「ガリア戦記」カエサル(シーザー)
基本情報
初版 BC51年
出版社 岩波文庫等(日本)
難易度 ★★☆☆☆
オススメ度★★★★☆
ページ数 320ページ
所要時間 3時間30分
どんな本?
ガリア征服戦(BC58-)に関するユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)から元老院への戦況報告。ガリア総督としての戦果・リーダーシップ・正当性を簡潔かつ客観的に綴る。
カエサルの伝記、リーダーシップ実践論、ガリア戦の軍記、ラテン語文章の模範、いずれの側面でも最高クオリティの必読古典。人間臭いカエサルの自尊・興奮・不安・落胆・憔悴・辛抱・諦念・憤怒といった心の動きにも要注目。
著者が伝えたいこと
ローマの人々よ、ガリア総督に任じられた私(カエサル)は、類まれなるリーダーシップを発揮して、ガリアを平定しているぞ!
著者
ガイウス・ユリウス・カエサル
Gaius Iulius Caesar
(ジュリアス・シーザー)
(Julius Caesar)
BC100-BC44
古代ローマの軍人、政治家。BC60年にポンペイウス、クラッススとともに第1次三頭政治を形成。BC58年からのガリア遠征でローマによるガリア支配を確立する。
BC53年にクラッススが戦死すると、カエサルとポンペイウスは対立。カエサルはガリアから軍隊を伴ってルビコン川を渡り(賽は投げられたの名言はここで誕生)、ローマに進軍する。
エジプトに逃れたポンペイウスを追ったカエサルは、プトレマイオス朝の内紛に介入してクレオパトラと結ばれ、彼女を女王とする。
BC44年には終身独裁官となり、救貧・植民などの社会改革、ユリウス暦制定(彼の名はJulyに残る)などに貢献したが、BC44年に共和制支持者であるブルータスに暗殺される。
こんな人におすすめ
「専制的リーダーシップ」を学びたい人、巧みな「自己演出」に関心のある人、カエサル(シーザー)という人に興味のある人
(岩波文庫)
※歴史・リーダー論・心理学・語学など、あらゆる観点から必読の古典!
「ガリア戦記」を楽しむための基礎知識
(1)ガリア(上図の黄色部分)の状況
ガリアには、ローマの勢力が及ぶ前の前7世紀ごろからケルト人が居住しており、ローマ人は彼らをガリア人と呼んだ。ガリア人はこの地で鉄器文化を形成していた。
アルプス以北のガリア人は何十もの部族から成り、ライン川の向こう側のゲルマーニー人の侵入に悩んでいたこともあって、ローマに服属することを望むものと、あくまで独立を望むものとが対立している状況であった。
BC58年、現在のスイスにいたヘルウェティ族がゲルマン人の圧迫を逃れて西の平野部に向けて移動を開始したが、カエサルは南ガリアのローマ属州がゲルマンに脅かされる恐れがあるという理由でそれを認めず、阻止しようと出撃した。ここからBC58~51のガリア遠征が始まる。
(2)カエサルの状況
カエサルは、BC60年にポンペイウス、クラッススと共に第1回三頭政治の盟約を結び、BC59年には執政官に、BC58年にはガリア総督に任じられていた。
なお、ポンペイウスはヒスパニア、クラッススはシリア方面を勢力圏とすることで、バランスを保った。
(3)現在にも繋がる地名や地形
ガリア戦記は当然ながら実話ベースなので、登場する地名や地形は現在でも確認することができる。例えば、以下の「ウェソンティオVesontio」は現在のフランスの「ブザンソンBesançon」であるし、「ドゥビス河」は現在の「ドュー河」である。
セークァニー族の最も大きな町ウェソンティオは、ドゥビス河によってまるでコンパスをまわしたように囲まれており、河に沿ってない部分は長さ600ペスに足らないが、高い山がふさいでいて、その山麓は両側で河岸に迫っている。
山の囲りにめぐらされた防壁はこれを一箇の砦に仕立てて町と結んでいる。(第38節)
この他、例えば「ベルガエ人」はベルギー(Belgium)のルーツであるし、「ブリタンニー人」はブリテン(Britain)のルーツだったりする。また、スイスの国名は4か国語で規定されているが、硬貨や切手のようにその全てを記載できない場合には、ラテン語のHelvetiaが使用される。これは「ヘルウェティ族」に由来する。
