「プロフェッショナルの条件」
ピーター・ドラッカー
基本情報
初版 2000年
出版社 ダイヤモンド社
難易度 ★★☆☆☆
オススメ度★★★★★
ページ数 266ページ
所要時間 3時間00分
どんな本?
現代マネジメント思想の巨人ドラッカーが、これまでの著作から「自己成長」や「自己実現」に関するエッセンスを抜き出し加筆・削除・修正した「ドラッカーによるドラッカー入門書」。
自らの業務範囲を限定した「ジョブ型雇用」が広がり始めた今こそ、ドラッカーの主張する「ゼネラリスト型人間」のあり方にも耳を傾けたい。ドラッカー初心者は、まず「マネジメント」で組織マネジメントの理論的基礎を、本書で自己マネジメントの理論的基礎を学ぶのが一般的。
著者が伝えたいこと
現代は知識社会で、専門知識が価値の源泉になっているが、それらを統合するには人間力全般の向上が欠かせない。
目の前の事象を、自らの座標軸の中で正しく位置付けられるようなゼネラリストこそ、この知識社会では必要になる。
そのためにはまず、自己をマネジメントすることだ。常に理想を追い求め、高い志を持ち、自分の強みを特定の分野に集中して成果を出す。最終的には「自分は何によって憶えられたいか」を意識しなければ、人生を無駄にすることになる。
著者
ピーター・ドラッカー
Peter Drucker
1909 – 2005
オーストリア生まれのユダヤ系経営学者。20 世紀から 21 世紀にかけて経済界に最も影響力のあった経営思想家。
1931年フランクフルト大学で法学博士号を取得したが、1933年ヒトラーが政権を獲得したためロンドンに移住。1937年にイギリスの新聞社の在米通信員としてアメリカに渡り、その後帰化。1950~71年ニューヨーク大学教授、1971~2005年クレアモント大学大学院教授。
「分権化」「目標管理」「民営化」「ベンチマーキング」「コアコンピタンス」など、マネジメントの主な概念と手法を生み発展させたマネジメントの父。
日本では、ドラッカーから学んだ目標管理や役割分担を実践してチームで甲子園をめざす小説「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(いわゆる「もしドラ」)がベストセラーに。
こんな人におすすめ
ドラッカーを初めて読む人、経営学の古典に触れたい人、仕事をしているあらゆる人
書評
第1章及び第2章は概念的な話なので、時間の無い人は読み飛ばしても問題ない。ドラッカーの真骨頂は第3章からである。
なお、2-2「何故成果があがらないのか」、2-3「貢献を重視する」、3-3「時間を管理する」、3-4「最も重要なことに集中せよ」、4-1「意思決定の秘訣」、4-5「人の強みを生かす」は『経営者の条件』からの抜粋。
自分の時間と意思決定をどうマネージすべきかを説くバイブルのような存在なので、関心を持たれた方は、そちらも是非お読みいただきたい。
(ダイヤモンド社)
※自分自身をどうマネジメントするかを考察する一冊
要約・あらすじ
Part1:いま、世界で何が起きているか
1-1:ポスト資本主義社会への転換
■産業革命により、価値の源泉は「個人に分散した技能」から「体系化された技術」に移行した。これにより、大きな工場と多くの労働力を活用する資本家が現れた。
■マルクス主義は、搾取され続けた労働者がいずれ資本家を打ち倒すと予見したが、実際にはそうはならなかった。教育訓練の充実に拠る生産性革命のおかげで、プロレタリアートがそれなりに稼げるブルジョアになったからである。
■そして第二次大戦後から現在にかけて、価値の源泉は「専門知識」に移行した。しかし専門知識は目的に応じて総合的・統合的に使われなければならない。そこで「真に教育ある人間の要件は何か」という新しい問題を生むことになった。
1-2:新しい社会の主役は誰か
■組織は特定の目的を持った人々が集まるが、知的労働者は、生産手段を自ら持っているので、組織に依存しない。
