「言志四録」佐藤一斎

  難易度 ★★★☆☆
オススメ度 ★★★★☆
 所要時間 2時間30分

日本式の修身を学ぶ
この記事を書いた人
人事部長


一般企業に入社以来、経営・財務・営業・人事・海外事業・役員秘書等を経験し、現在は約30名の部下を持つ人事部門のマネージャです。

「才徳兼備」を目指す部下に紹介している「骨太の教養本100冊」を、順次web上にも公開しています。

慶應義塾大学経済学部卒業、シカゴ大学経営大学院修了(MBA)、米国公認会計士。

「言志四録」佐藤一斎

基本情報

初版   2017年(『重職心得箇条』自体は幕末の作品)
出版社  ウェッジ
難易度  ★★★☆☆
オススメ度★★★★☆
ページ数 234ページ
所要時間 2時間30分

著者

佐藤一斎(さとういっさい)1772-1859

佐藤一斎

美濃岩村藩の家老の次男。儒学を修め、 七十歳のとき、 昌平坂学問所の儒官となった(現代で言う東大総長のような立場)。

門下生は三千人にも及び、 佐久間象山 、渡辺崋山などから、 後の明治維新を導いた勝海舟、 坂本龍馬、吉田松陰などの幕末の志士たちにも多大な影響を与えた。

佐藤一斎の著書『言志四録』は、西郷隆盛が座右の書としたことでも有名。西南戦争に敗れた西郷隆盛が、島流しにあった獄中で言志四録から101箇条を選び筆写した 『手抄言志録』 は、その後、西郷を最も信頼していた明治天皇に献上され、 「朕は再び朕の西郷を得たぞ!」 と叫んだと言われている。

解説者

齋藤孝 1960-

齋藤孝

1960年静岡生まれ。東京大学法学部卒。同大学院教育学研究科博士課程を経て、現在は明治大学文学部教授。

『身体感覚を取り戻す』(NHK出版)で新潮学芸賞受賞。『声に出して読みたい日本語』(毎日出版文化賞特別賞、2002年新語・流行語大賞ベスト10)がシリーズ260万部のベストセラーになり日本語ブームをつくった。

こんな人におすすめ

日本の伝統的リーダーシップを知りたい人、部下を持つすべてのビジネスパーソン、これから管理職になろうとする人

作者(佐藤一斎)が伝えたいこと

災いは下からではなく、上から起こる。リーダー自身が徳を身に付け、自らを制御し、常に前向きに、情熱を持って部下を導かなければならない。

一行紹介

幕末の儒学者佐藤一斎が、数十年にわたって書き継いだ「リーダーシップ論」。西郷隆盛が島流しに遭っている間に本書を抜粋し、西南戦争で敗死するまで肌身離さず持ち歩いたという。吉田松陰、坂本龍馬の愛読書でもある。

書評

本書で紹介されているのは、言志四録全1133条の中の一部ではあるが、なるほど、リーダーの心得として深い箴言が多く、西郷隆盛が座右の書として読み耽ったのも頷ける。

根底に流れているのは儒教の思想。「逆境は冬のようなもの(いずれ春が来る)」といった比喩表現が多く、ロジカルに展開される西洋の哲学や倫理学に慣れた人には、若干まどろっこしく感じるかもしれない。また、似たようなことを別の言い方で表現していることも多い。

だが、リーダーとしての普遍的な真理がふんだんに記されており、現代を生きる我々にも、十分参考になる。

要約・あらすじ(齋藤孝による分類・抜粋)

第1章「仕事力」

■綿密に準備し、手早く実行せよ(言志録26)

■幅広い見識と奥深い思考が聡明さの源泉である(言志録144)

■仕事をする際には、仕事の緊急度と自分の能力を考慮してから始めるべきだ(言志晩録158)

■わざわざ幸せを求める必要はない。災いさえなければ幸せだ(言志耋録154)

■自分を過小評価してはいけないし、ましてそれを口に出して相手に伝えてはいけない(言志晩録170)

■私たちは、いつも心を「今」に集中しなければならない(言志晩録175)

■猪突猛進も易しくはないが、状況を見定めて退くことこそ難しい(言志晩録236)

■行動なき知識は妄想であるし、知識なき行動は妄動である(言志耋録11)

■人には快楽が必要だが、それは自分の外側(財産・飽食等)ではなく内側(心)にある(言志耋録 75)

