「幸福論」アラン

  難易度 ★★★★☆
オススメ度 ★★★★☆
 所要時間 3時間30分

幸福論(アラン)
この記事を書いた人
人事部長

上場企業に入社以来、経営・財務・営業・人事・海外事業等を経験し、現在は人事部門のマネージャです。

「才徳兼備」を目指す部下に紹介している「骨太の教養本100冊」を、順次web上にも公開しています。

慶應義塾大学経済学部卒業、シカゴ大学経営大学院修了(MBA)、米国公認会計士。

「幸福論」アラン

基本情報

初版   1925年
出版社  岩波書店など
難易度  ★★★★☆
オススメ度★★★★☆
ページ数 325ページ
所要時間 3時間30分

どんな本?

「人生とはつらく、しんどいもの」という前提を受け入れた上で、何をどうすれば幸せを感じられるのかを、実例を交えながら分かりやすく説く。

ラッセル『幸福論』、ヒルティ『幸福論』と並ぶ、いわゆる「3大幸福論」の一つ。

著者が伝えたいこと

人生というものは、元来しんどく、つらいものだ。何もしなければ悲観主義が真理である。必要なのは、信じ、期待し、微笑むことだ。幸せになれるかどうかは、自分の心持ち次第。幸福は自分で作るものだ。

あなたが上機嫌でいれば、周囲の態度も変わる。誰でも、不機嫌になったり、かっとなったりしたことを恥じるからだ。あなた自身は不機嫌になって人生を台無しにしてはいけない。

著者

アラン(本名はエミール=オーギュスト・シャルティエ) 1868-1951

アラン

アラン

フランスの哲学教師。高校教師でありながら、教師職の合間を縫い、プロポ(哲学断章)と呼ばれる語録を、8年間、1日も欠かすことなく新聞社に送り続けた。全3,098編ある語録は、世界、人間、政治、宗教など、様々なテーマを扱っており、幸福に関する93編の語録を集めたのが本書。

アランは著書『イデー』で「心身問題については、今もなおデカルト以上に優れた教師は見当たらぬ」と評しており、人間理性の高貴さを重要視した。(参考 デカルト著『方法序説』

こんな人におすすめ

なんとなく満たされない人。不機嫌になることが多い人。「人生は何でこんなにつらいのだろう」と思っている人。

書評

「フランス版処世術(幸せに生きるための考え方)」といった本。

翻訳が良くないのか、欧米と日本の感覚の違いなのか、プロポの中には何が言いたいのか(少なくとも私には)判然としないものも、いくつか存在する。

なので、一つ一つのプロポから何かを読み取る、汲み取るというよりは、全体をざっくりと読んで、全てのテーマに共通の話題を感じ取る、という読書態度が正しいと思われる。その中から、自分にしっくりくる「プロポ」を見つけ出すのはとても楽しい作業。

ちなみに本書は「フランス散文の最高傑作」と謳われていることもあるが、回りくどい表現もあり、「そこまでかなぁ」というのが私の率直な感想。。。「お、いいこと書いてあるな!」とキラリと光るプロポがあるにはあるのだが。私の理解力and/or感受性が足りないというだけかもしれない。

アラン自身が教師だったこともあってか、子供が例え話に多く出てくる。人間は自然状態では子供と一緒(秩序や礼儀がない状態)なので、自らの感情を律しなければいけない、という具合。この考え方が根底に流れている。

要約・あらすじ

アランの「幸福論」は、「プロポ(哲学断章)」と呼ばれる、3分くらいで読める短い文章の集合で成り立っている。

一つ一つに異なるテーマが取り上げられているので、要約は難しいが、本書に通奏低音として流れている「幸福になるための考え方」は以下のとおり。

■人間は元来、悲観主義者である。自分も周囲も、何もしなければ不機嫌が横溢している。自ら意識して「幸福になろう!」と思わないと、一生そこから抜け出せない。

■とはいえ、鬱に抗ってはいけない。人間には躁の時も鬱の時もある。冬と夏、雨と晴のように、喜びも悲しみもまた同じである。無理して自分を制御せず、あるがままに受け入れた方が幸せである。

自分が不幸であることに不機嫌になってはいけない。不幸なだけでも十分なのに、不機嫌になることはそれに輪をかけて二重に不幸になる。そして人の不機嫌は周囲に伝播する。私たちは他人の不幸に耐えるに足る力を持っていない。二次災害である不機嫌は高度に制御すべきである。

