降りられない」のである。逆に言えば、「4つの要素」と真摯に向き合わない人間は、生きることに価値を見出すことができないということになる。
皆さん自身はいかがだろうか。本書は自分自身の「生きる意味」を深く考えさせる名著と言える。
自分を客観視し、未来に目を向ける
収容所生活が長くなると、人々は過去を追憶するようになる。
しかし、私は「自分は収容所から解放されたら、広大なホールの演壇に立ち、多くの聴衆の前で『強制収容所の心理学』というテーマで講演するのだ」と未来を見ることで、今日を生きる意味を見出した。
筆者は、現状置かれている苦しい状況を、「自分は今、学問をしているのだ」という一段高いところから、メタの視点で客観視することで、どこか超然としていられたという。
自分の置かれた状況を客観視して、冷静に分析してみるというのは、現代のビジネスパーソンにも応用できる手法ではないか。そしてそれは「未来のためである」と考えると強い。
ある被収容者は「自分はこの日(ある特定の日)までに解放されるはずだ」と自分に信じ込ませ、つらい日々を耐え忍んでいた。しかしその「未来の特定の日」が来ても自分は解放されないと分かるや否や、高熱にうなされ始めたという。
また、被収容者の死亡が顕著に多かったのはクリスマスから新年にかけてだった。おそらく、その時期を家族と過ごすことだけを希望として生きてきたのだろう。これは、人間にとって、将来への希望は強いモチベーションになる一方、それが叶わなかった時には肉体的にもダメージが出る、ということで一般化できる。
ビジネスシーンに当てはめると、もし、仕事が合わなかったり、ブラック企業だったり、パワハラに遭っているのであれば、「○月までは頑張ってみる」と期限を決めて未来を見て、それまでに状況が変わらなければ、速やかに別の土俵に移ったほうがよいということであろう。
抑圧された人間は、それに見合う何かを要求する
強制収容所からの解放後、体は「たくさん食べる」という行為を直ぐに思い出したが、心は「解放されて嬉しい」という感情を思い出すまでに時間がかかった。
また、どんなに「善い」被収容者でも、解放後は「自分はあれだけのつらい目にあったのだから、少しくらいわがままを許されてもよいはずだ」と、公共のルールを守らなくなったり、周囲の人との距離感を誤ったりする。
収容所から解放されて故郷に戻っても、周囲の人は「大変だったねえ、こっちも大変だったんだよ」くらいの反応しか返してくれず、「ああ、自分は死ぬか生きるかの境目を彷徨っていたのに」と周囲を責めるようになる。
普通に暮らしている私達からは想像もできないが、これもまた人間の真実の姿であるということは、肝に銘じておきたい。
本書に関するあれこれ
■原書のタイトルは直訳すると「それでも人生にyesと言う」。「人は極限状態に置かれた際、何を拠り所に生きるのか」が本書のテーマ。
■ナチスの強制収容所を扱った文学作品、映画作品は数多い。この「夜と霧」は、アメリカでは「私の人生に最も影響を与えた本」でベスト10入りした唯一の精神医学関係の書となっている(NHK公式サイト)