胸の中がすがすがしく心地よいならば、世間に起こるあらゆる困難も何ら行き詰まることなく処理していける(言志耋録 76)

■仕事にあたっては、以下に留意せよ。「優先順位を付ける」「いい加減な気持ちでやらない」「基本動作を疎かにしない」「忙しいからといって手を抜かない」「細事にこだわりすぎない」(言志晩録153)

■物事にあたるには、まず、軽重を考えてから始めるべきである(言志晩録153)

■異動や左遷、損得の話ばかりしていてはいけない(言志晩録163)

第2章「リーダー力」

■自分が情熱を持って初めて、それが人に伝わる(言志耋録119)

人の言うことは、一度、聞き入れてからよしあしを判断すべきである。はじめから拒否してはならない(言志録36)

■リーダーたるものは、心遣いを忘れてはならない(言志晩録160)

■人が自分にどのような態度・反応を示すかは、全て自分の心が整っているか否か次第である(言志後録103)

■災いは全て上から起こる(言志録102)

■指導にはいくつかの方法がある。助け導く、戒め諭す、手本を見せる、何も言わず背中を見せる、一度上から教えてその後に褒める等である。(言志後録12)

■石は重いから動かないし、大木は根が深いから抜けないのである。リーダーもこれと同じようにどっしりと構えていなければならない(言志晩録222)

■人の誤りを指導する場合、完全に追い詰めてはいけない(言志晩録233)

■何かあるときは、若い人に相談して、自分に足りないところを補うのが良い(言志晩録262)

■部下を注意する際の言葉は、簡潔明瞭で適切でなければならない。また、細かい点まで注意しすぎず、部下自身が考えを巡らして反省できるように促すとよい(言志耋録160、166)

第3章「学習力」

■最上の人は宇宙の真理を師とし、二番目の人は立派な人を師とし、三番目の人は経典を師とする(言志録2)

■あらゆる仕事において、天に仕える心を持つことが必要である。人に示す気持ちがあってはいけない(言志録3)

■学問をする効用は、その人の気質を変えて良くすることにある(言志耋録28)

■広い視野や高い視座を持つだけでは浅い人生に終わる。どこまで自分の本質を理解し、悟りを得るかが大切だ。何かをインプットしたら、自分なりに付加価値を付けてアウトプットしなければ意味がない(言志晩録63、言志後録5)

■書を読む際には、自分の心で書の真意を読み取り、書の真意で自分の心を解釈するのが良い(言志晩録76)

■疑わしいものをよく見分けることを、聡明という(言志耋録73)

第4章 人間関係力

■春風の和やかさをもって人に接し、秋霜の鋭さをもって自らの悪い点を改めよう(言志語録33)

■まず気持ちが動き、次に体が動くと、心が和やかになり、言葉もそれに従い、全てが礼儀に適うようになる(言志耋録60)

■人を包容することのできない人は、見識も浅く、度量も狭い(言志耋録13)

■人が相談に来た時には、穏やかに、手短に自分の考えを述べ、争いの種になるようなことは言わない方が良い(言志晩録250)

■赤ん坊の泣き声や笑い声は天然自然の声、老人の言葉は生きた歴史である(言志晩録214)

第5章 人生力

■十分考えて、これが最善であると決定して、やむにやまれない勢いで動けば、少しも行き詰まることはない(言志録125)

■君子は常に吉で、小人は常に凶である(言志録202)

■暗闇でも、一張りの提灯さえあれば、それを頼んで進めばよい(言志晩録13)

■己に打ち克つには、己の気性を知らなければならない(言志耋録39)

■順境と逆境は、それぞれ春と冬のようなもので順繰りに巡ってくる。人生、浮き沈みがあって当然である。そして、順境の中にも逆境はあり、逆境の中にも順境がある(言志語録86、言志晩録184)

■人は年を取ると、何をするにも億劫になり、短気になる。そして人から嫌われることになる(言志語録217)

■人は幼い時には完全に真心を持っている。それを忘れてはいけない(言志耋録51)

学びのポイント

課長・部長・役員の仕事

何でも広く聞いて覚えておくのは、聡明の横幅である。また、深く物事を考え抜くのは、聡明の奥行きである。(言志録144)

