「武士道」新渡戸稲造

  難易度 ★★★☆☆
オススメ度 ★★★★★
 所要時間 2時間15分

武士道
この記事を書いた人
人事部長

上場企業に入社以来、経営・財務・営業・人事・海外事業等を経験し、現在は人事部門のマネージャです。

「才徳兼備」を目指す部下に紹介している「骨太の教養本100冊」を、順次web上にも公開しています。

慶應義塾大学経済学部卒業、シカゴ大学経営大学院修了(MBA)、米国公認会計士。

「武士道」新渡戸稲造

基本情報

初版   1900年
出版社  三笠書房等(現代語訳)
難易度  ★★★☆☆
オススメ度★★★★★
ページ数 219ページ
所要時間 2時間15分

どんな本?

明治の初め、外国人学者から「宗教教育のない日本でどうやって道徳教育が授けられるのか」と問われたことをきっかけに執筆した「日本の道徳」論。

原書は英語で書かれており、セオドア・ルーズベルト米大統領はこれを読んで感動し、何十冊も購入して家族や友人に配ったという。

ちなみに、同時期に英語で出版された、内村鑑三著『代表的日本人』そして岡倉天心著『茶の本』と並び、明治の英文3部作と呼ばれたりする。 

著者が伝えたいこと

欧米のみなさん!日本にもしっかりした道徳観がありますから、対等に付き合ってくださいね!

著者

新渡戸稲造(にとべいなぞう) 1862-1933

新渡戸稲造

新渡戸稲造

1862年(文久2年)、盛岡藩の武士であった新渡戸十次郎の三男として生まれる。東京英語学校を経て、1881年札幌農学校卒業。同農学校在学中、内村鑑三(うちむらかんぞう)らとともに受洗し、キリスト者となる。

1883年東京大学に入学するも飽き足らず、翌1884年退学し、アメリカに留学。1891年札幌農学校教授、1901年台湾総督府技師、1906年第一高等学校校長、1909年東京帝国大学教授、1918年東京女子大学学長。

その後、「太平洋の橋たらん」との信念のもとに、国際連盟事務次長(1920~1926)あるいは太平洋問題調査会理事長(1929~1933)として、国際理解と世界平和のために活躍した。

こんな人におすすめ

グローバル社会において、日本人本来の「徳」や「精神」を理解したい人

背景解説

ペリー来航で開国した日本は、政治体制・経済体制・法体系等を整備し、近代化の歩みを始めるが、欧米列強からは劣等国として不平等条約を結ばされる。

新渡戸は日本が日清戦争に勝利し、まさに「坂の上の雲」を掴もうとしている1900年に本書を英語で発刊し、日本にも欧米同様の高い道徳性や倫理観があることを示した。

内村鑑三『代表的日本人』、岡倉天心の『茶の本』も同様に、日本の高い文化を海外に示すためのものだった。なお、新渡戸と内村は札幌農学校の同窓生で、ともにキリスト教徒。

ちなみに、不平等条約の改正は、陸奥宗光外相・小村寿太郎外相の努力などもあり、1911年までに実現していくことになる。

要約・あらすじ

■日本には宗教はないが「武士道」という、封建制度が生んだ不文法の道徳体系がある。中でも「名誉」(恥ずべき言動をしない)と「忠義」(主君への忠誠心)を重視し、「卑怯者」や「臆病者」は最も忌み嫌われた。

■武士道は仏教・神道・儒教からも影響を受けている。仏教は「不可避なものへの静かな服従」「有事における禁欲的な平静さ」「生への侮蔑と死への親近感」などを、神道は「主君に対する忠誠」「先祖と祖国への崇敬」などを、儒教は「君臣、父子、夫婦、兄弟、朋友関係の特別視」「仁」「義」「礼」「誠」などをもたらした。

■武士の教育では人格形成が重視され、弁舌などの技術的な才能や、客観的真理を追うようなことは軽視された。商売や金勘定も卑しいとされたため、経済や数学も学ばなかった。

