【人事部長の教養100冊】
「君主論」マキャヴェリ

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君主論(表紙)

「君主論」
ニッコロ・マキャヴェリ

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基本情報

初版   1532年
出版社  講談社学術文庫、岩波書店等
難易度  ★★★☆☆
オススメ度★★★★★
ページ数 216ページ
所要時間 2時間30分

どんな本?

西洋の「君主論」、東洋の「韓非子」とも言われる非常時の冷酷なリーダーシップ論。「愛されるより恐れられるほうが、はるかに安全である」というフレーズに象徴される「マキャヴェリズム」の言葉を生み、ローマ教皇庁によって禁書目録に加えられた。

リーダーシップに関する定番中の定番であり、古典中の古典。リーダーシップに関心のある人にとっては必読の一冊。菅義偉元首相の愛読書としても知られる。

著者が伝えたいこと

非常時の君主に必要なのは、宗教的倫理や道徳に制約されない「ライオンのような勇猛さと狐のような狡猾さ」である。君主は軍事と権謀術数に専念せよ。

著者

ニッコロ・マキャヴェリ
Niccolò Machiavelli
1469-1527

マキャヴェリ

イタリア、フィレンツェの政治家。近代政治学の祖とも言われる。

1498年に、メディチ家の支配が終焉したフィレンツェ共和国の書記官に任命され、主として軍事・外交を担当。当時弱小だったフィレンツェの代表として、港町ピサの奪還、自国軍の創設、フランス・スペインとの交渉等を担当。

在職中に、冷酷無比な権謀術数と豪胆な戦略で領土を拡張したローマ教皇軍総司令官「チェーザレ・ボルジア」との交渉も担当する。

メディチ家のフィレンツェ復帰に伴って失職。チェザーレ・ボルジアを君主の手本とする「君主論」を著す。その冷徹な現実主義的統治手法は、西洋のマキャヴェリ、東洋の韓非子とも言われる。

こんな人におすすめ

非常時の「あるべきリーダーシップ」に関心のある人、管理職になりたての人。

ニッコロ・マキャヴェリ
(講談社学術文庫)

※「非常時のリーダーシップ」を扱う歴史的名著!訳は講談社版がオススメ

要約・あらすじ

第1~11章「君主と市民」

■君主のあるべき姿は、領土を世襲したか新たに取得したかによって異なる。

①領土を世襲した場合
先祖伝来の秩序を維持するだけで足りる。改革の必要はない。君主は市民を傷つける理由も必要もないため、市民からは好意を持たれることになる。

②領土を新たに得た場合
新領土の文化や言語が旧領土と同じであれば、新領土を治めていた君主の血統を絶ち、法や税制を維持すれば、スムーズに両者は一体化する。そうでないならば、(a)征服者が新領土に居を構えて直接統治する、(b)植民する、(c)他の外部勢力が入り込まないようにするといった措置が必要だ。

■領土を新たに得た場合でも、トルコ型の方がフランス型よりも格段に統治はしやすい。

①トルコ型(国王への権力集中)
国はいくつかの行政区に分かれているが、その長の人事権は国王が一手に握っている。国王の下に国全体で一致団結するので攻撃は難しいが、国王の血統さえ絶やしてしまえば、その後の統治は楽になる。

②フランス型(諸侯への地方分権)
国は何人もの土着かつ世襲の諸侯により統治されており、臣民は諸侯を主人として仰いでいる。国王に不満を持つ諸侯を味方に引き入れれば攻撃はたやすいが、その後の統治には苦労する。

■また、新領土をどのように得たかでも、発揮すべき能力は異なる。

①自分の武力と能力で獲得(モーゼ、キュロス2世など)
抵抗する旧勢力と、まだ確たる自信のない新勢力を力でねじ伏せて、新しい統治方法(法や制度等)を確立する。

②他人の武力または幸運で獲得(チェーザレ・ボルジアなど)
自分を攻撃する可能性のある勢力を潰しておく。度量よく、気前よく、民衆や兵士に愛されるとともに、峻厳さで恐れられる。

③極悪非道な手段で獲得(シチリアのアガトクレスなど)
占領にあたっての加害行為は一気に断行し、その後は市民の利益保護に努める。ただし、権力は得られるかもしれないが、栄光は得られない。