■体を動かすことは気分転換に繋がる。宗教儀式にも取り入れられている。例えば、ひどく苛立った人は、ひざまずいて安らかさを求める。正しくひざまずけば、怒りは取り除かれ、安らぎを得られるのだ、人間の情念は、適当な運動によって制御できる。

■自分の外部に言い訳を探す人は、決して満足するということがない。自分の過失を認め、そうした経験を消化することが必要である。

■何かに隷属することは明らかに不幸であり、自分で自分の人生を決められる行動の自由を有することは、それ自体で幸福である。誰でも、極めて易しいが命令づくの仕事より、難しいけれども自分の意志で進められる仕事の方を好むだろう。

■何の役に立つか分からない仕事をするのは苦痛である。しかし、たとえ一日がかりの仕事でも、実際に役に立つ仕事であれば、人はそれ自体を楽しむことができる。

■金持ちだからといって幸せになれるわけではない。金持ちは時間を持て余し、病気・老衰・死などの余計なことを考えて、結局不幸になる。或いは賭け事や観劇など、ロクでもないことで退屈を凌ぐのだ。

人は幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ。笑顔は周囲の不機嫌を解消させる。誰でも、不機嫌になったり、かっとなったりしたことを恥じるからだ。礼儀正しいとは、全ての身振り、全ての言葉によって「苛立つまい、人生のこの瞬間を台無しにすまい」と口に出して言うか、表情で示すかすることである。

■私にとってとりわけ明瞭だと思われるのは、幸福たらんと欲しなければ、絶対に幸福にはなれないということだ。それゆえ、自分の幸福を欲し、それを作らなければならない。気分というものは、常に不機嫌なものだ。そして、あらゆる幸福は、意志と抑制から生まれる。

学びのポイント

悲観主義は気分、楽観主義は意志

抑鬱患者は、どんな考えの中にでも悲しい理由を見出す術を知っている。

悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである。およそ成り行きに任せる人間は、気分が滅入りがちなものだ。やがて苛立ち、憤怒にかられる。


これは敷衍すると「物事の捉え方は自分次第」「苦しみの原因は客観的事実ではなく、主観的解釈」ということを意味しているが、この考え方については、非常に古くから多くの人が言及している。

もちろん全ては網羅できないが、主要なものを年代順に列記してみる。

事態が人間を不安にするのではなく、事態に対する見解が人間を不安にする。

エピクテトス

・事物は魂に触れることなく外側に静かに立っており、わずらわしいのはただ内心の主観からくるものにすぎない。

我々が怒ったり悲しんだりする事柄そのものにくらべて、これに関する我々の怒りや悲しみのほうが、どれほど苦しみをもたらすことであろう。

マルクス・アウレリウス・アントニヌス『自省録』

人生の幸不幸の境目は、みな人の心が作り出すものである。釈迦も同じことを言っている。

洪自誠『菜根譚』

現実世界のいかなる出来事も、主観と客観という二つの側面から成り立っている。

だから、客観的半面が全く同じでも、主観的半面が異なっていれば、また、これとは逆に、主観的半面がまったく同じでも、客観的半面が異なっていれば、現在の現実世界はまったく別様なものになる。(中略)

「客観的に現実にいかなる事態なのか」ではなく、「私たちにとって、いかなる事態なのか、私たちが事態をどう把握したのか」が、私たちを幸福にしたり不幸にしたりするのである。

ショーペンハウアー『幸福について』

世の中の人は皆、幸福を求めているが、その幸福を必ず見つける方法が一つある。それは、自分の気の持ち方を工夫することだ。幸福は外的な条件によって得られるものではなく、自分の気の持ち方一つで、どうにでもなるのだ。

デール・カーネギー『人を動かす』

悲観主義者はすべての好機の中に困難を見つけるが、楽観主義者はすべての困難の中に好機を見いだす。
A pessimist sees the difficulty in every opportunity; an optimist sees the opportunity in every difficulty

元英国首相 ウィンストン・チャーチル

ミュンテ博士らは、笑顔に似た表情をつくると、ドーパミン系の神経活動が変化することを見いだしています。

「ドーパミン」は脳の報酬系、つまり「快楽」に関係した神経伝達物質であることを考えると、楽しいから笑顔を作るというより、 笑顔を作ると楽しくなるという逆因果が、私たちの脳にはあることがわかります。

