【人事部長の教養100冊】
「フランクリン自伝」
フランクリン

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フランクリン自伝(表紙)

「フランクリン自伝」
ベンジャミン・フランクリン

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基本情報

初版   1957年(日本、改版)
※世界的な初版は1791年(フランス)
出版社  岩波書店
難易度  ★★☆☆☆
オススメ度★★★★☆
ページ数 315ページ
所要時間 3時間30分

どんな本?

アメリカ建国の父、ベンジャミン・フランクリンの自伝。自己啓発本の元祖。勤勉・倹約、科学的探究心、合理主義でいかに自分は成功したかを説く「おじさんの自慢話」ジャンルの最高峰。自ら「人生をやり直せると言われても、私は自分の生涯を全部そのまま繰返したい」と評する自信っぷり。

人徳を完成させるための「13の徳目」が本書の肝。「アメリカ人が尊敬するアメリカ人とは、どのような人物なのか」がよく分かる一冊であり、アメリカ研究でも用いられる。アメリカという国や国民性を理解する上では、本書、「アメリカにおけるデモクラシーについて」「プラグマティズム」の3冊は必読。

著者が伝えたいこと

節制・勤勉・誠実・謙虚といった「人徳」を身に付けた者こそが、社会の役に立てる。

著者

ベンジャミン・フランクリン
Benjamin Franklin
1706-1790

ベンジャミン・フランクリン

アメリカ合衆国の政治家、科学者、文筆家。アメリカ建国の父の一人。100ドル札の肖像にもなっている。

政治家・・・アメリカ独立の動きに参加。アメリカ独立宣言を起草した5人のうちの一人。

科学者・・・雷が電気であることを証明。ロンドン王立協会の会員。避雷針、遠近両用眼鏡、グラスハーモニカ等を発明。

文筆家・・・本書「フランクリン自伝」は大ベストセラーに。他に、現代の日めくりカレンダーに近い「貧しいリチャードの暦」を出版。

こんな人におすすめ

アメリカ人が尊敬する人物像を知りたい人、欧米人が考える道徳を知りたい人、自慢話が苦にならない人。

ベンジャミン・フランクリン
(岩波文庫)

※おじさんの(優れた)自慢話ジャンルの最高峰!

要約・あらすじ

第1章「少年時代」

■神は私に人生の様々な楽しみとともに、自惚れを与えて下さった。感謝している。

■家に余裕がなかったことから、教育は10歳までで、その後は父の仕事(ろうそくと石鹸の製造)を手伝った。他にも煉瓦師、真鍮細工師等の仕事を見学し、ちょっとした実験機械なら作れるような技術を身に付けた。一方、本を読むことが好きで、頭も良かったことを見て取った父は、私を印刷屋見習いにした。

■私は遊びでもリーダー的存在だった。仲間に指示して、大工が新築用に準備していた石を沼地の埋め立てに使って怒られたりもした。

第2章「フィラデルフィアに入る」

■兄の経営する印刷屋に見習いに入り、多くの本を読んで文章力や論理構成力を磨いた。算術書や幾何学書も読み、勉学に勤しんだ。

■しかし、兄との折り合いが悪く、17歳の頃に単身フィラデルフィアに乗り込む。

■フィラデルフィアでは親戚の伝手から知事と懇意になり、印刷屋としての独立を支援すると約束してくれた。そこで私は、独立に必要な物資を集めるため、ロンドンに旅立つことになる。

第3章「ロンドンの1年半」

■私は友人のラルフとロンドンにやってきたが、遊んでしまいお金は貯まらなかったし、その上ラルフの彼女に手を出してしまい、結局ラルフと絶交することになった。知事から話のあった独立支援の話も、眉唾ものであることが判明した。

