【人事部長の教養100冊】
「マネジメント」ドラッカー

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マネジメント(表紙)

「マネジメント」
ピーター・ドラッカー

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基本情報

初版   2001年
出版社  ダイヤモンド社
難易度  ★★★☆☆
オススメ度★★★★☆
ページ数 266ページ
所要時間 3時間00分

どんな本?

現代経営学の巨匠ドラッカーが、自らのマネジメント論を初心者向けに一冊にまとめた入門書&教科書。

著者が伝えたいこと

現代経営学の巨匠ドラッカーが、人間がいきいきと働き、社会に貢献できる組織とは何かを深く考え、初心者向けに一冊にまとめた入門書&教科書。マネジメントの要素を論理的に分割・分類して、一つずつ丁寧に解説する。

ドラッカー初心者は、まず本書で組織マネジメントの理論的基礎を、そして「プロフェッショナルの条件」で自己マネジメントの理論的基礎を学ぶのが一般的。

経営学に馴染みのない方は、本書の代わりに漫画「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」がオススメ。本書は「もしドラ」と呼ばれ、2011年には元AKB48の前田敦子主演で映画化された。

著者

ピーター・ドラッカー
Peter Drucker
1909 – 2005

PeterDrucker

オーストリア生まれのユダヤ系経営学者。20 世紀から 21 世紀にかけて経済界に最も影響力のあった経営思想家。

1931年フランクフルト大学で法学博士号を取得したが、1933年ヒトラーが政権を獲得したためロンドンに移住。1937年にイギリスの新聞社の在米通信員としてアメリカに渡り、その後帰化。1950~71年ニューヨーク大学教授、1971~2005年クレアモント大学大学院教授。

「分権化」「目標管理」「民営化」「ベンチマーキング」「コアコンピタンス」など、マネジメントの主な概念と手法を生み発展させたマネジメントの父。

こんな人におすすめ

ドラッカーを初めて読む人、経営学の古典に触れたい人、仕事をしているあらゆる人

ピーター・ドラッカー
(ダイヤモンド社)

※経営学の古典中の古典。全てのビジネスパーソン必読の書!

全体の骨子

(1)マネジメントの使命
・ミッションを達成する
・人を活かす
・社会に貢献する

(2)マネージャーに求められる能力
・目標設定力
・コミュニケーション能力と組織化力
・評価測定力と人材開発力

(3)マネジメントの戦略
・規模のマネジメント(組織を適正な規模とする)
・多角化のマネジメント(組織の扱う事業を適正な範囲とする)
・成長のマネジメント(より良い組織を目指す)

要約・あらすじ

Part1 マネジメントの使命

第1章 企業の成果

■企業の目的は「顧客を創造すること」である。利益は条件であって目的ではない。そして、顧客創造の主なツールは「マーケティング」と「イノベーション」である。

■企業を定義づけるのは「事業は何か」ではなく「顧客は誰か」である。人口動態・経済構造・競争状態の変化と「顧客がまだ満たされていない領域はどこか」を問い続けなければならない

第2章 公的機関の成果

■マネジメント手法については公的機関も企業と同様であるが、公的機関は顧客からの評価を受けないため、非効率な仕事が淘汰されずに永遠と残ったりする。

■これを克服するには、目標を明確にし、政策の優先順位を決め、成果の尺度を定め、それをトレースする必要がある。

第3章 仕事と人間

■仕事は人間がやるのだから、「生産性」だけでなく「働きがい」や「自主性」が必要である。日本企業は、①職務の曖昧さ、②終身雇用と福利厚生、③強力なリーダーを生まない社員教育等により、ある程度これに成功した。

■働きがいを与える要素は、①生産的な仕事、②フィードバック情報、③継続学習の3つである。収入の保証も大切だが、働く者を社会の生産的な一員にする仕組みの方が大切である。

第4章 社会的責任

■現代の企業や団体等において社会的責任は回避できない。何故なら、自らの活動が何らかの形で社会に影響を与えているからである。また、現代ではマネジメント以外にリーダー的な階層が存在しておらず、マネジャーの役割は拡大している。

■ただし、社会的責任への要求が、自らの本来の機能を傷つけたり、過大であるときは抵抗すべきだ。何故なら、組織の最大の社会的責任とは、自らに特有の機能を果たすことだからだ。