■「切腹」は法制度の一部だった。欧米人からは野蛮、あるいは残忍に見えるかもしれないが、武士の名誉を守るための典礼のような要素も帯びていた。

■武士は少年の頃から帯刀し、それが自尊と責任の感情を生んだ。武士道の究極の理想は平和にあり、自刀の乱用は戒められ、嫌悪された。

■日本でキリスト教の布教がうまくいかないのは、武士道の存在に拠る。キリスト教は、武士道の接ぎ木としてはあまりに貧弱だ。

■日本の武士道は欧州の騎士道と対比できる。武士道はそのくらい気高い道徳体系であり、国民全体の精神となった、しかし、昨今では功利主義・唯物主義が蔓延り、武士道の伝統は消えつつある。

学びのポイント

武士道とは武士階級の「ノブレス・オブリージュ」

武士道は一言でいえば「騎士道の規律」、武士階級の「高い身分に伴う義務(ノブレス・オブリージュ)」である。

本書は欧米の読者を想定しているため、まず「武士道とは何か」を騎士道を用いて分かりやすく定義している。

ノブレス・オブリージュ(Noblesse Oblige)とは、文字通りの意味では「貴族の義務」、具体的には「身分の高い者は、それに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務がある」という道徳律を指す言葉である。

普段、貴族階級なり武士階級は生産活動を行わず、生活は納税者である市民なり農民に依存している。その分、例えば戦争が起こった際には真っ先に戦わなければならない。現代でも、貴族階級や富裕層は社会の模範として、ボランティア活動や寄付でこの義務を果たすことが多い。

才(知識・スキル)<徳(人格・人間力)

武士道は知識のための知識を軽視した。知識は本来、目的ではなく、知恵を得る手段である、とした。(中略)

知的専門家は機械同然とみなされた。知性そのものは道徳的感情に従うものと考えられた。

ここでは「道徳」>「知識」が明確に示されている。少し敷衍するならば、以下のようになるだろう。

道徳・・・人徳。人間力。何が正しいか、善いか、美しいかを判断し追求する力(梯子を正しい場所に掛ける力)

知識・・・才能。スキル。何かをうまく為したり、自分を良く見せるための手段(梯子を上手く昇る力)

この「道徳(=人格)>知識(=才能・スキル)」という考え方は、古今東西、様々な思想家・哲学者が説いており、例えばこんな表現がなされている。

人格才能
孔子
アリストテレスエトス(倫理)ロゴス(論理)
渋沢栄一論語算盤

また、歴史上、数多くの人々が、同じ趣旨のことを言っている。ここではその代表的なものを時代順に列挙しておきたい。

①洪自誠『菜根譚』

徳は才の主にして、才は徳の奴(ど)なり
(道徳は才能の主人で、才能は道徳の使用人である)

②サミュエル・スマイルズ『自助論』

知性溢れる人間を尊敬するのは一向に構わない。だが、知性以上の何かがなければ、彼らを信用するのは早計に過ぎる。

イギリスの政治家ジョン・ラッセルはかつてこう語ったことがある。「わが国では、いくら天才に援助を求めることがあっても、結局は人格者の指導に従うのが当然の道とされている」。これは真理を言い得た言葉である。