要約・あらすじ
第1巻「紀元前58年」
(1)ヘルウェティ族との戦争
■ゲルマーニー人に圧迫されたヘルウェティ族は、ローマの属州やその周辺を通過してガリア中心部に出ることを画策した。カエサルは、敵が20日かかって渡った川にローマの技術を駆使して橋を架け、これを1日で渡るところを見せつけて敵の交戦意欲を削いだ。
■一方で、ローマの味方と思っていた部族の有力者が裏切りの動きを見せる。しかし、カエサルはその有力者の兄と面識があり、その兄から弟を許すように懇願されたため、今回は許すことにした。
(2)ゲルマーニー人との戦争①
■カエサルはガリア人からゲルマーニー人の討伐を依頼され、ガリア奥地へ兵を進めた。しかし、ゲルマーニー人の凶暴さを耳にした兵士が怖気づいたため、全指揮官を集めて「名誉と責任を取るか、恐怖心を取るか」を迫った。
■ゲルマーニー族は、配下のガリー人を部族ごとに並べた上で、その後方に車を並べて逃げられないようにしたり、車の上に女性を乗せて男性の戦意向上に努めたりと原始的な手法を取って戦ったが、カエサルはこれに勝利した。
第2巻「紀元前57年」
(1)ベルガエ人との戦争
■レーヌ川(現在のライン川)を東から西へ渡ったゲルマーニー人の子孫であるベルガエ人との戦争では、川を背後にする地形を活用して勝利を収めた。味方のガリー人部族は、ローマ人の野戦築城(塁・塔・堀などの建設)の規模や速さ、そして土木技術の高さに驚いた。
■ベルガエ人からは奇襲攻撃を受けることもあったが、普段からの戦闘や訓練により、各兵士が自分でどう行動すべきか判断できたことで乗り切れた。また、カエサルの采配も全て適切だった。(←と自分で報告している)。
(2)海洋諸族との戦争①
■同じ頃、北ガリアの海岸線沿いにいた諸部族もローマの支配に服属したという報告があり、全ガリアが平定された。
■これを記念し、通常であれば10日間、最大でも12日間だったローマでの感謝祭を、15日間にわたって実施することが決議された。
第3巻「紀元前57-56年」
(1)アルペース諸族の討伐
■カエサルはイタリアに戻るにあたり、部下に命じてガリア人と戦い、アルプス越えルート(現在のサン・ベルナルド峠。セント・バーナード犬発祥の地)の安全を確保した。
(2)海洋諸族との戦争②
■その後、平定したはずの海洋諸族が謀反を起こし、ローマの使節を捕えるという無礼を働いた。ローマの弱点である海戦にならざるを得なかったが、他の部族の造反に対する抑止力とするため、船の建造、漕ぎ手の確保、ゲルマーニー人の侵入予防等の措置を取った上で、戦うこととした。
■敵陣は岬の先端に多くあり、満潮時は陸から攻撃できず、干潮時は海から攻撃できないため、攻略に難儀した。最終的には勝利を収め、元老を全て殺し、残りは奴隷として売り払って見せしめとした。
第4巻「紀元前55年」
(1)ゲルマーニー人との戦争②
■ゲルマーニー人がライン川を渡ってきたのでこれを撃退するとともに、抑止力とするため、ローマの技術を集結してたった10日間で川に橋を掛け、川向うに渡り、村と家を徹底的に焼き払った。
(2)ブリタンニー人との戦争①
■ガリー人がブリタンニー人から支援を受けていることが分かったため、カエサルはブリタンニア(現在のイギリス)に進軍した。
■ブリタンニー人は戦車を使った新戦法を駆使したほか、ローマ人にとっては慣れない沿岸部での戦いを仕掛けてきたが、最終的にはローマが勝利を収め、2つの部族が人質を送ってきた。この勝利により、ローマでは20日間の感謝祭が決議された。
第5巻「紀元前54年」
(1)ブリタンニー人との戦争②
■カエサルは再度ブリタンニー島に侵攻するが、敵のゲリラ戦法に悩まされたため、ローマ軍は分散せずに固まって行軍することとし、これを撃破した。毎年ブリタンニアがローマに支払う租税を決定した上で、ガリアに戻ることとした。
(2)北方諸族の謀反
■この年のガリアは旱魃で食糧難だったため、部隊を分散させざるを得なかったところ、一つの部隊が「ゲルマーニー族の援軍がライン川を渡ろうとしている」という北方ガリー人によるデマを信じて行軍してしまい、大敗北を喫した。これはカエサルのガリア遠征における最大の災禍となった。