これは現代のビジネスリーダー、特にマネージャークラス(=課長クラス)に求められる資質と言える。

「聡明の横幅」とは、広い視野で多角的に物事を考えること。「聡明の奥行」とは、深い思考で合理的に物事を考えること。一つ加えるとすれば、「聡明の縦幅」で、これは高い視座で長期的に物事を考えることで、課長クラスには、「対業務スキル」として、この3つが求められる。

【対業務スキル】
広:広い視野で多角的に(=聡明の横幅)
高:高い視座で長期的に(=聡明の縦幅)
深:深い思考で合理的に(=聡明の奥行)

しかし、課長クラスは業務をこなすことだけでは足りなくて、部下を育てることも求められる。もし「対部下スキル」を整理するなら、このようになるだろう。

【対部下スキル】
やる気にさせる
成長させる
心理的安定性を確保する

つまり、マネージャーは実務をこなし、部下を育てることで「結果を示す」ことが求められる立場と言える。

一方、その上の部長クラスに求められることは「理想を示す」ことであり、そのために必要な判断基準は大きく以下の3つ。

真:本質的か
善:倫理的か
美:スマートで美しいか

多角的・長期的・合理的に考えて「正しいかどうか」の判断は既に課長クラスがやっている。その上の部長クラスに求められるのは、その仕事自体が本質的で必要なことか、倫理的に間違えていないか、といったことの確認だろう。

そして最後、役員の仕事は、これらを統合した大局判断である。

大局判断=正確な情報+才(広高深)+徳(真善美)+経験

例えば、幕末に活躍した勝海舟がこんなエピソードを残している。

幕末、財政に困った大名が偽の銀を作り、海外との取引にも使用したところ、維新後、諸外国が明治新政府に(正当な銀との)交換を迫った。

困った大久保利通は仲介人を介して、私のところに相談に来たので、私は「全て引き換えろ」と指示した。いかに大名が偽銀をこしらえたとしても、たかが知れているだろうと思ったからだ。

事実、その額は案外少なく、数十万円で済んだとのことだ。

この例で勝海舟が下した大局判断は、以下のように分析できる。

①正確な情報=諸外国は明治新政府に偽銀の引き換えを求めているという事実。
②才(広高深)=引き換えに応じない→国際ルール違反→日本の近代化にとって障害となり得る。
③徳(真善美)=偽銀の鋳造など、明らかに正しくなく、善くなく、美しくない。
④経験(直観)=大名が拵える偽銀など、どうせたかが知れている。

これまでの話は以下のように整理されるだろう。

①正確な情報収集=課長以下の仕事
②広い視野・高い視座・深い思考による合理性・論理性の検討=課長クラスの仕事
③正しいことか、善いことか、美しいことかの判断=部長クラスの仕事
④すべての要素+直観的にどうか=役員クラスの仕事

佐藤一斎的な幸福論

①人には快楽が必要だが、それは自分の外側(財産・名誉)ではなく内側(精神)にある(言志耋録 75)

②わざわざ幸せを求める必要はない。災いさえなければ幸せだ(言志耋録154)

世の中には多くの「幸福論」があるが、佐藤一斎の主張は、仏教や禅の考え方を踏襲している。

そもそも仏教での幸福は「物質レベルの幸福」⇒「精神レベルの幸福」⇒「苦からの解放による幸福」の順で高次に上がっていくとされている。佐藤一斎の言う①は「精神レベルの幸福」であるし、②は「苦からの解放による幸福」であると言える。

しかし、これは東洋独特の考え方ではない。例えば①について、ショーペンハウアーは著書『幸福について』でこう述べている。

人間の幸福の主たる源泉は、自らの内面にある。仕事以外での人間の「楽しみ」は以下3つに分類できるが、このうち、成熟した賢者のみが「精神的な楽しみ」を享受できる。

(1)生きる楽しみ(飲食、睡眠など)
(2)身体的な楽しみ(スポーツ、行楽など)
(3)精神的な楽しみ(読書、思索など)

それ故、賢者は孤独を好む。何故なら内面に備わっているものが大きく、外部刺激を必要としないからだ。逆に愚者は(1)と(2)しか楽しみがないから、是が非でも気晴らしや社交を求め、空虚な自分から逃れようとする。

