【人事部長の教養100冊】
「文明論之概略」福澤諭吉

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文明論之概略(表紙)

「文明論之概略」福澤諭吉

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基本情報

初版   1875年
出版社  ちくま文庫等
難易度  ★★★☆☆
オススメ度★★★★★
ページ数 407ページ
所要時間 4時間30分

どんな本?

明治初期、日本が欧米列強に伍して独立を守っていくには、理想はともかく、現実論として何が必要かを説いた渾身の一冊。最初に「人類の目指すべき最大の目的」としての文明の姿が語られ、福澤の大局観が炸裂する。福澤の著書の中では、最も学問的な体裁が整っていると言われている。

大局観と先見性を持って、言いにくいこともどんどんぶった切っていく福澤に、読んでいて気持ちがスカっとする一冊。慶應受験者はもちろん、教養を志す全ての人にとって「学問のすすめ」「文明論之概略」「福翁自伝」の3冊は特に必読。

著者が伝えたいこと

日本は「徳」の分野では西洋に負けていないが、文明・学問・技術という「才(=知恵)」では完敗している。日本人は徳川幕府にいいように飼いならされてしまい、独立自尊の気概がない。江戸時代には文明の進歩はほとんど無かった。

攘夷も軍拡も国体論もキリスト教も儒教も、全て役に立たない。早急に国民が知恵を付け、西洋文明に追い付かねば、日本の独立は危うい。

確かに、一国の独立など、人間の智徳からすれば、些細な事柄である。しかし、現実の国際政治の有様では、そこまで高遠な議論はできないのだ。国も人もなくなれば、日本の文明も成り立たないではないか。

なお、本書は今の日本を考え、今の日本の急に応じて説いたものであり、永遠に通用する深遠な見解などではない。

著者

福澤ふくざわ諭吉ゆきち 1835-1901

福澤諭吉

幕末~明治期の啓蒙思想家・教育家。豊前中津藩士。蘭学を緒方洪庵に学び、江戸に蘭学塾(のちの慶応義塾)を開設。

明治維新では「幕府の旧態依然とした封建制度はイヤ」「でも対抗勢力は攘夷の傾向が強すぎてこれもイヤ」「どちらかに与して当たって砕けるのもイヤ」という態度を表明し、中立を貫いた。

結果、三度も幕府遣外使節に随行して欧米を視察するも、新政府の招きには応じず、独自の教育と啓蒙活動に専念した。

こんな人におすすめ

幕末から明治の日本が、欧米を当面のターゲットと定め、自らの歴史と慣習の一部を否定してでも文明化を選んだ過程を知りたい人。「論客福澤諭吉」の歯切れのいい、痛快な自己批判に触れてみたい人。

書評

論客福澤諭吉が、理路整然と、時には古い慣習をぶった切り、時には奇抜なアイデアを伴って、日本の行くべき道を示す。いかにも頭の良い教養人が書いた文章で、全くストレスなく読める。

特筆すべきは、難しい概念を一般人でも理解しやすいように、誰でもわかる自然現象等を使った比喩を多用していることだ。

例えば、文明の進歩には頭数より智力の総量が重要ということを示すために、「1人の人間を蒸留して1リットルのアルコールが取れたとする。一方、10人の人間を蒸留しても0.1リットルしか取れない場合もある。この場合、前者の方が望ましいということになる」というような趣旨の比喩を用いている。

大局観と先見性を持って、言いにくいこともどんどんぶった切っていくという点で、読んでいて気持ちがスカっとする本と言える。

福澤諭吉
(ちくま文庫)

※齋藤孝さん現代語訳のちくま文庫版が分かりやすくておすすめ!