■歴史上、人類がこのような組織を持ったことはない。人が組織に従属する共産主義が失敗したいま、この新しい多元的な組織をどうマネージするかが問われている。
Part2:働くことの意味が変わった
2-1:生産性をいかにして高めるか
■知識労働の生産性を上げようと思えば、まず「何が目的か」を問うべきである。例えば企画部門の目的は、精度の高い未来予測レポートを書くことではなく、利益率を上げる具体的方法を策定することである。
■また、周囲と協調すること、継続して学習すること、そして部下や後輩を持つことは、知識労働者の生産性を上げることが確認されている。
2-2:なぜ成果があがらないのか
■一昔前は肉体労働者が大多数だったが、最近増えた知識労働者(エグゼクティブ)は、自分自身をマネージし、成果を自ら生み出さねばならない。
■しかし、成果を出すことを阻む要因が主に3つある。
①打ち合わせや雑務に忙殺され、本来業務に十分な時間が割けないこと
②本来力を注ぐべき外部はよく見えず、組織内部ばかりよく見えてしまうこと
③組織に属しているがゆえに、部分的な貢献しかできないこと
■これらは全て内部の問題である。人は内部の些事に煩わされず、常に外部の変化を知覚し、「何が為されねばならぬか」を考えなければならない。
■成果をあげられる人に共通点はない。ただ、「成果をあげる能力」を身に付けられるか否かにかかっている。
2-3:貢献を重視する
■目の前の仕事に忙殺されてはいけない。常に「自分は組織にどう貢献できるか」を考えなければ、時間だけが過ぎていくことになる。
■そのためには、自分の専門分野に留まっていてはいけない。「自らの知識を知識の全領域に正しく位置付けられる人」、すなわちゼネラリストが組織には求められる。
Part3:自らをマネジメントする
3-1:私の人生を変えた7つの経験
長年にわたり成果を出している人は、私と似たような経験をしている。
①いくつになっても完璧を求めて努力を重ねる
②仕事に誇りを持ち、完璧を求める
③常に新しいことを学び続ける
④年に一度自分の仕事を振り返り、向こう1年の計画を立てる
⑤新しい仕事に就く際は、それまでの延長ではなく、その仕事に求められる任務を真剣に考える
⑥常に自分の仕事をトレースすることで、自分に出来ることと出来ないことを把握する
⑦人は何によって知られたいかを自問しなければならないこと、そして人に良い影響を与えることがそれに値することを理解する
3-2:自らの強みを知る
■弱みは何も生み出さない。何かを成し遂げるのは自分の強みである。強みを伸ばし、強みを生かせる仕事に集中すべきだ。
■仕事をする「環境」も大切だ。大企業か中小企業か、緊張感ある仕事か安定感ある仕事か、一人かチームかなどである。
■自分に「何ができるか(強み)」「何をしたいか(価値観)」「どのような環境が最適か(環境)」の3つが重なる部分が、その人の天職と言える。
3-3:時間を管理する
■人は誰でも、何の成果にも繋がらないが、無視できない仕事に時間を取られている。成果の出ない付き合い(会議・会食等)をやめ、他の人にできることは任せるべきだ。
■その後、細切れの時間をまとめなくてはならない。例えば会議を月曜か金曜にまとめたり、週1日は在宅勤務とすることだ。
■その後も、生産的でない仕事がその時間を蚕食しないか、常に目を光らせていなければならない。
3-4:最も重要なことに集中せよ
■成果をあげるための唯一の秘訣は「集中すること」である。成果をあげる者は、何か新しい活動を始める前に、必ず古い活動を捨てる。
■今ある仕事の半分以上は、前任者の意思決定の後始末だ。成果の期待できない仕事は躊躇なく捨てるべきだ。
■仕事に優先順位を付けるのは簡単だ。難しいのは「劣後に配した仕事をやらない」勇気を持つことである。未来に対して変革をもたらす仕事に集中して取り組まなければならない。
Part4:意思決定のための基礎知識