■それでも私は印刷所で植字工として働きつつ、近所の気前のいい本屋から無償で本を借りて読み漁った。また、多くの教養人と交流を持ち、人格の基礎を築いた。

■1年半ほど働いた後、商人デナム氏から「フィラデルフィアで開く商店の番頭として働かないか」という誘いを受け、アメリカに帰国することとなった。

第4章「印刷屋を開業す」

■振り返ると、私は15歳の頃から「天啓(神のお告げ)」なるものを信じていなかった。天啓が薦めているから善いのではなく、我々に有益だから天啓は薦める。天啓が禁止しているから悪いのではなく、我々に有害だから天啓は禁じているだけだ。善悪などそもそも存在せず、人間によって有益か有害かを判断基準とすべきだ。

■ロンドンから機械が届いたため、私はフィラデルフィアで印刷屋を開業した。

第5章「勤倹力行時代」

■フィラデルフィアでは教養人とともにクラブを作り、週1回、倫理・政治・自然科学について議論し合った。このクラブは以後40年程度続くことになる。後に北米で一般化する公共図書館の設立にも取り組んだ。

■また、私は仲間と共に新聞を発行した。それまでに多くの本を読み、文章力を磨いたおかげもあり、私の社説は評価され、購読者数も右肩上がりに伸びた。印刷業も誠実丁寧に展開した結果、州議会御用達に指定された。朝から晩まで働いた私の勤勉の徳が幸いしたことを強調しておきたい。

■私は青年時代の情欲に駆られて、怪しげな女性と関係を結んだこともあったが、この時代に結婚して身を固めた。

第6章「十三徳樹立」

■私は自身の道徳を完成させるために「13の徳」を確立し、毎週1つの徳目を必ず守るようにし、13週で1回転、1年間で約4回転するように計画した。また、毎日守れなかった徳目に*を付け、反省材料とした。

1.節制
頭や体が鈍くなるほど食べないこと。はめをはずすほどお酒を飲まないこと。

2.沈黙
他人あるいは自分に利益にならないことは話さないこと。よけいな無駄話はしないこと。

3.規律

自分の持ち物はすべて置き場所を決めておくこと。仕事は、それぞれ時間を決めて行うこと。

4.決断

なすべきことをやろうと決心すること。決心したことは、必ずやり遂げること。

5.節約

他人や自分に役立つことにのみお金を使うこと。すなわち無駄遣いはしないこと。

6.勤勉

時間を無駄にしないこと。無益な行動をすべてやめること。

7.誠実

だまして人に害を与えないこと。清く正しく思考すること。口にする言葉も、また同じ。

8.正義

不正なことを行い、あるいは、自分の義務であることをやらないで、他人に損害を与えないこと。

9.中庸

何事も極端でないこと。たとえ相手から不正を受け激怒するに値すると思っても、我慢したほうがよいときは我慢すること。

10.清潔

身体、衣服、住居を不潔にしないこと。

11.冷静

つまらないこと、ありがちな事故、避けられない事故などに心を取り乱さないこと。

12.純潔

性的営みは、健康のためか、子供を作るためにのみすること。性におぼれ、なまけものになったり、自分や他人の平和な生活を乱したり、信用をなくしたりしないこと。

13.謙譲

イエスおよびソクラテスを見習うこと。

13の徳

■「節制」によって健康は維持される。「勤勉」と「倹約」により社会の役に立つ能力が身に付く。「誠実」と「正義」により、任務を託されるようになる。その他の徳と相まって、人生は充実する。

第7章「成功の道を歩む」

■実現には至らなかったが、私は13の徳が実行できる有徳者のみを集めて、相互に忠告・援助・支持しあえるような組織を構想していた。これは必ずや人類に偉大な変化を与えるだろう。

■私が出世の第一歩を踏み出したのは、1736年に州会書記に選ばれた時だ。その後は郵便局長になった。その他の公的な活動としては、消防組合を組織し、フィラデルフィアは世界中どこにもないくらいの耐火災都市となった。

第8章「社会的活動Ⅰ」

■新聞出版業も順調だったため、私は大学と自衛軍の設立に尽力した(注:前者はペンシルバニア大学の前身となる)。

■私は改良型ストーブを始め、多くの発明をしたが、特許を取って儲けようとはしなかった。我々は他人の発明から多大の利益を受けているのだから、自分が何か発明した場合にも、それを惜しむことがあってはならないと考えるからだ。