④市民の支持によって獲得
市民と友好関係を保っていれば問題ないが、共和制を廃止し、絶対的権力を獲得しようとすると、市民は簡単に君主を裏切るようになる。

第12~14章「軍事論」

■軍隊は自国で編成すべきである。傭兵や援軍はあてにならない。傭兵は無気力すぎるし、援軍は野心的すぎるのだ。ローマ帝国衰退もゴート人を傭兵にしたことに遡る。

■君主は軍事・戦争問題に専念すべきだ。戦時より平時に訓練を行い、歴史を学んで偉人たちの勝因や敗因を考察しなければならない。

第15~23章「統治政策」

■君主が望ましい資質を全て兼ね備えることは難しいが、以下のような資質は持つべきであるし、それに関する評判は気に掛けなくてもよい。

①けちである

節約により重税を課す必要がなくなり、また少数の者に利益を与えるようなこともしないので、臣下や市民から信頼を得られる。ただし、戦利品など他人の財を処分する場合は太っ腹に分配してやるのが良い。

②残酷である

君主は愛されるより、恐れられた方が良い。何故なら人間は恩知らずで偽善的で臆病だからだ。平時は君主に忠誠を持っていても、そうでなくなれば直ぐに裏切る。ただし、憎悪されることは避けるべきだ。それには、市民の財産を奪わなければよい。

③善に見せつつ、直ぐに悪に変われる柔軟性

自らが慈悲、信義、誠実、敬虔であるという演出は必要だ。何故なら大衆はうわべと結果だけで判断するからだ。しかし同時に、いつでも、信義にそむき、慈悲心に反し、人間性に逆らい、宗教に違反した行為を行える柔軟性も必要だ。大衆は邪悪で君主に対する信義など守らないのだから、君主も邪悪でなくてはいけない。

■ある都市国家をいくつかに分裂させて統治する手法は、一見制御しやすく見えるが、より弱い党派は外部勢力を招き入れてしまい、もう一方は十分な統治ができないままに終わる。特に戦争が始まると、この手法は誤りであることが明確になる。

■近隣で二人の実力者が衝突するような場合は、どちらに付くのか旗色を鮮明にしなければならない。中立の場合、戦後に勝者・敗者のどちらからも信用されない存在になる。味方した側が勝利すればそれで良いし、仮に敗北しても、いずれ協力して捲土重来を期すこともできる。

■君主は様々な手段を用いて、最も近い側近が自分に忠実であり続けるように配慮しなければならない。
正しい判断→信頼を勝ち得るように
名誉→これ以上の名誉を欲しないように
富→これ以上の富を欲しないように
地位→変革を恐れるように

■君主が意思決定に際して参考にする「助言」に対する正しい態度は、以下のとおりだ。

・賢人を選び、彼らだけに助言させる(誰でも意見可とすると君主の威厳が損なわれるし、有象無象の意見が集まり収拾が付かなくなる)

・下問した事柄にのみ、助言を許す

・最終的には自分一人で判断し、実行し、最後までやり通す

第24~26章「イタリアの採るべき道」

■ナポリ王、ミラノ公など、最近支配権を失った君主たちは以下のような過ちを犯している。
・軍隊をうまく制御できなかった
・民衆または貴族を敵に回した
・平時に異常時を想定することを怠った

■この世は運命半分と自由意志半分で出来ている。洪水が起こるのは運命だが、平時に堤防を築くのは自由意志である。人間の持つ自由意志で、運命の結果はある程度制御できる。

■現在のイタリアは分裂し、秩序もなく、踏みにじられている。今こそイタリアには幸運と実力を備えたリーダーと、強力な自国軍が必要だ。

学びのポイント

いきなり冷徹なリアリズム論

人間は寵愛されるか、抹殺されるか、そのどちらかでなければならないということである。

何故ならば、人間は些細な危害に対しては復讐するが、大きなそれに対しては復讐できないからである。

それゆえ、人に危害を加える場合には、復讐を恐れなくて済むような仕方でしなければならない。

最初から、マキャヴェリらしい冷徹な議論である。しかしこれは裏を返せば、「復讐の恐れの無いくらい抹殺できないなら、臣民・市民を大切に愛するより他にない」という意味である。

これはビジネスシーンでも同じではないだろうか。日本の労働法制では、あまり仕事ができなくても部下を簡単に解雇することはできない。中途半端に恨みを買うような指導を行うなら、愛情を持って接し、成長を促す他に方策はないだろう。

冷徹なリアリズム論(実例)

チェーザレ・ボルジアが獲得したロマーニャ地方は、それまでの統治がひどく、強盗や紛争が絶えなかった。そこでチェーザレは敏腕な部下であるレミッロ・デ・オルコを統治者とした。