要約・あらすじ

■物事の良し悪しを判断するには、大局的(全体の利益、広い視野)・長期的(長期の利益、高い視座)・本質的(重要度の判定、深い思考)の3つの要素が必要である。

■アダム・スミスも、ガリレオも、最初は異端扱いされたが、次第に世間が認めるようになった。古来、文明の進歩は、異説や妄説から始まったのだ。日本でもわずか10年前までは300諸侯が人民を支配する封建制度だったではないか。たとえ、私の意見が異端扱いされたとしても、日本は文明を前に進めるしかないと確信している。

■文明とは「人間の知性と徳性の進歩の過程」であって、未開⇒半開⇒文明と段階がある。ヨーロッパは、まだ平和で叡智にあふれるような文明の最終理想形ではないが、日本よりは確実に進んでいる。よって、日本はまずヨーロッパを目指すべきである。

■日本は外国勢力に支配されることなく国体を維持し、かつ皇統も続いてきた。外国には例がない。しかし重要なのは、歴史の長さや固有性そのものではなく、日本人が自分たちの手で政権を維持してきたということだ。ただ古い、珍しい、というだけで重んじるのは筋違いだ。我々日本人が文明を進めるのに役立つなら、政治形態は柔軟に変えても構わない。

■世の中の変革や文明は、人の頭数ではなく、智力の合計で実現される。西洋人は知者も愚者も相互に議論を戦わせて主張を洗練させるため、愚人も知者と同じような高尚なことを言う。アジアは身分制度のせいで、個々人は良くても、全体の智力が発揮できていない。

■その結果、日本の士族はその特権や財産を失うか否かの瀬戸際にあるのに、何の声もあげない。ヨーロッパなら大騒動になっているはずだ。国民が議論せず愚鈍であることは専制政治には便利だが、外交では危なっかしい。日本は外国人と伍していくために、この習慣を改めなければならない。

■徳の効能は狭く、才(知恵)の働きは広い。徳はせいぜい家族や周囲の人間を感化する程度だが、知恵は技術にしてもビジネスにしても、広く影響を与える。最も望ましいのは、知恵の力で徳の領域を広げることである。今の日本の置かれた状況に鑑みるに、徳は十分足りているのだから、至急、国民の知恵を増進し、ヨーロッパに追い付くことが必要である。

■日本には古来より「権力の偏重」がある。古来から治者と被治者に分かれ、宗教も学問も治者の下にあり、人民の間に自己の権利を主張するような者はいなかった。

■まず、日本には独立した市民がいない。日本の戦争は武士階級同士の争いであって、一般人民から見ると単に支配する層が変わるだけである。

そして日本には独立した宗教がない。神道は宗教の体裁をなしておらず、一時期を除き、仏教は朝廷や幕府の庇護下にあった。

■最後に、日本には独立した学問がない。学問は仏教関係か政府庇護下の学者に独占されていた。たまに私塾を開く者もいたが、生徒は士族のみで、内容もどう人を治めるかに留まっていた。

■日本は資源がなく貧しい国と言われている。しかし、国民から税を徴収し、それを投資することは可能だ。これまでは、無能な政府と、広く一般に存在する知恵ある者が分断されていたから、国民の富を運営する智力に乏しかっただけである。

■外国交際は、天地の公道(公正で道理のあること)に則ってなされるべきだ。しかし現実問題として、西洋列強はインドや中国で、天地の公道に悖る乱暴の限りを尽くしている。その状況の中、高遠な議論をしていてはいけない。日本は独立を守るために、まずは西洋列強の文明に追い付く努力をしなければならない。

■独立が守れず、国も人もなくなれば、日本の文明も成り立たないではないか。本書は今の日本を考え、今の日本の急に応じて説いたものであり、永遠に通用する深遠な見解などではない。それは分かった上である。

学びのポイント

最も尊い力と最も強い力

日本では、最も尊い力と最も強い力が分離していた。

天皇家は最も尊いが、人民を支配するには至らなかった。将軍家は最も強いが、人民から神聖視されるには至らなかった。日本ではその間に、思想の自由があった。

一方、中国は皇帝が全てを支配していたので、思想の自由がなかった。

これはなかなか面白い議論である。まず日本では確かに天皇家と将軍家(武家)という2つの権力構造があった。その歴史はやや複雑なので、ざっと整理してみる。

【飛鳥】
当初の天皇は地方豪族連合体の長。隋・唐という強大な国の成立を背景に、大化の改新・壬申の乱を経て、天皇を中心とした中央集権国家が形作られていく。

乙巳の変
乙巳の変(蘇我入鹿の暗殺)