第9章「社会的活動Ⅱ」

■私はフィラデルフィアに講義に来ていたスペイン人学者から実験器具を買い取り、電気に関する実験を開始した。周囲の人は私が暇になったと見て、治安判事や市会議員や州会議員に私を推した。これらの地位は全て私から欲したものではない。低い身分から出世しただけに、私は嬉しかった。

■ちなみに電気学上の改良や発見が評価され、私はハーバード大学とイェール大学から学位を贈られた。

第10章「軍事に活躍すⅠ」

■1754年、フランスとの間に戦争が起こりそうだったので、私は全ての植民地が1つの政府に連合する案を起草したが、イギリス本国はこの案に反対し、各州も中央集権が強まることを警戒して反対した。

■それに代わって本国は植民地に軍事資金を提供し、後から回収することにしたが、それが結局独立戦争に繋がってしまった。

第11章「軍事に活躍すⅡ」

■知事からの要請で、私は対インディアン戦のための要塞づくりに携わった。ここでは部下が数百名に上ったが、皆、何か仕事をしている時にこそ活き活きし、従順であるが、暇になると不満を言い出す。人には常に何らかの仕事をあてがっておくのが良いと学んだ。

■私の書いた「稲妻は電気と同一である」という論文はヨーロッパの各国語に翻訳され、やがてイギリス学士院にも認められるところとなった。

第12章「住民を代表して再び英国へ」

■私は植民地州会代表として、領主に対して適切に課税する法案を通すため、イギリス本国で交渉を行った。私がこの法案を成立させたおかげで、植民地の通貨は価値を保った。

付録「富に至る道」

■自分の言葉が様々な人に引用され、人生訓に用いられるのは非常に誇らしいことだ。自分でもしれっと(他人の言葉のように)自分の言葉を引用することがある。

■人間、一番大切なのは勤勉さである。「雨垂れ石を穿つ」「小さな一撃でも、たび重なれば、大木をも倒す」「勤勉は、安楽と富と尊敬をもたらす」などと言うではないか。

■同時に、倹約であることも重要だ。スペインが西インドを得ても豊かにならなかったのは、入ってくるより出ていく方が多かったからだ。贅沢は不毛であるし、借金は自らの自由を奪う。

学びのポイント

このように、生きてみたい

人生をやり直せると言われても、私は自分の生涯を全部そのまま繰返したい。

いきなり自信満々おじさんの真骨頂!こういう風に断言できる、面の皮の厚い老人になりたいものだ。

ちなみに福澤諭吉は同じことを著書『福翁自伝』でこんな風に言っている。

自分の既往を顧みれば、遺憾なきのみか、愉快な事ばかり。

こちらもさっぱりした性格の福澤らしい言い回しである。

しかし、このように人生を振り返るためには、今この瞬間を「愉快に」過ごさなくてはいけない。今、皆さんは「愉快」に過ごされているだろうか。

最優先事項を優先する

(読書のために)日曜日には口実を作って、一人印刷所に残り、みんなと一緒に礼拝に出かけるのをできるだけ避けた。

いつも父から日曜の礼拝をやかましく言われ、自分でもその頃はまだ礼拝に出かけるのが義務だと考えてはいたのだが、どうにも時間の都合がつかないように思えたのである。

フランクリンが「勤勉性、探究心の強さ、合理主義、社会活動への参加という18世紀における近代的人間像を象徴する人物」と評される一つの理由だろう。

このエピソードはつまり、周囲の行動や慣習に左右されず、自分なりに時間の使い方に優先順位を付けているということである。たとえそれが、当時大切とされていた信心深さに反することになっても構わない、という態度が合理主義者的と言える。