Part2 マネジメントの方法

第5章 マネジャー

■マネジャーの仕事は大きく二つである。①投入資源の総和より大きいものを生み出す生産体を作る、②短期と長期の利益を調和する。一方、マネジャーに求められる最大の資質は「真摯さ」である。

■自分自身のマネージには目標管理が有効である。また、目標管理は上司と部下とのコミュニケーションツールとしても機能する。

■組織は求める成果に合わせて作られなければならない。人事(昇進・配置等)は、マネジメントが社員に求める成果を具体的に伝える最大の管理手段である。

第6章 マネジメントの技能

■効果的な意思決定に必要なことは大きく4つある。①問題を明らかにする、②反対意見が出やすくし、複数案を俎上に載せる、③誰が決定すべきかを明確にする、④関係者を事前に全員巻き込んでおく。

■組織を管理するには、定量化の可否に関わらず、組織で何が起きているかを可視化して把握する必要がある。その際は、労力は最小限に、シンプルな手法で、何らかの行動に繋がる事象に絞って調査すべきだ。

■現時点では、経営科学は十分に機能していない。まずその対象が明らかでない。加えて、企業はリスクを取るべき存在であるのに、経営科学はリスク最小化を志向している。そうではなく、リスクの種類やリスクを冒した際に何が起こるかを明らかにしなければならない。

第7章 マネジメントの組織

■組織構造は成果をあげる前提である。「われわれの事業は何か、何になるか、何であるべきか」という戦略に基づき決定されなければならない。唯一正しい組織構造なるものは存在しない。

■戦略が変更になれば、それに応じて組織も変更になる。逆に言えば、戦略の変更なき組織の変更は間違っている。安易な組織改革は慎むべきである。

■組織設計に必要なのは(1)活動分析、(2)貢献分析、(3)決定分析、(4)関係分析の4つである。

(1)活動分析
組織の目的を達成するには、どのような組織が望ましいかを考える。

(2)貢献分析
企業内の活動を大きく4つに分類し、(それぞれ性質が異なるため)別々のマネージャを置く。①成果活動(販売、資金調達等)、②支援活動(経営企画、法務等)、③家事活動(厚生・総務等)、④トップ活動。

(3)決定分析
意思決定も4つの方法で分類し、どのレベル(トップなのか現場なのか)に権限を持たせるかを決める。①時間軸の長さ、②組織に与える影響度合い、③定性的要素の数(ビジョンへの適合、人的資源)、④問題発生の頻度。

(4)関係分析
どの部門とどの部門が協力して働かなければならないかといった要素をもとに、活動間の関係を最小限に絞るような組織を設計する。

Part3 マネジメントの戦略

第8章 トップマネジメント

■トップマネジメントには、少なくとも四種類の要素が必要である。①考える人、②行動する人、③人間的な人、④表に立つ人である。

■取締役会は、あらゆる国で、もはや機能していない。トップマネジメントにとって、取締役会は自分達を束縛し、制約する存在と受け取っている。

■取締役会が必要な理由は、①トップマネジメントの監督(助言・忠告)、②成果をあげられないトップマネジメントの交代、③渉外の3つである。

第9章 マネジメントの戦略

■企業は自らの適正規模を知らなければならない。それを改善するには、事業構造を変えるか、M&Aか、事業を売却・縮小するか、合弁するかいずれかである。

■多角化が成功する条件は、「市場が共通であること」または「技術が共通であること」のいずれかである。

■政治体制は依然、主権国家を基本単位としているが、グローバル企業における国境は制約・阻害・複雑化要因でしかない。政治主権と経済合理性は相容れないことが多いため、国際的な取り決めが必要になる。

■成長とは規模の拡大を追うことではない。成長とは変化であり、そのタイミングを逃してはならない。

■イノベーションとは技術革新そのものではなく、経済や社会にもたらす変化である。ゆえに、イノベーションは常に顧客と市場に焦点を合わせなければならない。また、既存事業とは切り離した組織・予算・リスク許容度が必要だ。

学びのポイント

社員をポストで処遇してはならない

マネジャーの仕事の不足をポストで補ってはならない。報奨をポストで補ってもならない。それは期待を与える。肩書は地位と責任を意味する。

ジェスチャー、つまり地位と責任の代わりに肩書を与えることは、あえて問題を起こそうとするに等しい。

報奨の与え方には「ポスト」と「給料」の二通りがあるが、昔から言われていることは「徳ある者にはポストを、才(功労)ある者には給料を」ということだ。日本では西郷の言葉として有名であるが、出典は古代中国の「書経」である。