ショーペンハウエル『幸福について』より趣旨要約

また、②についてはこうだ。

私はあらゆる生きる知恵の最高原則は、アリストテレスが『ニコマコス倫理学』でさりげなく表明した文言「賢者は快楽を求めず、苦痛なきを求める」だと考える。

幸福論は、幸福論という名称そのものがいわば粉飾した表現であり、「幸せな人生」とは、「あまり不幸せではない人生」、すなわち「まずまずの人生」であると解すべきだという教えから始めねばならない。

ショーペンハウエル『幸福について』

東西の思想家が揃って同じことを言っているという点は、とても興味深い。

「緊急度」と「重要度」

物事にあたるには、まず、軽重を考えてから始めるべきである。

(言志晩録153)

佐藤一斎は、地元の美濃岩村藩向けに作ったリーダーの心得集である『重職心得箇条』でも、このように述べている。

仕事においては、優先度と緊急度を見誤ってはいけない。

視野を広く持ち、視点を高くして、10年先のことまで見据えて、一歩一歩着実に進むことが大切だ。(第10条)

この考え方も、佐藤独自のものではなく、古今東西広く説かれている普遍的な教訓と言える。

例えば、20世紀最強の自己啓発本、スティーブン・コヴィー著『7つの習慣』の「第3の習慣」では、仕事のみならず、人生全般においても「優先度と緊急度」という考え方を導入せよと説く。

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効果的なマネジメントとは「最優先事項を優先する」ことである。特に長期的な視点で「緊急ではないが重要」な領域にどれだけ資源を振り向けられるかで人生の充実度は決まる。そのためには「将来ビジョン」を持たなければならない。

7つの習慣(時間管理のマトリクス)

■第Ⅰ領域の危機や問題は、大きくなる前に芽を摘む「予防活動」を通じて極力減らすべきだ。緊急度という刺激に反応し続けて人生を終えてはならない。

■自らの時間を第Ⅱ領域にうまく配分するには、「将来ビジョン」と「今、何をすべきか」を整理し、1週間単位でスケジューリングしていくことや、何でもかんでも自分でやるのではなく、特定の分野に優れた他者を活用することが有効だ。

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どうだろうか。普段、雑事に追われていると、仕事でも日常生活でも第Ⅰ領域(緊急・重要)をこなすことで精一杯になる。第Ⅲ領域(緊急・非重要)にも振り回される。
たまに余暇時間が出来ても疲れていて、第Ⅳ領域(非緊急・非重要)のダラダラスマホなどに時間を取られることになる。

これは言い換えれば、第Ⅰ・Ⅲ領域=消費、第Ⅱ領域=投資、第Ⅳ領域=浪費と言い換えられる。どれだけの時間を投資に回せるかが、長期的なパフォーマンスを左右するということだろう。

西郷隆盛「敬天愛人」のルーツ

最上の人は宇宙の真理を師とし、二番目の人は立派な人を師とし、三番目の人は経典を師とする(言志録2)

あらゆる仕事において、天に仕える心を持つことが必要である。人に示す気持ちがあってはいけない(言志録3)

幕末の偉人西郷隆盛は2度の「島流し」を経験しているが、2回目の島流しの際に本書に出会い、以後、本書を座右の書として精神的な支えとした(1回目は奄美大島、2回目は沖永良部島)。

西郷隆盛

西郷隆盛

その西郷の座右の銘は「敬天愛人(天を敬い、人を愛する)」であり、本人はこのように述べている。

天が指し示す道理というのは、人為によって左右されるものではないというのが、この天や道についての基本なのである。 だから「私」を差し挟んではいけない。

人が行くべき道は、天から与えられた道理を守る、すなわち天を敬うということだ。また、(人は天より生まれたものであるから)周囲の人を愛さなければならない。そのためには身を修め、常に意志の力で自分の衝動や欲望を制御する、つまり己に克たなければならない。

天は他人も私も区別なく愛されるのであるから、われわれは自分を愛する心を持って他人をも愛することでなくてはならない。

これは明らかに、佐藤一斎の言志録に影響を受けたものであろう。

なお、この「人類には普遍的な『従うべき大原則』があり、それを実現することが幸福に繋がる」という考え方は、古今東西、様々な偉人たちが人生の拠り所にしている。

人間の繁栄は、全て宇宙の秩序に基づいて与えられるものであります。この秩序に従って生きることが大義であります。

松下幸之助「松下幸之助の哲学」

宇宙を貫く意志は愛と誠と調和に満ちており、すべてのものに平等に働き、宇宙全体をよい方向に導き、成長発展させようとしている。

稲盛和夫「生き方」

神々のわざは摂理にみちており、運命のわざは自然を離れては存在せず、また摂理に支配される事柄とも織り合わされ、組み合わされずにはいない。

マルクス・アウレリウス・アントニヌス「自省録」

不機嫌は大敵

春風接人 秋霜粛自(言志語録33)