そしてこの精神は、アメリカ人に脈々と引き継がれることになる。全世界的ベストセラーである『7つの習慣』では、「第3の習慣」として以下のように表現している。

効果的なマネジメントとは「最優先事項を優先する」ことである。特に長期的な視点で「緊急ではないが重要」な領域にどれだけ資源を振り向けられるかで人生の充実度は決まる。

そのためには「将来どうなりたいか」というビジョンが必要になる。

7つの習慣(時間管理のマトリクス)

フランクリンにとっては、読書や勉強が「緊急ではないが重要」な領域にあったということだろう。皆さんはこの「緊急ではないが重要」なことに、優先的に時間を割けているだろうか。

「最優先事項を優先する」はなかなか難しい

為政者というものは、せねばならぬことで手一杯だから、新規の計画を考えたり実行したりすることは、面倒臭がっていやがるものだ。

だから、どんなに優れた公共の政策でも、熟考熟慮から採用されることは稀で、事情やむをえぬようになって初めて採用されるのである。

これはまさに「重要・緊急」に追われて、「重要・不急」が疎かになりがちであることを言っている。

まさに耳が痛い。普段の仕事ではどうだろうか。目の前のオペレーションに追われてしまい、数年先のビジョンを考えたり、最悪の事態を想定したり、人材を育成したりすることは、どうしても後回しになってしまう。

そこで大切なのは、やはり優先順位付けしかない。いかに重要度の低い仕事を止めたり、効率化したり、外注化したり、自動化したりするかだ。しかしこの「優先順位付け」すら、忙しいとままならないことも、、、

「Win-Winを考える」(第4の習慣)

対話の主要な目的は、教えたり教えられたり、人を喜ばせたり説得したりすることにあるのだから、人を不快にさせ、反感を惹き起し、押しの強い高飛車な言い方をして、せっかくの善を為す力を減らしてしまうことがないよう、私は思慮に富む善意の人々に望みたい。

これはそのまま、『7つの習慣』の第4の習慣「Win-Winを考える」に等しく、アメリカ人に脈々と引き継がれている。「7つの習慣」ではこのように説く。

人は「勝ち負け」や「優劣」の二元論で人間関係を見がちである。しかし、どのような人間関係にもWin-Winという第三の道があるはずだ。Win-Winの道がないのであれば、No Deal(取引・関与しない)のが正しい。

Win-LoseやLose-Winは短期的な効果をもたらすかもしれないが、「原則」に則った長期的関係を築くのであれば、Win-Winしか取り得ない。

第4の習慣(Win-WIn)

また、イギリスの哲学者・数学者・政治運動家のバートランド・ラッセル(1872-1970)は、著書『幸福論』の中で、以下のような趣旨を述べている。

外界に対する興味・関心が強く、それらに敵対的ではなく友諠的な態度を取る人ほど、多くの経験や知識を得ることで幸せを感じられるし、つまらぬ些事に心を煩わされることがなくなる。

どちらの態度も身に付けたいものだ。

13の徳

私は人徳を完成させるため、節制、沈黙、規律、決断、節約、勤勉、誠実、正義、中庸、清潔、平静、純潔、謙譲の13の徳目を定めて、守るように心がけた(詳細はページ上部「要約」を参照のこと)。

この「13の徳目」は本書の山場の一つである。「人徳とは何か」に極めて端的に答えている。

この徳目に特徴的なことは、宗教色が一切なく、合理的で、どの時代にも、どの民族にも普遍的に通用するということである。いかにもアメリカ的だ。

明治時代、新渡戸稲造は「日本には宗教が存在しないのに、どうやって道徳教育をやっているのか」と問われ、『武士道』を執筆した。アメリカは少なくとも18世紀には、宗教抜きの道徳教育を確立していたということになる。