■カエサルは直ちに自ら出撃し、敵から自軍の規模が小さく見えるように陣地を小さくしたり、わざと陣地の周りを駆け回って怯えきったフリをして敵をおびき出し、一気にこれを攻撃した。カエサルの勝利は瞬く間にガリア中に知らされた。
第6巻「紀元前53年」
(1)北方諸族の討伐
■ローマに敵対的なガリー人部族を討つため、カエサルは部下のラビエーヌスを派遣した。ガリー人は援軍であるゲルマーニー人の到着を待っており動かなかったため、ラビエーヌスは「ローマは退却しようとしている」というデマを流し、敵をおびき出したうえでこれを討った。
■カエサルは、ゲルマーニー人への威圧とガリア人首長(エブロネース族アンビオリスク)の逃げ道封じのため、再度ライン川を渡ることにした。2回目の渡河で練度は上がっており、橋は数日で完成した。ローマ軍が進軍するとゲルマーニー人は森の奥深くまで退却してしまった。
(2)エブロネース族との戦い
■カエサルはガリア人周辺部族を使ってアンビオリスクを捜索・追撃したが、最終的に捕えることはできなかった。
第7巻「紀元前52年」
■アルウェルニー族のウェルキンゲトリクスは、時に武力も用いてガリア族をまとめあげ、カエサルに反抗してきた。カエサルは冬山を越えて奇襲をかけるなどし、連戦連勝で主要都市であるアウァリクムに迫った。
■アウァリクム包囲戦はカエサルの完勝だったが、長年友好関係にあったハエドゥイ族がガレー人に寝返り、手痛い敗戦も喫した。
■アレシア包囲戦は総力戦となり、ウェルキンゲトリクスは全ガリアから兵力を集め、ローマはゲルマーニー人傭兵部隊を導入した。カエサルはアレシアの周囲に二重の要塞線を構築し、内側は街内向けに、外側はガリア人援軍を防ぐために活用した。
■ローマ軍はこの包囲線に圧勝し、ローマでは20日間の感謝祭が決議された。(ウェルキンゲトリクスはローマの捕虜となり、この後、ガリアは完全にローマの影響下に入る)
学びのポイント
バッファゾーンという考え方
カエサルはヘルウェティー族との戦いに勝利したが、戦後、他部族にも手伝わせて彼らの町や村を再建し、同じ場所に住まわせた。
これには、肥沃なヘルウェティー族の領土にゲルマーニー族が侵入してきた場合、ゲルマーニー族とローマ属州が隣接することになるため、バッファゾーンを確保しておくという意図があった(本文要約)。
カエサルは偉大な軍人であるだけでなく、大局観を持つ戦略家でもあった。
この「バッファゾーン」という考え方は、当然ながら現代にも生きている。例えば日本にとってのバッファゾーンは、海洋国家(日米台豪)vs大陸国家(中ロ)という枠組みにおいて、間違いなく朝鮮半島ということになるだろう。
元外交官の岡崎久彦は、著書『戦略的思考とは何か』でこう言っている。
朝鮮半島は古来、中国と日本の間に存在する軍事的バッファゾーンだった。
歴史的に見ると、朝鮮民族は、唐の高句麗征伐や契丹の高麗侵攻など、漢族や北方民族による侵略を撃退している。
唯一「元」は朝鮮半島南端にまで達したが、高麗はその「元」相手にもよく戦った。もし高麗が元に無条件に降伏していたら、日本は元寇に備える時間が短くなっていただろうし、元軍を撃退できていたかも分からない。
対外侵略の意図も能力もなく、他面、北からの脅威には敢然と抵抗する意思のある国が大陸本土と日本とのあいだに介在している
──これほど日本の安全にとって有難い条件はないといえるだろう。日本は朝鮮半島の地政学的な価値を評価すべきである。
現代の朝鮮半島を考えるとどうだろうか。例えば北朝鮮で何らかの政体変更があった場合、大量に発生する難民を主体的・好意的に受け入れられるのは韓国しかない。
日本としては韓国に北朝鮮の防波堤として機能してもらいたいところだが、韓国は公式に「南北統一を目指す」と言っている。
※2019年8月の演説で「2045年までに南北統一を目指す」「我々が日本を乗り越え、東アジアを協力の道へと導く」と発言