4-1:意思決定の秘訣
■何らかの問題に対処する際には、5つのステップを踏む必要がある。
(1)起きている問題は例外的なものではなく、構造的なものであることを前提に、より一般的・概念的・包括的・長期的な解決策を講じる。
(2)そもそもの目的を見失わない。目的と手段を間違えない。
(3)原理原則からスタートする。最初から妥協を視野に入れてはいけない。
(4)決定をしたら、体制を整え、確実に実行に移す。
(5)実行したら、必ず現地現物を確認し、トレースする。
■正しい意思決定のためには、正しい「評価基準」を設定しなくてはならない。例えば社員の平均欠勤率は正しい評価基準になり得ない。欠勤率には部署や属性によって偏りがあるからだ。
■意見の不一致を大切にしなければいけない。何故なら、①組織の中には特定の意思決定を求める勢力が必ずある、②他の選択肢を与える、③想像力が働くからだ。
■意思決定をしない、という意思決定もある。些事に捕われるくらいなら、何もしない方が良いこともある。
4-2:優れたコミュニケーションとは何か
■コミュニケーションには4つの原理がある。
①受け取り手あってのコミュニケーションである。受け手の知覚能力の範囲内で会話しなければならない。
②人は知りたいものだけを聞き入れ、知りたくないものは聞き入れない。
③コミュニケ―ションとは、常に受け手に何がしかの影響を与えることが企図されている。
④その影響を与えるものは、情報や論理ではなく感情である。
4-3:情報と組織
■従来の組織は軍隊的で、上から下へ指揮命令が流れていた。しかし情報型組織は、オーケストラ的で、各ユニットが自分達に何が期待されているかという情報を持ち、責任に応じて自律的に動く。
■とはいえ、情報型組織は自由奔放ではない。指揮者という強力なリーダーが全体を制御する必要がある。
4-4:仕事としてのリーダーシップ
■リーダーにカリスマ性は不要である。リーダシップとは地位や権限ではなく、仕事であり責任である。
■リーダーに「仕事」として求められることは、主に以下3点である。
①ありたいビジョンを創造し、一貫すること。
②具体的な目標を定め、優先順位を決め、それを維持すること。
③人間のエネルギーを創造すること。
4-5:人の強みを生かす
■組織とは、強みを成果に結びつけつつ、弱みを中和し無害化するための道具である。
■弱みからは何も生まれないのだから、長所を生かした人事をやるべきだ。その際「自分と合う合わない」とか「自己中などの欠点がある」とかいったことを問題にしてはならない。「成果を出せるか否か」だけを見るべきだ。
4-6:イノベーションの原理と方法
■イノベーションを起こすためには以下のようなことが必要だ。
・「理屈」と「知覚」の双方を駆使すること
・一つの分野に集中すること
・シンプルであること
・最初からトップの座を狙うこと
Part5:自己実現への挑戦
5-1:人生をマネジメントする
■寿命は延び、第二の人生を設計しなければならなくなった。方法は主に3つである。
①病院や大学などの非営利組織に転職する
②うまくいっている仕事はそのままに、パラレルキャリアを持つ
③ソーシャルアントレプレナーとして非営利の活動に従事する
■第二の人生を持つことは、仕事・家庭・プライベートで挫折した場合の居場所を作る意味でも重要だ。
5-2:教育ある人間が社会を作る
■知識社会では、西洋的な一般教養(リベラルアーツ)が必要不可欠だ。分析的な論理性だけでなく、経験的な知覚も兼ね備えなければならない。将来的には脱西洋かもしれないが、現在のグローバリズムの成り立ちに鑑みると、非西洋や反西洋ではあり得ない。
■専門知識は重要だが、専門知識を一般知識へ統合するのは一般教養の機能だ。経済学や気象学は数学が、考古学は遺伝学が、歴史学は統計学がそれぞれ取って代わるかもしれず、専門知識を扱うにしても、横断的な教養が必要になる。
5-3:何によって憶えられたいか