③勝海舟『氷川清話』

学問にも色々あるが、自分のこれまでの経歴と、古来の実例に照らして、その良し悪しを考えるのが一番の近道だ。

小さな理屈は専門家に聴けば事足りる。俗物は理屈詰めで世の中の事象に対応しようとするからいつも失敗続きなのだ。

理屈以上の「呼吸」、すなわち自分の中にある信念や経験をもとに判断するのが本当の学問というものだ。

今の学生はただ一科だけ修めて、多少の智慧が付くと、それで満足してしまっている。しかし、それではダメだ。

世間の風霜に打たれ、人生の酸味を嘗め、世態の妙を穿ち、人情の機微を究めて、しかる後に経世(世の中を治める)の要務を談ずることができるのだ。

④昭和の知の巨人、安岡正篤『運命を創る

人間は「本質的要素」と「付随的要素」から成る。

「本質的要素」とは、これをなくしてしまうと人間が人間でなくなるという要素であり「徳」とか「道徳」という。

具体的には、人を愛するとか、人を助けるとか、人に報いるとか、人に尽くすとか、あるいは真面目であるとか、素直であるとか、清潔であるとか、よく努力をする、注意をするといったような人間の本質部分である。

もう一つは「付属的要素」で、大切なものではあるが、少々足りなくとも人間であることにたいして変わりないというもので、例えば「知性・知能」や「技能」といったものである。

ことに戦後の学校教育は非常に機械的になり、単なる知識や技術にばかり走っている。近来の学校卒業生には、頭がいいとか、才があるとかという人間はざらにいるが、人間ができているというのはさっぱりいない。

そのために、下っ端で使っている間はいいが、少し部下を持たせなくてはならないようになると、いろいろと障害が出るといった有様だ。これは本質的要素を閑却して、付属的方面にばかり傾いた結果である。

⑤ピーター・ドラッカー『経営者の条件』

知識やスキルも大切だが、成果をあげるエグゼクティブの自己開発とは、真の人格の形成でもある。

⑥S・コヴィー『7つの習慣』

建国から約150年間に書かれた「成功に関する文献」は、誠意、謙虚、誠実、勇気、正義、忍耐、勤勉、質素、節制、黄金律など、人間の内面にある人格的なことを成功の条件に挙げている。私はこれを人格主義と名づけた。

ところが、第一次世界大戦が終わるや人格主義は影をひそめ、成功をテーマにした書籍は、いわば個性主義一色になる。

成功は、個性、社会的イメージ、態度・行動、スキル、テクニックなどによって、人間関係を円滑にすることから生まれると考えられるようになった。

⑦稲盛和夫『生き方』

人の上に立つ者には、才覚よりも人格が問われる。

戦後日本は経済成長至上主義を背景に、人格という曖昧なものより、才覚という成果に直結しやすい要素を重視してリーダーを選んできたが、それではいけない。

西郷隆盛も「徳高き者には高き位を、功績多き者には報奨を」と述べているし、明代の思想家呂新吾は著書『呻吟語』の中で「深沈厚重なるは、これ第一等の資質。磊落豪雄なるは、これ第二等の資質。聡明才弁なるは、これ第三等の資質」と説いている。

この三つの資質はそれぞれ順に、人格、勇気、能力とも言い換えられる。(一部要約)

君主は「仁」を発揮する

君主が権力を自由に行使することは、私たちにとってはヨーロッパにおけるほどには重圧に感じられない。

そればかりか、一般的には国民感情に対する父性的配慮によって緩やかなものに感じられるのである。

江戸時代の被支配層、例えば農民というと、四公六民とは五公五民などといわれ、幕府から搾取されていたようなイメージがある。

しかし、実際には、新たな農具の発明などにより農業生産性が上がっても、土地の評価(石高)は頻繁に更新されなかったため、江戸時代の農民は我々のイメージほど極端に貧しかったわけでもないという見方もある。

幕末から明治にかけて、多くの欧米人が日本を訪れたが、その記録をまとめた渡辺京二著『逝きし日の面影』には、このような記述がある。

日本は江戸幕府による専制下にあるが、統治は緩やかである。

将軍や大名は窮屈な儀礼に縛られ、実権は下級に移行していて、威厳は見せかけだけで何の権力ももたない。法は平等で、華飾は身分を問わず制限されている。

町人にしても農民にしても、国の官吏に対する服従は義務付けられているが、生産・商業活動においては誰からも妨げられることなく、最大限の自由を享受している。

身分的差異は画然としていても、それが階級的な差別として不満の源泉となることのないような、親和感に貫ぬかれた文明である。この国では特に下級の者に対する支配はとくに緩やかと言える。