(春風の和やかさをもって人に接し、秋霜の鋭さをもって自らの悪い点を改めよう)

リーダーたるもの、常に部下に対しては「春風の和やかさをもって」上機嫌で接し、自分に対しては「秋霜の鋭さをもって」厳しく制御しなければならないということ。

特に「常に上機嫌でいる」ということは、頭では分かっていても、実践するのは非常に難しい。

上機嫌の大切さについて、フランスの哲学教師アランは著書『幸福論』の中でこのように言っている。

何かのはめで道徳論を書かざるを得ないことになれば、私は義務の第一位に上機嫌を持ってくるに違いない。人生の些細な害悪に出会っても、不機嫌で自分自身の心を引き裂いたり、それを伝染させて、他人の心を引き裂いたりしないように、努めねばならない。

幸福の秘訣の一つは、自分自身の不機嫌に対して無関心でいることだ。相手にしないでいれば、いずれ消滅する。これこそ、本当の道徳の最も重要な部分だ。

また、日本においても上機嫌の重要性は変わらない。福澤諭吉は著書『学問のススメ』でこう言う。

表情や見た目が快活で愉快なのは、人間にとって徳の一つであって、人付き合いの上で最も大切なことである。

ちなみに、2001年から2006年まで内閣総理大臣を務めた小泉純一郎は、2002年3月21日付のメールマガジンで、この「春風接人」を紹介している。

私の好きな言葉の一つに「春風接人(しゅんぷうせつじん)」がある。儒学者佐藤一斎が言志四録(げんししろく)の中で「春風接人、秋霜自粛」と述べている。

春風のような優しさで人に接し、秋の霜のごとく厳しく自らの行動をただすこと。

大切なことだが、なかなか実践できるものではない。人間は、自分には何かと言い訳をつけて甘くなりがちなもの。逆に、自分に厳しい人は、他人にも同じことを求め、人に厳しくなりがちなものだ。

誰もが、思いやりといたわりの心で人と接することができる社会を築いていきたい。

小泉内閣メールマガジン

一張りの提灯を持つ

暗闇でも、一張りの提灯さえあれば、それを頼んで進めばよい(言志晩録13)

「何があっても自分だけが頼り」という強い人はそれで良いが、多くの人は苦しい時に何かに頼るのではないだろうか。

それは何でもよい。友人や家族、座右の書や尊敬する人など、直接自分を助けてくれるものでも良いし、没頭できる趣味や気分転換の気晴らしなど、間接的に自分をサポートしてくれるものでもいい。何か一つでも、心の拠り所があればいい。

しかし、たった一つだけでは、不安定である。自分を支えてくれるものは、多ければ多いほどいい。

人間を取り巻く基本的な構成要素には、大きく、
①家族・親族
②仕事・社会
③友人・プライベート
④自分自身
の4つがある。

そして、この4つの要素とも、全てが順風満帆ということは多くない。家族とうまくいかないこともある、仕事でミスが続くこともある、友人に裏切られることもある、自分自身の感情をうまくコントロールできないこともある。

しかし逆に、全てが全て上手くいかない、ということも多くない。例えば、何かが上手くいかなくとも、別の何かが自分を支えてくれるはずだ。仕事がうまくいかなくても、家族が話を聞いてくれるかもしれない。友人とモメても、自分に気力があれば乗り越えられるかもしれない。だからこそ、常にこの4つとは真摯に向かい合っておく必要があるのではないだろうか。

4つの世界

人事部長のつぶやき

自己評価は相手の評価にも繋がる

自分を過小評価してはいけないし、ましてそれを口に出して相手に伝えてはいけない(言志晩録170)

これはそのとおり。もし他人が自分のことを「あれ、ちょっと能力が足りないのかな。気のせいかな」と思っていたとして、仮にそれを自分で認めてしまうと、その評価は定まってしまう。

そして、それが組織全体で起こると、自分の能力は正しく発揮できなくなってしまう。

もちろん背伸びは良くないですが、自分の能力が正しく評価されるようにするには、自分で自分を過小評価してはいけないということですね!