「書経」と言えば、紀元前7世紀から紀元前3世紀までに成立したと言われている古典中の古典。その意味でこの一説は、約2500年の歴史を経て現代まで伝わる、人間社会に関する「真理」の一つと言ってもいいのではないか。

また、京セラ創業者の稲盛和夫は著書『生き方』でこう言う。

人の上に立つ者には、才覚よりも人格が問われる。

戦後日本は経済成長至上主義を背景に、人格という曖昧なものより、才覚という成果に直結しやすい要素を重視してリーダーを選んできたが、それではいけない。

仕事が専門化すればするほど、上に立つリーダーには総合的な人間力が問われていくことになるだろう。

才(知識・スキル)<徳(人格・人間力)

真摯さよりも、頭のよさを重視する者をマネジャーに任命してはならない。

そのような者は人として未熟であって、しかもその未熟さは通常治らない。

ドラッカーは自著『経営者の条件』で、似たようなことを以下のように表現している。

知識やスキルも大切だが、成果をあげるエグゼクティブの自己開発とは、真の人格の形成でもある。

また、歴史上、数多くの人々が、同じ趣旨のことを言っている。ここではその代表的なものを列挙しておきたい。

①サミュエル・スマイルズ『自助論』

知性溢れる人間を尊敬するのは一向に構わない。だが、知性以上の何かがなければ、彼らを信用するのは早計に過ぎる。

イギリスの政治家ジョン・ラッセルはかつてこう語ったことがある。「わが国では、いくら天才に援助を求めることがあっても、結局は人格者の指導に従うのが当然の道とされている」。これは真理を言い得た言葉である。

②S・コヴィー『7つの習慣』

建国から約150年間に書かれた「成功に関する文献」は、誠意、謙虚、誠実、勇気、正義、忍耐、勤勉、質素、節制、黄金律など、人間の内面にある人格的なことを成功の条件に挙げている。私はこれを人格主義と名づけた。

ところが、第一次世界大戦が終わるや人格主義は影をひそめ、成功をテーマにした書籍は、いわば個性主義一色になる。成功は、個性、社会的イメージ、態度・行動、スキル、テクニックなどによって、人間関係を円滑にすることから生まれると考えられるようになった。

③勝海舟『氷川清話』

学問にも色々あるが、自分のこれまでの経歴と、古来の実例に照らして、その良し悪しを考えるのが一番の近道だ。

小さな理屈は専門家に聴けば事足りる。俗物は理屈詰めで世の中の事象に対応しようとするからいつも失敗続きなのだ。

理屈以上の「呼吸」、すなわち自分の中にある信念や経験をもとに判断するのが本当の学問というものだ。

今の学生はただ一科だけ修めて、多少の智慧が付くと、それで満足してしまっている。しかし、それではダメだ。

世間の風霜に打たれ、人生の酸味を嘗め、世態の妙を穿ち、人情の機微を究めて、しかる後に経世(世の中を治める)の要務を談ずることができるのだ。

④昭和の知の巨人、安岡正篤『運命を創る

人間は「本質的要素」と「付随的要素」から成る。

「本質的要素」とは、これをなくしてしまうと人間が人間でなくなるという要素であり「徳」とか「道徳」という。

具体的には、人を愛するとか、人を助けるとか、人に報いるとか、人に尽くすとか、あるいは真面目であるとか、素直であるとか、清潔であるとか、よく努力をする、注意をするといったような人間の本質部分である。

もう一つは「付随的要素」で、大切なものではあるが、少々足りなくとも人間であることに大して変わりないというもので、例えば「知性・知能」や「技能」といったものである。

ことに戦後の学校教育は非常に機械的になり、単なる知識や技術にばかり走っている。近来の学校卒業生には、頭がいいとか、才があるとかという人間はざらにいるが、人間ができているというのはさっぱりいない。

そのために、下っ端で使っている間はいいが、少し部下を持たせなくてはならないようになると、いろいろと障害が出るといった有様だ。これは本質的要素を閑却して、付属的方面にばかり傾いた結果である。