新渡戸の言うとおり、欧米人の目にも「幕府の支配は緩い」と見えていた。徳川家が「仁」に基づいて日本人を支配していたかは評価の分かれるだろうが、江戸時代に「市民革命」が起きなかった理由の一つに、政府から「圧制」を敷かれているという意識が薄かったことは挙げてもよさそうだ。

ちなみに、ヨーロッパではざっと以下のような市民革命が起きている。

1640年清教徒革命(チャールズ1世の専制政治に対抗)
1688年名誉革命(カトリック信者であるジェームズ2世の追放)
1776年アメリカ独立(宗主国イギリスからの独立)
1789年フランス革命(ブルボン朝絶対王政への対抗)

もちろん、宗教対立や国家間の争いもあり、日本との単純比較はできない。また、日本においても、百姓一揆や島原の乱、大塩平八郎の乱などの局地的な「市民革命」はあった。

しかし、日本に政権交代を実現するような市民革命が起きていないことは歴史上の事実である。明治維新は武士階級同士の覇権争いであったし、大東亜戦争後の民主化はアメリカによるものであった。

つまり、日本の「一般市民」は、自分達で自由なり権利を勝ち取ったという経験がない。日本人がデモをやってもイマイチ迫力がないのは、このあたりに理由があるのかもしれない。

武士道を特徴付ける「忠義」

この忠義という徳目、すなわち、主君に対する臣従の礼と忠誠の義務は、封建道徳を顕著に特色づけている。(中略)

私たち日本人が考えている忠義は、他の国ではほとんどその信奉者を見出すことはできないだろう。

「忠義」は武士道の中でも「名誉」と並ぶ、重要な要素であった。「忠臣蔵」のエピソードを紐解くまでもなく、日本人にとっては慣れ親しんだ考え方である。

しかし新渡戸は「ほかの国では支持されないだろう」と言っている。確かに、「日本は恥の文化、欧米は罪の文化」と指摘した大ベストセラー『菊と刀』の著書であるR.ベネディクトは、「名誉」と「忠義」について、このような趣旨のことを述べている。

日本人が大切にする「名誉」は他者から見て恥ずかしいことをしないということだし、「忠義」も主君という他者が存在する。日本人の考え方はこの「他者」に依存する相対的なものだ。

たしかに、あれだけ鬼畜米英といっていた日本人が、天皇陛下の玉音放送を聞いた瞬間に(概ね)アメリカに対して従順になった。これは、日本人の感覚では、主君(=天皇陛下)の言うことが変わったから、それに従っただけである。

その結果、日本はそれまでの軍国主義、天皇崇拝を捨て、「自由・民主主義・基本的人権・法の支配」といった欧米の価値観を(強いられたわけではあるが)許容した。アメリカ人が驚くほど、抵抗がなかった。

終戦翌週の朝日新聞には「従来の姿勢(註:軍国主義のこと)から生じる利益は少なく、損失は甚大であった。わが国はそれに代えて、国際協力と平和愛好に立脚する姿勢を取るべきである」と言っている。180度の転換である。

しかし、例えばイスラム原理主義主義者たちが戦争に負けたからといって、彼らの思想が変わるかと言えば、決してそうはならないだろう。ユダヤ民族は幾度となく民族的危機に陥ったが、その信仰を捨てることはなかった。

確かに、日本人の思想は相対的で、周囲からは「あやうい」とみられても仕方ないのかもしれない。

日本で自然科学が発達しなかった一つの遠因

・サムライは本質的に行動の人である。学問はサムライの行動原理の外にあった。もちろん彼らは武士としての職業に関連する限りにおいて、学問を利用した。

・儒学や文学は武士の知的訓練の主要な部分を形成している。しかしそれらを学ぶときでさえ、サムライが求めたものは客観的真実ではなかった。

・前に述べたように若人を教育する主たる目的は品性を高めることであった。したがって抽象的な命題が若者の心を悩ますことはほとんどなかった。

・日本人が深遠な哲学をもちあわせていないことは、武士道の訓育にあっては形而上学の訓練が重視されていなかったことにその原因を求めることができる。

(関係個所を抜粋)