噂話はほどほどに

異動や左遷、損得の話ばかりしていてはいけない(言志晩録163)

なかなか耳が痛いビジネスパーソンも多いのではないだろうか。

会社の人と飲みに行くと、どうしても話題は仕事の話になる。特に社内人事については共通の話題なので盛り上がるには盛り上がる。

しかし、それが何になるのか・・・

コロナ前は無駄な社内飲み会が多かった、という方も多いのではないでしょうか

部下の話はまず聞く

人の言うことは、一度、聞き入れてから良し悪しを判断すべきである。はじめから拒否してはならない(言志録36)

人間、忙しいと、どうしても結論を急ぎたくなる。特に、論点がなかなか見えず、ダラダラとした説明を受けると、話を途中で遮りたくもなる。

しかし、まずは「受け止める」という姿勢を示さないと、部下は委縮したり、面倒くさがったりして、正しい情報が入ってこなくなる可能性もある。部下の話を聞くのは上司の仕事の一つだと心得るべきだろう。

言うは易し、行うは難しですけどね。。。

人間関係は全て自分次第

人が自分にどのような態度・反応を示すかは、全て自分の心が整っているか否か次第である(言志後録103)

これは個人的に、本書の中で最も響いた言葉。深刻な顔で相談に行けば、相手も深刻な態度になる。イラついて応対すれば、相手もイラついた態度になる。

しかし、こちらが快活であれば、相手も自ずと快活になる。そうならない場合は放っておけばいい。

心が整わない場合は、せめて笑顔を作ると良い。近年の研究では、笑顔に似た表情は、快の感情等に作用するドーパミンの分泌を活性化させることが分かっている。

不機嫌な時、体の調子が悪い時は、しかめっ面になりがちである。せめて笑顔が作れれば、自分の感情もコントロールできるし、周囲にも威圧感を与えない。

フランスの哲学教師アランは、著書『幸福論』の中で、こんなことを言っている。

生理学者はよく知っているが、笑顔というものは、あくび同様深く下のほうまで降り下り、次々と喉や肺や心臓をゆったりさせる。医者の薬箱のなかにだって、こんなに早く、こんなにうまい具合に効く薬はあるまい。

「笑顔の効用」は忘れないようにしたいですね!

昭和の軍人でも

指導にはいくつかの方法がある。助け導く、戒め諭す、手本を見せる、何も言わず背中を見せる、一度上から教えてその後に褒める等である。(言志後録12)

「相手に合わせて、柔軟に指導方法を変えるべき(=教える側には工夫がいる)」というのは、少子化で子供が大切に扱われるようになってから生まれた考え方ではなく、少なくとも江戸時代には言われていたということ。

昭和の軍人でさえ、かの山本五十六連合艦隊司令長官が残したように、教える側がいろいろと働きかけなければ、決して育つことはなかったのだ。

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ

話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず

やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず

山本五十六

山本五十六

山本五十六

やってみせ言って聞かせてさせてみて誉めてやらねば人は動かじ

天下の連合艦隊司令長官でも、人を動かすのに苦労していたんですね。何だか身近に感じられます。

人生は一生勉強

少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず(言志晩録60)

(若いうちに学んでおけば、壮年の時に仕事に役立つ。壮年でも学べば、老いても気力が衰えない。老いても学べば、(より多く社会に貢献できるから)死んでも名が朽ちない)

私の勤めている会社だけかもしれませんが、日本人は大学を出ると、その後、ほとんど勉強しなくなる気がします。飲み会での話題は仕事か人事、あるいはゴルフの話で、面白い(funnyではなくinterestingという意味での)話ができる人は限られます。

総務省が実施した「平成 28年社会生活基本調査」によると、社会人の平均勉強時間は1日6分だそうです(あくまで平均なので、勉強していない人が大半なのでしょう)。

また、パーソル研究所がアジア太平洋地域を対象に行った2019年の調査では、日本人の46%が自己啓発の勉強をしておらず、調査国の中ではぶっちぎりで最下位でした。

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これは何故なのでしょうか。「終身雇用・年功序列で勉強するインセンティブがない」「大学受験で勉強は終わりと思っている」「勉強を楽しんだことがない」「忙しすぎて勉強する時間がない」などなど、理由はいくつも考えられますが、これでは国際競争で確実に劣後していくでしょう。