池谷裕二『脳には妙なクセがある』

実に2000年前のローマ皇帝から、現代の脳科学者までもが「幸せとは気の持ちようや解釈である」と主張しているのである。

そして「気の持ち方」の最も簡便な方法は笑顔になることである。コストゼロの投資、是非皆さんにも試していただきたい。

笑顔の科学的効用

生理学者はよく知っているが、笑顔というものは、あくび同様、深く下のほうまで降り下り、次々と喉や肺や心臓をゆったりさせる。

医者の薬箱のなかにだって、こんなに早く、こんなにうまい具合に効く薬はあるまい。


生理学的には、楽しいから笑顔になるのも正しいし、逆に笑顔になると楽しく感じるというのも正しい。

先ほど紹介したとおり、近年の研究では、笑顔に似た表情は、快の感情等に作用するドーパミンの分泌を活性化させることが分かっている。

不機嫌な時、体の調子が悪い時は、しかめっ面になりがちである。せめて笑顔が作れれば、自分の感情もコントロールできるし、周囲にも威圧感を与えない。「笑顔の効用」は忘れないようにしたいところ。

これと同じようなことをスピノザは「私が満足しているのは体が暖かいからではない。満足しているから暖かいのである」と言っている。

小人閑居して不善を為す

人は退屈なので、それから逃れるために、心配したり怒ったりする。もし彼が朝から晩まで働いていたら、これほど退屈しなかったに相違ない。だから金持ちは退屈するし、ロクなことをしない。

自分自身の内側に財産を持っていないものは、倦怠に待ち伏せされ、やがて捕まってしまう。

(要約)


これは名言だ。人は時間を持て余すと、ロクなことを考えない。適度に忙しい方が良い人生を送れるのだ、ということを言っている。

これは古今東西で真理のようで、数々の偉人たちが同じ趣旨のことを述べている。

小人閑居して不善を為す(=教養や人徳のない小人は、一人でいたり時間を持て余すと悪事を犯す)

『大学』(四書五経の一つ)

人生は、あまりに閑すぎるといつの間にか雑念が生じてくるし、あまりに忙しすぎると本性を発揮できない。

洪自誠『菜根譚』

時間を浪費していては精神の中に有害な雑草がはびこるばかりだ。何も考えない頭は悪魔の仕事場となり、怠け者は悪魔が頭を横たえる枕となってしまう。

航海においても、船員たちは暇が多いほど不平不満をつのらせ、船長に刃向かうようになる。そのことを熟知していたある老船長は、何も仕事がなくなると、必ず「イカリをみがき上げろ!」と船員たちに命じたそうである。

サミュエル・スマイルズ『自助論』

人間は何かやっている時が一番満足しているものである。というのは、仕事をした日彼らは素直で快活で、昼間よく働いたと思うものだから、晩は楽しく過すのであったが、仕事が休みの日にはとかく逆らいがちで喧嘩っぽく、豚肉やパンや何かに文句をつけ、終日不機嫌でいるのだった。

それで私はある船長のことを思い出したのである。彼は部下の者にたえず仕事をあてがっておくことにしていた。ある時、航海士がやってきて、仕事はすっかりすんで、もう何もさせることがないと告げると、彼は言ったものである。「では錨を磨かせるがよい」

ベンジャミン・フランクリン『フランクリン自伝』

ちなみに英語には「Idle hands are the Devil’s workshop」という同じ意味の諺がある。

日本で振り返ると、一昔前の労働組合運動などはその典型ではなかろうか。もちろん、労働者が団結して、自らの処遇や労働環境を良くすることは尊重されるべきである。しかし、旧国鉄の労組がそうであったように、政治的イデオロギーと相まって、毎日のように会社と団体交渉を繰り返すような労組運動は健全とは言えない。

仕事が充実していて、日々忙しく働いていれば、あれだけ労組運動に時間やパワーを割けなかったはずである。それだけヒマだったということだろう。ちなみに労使問題は国鉄分割民営化の一つの原因であった。

ちなみに1975年には8日間にわたって、国鉄のほぼ全線でストライキが行われた。ストライキが禁止されていた国鉄職員が、ストライキ権を求めてストライキをやるという、なんとも訳の分からない所業で、歴史的には「スト権スト」と呼ばれる。

国鉄スト権スト

上:国鉄が止まり、マイカー渋滞が発生
下:地下鉄に乗るための長い列(池袋駅)