レミッロは峻厳な統治で治安を回復したが、民衆は権力に対する憎悪を増した。

それを見たチェーザレは、統治の過酷さは自分からではなくレミッロから生じたものであることを示すため、ある朝、一刀両断にしたレミッロを街の市場に晒した。

実利のためであれば手段を選ぶな、とするマキャヴェリズムの中でも有名なエピソード。マキャヴェリはこれに続き、新たに領土を得た場合の統治方法として、チェーザレの次のような要素を賞賛している。

・敵によっておびやかされないこと、味方を獲得すること

・力あるいは詐術によって勝利すること

・民衆に愛されるとともに恐れられるようにすること

・兵士に慕われるとともに畏敬されること

・自らを攻撃できるかあるいは攻撃するに違いない者を絶滅すること

・新しい制度によって旧制度を改めること

・峻厳であるとともに親切であること

・度量が大きく気前が良いこと

・忠実でない軍隊を解体し、新しい軍隊を組織すること

・王や君主との友好関係を維持し、彼らが進んでこちらのために尽くすとともに攻撃の際には手心を加えるようにすること

内戦には乗じられるのが歴史の常

(内戦を解決するために招き入れる外国の)軍隊は、それ自身としては有益で秀れているが、それを招き入れた人にとっては常に有害である。

なぜならば、それが敗北すると招き入れた者も滅亡し、他方援軍が勝利するとそれを招き入れた者はこの軍隊に従属させられるからである。

群雄割拠の状況に外国の軍隊を招き入れて、結果的に外国勢力に支配されてしまうという例は歴史上、非常に多い。

7世紀のイベリア半島はその典型だ。西ゴート王国は半島の混乱を収めようと、北アフリカまで勢力を伸ばしていたイスラム教徒の力を借りたところ、その防御体制等をつぶさに観察され、翌年には大量のイスラム軍の流入を招くことになった。

日本も江戸末期に同じような事態に巻き込まれるところだったことは記憶しておきたい。

当時、フランスが江戸幕府を、イギリスが薩長を支援していた。通常であれば、イギリスが、勝者である薩長に何らかの影響力を保ったり、何らかの見返りを求めるはずであるが、当時の日本は、内戦状態ではあったものの、統治機構や軍事力は一定の水準にあり、欧米から見ると植民地化の対象ではなくビジネスの対象だったのが幸運だった。

事実、イギリスにしてもフランスにしても、バックにあったのはユダヤ系のロスチャイルド家で、幕府と薩長に金と武器を供給し、戦わせ、勝ったら(多分)外国と戦わせようという意図を持っていた。

江戸幕府vs薩長の黒幕

江戸幕府vs薩長の黒幕

https://plaza.rakuten.co.jp/lalameans/diary/201907090000/

どのような組織でも、内部で紛争があると、それに乗じようとする勢力が必ず現れる。歴史が教える一つの教訓だろう。

歴史を学ぶ意義

君主は歴史を読み、その中で偉人達の行動を考察しなければならず、戦争において彼らがどのように行動したかを知り、勝因と敗因とを検討しなければならない。

そしてこれら偉人達も、彼ら以前に称讃と栄光とを体現していた人物を模倣し、その者の立ち居振舞を座右の銘としたのであった。

例えば、アレクサンドロスはアキレウスを、カエサルはアレクサンドロスを、スキピオはキュロスをそれぞれ模倣した。

歴史を学ぶ意義が端的に書かれている。模倣というとネガティブなイメージもあるが、要は「ロールモデルを持て。昔の偉人もやっていた。恥ずべきことではない」ということだろう。

本書は、16世紀に書かれている。21世紀の今、歴史に学ぶことは当時よりも多いはずだ。プロシアの鉄血宰相ビスマルクも「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と喝破している。

ちなみにアキレウスは、ラテン名アキレス。ホメロスの叙事詩『イリアス』で主人公としてトロイ戦争で活躍するギリシア神話の英雄。赤子のころ、わが子を不死身にしようと願った海の女神テティスによって冥界の川に浸されたが、母親が掴んでいた踵だけは生身のままに残り、そこが弱点とった(アキレス腱)とされている。

君主論の真骨頂「愛されるより恐れられよ」

(君主は)愛されるよりも恐れられる方がはるかに安全である。それというのも、人間に関しては一般的に次のように言いうるからである。人間は恩知らずで気が変わり易く、偽善的で自らを偽り、臆病で貪欲である。