■自分の成長には自分で責任を持つしかない。成長とは、よい仕事をし、責任を取り、一度身に付ければ失うことのない誇りや自信を身に付けることだ。
■自分は、何によって世の中に憶えられたいか。これに50歳になっても答えられなければ、人生を無駄にしたことになる。
学びのポイント
世の中の変化を「知覚」する能力
人は組織内部のことは詳細に把握できるし、データも豊富なので、定量的に分析して意思決定しようとする。
しかし、本当に大切なのは内部ではなく、外部環境、しかもその「変化」である。組織にとって重要な意味を持つ外部の変化は、多くの場合、定量化できないし、過去からの延長線上で論理的に説明できるものでもないので、知覚するしかない。
組織に働く者は、必然的に組織の中で仕事をする。したがって、意識的に外の世界を知覚すべく努力しなければ、やがて内部の圧力によって外の世界が見えなくなる。(要約)
ここでの教訓は「組織の外を意識せよ」「外の変化は論理的に説明できるものではないので、全人格を以て感じよ」の2つである。
組織内部の方が、情報量が多い。定量的に分析もできる。上司にも説明しやすい。だから人の目は組織内部に向きがちになる。
一方、組織外部の変化は、リアルタイムで変化が起こっているが故に、定量化したり分析したりすることは難しい。定性的でふわっとしたことを、上司に説明するのは難しい。
そうなると、「知覚」するしかない。その際に武器となるのは、歴史・哲学・人間の機微等への理解といった、全人格とも言えるアナログ的な要素しかない。「知」や「サイエンス(論理)」には限界があり、そこを超えるには「人間力」や「アート(徳)」を鍛え、活用するしかない。
経営学の大家が、まずもって「データより知覚」と主張していることは、注目に値する。本サイトのテーマである「徳>才」に通ずるところがある。
また、ドラッカーは本書の最終章でこんなことも言っている。
論理はもともと愚かである。コンピュータは単純で明白なことしかできない。これに対し、人は論理的ではない。知覚的である。
人は聡明であり洞察力がある。応用力がある。すなわち人は、不十分な情報から、あるいは情報なしでも、全体像がどのようなものでありうるかを推し量ることができる。
論理は便利である。人に何かを説明する際、特に上司を説得する際に論理は大きな武器になる。
しかし、コンピューターはAIに進化し、論理は人間がAIに「外注」できるようになった。ロジカルシンキングが出来る人、というのは、暗算が得意な人、と同じくらい、無意味な人材になってきている。
人間にしかできないこと。それは直観・感性・想い・倫理観等をもとに、観念的・統合的・総合的に世界を知覚することであり、何が正しいか、善いか、美しいかを判断し追求することである。
AIは何が正しいか、何が善いか、何が美しいかを示唆はするだろうが、最後に判断するのは結局、人間である。
物事を相対化する知性と座標軸を確立する
ゼネラリストについての意味ある唯一の定義は、「自らの知識を、知識の全領域に正しく位置付けられる人」である。
これは丁寧に言い換えると「目の前で起きている現象が、物事全体の中でどのように位置付けられるかを判断し、それに正しく対応する能力を持っている人」ということになろう。
この能力を身に付けるには、物事を相対化する知性と座標軸を確立する必要があるが、それは仕事や読書や人との交流を含むあらゆる経験を通じて、後天的に身に付けられる素養である。
例えば、台風を例に考えてみたい。次の図は、ある人が実際に経験したことのある台風の中心気圧と最大風速。つまり、この人は過去4つの台風の台風について情報を持っているということ。
ここで、来週、これまで経験したことがない気圧と風速を持った台風が日本に上陸するという予報が出たとする(★)。この人にとっては前代未聞の台風で、想定外の被害が出るかもしれない、と考えることになる。