日本経済は大混乱である。また、同時期のものかは不明だが、国鉄労働運動では、自社製品である車両にもスローガンが描かれていた。

国鉄スト

これが日本の民度かと思うと、悲しくなるばかりである。

「楽しむ者」が最強

アリストテレスはこんな驚くべきことを言う。

真の音楽家とは音楽を楽しむ人であり、真の政治家とは政治を楽しむ人である、と。

「楽しみとは能力の表れである」と彼は言っている。


アリストテレスの約200年前、中国大陸では孔子が全く同じことを以下のように言っている。「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」

つまり、物事を理解し知っている者は、それを好んでいる人には及ばない。物事を好んでいる人は、それを心から楽しんでいる者には及ばない、ということだ。

ここではアランは「人生を楽しむ能力を持つ者が、幸せになれる」ということを言いたいのだろう。アランの言う幸福は、人生を楽しむというスキルであって、財産の量でも、頭の良さでも、端麗な容姿でもない。

幸福の秘訣の一つは、自分の不機嫌に無関心でいること

何かのはめで道徳論を書かざるを得ないことになれば、私は義務の第一位に上機嫌を持ってくるに違いない。

人生の些細な害悪に出会っても、不機嫌で自分自身の心を引き裂いたり、それを伝染させて、他人の心を引き裂いたりしないように、努めねばならない。

幸福の秘訣の一つは、自分自身の不機嫌に対して無関心でいることだ。相手にしないでいれば、いずれ消滅する。これこそ、本当の道徳の最も重要な部分だ。

人間は意識して「上機嫌」を維持し、感謝し続けなければならないことを言っている。この「上機嫌」は古今東西、数々の偉人が重要性を強調しているので、その一部を紹介したい。

①マルクス・アウレリウス・アントニヌス『自省録』

克己の精神を持つこと。いろいろな場合、たとえば病気の場合でさえも、機嫌良くしていなければならない。

我々が怒ったり悲しんだりする事柄そのものにくらべて、これに関する我々の怒りや悲しみのほうが、どれほどよけい苦しみをもたらすことであろう。

②洪自誠『菜根譚』

暴風雨の日には、鳥や獣でさえも悲しそうである。ところが天気晴朗の日には、草木でさえもうれしそうである。天地間には一日として和気がなくては幸せに暮らせない。

人の社会でも、和気を以て互いに相交り、感謝して満足する心がなくては幸せになれない。

③ヒルティ『幸福論』

例えば君が風呂に行くとする。そこではどんな不都合が起きるかを予め考えておくのがよい。行儀の悪い者、うるさい者などもいるだろう。

そうすれば、入浴中に何か気に入らないことがあっても「自分はただ入浴をしに来たのではない。自分の自由と品性を保とうと欲したのだ。この件で怒ったり不機嫌になったりしたら、自分はそれをよく保ちえないだろう」と考えればよいのだ。

④福澤諭吉『学問のすすめ』

表情や見た目が快活で愉快なのは、人間にとって徳の一つであって、人付き合いの上で最も大切なことである。

⑤佐藤一斎『言志四録』

春風の和やかさをもって人に接し、秋霜の鋭さをもって自らの悪い点を改めよう。

人が自分にどのような態度・反応を示すかは、全て自分の心が整っているか否か次第である。

⑥立命館アジア太平洋大学 出口治明学長

僕は、前職の時代から、現在に至るまで、リーダーのもっとも重要な役目は、「スタッフにとって、元気で、明るく、楽しい職場をつくること」だと考えています(中略)

(私は)部下の前ではできるだけ、不愉快な顔をしないことを心がけています。それがリーダーの最低限の務めです。

これらは一人の社会人として、心に重く響く。自分の精神や心がどんな調子であるかというのは、自分と一緒に働く人にとっては何ら無関係だ。常に一定の状態で接しなければいけないし、不機嫌で周囲のパフォーマンスを下げるなど、プロフェッショナルとして失格である。

進化生物学的には、人間は生存と子孫を残すことに適した形で進化してきたのであって、決して「幸福になるように」は設計されていない。自然界の中で生きながらえられるように、ある程度の用心深さや悲観主義を本能的に持っている。だから、先天的な楽観主義者というものは存在しない。

もし、あなたの周囲に「先天的楽観主義者」のように見える人がいたとしたら、その人は周囲からそう見られるように努力しているに違いない。特にビジネスシーンでは「職業としての上機嫌」が求められるだろう。