なお、9つ目の徳である「中庸」は、アリストテレスから論語に至るまで、洋の東西を問わず普遍的に説かれている。

徳を考える上で大切な概念は「中庸」である。例えば節制であれば、両極端である「臆病」と「向こう見ず」の間のどこかに、適切な節制の水準というものが存在する。

アリストテレス『二コマコス倫理学』

物事は極端すぎてはいけない。道徳において「中庸」であることは大切である。

孔子『論語』

小人閑居して不善を為す

人間は何かやっている時が一番満足しているものである。

というのは、仕事をした日彼らは素直で快活で、昼間よく働いたと思うものだから、晩は楽しく過すのであったが、仕事が休みの日にはとかく逆らいがちで喧嘩っぽく、豚肉やパンや何かに文句をつけ、終日不機嫌でいるのだった。

それで私はある船長のことを思い出したのである。彼は部下の者にたえず仕事をあてがっておくことにしていた。ある時、航海士がやってきて、仕事はすっかりすんで、もう何もさせることがないと告げると、彼は言ったものである。「では錨を磨かせるがよい」

人は時間を持て余すと、ロクなことを考えない。適度に忙しい方が良い人生を送れるのだ、ということを言っている。

これは古今東西で真理のようで、数々の偉人たちが同じ趣旨のことを述べている。

小人閑居して不善を為す(=教養や人徳のない小人は、一人でいたり時間を持て余すと悪事を犯す)

『大学』(四書五経の一つ)

人生は、あまりに閑すぎるといつの間にか雑念が生じてくるし、あまりに忙しすぎると本性を発揮できない。

洪自誠『菜根譚』

人は退屈なので、それから逃れるために、心配したり怒ったりする。もし彼が朝から晩まで働いていたら、これほど退屈しなかったに相違ない。だから金持ちは退屈するし、ロクなことをしない。

自分自身の内側に財産を持っていないものは、倦怠に待ち伏せされ、やがて捕まってしまう。

アラン『幸福論』(一部要約)

時間を浪費していては精神の中に有害な雑草がはびこるばかりだ。何も考えない頭は悪魔の仕事場となり、怠け者は悪魔が頭を横たえる枕となってしまう。

航海においても、船員たちは暇が多いほど不平不満をつのらせ、船長に刃向かうようになる。そのことを熟知していたある老船長は、何も仕事がなくなると、必ず「イカリをみがき上げろ!」と船員たちに命じたそうである。

サミュエル・スマイルズ『自助論』

ちなみに英語には「Idle hands are the Devil’s workshop」という同じ意味の諺がある。

日本で振り返ると、一昔前の労働組合運動などは、その典型ではなかろうか。もちろん、労働者が団結して、自らの処遇や労働環境を良くすることは尊重されるべきである。しかし、旧国鉄の労組がそうであったように、政治的イデオロギーと相まって、毎日のように会社と団体交渉を繰り返すような労組運動は健全とは言えない。

仕事が充実していて、日々忙しく働いていれば、あれだけ労組運動に時間やパワーを割けなかったはずである。それだけヒマだったということだろう。労使問題は国鉄分割民営化の一つの原因であった。

ちなみに1975年には8日間にわたって、国鉄のほぼ全線でストライキが行われた。ストライキが禁止されていた国鉄職員が、ストライキ権を求めてストライキをやるという、なんとも訳の分からない所業で、歴史的には「スト権スト」と呼ばれる。

国鉄スト権スト

上:国鉄が止まり、マイカー渋滞が発生
下:地下鉄に乗るための長い列(池袋駅)

日本経済は大混乱である。また、同時期のものかは不明だが、国鉄労働運動では、自社製品である車両にもスローガンが描かれていた。

国鉄スト

これが日本の民度かと思うと、悲しくなるばかりである。

苦手な相手には、懐に飛び込んで何か頼みごとをしてみる

政敵が出現した際、私は敵対行為を取るのではなく、むしろ相手の懐に飛び込み、彼が持っている珍しい本を「5日だけ貸してほしい」と懇願してみた。すると彼は、非常に慇懃な態度で私に接するようになった。

私が覚えている諺に、「一度面倒を見てくれた人は進んでまた面倒を見てくれる。こっちが恩を施した相手はそうはいかない」という古いのがあるが、まさにこの通りである。(要約)