一方、この人が、この青色の台風だけではなくて、次の図にある赤色の台風も経験していたらどうか。
この赤色の台風まで考慮すれば、座標軸は変化することになる。何が変化するか。まずは最大値と最小値。自分が知っているより風速が大きいor小さい台風があり、それでも被害は出ないことが分かる。これは思考の幅が広がるということを意味する。
次に平均値。赤色の台風を知ったことで、平均値が変化した。これは何が「普通」なのか、何が「中庸」なのかを正しく認識することに繋がる。
それから分散値、統計学で言えばシグマ。ある物事が、どのくらいの頻度や確率で発生するかという情報も変化する。
つまり「物事を相対化する知性・座標軸」は正しい判断に寄与するということだ。そのためには、幅広い経験や学びが必要になる。これは勉強が出来る出来ないとは、あまり関係がない。
なお、ドラッカーは本書の中で、物事を相対化する知性と座標軸によって、何が出来るようになるかも明らかにしている。
成果をあげるエグゼクティブは、原則や方針によって一般的な状況を解決していく。
そのため彼は、ほとんどの問題を単なるケースの一つとして、すなわち単なる原則の適用の問題として解決していくことができる。
組織は何かをやめるのが不得意
成果をあげるための唯一の秘訣は「集中すること」である。成果をあげる者は、何か新しい活動を始める前に、必ず古い活動を捨てる。(要約)
本書中にも多く触れられているが、とにかく大きな組織というものは、何かをやめることが不得意である。
何かをやめる際には「以前は○○だったのでこの仕事には意味があったが、今は○○という環境変化があり、既に○○で大部分が代替されているので、廃止しても構わない」といった理屈が必要になることが多い。
しかし、このような綺麗な理屈が作れることは稀だ。すると、何かをやめる代わりに、それと似た別の何か新しいことを始めることになる。
何かの本で、この現象を「信号機理論」と呼んでいた。一度、信号機が設置されると、それを撤去する理屈を作るのは困難であるという現象だ。
信号機には、事故を減らす効果があると考えられている。いくら交通量が少なくとも、信号機を撤去すると事故が増えるかもしれない。それを否定するには、交通量が全くのゼロであることを証明するか、信号機に全く効果がないことを示すかの2通りしかない。実際、それは難しいので、理屈ではなく、大局判断で撤去することになる。
仕事をやめる判断をする際、この「信号機理論」は頭の片隅に置いておくのがよい。そうでないと、何もやめられなくなる。
ちなみにアメリカのトランプ元大統領は就任当初、「1つ規制を作るなら、2つ規制を撤廃する」と言っていた。仕事を減らしていくには、これくらいの分かりやすい態度が必要なのかもしれない。
リーダーにカリスマ性は要らない
今世紀におけるスターリン、ヒトラー、毛沢東の三人組ほど、カリスマ的なリーダーはいなかった。だが彼らは、史上かつてない悪行と苦痛を人類にもたらした似非リーダーだった。
リーダーにカリスマ性は不要である。リーダシップとは「仕事」であり、以下3点が出来ればよい。
①ありたいビジョンを創造し、一貫すること。
②具体的な目標を定め、優先順位を決め、それを維持すること。
③人間のエネルギーを創造すること。
ドラッカーはリーダーシップを「仕事」と定義している。確かに①や②が得意なリーダーは多いだろう。しかし③はどうか。
リーダーにカリスマ性は不要だが、スターリン・ヒトラー・毛沢東は③が得意だったと言えるのではないか。①と②は間違えていたが、③は抜群だった。しかし人類によい結果をもたらさなかった。
では、カリスマ性の無い(私を含めた)一般人はどうしたらよいか。それは各自で考えるしかないのだが、例えば、
・「この人と仕事をすると前向きになれる!」と思わせる楽観主義
・「この人と仕事をすると楽しい!」と思わせる面白さ
・「この人は常に言行が一致している!」と思わせる信頼性