君主が彼らに対して恩恵を施している限り彼らは君主のものであり、生命、財産、血、子供を君主に対して提供する。

しかしこれはすでに述べたようにその必要が差し迫っていない場合のことであり、その必要が切迫すると彼らは裏切る。したがって彼らの言葉に全幅の信頼をおいている君主は他の準備を整えていないために滅亡する。(中略)

人間は自らの意に従って愛し、君主の意に従って恐れる。したがって、賢明な君主は自らの自由になるものに依拠すべきであって、他人の判断に依存してはならない。そしてその際すでに述べたように憎悪を招かないようにだけ配慮すればよい。

「君主論」の中でも、最も有名な一節であろう。「人間は利己的で打算的」であることを前提とした政治論で、西の「君主論」東の「韓非子」とも言われる。

しかし注意しなければいけないのは、どちらも乱世という「非常時」における最適のリーダーシップを説いているということである。

上司と部下の間の緊張感は重要であろうが、報酬や恐怖といった外部刺激に基づくモチベーションは長続きしないまた、君主論や韓非子の時代であれば良いが、現代では「恐怖」に軸足を置きすぎると、パワハラ扱いされかねない。

現代日本においては、少子高齢化・働き方改革・コンプラ重視という環境の中、恐怖心に基づくマネジメントはもう流行らず、人間力(=徳)で部下のやる気と能力を内側から引き出せるリーダーシップこそが求められるのだろう。

ちなみに、かつて元日弁連会長の中坊公平(なかぼうこうへい)が、リーダーたるもの部下に対しては「正面の理、側面の情、背面の恐怖」が必要と言ったそうだ。つまり「部下には論理的に説き、ときどき愛情をかけ、恐れられることで律しろ」という意味で、これを座右の銘にしている管理職も多い。

しかしこれらは「外部刺激」でしかなく、不十分だ。部下が内側から「こう成長したい、これを達成したい、こうやりがいを感じたい」と思えるような手助けを行えるリーダーこそ、今後は求められるだろう。

先手先手で常に周囲を引きずる側にまわる

現在のイスパニア王フェルナンドは、即位するや早々にグラナダを攻撃した。ついで彼は同じ口実のもとアフリカを攻撃し、イタリアに軍事作戦を行い、ついにはフランスを攻撃した。このように彼は常に大事業を計画し、実行した。

その結果、臣民は常に落ち着かない気持に置かれ、冷静に彼に対して何かを企てる余裕は与えられなかった。(要約)

先手先手を打つことで、相手に考える余裕や体制を整える時間を与えないという戦略は、一つの定石である。波状攻撃とも言う。

これは戦争以外でも応用できる考え方で、もう30年以上前のことではあるが、国鉄の分割民営化が良い例だろう。国鉄当局は、国鉄の分割民営化に反対した組合に対し「分割民営に協力した者だけが、新会社(=現在のJR)に採用される」という噂を流し、まず組合の内部分裂を誘った。

その上で、組合が反対しそうな政策(地方から都市部への異動、組合員個人へのアンケート実施など)を矢継ぎ早に実施し、組合が何かに反論している間に次の政策を繰り出すことで、組合の力を削いでいった。

また、現在も活用されているかは不明だが、広告代理店の電通には「鬼十則」なるものがあり、「仕事は常に先手先手で主導権を握り続けろ」という趣旨が訓示されている。

【電通 鬼十則(一部抜粋)】

2. 仕事とは、先手先手と働き掛けていくことで、受け身でやるものではない。

6. 周囲を引きずり回せ、引きずるのと引きずられるのとでは、永い間に天地のひらきができる。

これも君主論の示唆するところを言い換えたものだろう。

部下の言うことを正しく判断できれば良い

人間の頭脳にはそもそも三種類ある。第一は自らの力で理解するもの、第二は他人の意図するところを察知するもの、第三は自らの力で理解せず、また他人の意図を理解しないものである。第一のものは非常に秀れ、第二のものも優秀であり、第三のものは無能である。

第二が優秀なのは、他人の言動の善悪を判断する場合、自らは創意に欠けていたとしても、大臣の行為の是非を認識し、好ましいものは励まし悪しきものは矯正したからであり、したがって大臣は彼を欺く望みを失い、忠勤を怠らないからである。