⑤稲盛和夫『生き方』

人の上に立つ者には、才覚よりも人格が問われる。

戦後日本は経済成長至上主義を背景に、人格という曖昧なものより、才覚という成果に直結しやすい要素を重視してリーダーを選んできたが、それではいけない。

西郷隆盛も「徳高き者には高き位を、功績多き者には報奨を」と述べているし、明代の思想家呂新吾は著書『呻吟語』の中で「深沈厚重なるは、これ第一等の資質。磊落豪雄なるは、これ第二等の資質。聡明才弁なるは、これ第三等の資質」と説いている。

この三つの資質はそれぞれ順に、人格、勇気、能力とも言い換えられる。(一部要約)

⑥洪自誠『菜根譚』

徳は才の主にして、才は徳の奴(ど)なり
(道徳は才能の主人で、才能は道徳の使用人である)

取締役会は機能していない

取締役会の衰退はあらゆる国で見られる。理由は大きく3つである。

①今日、先進国の大企業の所有権は、少数の金持ちではなく大衆の手にある。取締役会はもはや所有者を代表しない。誰も代表しない。

②今日、取締役会は統治機関たりえなくなっている。統治とは常勤の職務である。

③そもそもトップマネジメントは、意味ある取締役会を望まない。(要約)

この部分を読み解くには、海外と日本の取締役会の違いを理解しなければならない。

日本は伝統的に、企業内部の社員が昇進して取締役になることが多い。

東京証券取引所が2021年に改訂した「コーポレートガバナンス・コード」では、プライム市場に上場する企業に対して、社外取締役を1/3以上選出するように定めた。つまり、このような定めが必要なほど、日本は社内取締役が主流になっている。

よって、日本の取締役会はそもそも所有者を代表していない(①)し、社内取締役は基本的に常勤である(②)。

逆に例えばアメリカは、2000年代前半に起きたエンロン事件やワールドコム事件(巨額の粉飾決算事件)を背景に、上場企業の取締役会の過半数は独立社外取締役で占められていて、最近では、CEO(最高経営責任者)が唯一の取締役会の内部者である企業が増えている。

社内のことを知らない社外取締役ばかりで重要事項を議論する弊害や、内部事情に詳しいCEOの影響力を逆に高めるといったデメリットも指摘されているが、今後も社外取締役の役割は増していくだろう。

一人のマネジャーに管理しきれる組織人数

(組織の)規模の適切さをかなり正確に示す一つの基準がある。小企業では、社長は、書類を見たり人に聞いたりしなくとも、中心的な成果に責任を持つ者が誰かわかる。

つまり、中心的な人間は少数である。12人から15人を超えることはない。一人の人間が本当によく知ることのできる人間の数が、最大限12人から15人である。

「一人のマネージャーに管理しきれる組織人数」という切り口では、以下のような様々な見解がある。

・ピザ2枚分くらい(5~8名程度)【Amazonのジェフ・ベゾスCEO】

・せいぜい10人、通常は6名程度【ハーバード大心理学部リチャード・ハックマン教授】

・10人【モンゴル帝国の最小軍事単位】

・最大10人【最近の経営学における「スパン・オブ・コントロール」の考え方】

ちなみに、組織の「自然な(=互いに親密に知り合える)」規模は、社会学的にも生物学的にも150名程度であることが知られている。

社会学の研究からは、噂話によってまとまっている集団の「自然な」大きさの上限がおよそ150人であることがわかっている。ほとんどの人は、150人を超える人を親密に知ることも、それらの人について効果的に噂話をすることもできないのだ。

今日でさえ、人間の組織の規模には、150人というこの魔法の数字がおおよその限度として当てはまる。この限界値以下であれば、コミュニティや企業、社会的ネットワーク、軍の部隊は、互いに親密に知り合い、噂話をするという関係に主に基づいて、組織を維持できる。

ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』

人類学者のロビン・ダンバーが行なった有名な分析によれば、霊長類のそれぞれの種の大脳新皮質の大きさは、集団規模とある程度の相関関係にあるという。

この相関関係が人間にも当てはまるなら、私たちの脳は、だいたい100人から230人の社会ネットワークに対処できるように進化したことになる。

ダニエル・リーバーマン『人体600万年史』

人事部長のつぶやき

時代の流行り言葉

戦略計画とは何か。それは、リスクを伴う起業家的な意思決定を行い、その実行に必要な活動を体系的に組織し、それらの活動の成果を期待したものと比較測定するという連続したプロセスである。