あたりは、人のエネルギーを生み出すのではないだろうか。
第二の人生をいかに形成していくか
寿命は延び、第二の人生を設計しなければならなくなった。方法は主に3つである。
①病院や大学などの非営利組織に転職する
②うまくいっている仕事はそのままに、パラレルキャリアを持つ
③ソーシャルアントレプレナーとして非営利の活動に従事する
第二の人生を持つことは、仕事・家庭・プライベートで挫折した場合の居場所を作る意味でも重要だ。(要約)
ドラッカーがこう宣言したのは、1999年のことである。一方、日本で「パラレルキャリアとは?」という記事が一般化し始めたのは2018年頃だ。ドラッカーの先見性には頭が下がる。
そして、人生が長くなった今、この「居場所を作る」という発想も大切ではないだろうか。
人間を取り巻く基本的な構成要素には、大きく、
①家族・親族
②仕事・社会
③友人・プライベート
④自分自身
の4つがある。
そして、この4つの要素とも、全てが順風満帆ということは多くない。家族とうまくいかないこともある、仕事でミスが続くこともある、友人に裏切られることもある、自分自身の感情をうまくコントロールできないこともある。
しかし逆に、全てが全て上手くいかない、ということも多くない。例えば、何かが上手くいかなくとも、別の何かが自分を支えてくれるはずだ。仕事がうまくいかなくても、家族が話を聞いてくれるかもしれない。友人とモメても、自分に気力があれば乗り越えられるかもしれない。
だからこそ、常にこの4つとは真摯に向かい合っておく必要がある。
第二の人生とは、この領域を拡大してリスクを分散させるということを意味するのだろう。
徳ある者には地位を、才(功労)ある者には給料を
むかし一緒に働いたある賢い人が、私にこう言ったことがある。
「よい仕事をすれば、昇給させることにしている。しかし昇進させるのは、自分の仕事のスケールを大きく変えた者だけだ」
これは「よい仕事をする「才覚」がある人には、給料で報いよ。仕事のスケールを変えられるような「大局観や人徳」のある人には、役職で報いよ」ということを言っている。
これと全く同じ趣旨のことを、西郷隆盛がこう述べている。
官は、その職に堪えうる人物を選んでその職に就け、功労があるものには、職ではなく、俸禄を与えて賞し、これを褒めておけばいい。これは古代中国の「書経」でも言われている。
「書経」と言えば、紀元前7世紀から紀元前3世紀までに成立したと言われている古典中の古典。その意味でこの一説は、約2500年の歴史を経て現代まで伝わる、人間社会に関する「真理」の一つと言ってもいいのではないか。
また、日本が誇る教養人である安岡正篤や、京セラ創業者の稲盛和夫は同じことをこう表現している。
「人間を作る」という意味での学問や修養はなかなかできない。若いうちは義務的な仕事に追われてしまい、気付いてはいても、人格の向上に役立つような修養ができない。
そして地位身分のできる頃に、悲しいかな、自分自身は貧弱になる。下にある間は良かったが、上になるほど駄目になる。これは悲劇である。
人の上に立つ者には、才覚よりも人格が問われる。
戦後日本は経済成長至上主義を背景に、人格という曖昧なものより、才覚という成果に直結しやすい要素を重視してリーダーを選んできたが、それではいけない。
実務で成果を出す能力と、リーダーとして人の上に立つ能力は明確に異なるということだろう。
みなさんの会社にもいないだろうか。若いころは評価されていたけど、マネージャークラスになると「なんであんな人が偉くなったのだろう」と言われる人が。
私の経験では、下では良いが上に立つとダメな人の典型例として、
・自分の能力に自信のある人(=これまでのスタイルを変えられない)
・何でも自分でやらないと気が済まない人(=部下が育たない)
・パワハラ体質の人(=一部の人の生産性を落とす)
といったタイプが挙げられる。
しかし、いずれにしても、仕事の「結果」さえ出していれば、上からの評価は継続されることが多い。