ここに「地理的条件」を活用した韓国の戦略が見え隠れする。米中に挟まれた統一朝鮮が、独立した第三勢力として伍していくことは考えにくい。当然ながら事大主義でロシア・中国側か、アメリカ・日本側に付くことになり、統一朝鮮としてはここで握るキャスティングボートを力の源泉とするつもりだろう。しかも、統一朝鮮は核保有国だ。
そうなれば、統一朝鮮は今の韓国より扱いにくく、厄介な存在になり、日本の国益は著しく損なわれる。今でも、慰安婦問題や徴用工問題、レーダー照射にGSOMIA破棄(結局撤回)と日韓関係には問題が山積みだ。
ならば、日本の長期戦略としては、南北統一を阻む工作を続けつつ、「日米豪印台」というシーパワー連合で中国と対峙し、韓国の短期的な「妄動」は無視する、というのが正しい態度ではないだろうか。
中国やロシアにとっても、朝鮮半島が統一され、今より交渉力を増すことは避けたいはずだ。ここにおいて、北朝鮮・韓国以外の全ての国の利害は「朝鮮半島は分断させておく」ことで一致する。それが国際政治のリアリズムではないだろうか。
部下を鼓舞する手法
ゲルマーニー族の凶暴さを耳にした者のうち、まず戦争に慣れていない者から、次いで側近の者までもが、怖気づいてしまった。
怖がっているように見られたくない者は、「道がない」とか「食料供給が難しい」などと理由を並べて、戦争を避けようとした。
そこで私は全指揮官を集め、「名誉と責任を取るか、恥を取るか、どちらか」「私の最も信用する第十軍団だけは戦に同行させる。あとは好きにしろ」と言い放ち、また、ゲルマーニー族首長の傲慢かつ不遜な言い分を末端の兵士にまで知らしめ、最終的には全軍を鼓舞することに成功した。
(趣旨要約)
カエサルがリーダーシップを遺憾なく発揮した場面。本書はカエサルがローマの元老院向けに自ら書いた報告書であるから、恐らく「盛られて」いるのであろうが、ここから導き出される教訓は以下のようなものだろう。
・何かを拒む勢力は、自らの影響直下にはない周辺部から現れる
・何かをやりたくない時、部下は「出来ない理由」を並び立てる
・情緒に訴えるのは一つの方法
・部下の間に、競争心や「自分だけ出遅れたくない」という思いを惹起させ、分断を図ることも有効
・最も基本的なこととして、「共通の敵」を認識させることは有効
本書もあくまで勝者の歴史
(ゲルマーニー人の首長が言うには)大勢のゲルマーニー人をガリアに入れたのは自己防衛のためであって、ガリアを襲うためではない。その証拠に、求められなければ来なかったろうし、挑戦したのではなくて防戦したのである。
自分はローマ人よりも前にガリアへ来た。これまでローマの軍隊がガリア・プローウィンキアの領地を越えたことはない、何を望み、何のために自分の所領に入って来たのか。あれがローマのものであるように、このガリアは自分のプローウィンキアである。
ローマの領地を自分が攻撃したとすれば断じて許されないように、自分の権利にローマが干渉することも穏当ではあるまい。
ローマ人からは「野蛮人」呼ばわりされていたゲルマーニー人だが、これは極めて理性的で、合理的な言い分である。ゲルマーニー族がガリアに入ったのは自己防衛のためであるし、何よりローマより先にガリアに入ったのだから、ローマこそ侵略者だという理屈を展開する。
戦争というものは、参加者全員に大義と名分があるという好例だろう。この手の議論を見聞きすると、必ずこちらを思い出してしまう。
しかしカエサルも、ゲルマーニー人のことをもっと野蛮で未開な民族であるように描写することも可能であったろうに、(全部ではないだろうが)彼らが理路整然とした主張をしていた事実を書き残しているのは、なかなかの器と言えるのではなかろうか。
自己演出も忘れない
(戦争に負けたネルウィー族は)カエサルに降服し、部族の災難を語った。600人の元老が3人となり、武装できる人数も6万人から500人になったと嘆いた。
カエサルは惨めな者や嘆願する者に慈悲深いと思われるように、その部族の存続を許し、領地や町をそのまま使わせることにした。隣りの部族と仲間にもこれに乱暴をしたり損害をかけたりしないように命じた。
現代風に言えば「セルフブランディング」も忘れないのは、カエサルのしたたかさ。カエサルは自らの評判を落とさないように気を遣っていた。