これは世の管理職の皆さんにとって、救われる主張ではないだろうか笑。

自分で考えて自分で判断できる者は非常に優れているが、部下の話を聴いた上で正しい判断ができるだけで十分だということを言っている。

何故なら、部下は正しいものは励まされ、誤っているものは矯正されるというプロセスを経る中で、上司の判断を信頼し、その後も誠実に働くようになるからである。

そのためには、まず「傾聴」の能力を身に付ける必要があるだろう。どうしても忙しくなると、パソコンの画面を見ながら部下の話を聴いてしまってりしがちであるが、それでは正しい判断どころか、部下からの信頼も失うことになる。

助言に対する正しい態度

君主は、自らの領土内の賢人を選び、彼らに対してのみ自分に真実を述べる自由を与え、しかも彼自身が下問した事柄についてのみそれを許すべきである。

君主は諸々の事柄について下問し、彼らの意見を聴取し、その後一人で自分なりの判断を下すべきである。またこれらの人々以外には耳をかさず、決断したことは実行し、決定は断固として守ることが必要である。

もしこのように行動しないならば、他人の意見が種々雑多であるのに応じてしばしば意見を変更することになり、君主の評判の低下を招く。君主は頻繁に下問し、しかも忍耐強い聞き手でなければならない。(一部要約)

現代のリーダーシップ論の先駆けとも言える。「周囲の意見をよく聴け」「しかし、聴きすぎるな」「最後は一人で判断せよ」ということを言っている。

これがしっかり守られていれば、何らか自分の決断に対して批判が上がろうとも、平静を保っていられるだろう。いつの時代も、リーダーとは孤独な存在である。

そして「忍耐強い聞き手」であること、繰り返しになるが、これが非常に難しい。

変化に対応し、果敢に行動する

状勢の変化に適応できるほど賢明な君主は、あまり見当らない。それというのも人間は生来の性向から離れることができず、またある方法によって常に成功した人間にその方策を捨てるよう説得することはできないからである。(中略)

運命は変転する。人間が自らの行動様式に固執するならば運命と行動様式とが合致する場合成功し、合致しない場合失敗する。私の判断によれば慎重であるよりも果敢である方が好ましいようである。

これもまた、普遍的な真理の一つだろう。人間、特に歳を取ると変化への対応が億劫になる。組織もまた、大きければ大きいほど、これまでの方法を惰性で続ける「慣性の法則」が働きやすくなる。

特にマキャヴェリの時代のように、変化が激しく、弱肉強食のような世界では、「慎重であるより果敢であること」が求められたのだろう。

君主論全体は、あくまで「非常時に最適なリーダーシップ」について書かれたものではあるが、現代の組織マネジメントにも十分に通ずる要素が多い。

人事部長のつぶやき

いつの時代も新しいことを始めるのは困難

新しい制度の導入は一般的に困難である。それは、旧制度の受益者は全て敵に回り、新制度の受益者は本当に受益できるか不安を持つからである(要約)。

人間は生来変わり易く、彼らに何かを説得するのは容易であるが、この説得に彼らを繫ぎとめておくのは難しく、したがって、もはやそれを信じない場合には力によってそれを信じさせることができるような態勢が必要となる。

これは時代や場所にかかわらず、人類の普遍的な「法則」なのだろう。後半部分はいかにもマキャヴェリらしい冷徹さ。

リーダーは、一度「多角的、長期的、合理的か」「本質的か、道徳的か、美的か」を判断したら、安易なポピュリズムは力でねじ伏せていく意気込みが必要だろう。

マキャヴェリの運命観

この世の事柄は運命と神とによって支配され、人間は自らの思慮を用いてその動きを変えることはできず、それに対しては手の施しようがない、という意見を多くの人々が昔から懐き続けている。

しかしながら人間の自由意志は消滅せず、したがって運命は我々の行為の半分を裁定するが、他の半分、あるいは半分近くは我々が支配するよう任せているのが正しいのではないかと私は判断している。

いわゆる「決定論と自由意志」論争だが、マキャヴェリは実に現実的な回答(=まあ、半分半分でしょ)を出している。

この点に深く立ち入っても何の意味もない、とマキャヴェリは考えたのであろう。実に現実主義的であり、「現実世界でどれだけ有用であるかをもとに、ある概念が正しいか否かを判断する」というプラグマティズムの考え方に近いと言える。

ニッコロ・マキャヴェリ
(講談社学術文庫)

※「非常時のリーダーシップ」を扱う歴史的名著!訳は講談社版がオススメ