それはなぜかと言えば、上が「結果」しか見ないからである。その結果を得るために、どれだけの機会損失があったか(部下が育っていない、メンタル社員が出たなど)を上が気にするようになれば、誰を偉くすべきかは自然と決まってくるはずである。
人事部長のつぶやき
西洋の労働史観
仕事は長い間、教育ある人たち、豊かな人たち、権威ある人たちの注目に値しなかった。それは、奴隷のすることだった。
そして、より多くを生産するための唯一の方法は、より長く働かせるか、より激しく働かせることだった。
西洋では長らく労働=苦役と考えられていた。英語のlaborは耐え忍ぶ仕事というイメージの言葉であるし、ドイツ語のArbeit は辛苦や困苦、フランス語のtravail にいたっては責苦、拷問という恐ろしい意味が語源にある。
一方、中世以降、特にプロテスタントの登場以降は、仕事=意味のある取組み、という考え方が出始める。簡単に整理するとこうなる。
■古代ギリシャ
最高神ゼウスは火の使い方を間違え、戦争を始めた人間に、罰として大地を耕す労働を科した。労働は奴隷が行うものだった。
■古代キリスト教
「善悪の知識の木」になる実を食べたアダムとイブはそれぞれ、労働の苦しみと出産の苦しみを神から与えられた。労働=苦行だった。
■中世キリスト教
使徒パウロの新約聖書の言葉「働きたくない者は、食べてはならない」が教会で実践され始める。修道院で修道僧たちは労働による自給自足の信仰生活をめざし、次第に労働を「忍苦」からむしろ喜ばしいもの、意義あるものとする見方へ変えていった。
■プロテスタント
マックス・ウェーバーがその著書「プロテスタンティズムの精神と資本主義の精神」において、行動的禁欲をもって神から与えられた天職に勤勉に励んで得た利潤は「隣人愛」の実践の結果であって、その労働が神の御心に適っている証であると主張。資本主義を肯定的に捉えた。
■マルクス主義
マルクスとエンゲルスは「人類の歴史は自由民と奴隷、領主と農奴、資本家と労働者などの階級闘争の歴史である。現在は資本家が労働者の労働力・生産物を搾取している」と説き、労働者が団結して、資本家が独占する資本を奪取し、社会全体の共同資本としなければならないと革命を促した。
■現代(例えばマズロー)
人間は次の順番で欲求を満たす。仕事にも同様のものを求める。
(1)食欲・性欲・睡眠といった生理的欲求
(2)経済的なものを含めた安全・安定の欲求
(3)自分が社会に必要とされていると感じられる社会的欲求
(4)自分が集団から価値ある存在と認められる自我欲求
(5)自分の能力や可能性が最大限に発揮される自己実現欲求
立証はできませんが、日本人の労働観は欧米よりも「仕事や社会貢献自体に価値を見出す」側に拠っているのではないでしょうか
三十にして立つ、四十にして惑わず
ヴェルディ自身は、18歳のころ、すでに音楽家として名をあげていた。
それにひきかえ、私に分かっていることは、綿製品の商人としての成功はありえないということだけだった。年の割には未熟なほうでもあった。経験もなく、実績もなかった。
何を得意とし、何をすべきであるかを知ったのも、15年ほど経った30代初めのころだった。
孔子に「吾、十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。」という言葉がある。
若い頃は、自分は何がしたいのか、自分に何ができるのか、自分は何をすべきなのかといったことがよく分からない。よく分からないからこそ、仕事選びで悩んだり、人間関係に苦しんだりする。
しかし歳を重ねるにつれて、それらがはっきりしてくる。好きな人は残り、嫌いな人は自然と去っていく。得意なことに集中するようになって、不得意なことには手を出さなくなる。時間やお金の使い方にも迷いがなくなる。
歳を取ると体力は落ちるますが、若い頃より断然生きやすくなったような気がします!