カエサルと好対照なのがモンゴル帝国だ。モンゴル帝国は、ある都市を攻略する前に使者を派遣し、いかにモンゴル軍が残虐かを喧伝させ、攻める前から戦意を喪失させる情報戦を展開していた。
素直に降伏する部族は丁寧に扱い、そうでない部族は徹底的に殺戮することで、その喧伝に真実味を持たせており、まさに「戦わずして勝つ」という孫子の教えを体現する存在だった。
古代ローマはポピュリズムの世界だったので、カエサルも、ガリア人やゲルマーニー人からの評価はどうであれ、ローマ人からの評判は気にしたのだろう。
確証バイアス
(ローマ軍はウェネティー族にスパイを送り込み)「ローマ軍はウェネティー族との戦争で苦境に落ちているらしい」という情報を流させた。
およそ人は自分の望みを勝手に信じてしまうものだ。その証拠に、その後ウェネティー族はローマ軍に対して出陣してきた(一部要約)。
「人間は『そうであってほしい』と思う情報を信じてしまう」という、人間に普遍的な心理を語っている。2100年前も同じなのかと思うと、感慨深い。
現在の社会心理学用語で言えば「確証バイアス」ということになる。人間は自分の考えが正しいか否かを検証する際に、自分の考えを証明する証拠ばかりを探してしまい、反証情報に注目しない傾向が強いということだ。
特にSNSは「アルゴリズム」で自分の興味・関心のある記事やコメントが集まり、結果的に自分と反対の意見を目にすることが減り、確証バイアスが増幅されるので注意が必要だろう。
抑止力という考え方
ゲルマーニー人との戦争を終えたカエサルは、種々の理由からライン河を渡らねばならないと決心した。
そのうち最も当然な理由は、ゲルマーニー人がこのように容易くガリアに来るようになったので、ローマの軍隊もまたライン河を渡ることができるし、事実渡ったということがわかれば、ゲルマーニー人自身も自分のことを心配するようになるだろう、というのであった。
しかし船で渡るのは十分に安全と思われないし、カエサルやローマの面目をつぶすことであった。橋をかけるには河の広さと速さと深さから大きな困難があったが、それでもこれを試みるべきで、それ以外の方法では軍隊を渡してはならない、と思った。
これはつまり、ゲルマーニー人がライン川を渡ってガリアに入ってくるのを抑止するために、橋を渡してローマの技術を見せつけ、ローマはいつでも川を渡れるというデモンストレーションをしたということである。
これはゲルマーニー人にとって、大いに抑止力になったのだろう。その後、ガリー人がローマに謀反を起こそうとゲルマーニー人に協力を求めた際、「同じ失敗を繰り返したくない」としてそれを断っている。その後も4世紀後半のいわゆる「ゲルマン民族大移動」まで、ゲルマン人がライン川を大規模にわたってくることはなかった。
ちなみに、カエサルはたった10日間で橋を架けたとされる。何人もの研究者が模型を作ったりしたものの、現代でも実際にどのような技術を用いたかは解明されていない。こちらは、イギリスの建築家ジョン・ソーンが描いた「カエサルのライン橋」という絵。
最悪の事態を想定しておく
(ガリー人との戦闘において)何も予測していなかったティトゥリウスはこうなると慌てふためき、部隊をまとめるにしても恐れ慄いて全くどうしていいか分らなくなったようであった。
それは、せっぱ詰らないと考えをまとめようとしない人によくあることだ。
ティトゥリウスはカエサルの部下であり、一部の軍隊を任せてあった。この箇所はカエサルによる部下への痛烈な皮肉・批判である。
ここでカエサルは「リーダーとは不測の事態や最悪のケースを事前に想定しておかなければならない」ということを言っているのであろう。これは現代においてもそのまま当てはまる教訓である。
「不徹底」は災いを招く
ローマ軍の食糧調達を阻止するため、ウェルキンゲトリクスは、(味方である)ビートゥリゲース族の街のうち、地形が悪くて攻撃を受けやすい街を焼き払うことを計画した。