この諺の後半部分に共感できる人は多いのではないか。何か恩を掛けた場合、見返りは期待しないと頭では思いつつも、やっぱり思ったより感謝されない、という経験。

それは同時に、恩を掛けた相手を気に掛けているということなので、やはり前半部分も正しいのだろう。

フランクリンが引用した諺に当たるかどうかは定かではないが、約2500年前にギリシャの哲学者アリストテレスが著書『二コマコス倫理学』でこう言っている。

アリストテレス
アリストテレス

人は親切にした相手のことをいつまでも気に掛けるが、逆に自分が親切にされても、親切にしてくれた人のことはあまり考えなくなる。

やはり人間の真理と言えるのであろう。

なお、仏教経典には「掛けた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」という言葉があるそうだが、本質は同じことを捉えている。

神は自ら助くる者を助く

「神は自ら助くる者を助く」と、貧しいリチャードが1733年度の暦の中で申しております。

(注:貧しいリチャードとは、著者であるフランクリンが作成した日めくりカレンダーのようなもの)

この「神は自ら助くる者を助く(God (Heaven) helps those who help themselves)」という言葉は非常によく引用される。英文法のテキストで見た方も多いのではないだろうか。

そしてこの言葉の出典はと言えば、これは諸説ある。少なくとも日本語のサイトでは適当なものは見当たらず、英語版Wikipediaに拠れば、

・古代ギリシャの悲劇やイソップ物語に同趣旨の言葉がある

・”God helps those who help themselves”という表現を最初に使ったのは、17世紀イングランドの政治家であるアルジャーノン・シドニー

・アメリカ独立宣言起草者の一人であるベンジャミン・フランクリンが引用して、世間に広まった

・聖書が出典と思われることが多いが、そうではない

となっている。いずれにしても、欧米人には馴染みの深いフレーズで。18世紀の自立心に富んだアメリカ人を象徴するような言葉でもある。

欧米人300人の成功談を集めた自己啓発本の古典『自助論』(サミュエル・スマイルズ)の序文として使われていることでも有名。

ちなみに同書は日本では『西国立志編』という名前で発刊。トヨタグループの創始者である豊田佐吉や、サッカー元日本代表の本田圭佑の愛読書として知られる。

人事部長のつぶやき

いつやって来るか分からない不幸に備える

今後の余生にどのような不幸が待っているかは神のみぞ知る、仮に不幸が訪れたとしても、これまで幸福にして来られたことを思い返せば、諦めもつきやすく、不幸に堪えることも容易であるだろう。

私にとっては斬新な考え方であった。解釈すれば、今この瞬間を全力で生き、また全力で生きられることに感謝せよということだろう。

これは「人間はいつか死ぬのだから、それまでに十分楽しんでおけ」と読み替えてもいいのかもしれない。皆さんは、どう解釈されるだろうか。

不幸が来た時に諦めがつくかどうかは分かりませんが、少なくとも「あの時、ああしておけばよかった」などと後悔はしたくありませんね!

議論に勝つこと自体には意味がない

理窟屋で反対好きで言葉争いに耽るような連中は、多くは仕事のほうがうまく行かないようだ。彼らは勝つことはある。

しかし、勝利よりも役に立つ、人の好意というものをうることは決してないのだ。

これは自己啓発本の大ベストセラー、デール・カーネギー著『人を動かす』でこのように引き継がれている。

1.議論を避ける

議論で相手を打ち負かしても何も得られない。やっつけられたほうは劣等感を持ち、自尊心を傷つけられ、憤慨するだろう。

「相手に反論しよう」と躍起になっている時に、思い出したいフレーズの一つ。ガチンコで議論せずに、相手に何かを気付かせるとか、色々な考え方があると思うが私はこう思うと表現するか、議論には相手があることを肝に銘じたい。

「正しいことこそ正義」という正論を振り回さないように気を付けましょう

ベンジャミン・フランクリン
(岩波文庫)

※おじさんの(優れた)自慢話ジャンルの最高峰!