調査をよく見ると、読書率も最下位ですね(>_<)

自分と向き合っているか

広い視野や高い視座を持つだけでは浅い人生に終わる。どこまで自分の本質を理解し、悟りを得るかが大切だ(言志晩録63)

何かをインプットしたら、自分なりに付加価値を付けてアウトプットしなければ意味がない(言志後録5)

江戸時代でもこのような教訓が存在していた。ましてや現代は情報が溢れかえっていて、ニュースを追い、SNSを眺め、本を読んでいたら一日などあっという間に過ぎ去ってしまう。インプットだけでは浅い人生に終わる。

一方、どれだけの人が、自分と向き合う時間を確保できているだろうか。或いはアウトプットできているだろうか。ここ数年、瞑想やマインドフルネスが流行っているのは、強制的に時間を確保しないと、自分と向き合うことさえできないということだろう。

ちなみに海上自衛隊の幹部候補生学校では、一日の終わりに瞑目静座して、以下の「五省」を唱えるそうだ。

一 至誠に悖(もと)るなかりしか
〔誠実さや真心、人の道に背くところはなかったか〕

二 言行に恥づるなかりしか
〔発言や行動に、過ちや反省するところはなかったか〕

三 気力に欠くるなかりしか
〔物事を成し遂げようとする精神力は、十分であったか〕

四 努力に憾(うら)みなかりしか
〔目的を達成するために、惜しみなく努力したか〕

五 不精に亘(わた)るなかりしか
〔怠けたり、面倒くさがったりしたことはなかったか〕

例えば湯船に浸かる10分間だけでも、自分と向き合い時間が欲しいですね!

清濁併せのむ包容力

人を包容することのできない人は、見識も浅く度量も狭い(言志耋録13)

リーダーになると、様々な部下や情報に接することになる。もちろん全員が全員、能力的に優れているわけではないし、非常にやっかいな案件を持ち込まれることもある。

しかし、そこでイラついたり、突き放したり、諦めたりしてはいけない。リーダーの仕事は、チームのポテンシャルを引出し、部下を成長させることにある。

特に平成世代は、少子化の影響で、昭和世代に比べて激しい同世代競争に晒されていない。「No1にならなくていい、オンリーワンなのだから」とSMAPが歌ったのは2002年。競争に勝ち抜くより、自分らしく生きることが是、というメッセージを受けた世代を、千尋の谷に突き落としても帰ってこない。

包容力はリーダーの必須条件。西郷隆盛も影響を受けたのかもしれません。

君子はポジティブ思考

君子は常に吉で、小人は常に凶である(言志録202)

齋藤先生の解説では、君子はどのような場面でも愚痴が少なく、来たものを受け入れ、自分でプラスに変えていくことができる。そうすると、すべてが吉になる。

一方、小人のほうは、悪いことがあると「なんで自分ばっかりこんな目に遭うのか」と不平不満を口にする。そしてすべてが凶になっていく。

まさに、その通りだろう。自分に制御できないものを嘆いても仕方ない。紀元前にギリシャで発生したストア哲学では、このように表現される。

不動心に至るには、我々にはコントロールできるものとできないものがあることを自覚し、コントロールできるものに注力し、コントロールできないものに囚われないという態度が必要である。

老害にならないために

人は年を取ると、何をするにも億劫になり、短気になる。そして人から嫌われることになる(言志語録217)

いわゆる老害というやつである。そもそも、特に男性は、加齢とともに表情・態度ともに不機嫌に見える傾向がある。そして話が長くなり、説教じみることになる。相当に気を付けないと、若い人はどんどん遠ざかっていくことになる。

なお、渋沢栄一は著書「論語と算盤」の中で、こんな言い方をしている。

ある書物の健康法のなかに、こんなことが書いてあった。「もし年老いてまだ寿命に恵まれていたとしても、ただ食べて、寝て、その日を送るだけの人生では、そこには生命などなく肉の塊があるだけだ。」と。今日でも、世間に名高い人で、「まだ生きていたのか」と思われる人がたくさんいる。これでは肉の塊でしかない

こんな風に言われないようにしたいですね!

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