これは今風に言えば「PDCAを回す」ということになる。経営や政策用語には流行り廃りがあって、ここ10年程度で流行っているのはこんなところか。

・見える化
→定量化すること。非常に効果的なこともあれば、何のために定量化したのか分からないものもある。

・KPI
→目標を数値化して達成度を評価しやすくすること。単純明快だが、社会はそんなに単純ではないことの方が多い。
※Key Performance Indicators

・深堀り/深度化
→今は十分ではないという言い訳をしつつ、具体的手法は思いつかないまま、同じ方針でもう少し頑張ると表明すること。

一部のコンサルが好んで使い始め、やがて政府が公式文書の形で使い始めることが多い。とにかく、やたらと対象を見える化し、KPIを定めて、PDCAを回しつつ、各項目について深堀りしまくるのである。

何となく全体が抜け漏れなく整う感じが漂うので、官僚は好んで使うのでしょうね

金を出す側は、そんなに偉いのか

リーダー的な階層としてのマネジメントの台頭、政府への幻滅の増大、生活の量から質への重点の移行の結果、企業活動の中心に社会への関心を据えることを要求する声が大きくなった。それは、生活の質の向上こそ、企業の事業であるべきとの要求である。(中略)

(環境対策等の)社会的影響の問題を解決するには、トレードオフが必要である。ある程度以上、影響を除去しようとすると、得られる効果に対して累積的に資源、エネルギー、資金が必要となる。そこで費用と効果とのバランスを得るための意思決定が必要となる。産業に携わる者であれば、誰でも理解していることである。

しかし、産業の外の者にはまったく理解できない。そのため彼らの提案は、トレードオフの問題を無視したものとなる。

「企業の社会的責任(CSR)」や「ESG経営(環境・社会・ガバナンス)」といった言葉が生まれてから久しく、最近では国を挙げて「SDGs(持続可能な開発目標)」を推進しようとしている。

それ自体は悪いことでなく、企業も社会市民の一員として、これらを念頭に置くことが求められるのは当然だろう。

しかし、昨今では株主がその立場と権限を利用して、企業にSDGsへの過大な取り組みを迫るケースが出てきている。環境・ジェンダー・健康経営等々、企業に求められることは非常に多い。

現在は「株式」を通じてこのような強制力が発揮されているが、やがて企業はそれを嫌気し、株式市場を通じた資金調達を避けるようになるかもしれない。上場会社の中には、株主の要求が過大なため、早く非上場にしてしまいたいと考えている会社もあるだろう。

結果として株式市場が縮小し、適正な経済発展が妨げられるようなことが無いように、「金を出す側」や、それを規制する「政府」には長期的視点を持ってほしいものだ。

MBA留学は役に立つのか

今日のところ、経営科学は期待を裏切っている。その約束を果たしていない。マネジメントの実践に革新をもたらしていない。

今日では、経営科学に関心を持つマネジャーはほとんどいない。

経営学という学問はビジネスに役立つのか、という問いはかなり以前から発せられている。しかし現時点において、経営科学を牽引しているビジネススクールの数やMBAホルダーが減少しているという話は聞かず、日本からもそれなりの数の若者が、アメリカやヨーロッパにMBA留学している。

本サイトの管理人もMBAホルダーだが、ビジネススクールで学んだ内容が、そのまま目の前の業務に活きているかといえば、そのような実感はない。一部、ファイナンスやアカウンティングの理論は役立っているが、MBAで主流のケーススタディは、過去に起きた事象に対して、自分ならどう対処するか、どういう観点が重要かを見極める訓練であって、少なくとも「科学的」ではない。

加えて、10年前ならいざ知らず、現在では授業はオンラインで一部が一般公開され、多くの論文もwebで公開される環境となり、大学や大学院に行かないと経営学が学べないという状況ではなくなってきている。

よって、MBA留学の価値は以前より低下していると言わざるを得ないが、留学には経営学の習得以外の要素(対人スキル、英語、異文化体験等)も得られるので、そちらの充実も不可欠ということになるだろう。

ピーター・ドラッカー
(ダイヤモンド社)

※経営学の古典中の古典。全てのビジネスパーソン必読の書!