ビートゥリゲース族は、自分達の街が焼かれることに抵抗はあったが、ウェルキンゲトリクスは「これは苦しい残酷なことに見えるかもしれないが、妻子は奴隷として連れ去られ、自分自身は殺される方がずっと苦しいことである、負ければ必ずそうなる」と説き、賛同を得るに至った。
しかし、ビートゥリゲース族は「ガリアを通じて最も美しく、部族の護りでもあり誇りでもあったアウァリクムの街だけは、自分らの手で焼きたくない」と足下に身を伏して頼み込んだため、初めのうちは反対していたウェルキンゲトリクスも、後になると人々の同情に動かされて、頼みをきくことになった。(一部要約)
この後、ウェルキンゲトリクスは、アウァリクム包囲戦でカエサルに敗れることになる。
まさに「方針の不徹底」が招いた敗戦である。もちろん、アウァリクムを焼き払うとなると、ビートゥリゲース族が反目するリスクもあり、難しい判断だったことは間違いない。
ただ、リーダーとしては、一時的な感情論は廃し、怜悧に「ローマ軍に攻撃されやすい街は焼いておく」という方針を徹底すべきであった。
カエサルの模範的な「叱り方」
翌日、カエサルは集会を催して兵士の無謀と熱狂を叱った。どこへ進むか、何をするかを勝手に判断し、退く合図をしても止まらず、副将や千夫長でも押さえられなかったからである。
なお、カエサルは不利な地形が何をもたらすか、前に自分がアウァリクムで指揮者も騎兵もいない敵を襲いながら、地形の不利なために少しでも犠牲を出したくないと思ったので確実な勝利まで諦めたことを説明した。
陣地の堡塁も山の高さも町の防壁も突破した兵士のたくましい士気を賞めたたえたが、勝利と事態の成り行きについて指揮官よりも心得ているかのように思い込んだ放縦と傲慢については厳しく叱り、兵士に、武勇やたくましい士気に劣らず服従と自制を期待すると言った。
こう述べたカエサルは話の終りに、このようなことで士気をおとすな、地形の不利が生んだことでそれを敵の武勇などに帰してはならない、と兵士を励まし、前にきめたように出発する考えで軍団を陣地から出し、適当な場所に戦陣を布いた。
実に学びの多い「叱り方」である。具体的には以下の通り。
①「何に対して叱っているか」「何を期待しているか」が明確
②「どうして叱っているか」が明確
③良い点はしっかりと褒め、次につながる形で終えている
人事部長のつぶやき
かわいい言い訳
(ハエドゥイー族の首長である)ドゥムノリクスは最初あれこれと嘆願の言葉を重ねて(ブリタンニー島に連行せず)ガリアに残してくれと言い張った。航海に慣れないから海が怖いとか、宗教でとめられているとか言った。
首長という立場にもかかわらず、かわいい言い訳である。武勇伝の続くガリア戦記の中でも、ほっこりできる箇所。「おばあちゃんの遺言で〇〇できない」みたいなノリである。
初期の暗号
手紙が奪われても、味方の計画が敵にわからないように、これをギリシア字で書き送った。
カエサルの使用する暗号というと、いわゆる「カエサル暗号」が著名だが、こちらはもっとシンプルだ。
ちなみに「カエサル暗号」とは、アルファベットを決められた数だけずらす手法を言う。例えば決められた数を3とすれば、AをDに、BをEに読み替えていく。
ちなみに世界最古の暗号は、紀元前19世紀ごろに古代エジプトで使われていたヒエログリフのうち、特定の人間しか理解できなかった標準以外の文字だそうだ。
戦記には珍しい女性と子供の描写
(ガリア人は夜中にローマ軍の隙を見て街を出て、近くの味方の陣地に移動しようと)準備していた。
すると不意に主婦たちが屋外に走り出て泣きながら夫の足下に身を投げ、生れつき体力が弱くて逃げられない女や子供を敵に渡してみじめな思いをさせないでほしいと言葉を尽して頼んだ。
最後の危機が迫ると恐ろしさの余り憐みの心も消えて、夫たちがその決心を変えそうもないのを知ると、主婦たちは叫び声で人々の逃亡をローマ軍に知らせ始めた。
ガリー人は通路がローマ軍の騎兵によって押さえられるかもしれないという恐怖にかられて、その計画を諦めた。
戦争は大抵は男の都合で始まり、男の都合で終わる。通常、女性や子供が戦記に出てくることは稀で、カエサルが敢えてこの記述を残したことは非常に興味深い。
(岩波文庫)
※歴史・リーダー論・心理学・語学など、あらゆる観点から必読の古典!