エリート階級であった武士は、実用的・実践的な学問にしか関心がなかった。これは、同時期のヨーロッパのエリート層が、いわゆるリベラルアーツ(論理学・数学・音楽など)修め、広く自然科学・社会科学を発展させたことと好対照である。

一般的に、西洋では「絶対的真理」を追い、東洋では「社会で役立つ実学」が重んじられる傾向がある。例えば紀元前5世紀ごろ、西洋ではソクラテス、東洋では孔子という偉人が学問を世に広めた。

ソクラテス

ソクラテス

孔子

ソクラテスは、「ある命題が真かどうかを、論理を積み重ねて愚直に探求する」という姿勢で、理性的・論理的に真実を追求し、哲学の祖と言われている。

その弟子のプラトンも、諸々の感覚的存在を超越し,ただ思惟によってのみ把握されうる自己同一的な存在としての真実在(=イデア)の存在を主張した。

ちなみに時代が下って、デカルトは思考の出発点として、誰もが真実であると認められる「共通了解事項」を探したところ、それは「何かを疑っている私自身は、誰にも否定することはできない」という極めて内面的な真理に至る

一方、ソクラテスと同時代に生きた孔子はといえば、論理的に真実を追求するわけでも、神の存在を認めるわけでもなく、ただ「徳を用いて良く国を治める方」という徹底した実利を追求している。

ソクラテスやプラトンを「観念的・理性的・形而上的」と呼ぶなら、論語は間違いなく「実用的・経験的・形而下的」な書物である。

日本を含む東洋で自然科学が発達しなかった理由は、この辺りの歴史的背景にあるのかもしれない。

切腹とは一つの法制度

切腹は一つの法制度であり、同時に儀式典礼であった。

中世に発明された切腹とは、武士がみずからの罪を償い、過去を謝罪し、不名誉を免れ、朋友を救い、みずからの誠実さを証明する方法であった。

当時、切腹は欧米人から見ると「野蛮さの象徴」であったため、新渡戸は「そうではなく、法制度の一つ」として弁明している。

この手の話は多く、例えば仇討ちの正当化も非合理とされたし、混浴の習慣も野蛮とされた。明治以降、欧米化を進めるため、もっと直接的に言えば、欧米に結ばされた不平等条約を解消するため、日本は独自の風習や慣習を廃絶していく。切腹も仇討ちも混浴も、その流れのなかに位置付けられる。

なお、明治5年に加賀本多家旧臣の敵討ちに対して執行された切腹刑が、日本法制史上最後の切腹とされ、その後は近代的刑法制度に移行している。それでもなお、乃木希典陸軍大将、阿南惟幾陸軍大将の他、近いところでは三島由紀夫が切腹自殺を遂げている。

ちなみに、英語圏では切腹は「腹切り」 (harakiri) としてそのまま英語の単語になり、オックスフォード英語辞典にも掲載されている。

女性の地位と立場

(武士階級の女性は)娘としては父のために、妻としては夫のために、そして母としては息子のために、彼女たちは自分自身を犠牲にした。女性は自己犠牲を教えられ、彼女の一生は独立したものではなく、(夫や子に)従事し奉仕する生涯だった。(中略)

ただし、女が男の奴隷でなかったことは、彼女の夫が封建君主の奴隷でなかったことと同じである。

妻たちが果たした役目は「内助」の功として認められた。妻女たちは奉公の上り階段に立っている。彼女は夫のために自己を棄て、夫はそれによって主君のために自己を棄て、最後に主君は天に従うことができるというわけである。