自分に合う環境を選ぶ
人は自分の強みを最大限に生かせる環境を選ぶべきである。
一人なのかチームなのか、緊張感ある仕事か安定感ある仕事か、大企業か中小企業かなどである。
皆さんはどうだろうか。自分に合った環境で仕事が出来ているだろうか。
ちなみに私は、一人で、安定した仕事を、小さな組織で、粛々とこなすような仕事が向いていると思っているが、実際にはチームで、変化に富む仕事を、大きな組織で、人との接点多く働いている。
何故そうなったのかを振り返ると、まず中高時代にそれなりに勉強ができてしまった。するとその資産を活かさないのはもったいないので、仕事に就かずに大学に進むことになる。
そして就活がやってくる。自己分析なるものはするものの、その時には自分にどのような環境が合っているかなど分からない。よく分からないので、名前を知っている大企業を受けることになる。首尾よく内定が出たりすると、中小にいくより安定していて給料もいいので、大企業に就職する。
就職後には自分の強みや弱みは分かってくるが、日本の労働市場は流動性が低く、今より収入が減るような冒険はできない。現状にそれなりに満足すると、仕事を変えようとは思わない。そして現在に至っている。
これはあくまで私の例ですが、日本は欧米諸国に比べると、労働流動性の低さから「適材適所」が実現できていないのかもしれません。
大企業の会議あるある
ある役員は、議題のいかんにかかわらず、あらゆる会議に役職者全員を参加させていた。その結果、会議の出席者が多くなりすぎていた。
しかも彼らは、会議に関心があることをアピールするだけのために、少なくとも一回はあまり意味のない質問をするようになっていた。そのため、会議はいつも長引いていた。
大企業に勤める人であれば、こういった経験をしているのではないだろうか。
こういう場で、それなりに意味のある質問をすることが、能力の証だと考えているような人がいる。そして、あらゆる質問にエレガントに答えることが能力の証だと考える人もいる。だから、事前の準備に多くの時間が割かれることになる。
重要な意思決定を行う際に開催する「経営会議」の類も、似たり寄ったりなのではないだろうか。説明者は「周囲からできない人と思われたくない」という一心で、部下に綺麗なプレゼン資料や想定問答を作らせるのである。
少なくとも私の働く会社では、日常茶飯事です!
ポストコロナの働き方
時間管理の最終段階は、時間の記録と仕事の整理によってもたらされた自由な時間をまとめることである。
ある人たち、なかでも年配の人たちは、週に一日は家で仕事をしている。編集者や研究者がよく使う方法である。
ある人は会議や打ち合わせなど日常の仕事を週に二日、例えば月曜日と金曜日に集め、他の日、特に午前中は重要な問題についての集中的かつ継続的な検討に充てている。
2020年春の新型コロナウィルスによる緊急事態宣言で、完全テレワークに移行する企業が多数見られた。しかし、その後、完全テレワークの生産性の低さが指摘され始め、通常出社に戻す企業もそれなりにあった。
まだまだ結論は出ていないが、週1~2日程度は会議や打ち合わせを排除して何らかの課題に集中し、それ以外は出社してface to faceで仕事を進めるのが最適解なのかもしれない。
以前は「年配の人たち」がやっていた在宅勤務が、アフターコロナで一般的になる。歴史は繰り返す、とはまさにこういったことなのでしょうね!
あるべき上司の態度
人の心は、期待していないものを知覚することに対し、また期待するものを知覚できないことに対し抵抗する。
私の上司がまさにこれである。スジの悪い案件や、ゼロかイチでは割り切れない問題や、前例のない事案を相談すると、急に不機嫌になり、原理原則論やあるべき論を振りかざす。
或いは、自分が想定した綺麗なストーリーにハマらないと、やはり不機嫌になり、本質的ではない部分をなじり始める。まさに、動物的な反応と言えるだろう。これでは部下は相談に行きたくなくなる。
私の経験では、高学歴な人ほど、この傾向が強い気がします!
(ダイヤモンド社)
※自分自身をどうマネジメントするかを考察する一冊