幸せとは主観的なもの

小雨が降っているとする。「またしても嫌な雨だ」と言ったところで何も変わらない。それなら「けっこくなおしめりだ」と言うほうがいい。

そして、人間たちも雨同様に見做すのがいい。いや、雨より楽である。何故なら、雨には微笑みは役に立たないが、人間に対しては大いに役に立つからだ。そして、微笑みのまねをしただけでも、もう人々の悲しみや悩みは弱くなる。

人間には、自分以外にはほとんど敵はいない。人間は、自分の間違った判断や、杞憂や、絶望や、自分に差し向ける悲観的言動等によって、自分自身の敵になる。

ソクラテスの時代、デルフォイにあったアポロン神殿の入口には「汝自身を知れ」と書いてあるではないか。

人間は何もしなければ悲観主義が真理である。人間的事態の流れは、放置しておけばたちまち最悪のところまで行きつく。例えば、自分の気分に身を任せれば、やがて不幸になり意地悪になる。(中略)

誰でも知っての通り、怒りと絶望は打ち勝つべき第一の敵である。必要なことは、信じ、期待し、微笑むこと。そしてまた、仕事をすることだ。人間の状態というものは、不屈の楽観主義を採らない限り、やがて最も憂鬱な悲観主義が真実になるようにできている。

これぞアランの神髄!という感じの主張である。どれも「幸せは自分の気の持ち方次第」ということを繰り返し言っている。

世の中、とにかく不満足で不機嫌な人で溢れている。どこまで行けば、人は満足できるのか。まさに、自分の中で幸福の基準を作り出さなければ、人は悲観主義に行きつくのだ。

会社の待遇に不満を持つ人、満員電車で足を踏まれたと怒る人、店員の態度が少しばかり悪いからと言ってムッとする人。そういった不機嫌によって被害を被るのが自分だけなら構わないが、それは周囲にも伝播する。誰でもその渦の中に入ってしまう可能性がある。

どのように意識的に「不屈の楽観主義」を自分の人生にビルトインできるかが、その人の幸せの総量を決めるのかもしれない。

まずは自分が微笑む

対人関係を考えるにあたり、雲のように行き来する二つの気分のうち、一方がまず微笑むことが必要なのである。微笑みを始めるのが断じてあなたの方でないならば、あなたは馬鹿者に過ぎない。

(中略)

他人の気分を直接に支配するのは、自分自身の気分を支配するよりずっと楽なのだ。そして、話をしている当の相手の気分を注意深く扱う者は、自分の気分も制御することができる。会話においては、誰もが他人の鏡だからだ。

今度は対人関係における「不屈の楽観主義」の発揮方法だ。相手が不機嫌だろうが不愉快だろうが、こちらは微笑みから始めるべきだ。それが相手の態度を変える。

何もしなければ二人の関係は悪くなるかもしれない。それを回避するのは、自分自身の言動しかない。

愛は自然、憎しみは不自然

愛は生理的に強く、憎しみは生理的に弱い。人類による愛との最初の出会いは、母から受け取る乳である。子供はあらゆる手段を使ってこの愛情を受け取る。

もし腐った牛乳を与えればたちどころに吐き出すだろう。母乳は愛、腐った牛乳は憎しみである。

これは面白い見方だ。「愛は自然、憎しみは不自然」とも言い換えられる。もちろん憎しみも人類の生存にとっては必要な感情なのであろうが、どちらがより原始的かと言われれば、それは愛のほうであろう。

上機嫌を振りまく

私は上機嫌を奨める。そもそも共同生活は不機嫌を助長するものだ。レストランに入る、隣の客だのメニューだのに敵意ある視線を投げる。万事休す。不機嫌が他人に移る。こういう不機嫌のメカニズムと感染とを、よく把握しておくことだ。

あなたは親切な言葉、感謝の言葉を言うことだ。冷淡な馬鹿者に対しても親切にすることだ。上機嫌の波はあなたの周囲に広がり、周囲の者の態度も変わるだろう。

これは明日からでも実践できる考え方だ。思い通りに周囲の態度が変わらないかもしれない。しかし、周囲の態度というものは、何もしなければ、絶対に変わらないものだ。

宝くじは買わなければ当たらないのと一緒。であれば、上機嫌を振りまいていたほうが、少なくとも損はしないのだから、良いのではないだろうか。

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