「主君は天に従い、男性は主君に従い、女性は男性に従う」という枠組みで、女性の位置付けを説明している。現代的な感覚では許容されないだろうが、少なくとも武士階級において、女性は自重・抑制・忍耐を強いられることが多かった。

一方、一般の市民階級はそこまでがんじがらめでは無かったようだ。先ほど引用した『逝きし日の面影』によると、欧米人は日本における女性の地位を以下のように見ていた。

女性の地位は必ずしも低くなかった。他の東洋諸国に比べると大きな自由を許されていて、そのためより多くの尊厳と自信を持っている。

家庭生活に不満があればいつでも離婚できたし、離婚歴は当時の女性にとってなんら再婚の障害にはならなかった。男性より出しゃばらないだけで、決して立場が低いわけではない。

(趣旨要約)

武士階級における女性の不自由さは、明治維新における所謂「四民平等」で解消されるのが自然であった。

しかし、中央集権的な国家体制の構築、殖産興業、さらには戦争遂行のためには、個人の自由より社会の安定や男性の活用が優先されたため、少なくとも戦前までは「良妻賢母」的な女性像が推奨されてきてしまった。

日本は桜、ヨーロッパは薔薇

日本=桜=その美の下に刃も毒も持たず、色は華美でなく、香気は淡く、潔く散る。死をものともしない武士道精神の象徴。

欧州=薔薇=甘美の下に棘を隠し、華美な色彩と濃厚な香気を持ち、しばしば枝上に朽ちる。生への執着としての象徴。

(趣旨要約)

薔薇

薔薇

新渡戸は「花」で日本(桜)と欧州(薔薇)を比較している。これも見方によっては「日本を欧州と同じ土俵で論じたい」と無理をしたとも見えるが、日本人としては「その通り!」と言えるような比喩ではないだろうか。

桜は、日本が国民国家としてのアイデンティティを醸成していく上で、その後も欠かせない要素だったと言えるだろう(大東亜戦争中好んで歌われた「同期の桜」など)

人事部長のつぶやき

ちょっと頑張りすぎ?

この小論全体を通じて、私はいいたいことのすべてを、ヨーロッパの歴史や文学から、類似の例証をあげて説明しようとした。

なぜなら、このような例証は、外国人読者の理解をより身近なものにすると思うからである。

確かに本書の中には、欧米の哲学者・歴史家・作家等の引用が多用されている(特にシェイクスピアが多い)。

現代から見ると、「あなた方の文化を理解していますよ」というアピールが過ぎるようにも感じられるが、欧米に追いつき追い越せの明治初期であれば、致し方ない面があったかも。

日本式では競争原理が働かない

どんな仕事に対してもその報酬を支払う現代のやり方は、武士道の信奉者の間ではひろまらなかった。

賃金や俸給は、その仕事の結果が明確で、形があり、計数で測定できる場合にのみ支払われる。

しかしながら、教育の仕事は明確でもなければ、有形のものでもなく、また計数で測定しうるものでもない。計数で測定できないものに対して、価値の外面的な計量方法である金銭を用いることはきわめて不適当である、というのである。

(一部略)

40代以上の日本人であれば、この感覚は何となく分かるかもしれない。昭和の頃、教師というのは「聖職」と呼ばれていたりもした(今でも?)。

しかし、たとえ「精神的価値」にかかわる仕事だからといって、その価値を金額換算しないと、競争原理が働かなくなる。「優れた教育を施せば、それに見合った報酬がもらえる」という仕組みにしておかないと、教育者たちは努力を怠るようになる。

日本式の考え方は理想的ではあるが、共産主義が理想的であったのに失敗に終わったのと同様に、欧米の競争原理には太刀打ちできないということだ。

日教組であれば「いや!教育に携わる人間は努力を怠ったりしない!」「教員評価は組織破壊につながる!」などと叫びそうですね

ジャパニーズ スマイル

日本人には自分の性格の弱点を厳しく突かれたときでさえも、常に笑顔を絶やさないという傾向がある。

というのは日本人の笑いには、なんらかの状況の激変によって心の安らかさがかき乱されたとき、もっともひんぱんに心の平衡をとり戻す努力をうまく隠す役目を果たしているからである。まことに笑いは悲しみや怒りのバランスでさえある。

(一部略)

日本人は海外の人からよく「どんな試練の時でも不敵な笑みをたたえる」と言われ、これを「Japanese Smile」と呼んだりする。

一日本人の実感としては、不敵な笑みをたたえているつもりは(少なくとも私には)ないが、欧米人と比べると、感情をストレートに表に出さない代わりに、微かな笑みを浮かべるという傾向はあるのだろう。それが欧米人には奇異に見えるのかもしれない。

女性について

人類の半数を占める女性は、ときには 矛盾の典型と呼ばれる。というのは、女性の心の直観的な働きは、男性の「算数的理解力」をはるかに超えているからである。(中略)

というのは女性の身体の美しさと、繊細な発想は、男性の粗雑な心理的理解力では説明できないからである。

このジェンダーフリーのご時世、もろ手を挙げて賛意を示すのは憚られるが、現在でも直観的に同意できるのではないだろうか。もちろん個体差はあるが、平均すると男女には生物としての違いがある。新渡戸の認識は、概ね現代の脳科学や心理学も支持するところである。

また、本書の中では、欧米人が自分の妻をほめそやす一方、日本人は「愚妻」などと呼ぶのは、欧米は個人主義で夫婦といえども違う個体であることが前提で、日本は夫婦一体と考えるから、という説明もある。

確かに自分のことをほめそやす人はおらず、「日本は夫婦一体」というのは日本人の感覚と合っているように思えるが、皆さんはどう考えるでしょうか。

「男女平等」で担保されるべきは法的な平等のことである

アメリカの独立宣言が、すべての人間は平等につくられている、というとき、それは人間の知能や肉体的能力に関していわれたわけではなかった。

それは単に、その昔ウルピアヌス が「万人は法の前に平等である」と述べたことを反復しているにすぎない。この場合、人間の平等の基準は、法律上の権利にある、とされていたのである。(中略)

男女それぞれが、この世において、その使命を果たすためにさまざまな要素を備えている。そのことを考えると、男女の相対的地位を測る際にとられるべき基準は複合的な性質のものでなくてはならない。

新渡戸は、武士階級の女性の権利が不当に制限されていたわけではないことを説明する文脈で、アメリカの独立宣言に言及している。

つまり、法的に平等であるというのは簡単だが、男女の性質の違いに基づく役割分担のようなものまで同じ尺度では測り、平等だの不平等だの断じることは出来ないだろうと主張している。

ちなみに、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは、大ベストセラー『サピエンス全史』で、アメリカ独立宣言の「生物学バージョン」を披露している。

【アメリカ独立宣言(オリジナルバージョン)】
我々は以下の事実を自明のものと見なす。すなわち、万人は平等に造られ ており、奪うことのできない特定の権利を造物主によって与えられており、その権利には、生命、自由、幸福の追求が含まれる

【アメリカ独立宣言(生物学バージョン)】
我々は以下の事実を自明のものと見なす。すなわち、万人は異なった形で進化しており、変わりやすい特定の特徴を持って生まれ、その特徴には、生命と快感の追求が含まれる。

これらの面白いところは、どちらのバージョンも「それなりに妥当性があると思える」ということだ。しかし、言葉は悪いが、前者は徹底的に綺麗ごとであり偽善、後者は事実すぎて身も蓋もない。つまりどちらも現実には使えない。

前者が偽善なのは、アメリカにおける黒人奴隷の歴史を見れば明白だ。そして後者は、「現実的に人間の能力には差があるし、生命と快楽を追求した結果は人それぞれである」ということを意味している。

どちらにしても、救いがないですね、、、

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