【奈良~平安】
奈良時代から藤原氏の勢力が増し、平安時代には天皇の外戚として力を振るういわゆる「摂関政治」を展開し、朝廷の影響力は小さくなる。その後、白河上皇が「北面の武士」なる親衛隊を組織し、そこから平家が台頭してくる。藤原氏は道長の時代に絶頂を迎える。

藤原道長
藤原道長(藤原氏の絶頂期)

【鎌倉】
12世紀末に鎌倉幕府が成立するが、幕府の支配は当初、西国にまで及んでおらず、朝廷と幕府で権力を二分する形だった。その後の1221年、後鳥羽上皇が鎌倉幕府打倒を目指して挙兵するも敗れ、朝廷は幕府の管理下のような状態に置かれることになる(承久の乱)。

承久の乱
承久の乱

【室町~江戸】
朝廷内での権力確立及び鎌倉幕府打倒のため力を蓄えていた後醍醐天皇は、1333年に建武の新政を開始するが、わずか2年で足利尊氏の離反を招く。朝廷は南北朝時代に入るものの、室町幕府3代将軍義満の手により合一される。朝廷は応仁の乱期に深刻な財政難に陥るが、その後は武家との大きな対立もなく幕末を迎える。

後醍醐天皇
後醍醐天皇

ちなみに幕末は「朝廷+薩長軍 vs 徳川将軍家」という構図になるが、徳川慶喜が天皇に大政を奉還することで、武力闘争には至っていない。

一方、ヨーロッパではどうか。これもざっと整理するとこうなる。

・AD800年、東ローマ帝国及び東方教会への対抗策として、ローマカトリック教会の教皇レオ3世が、フランク王国国王カール1世に戴冠する。これにより、ゲルマン民族がローマの後継者として認められることになる(フランク王国はその後分裂)。

カールの戴冠(ジャン・フーケ作)
カールの戴冠(ジャン・フーケ作)

・一方、その後、カトリック教会の高位聖職者の任免権は、世俗の権力である神聖ローマ皇帝が有し、下位聖職者任免権もイギリス、フランスなどの国王や領主に握られた。

・これに対して11~12世紀、有力教皇により、聖職者叙任権を教会の手に奪回する「叙任権闘争」が展開される。1077年には教皇グレゴリウス7世が、叙任権闘争に反発した皇帝ハインリヒ4世を破門し、皇帝が教皇に謝罪する事件が起こる(カノッサの屈辱)。これにより、教皇の皇帝に対する優位が明確となった。

カノッサの屈辱
カノッサの屈辱

・1095年にはウルバヌス2世が十字軍運動を提唱し、西ヨーロッパの主導権を握ると一挙に教皇側に有利に展開するようになり、インノケンティウス3世の時代には教皇自ら「教皇は太陽、皇帝は月」という言葉を残すなど、教皇権は絶頂に達した。

インノケンティウス3世
インノケンティウス3世

・しかし、それも長続きしない。フランス国王フィリップ4世が聖職者に対する課税を計画して教皇ボニファティウス8世と対立し、1303年には国王が教皇をローマ近郊のアナーニで捕らえる(いわゆるアナーニ事件。教皇はその後、死亡する)。

アナーニ事件
アナーニ事件

・王権の伸長を受けて、フランス国王フィリップ4世は1309年に教皇クレメンス5世を南フランスのアヴィニョンに移転させ教皇庁を設置した(教皇のバビロン捕囚)。以後7代69年間にわたり、ローマ教皇がフランス王の監視下に置かれることとなる。

アヴィニョン教皇庁
アヴィニョン教皇庁

・その後、西ヨーロッパはアヴィニョン教皇庁支持派とローマ教皇庁支持派に分かれる(教会大分裂(大シスマ))。この分裂は1417年のコンスタンツ公会議まで続き、ここに教皇の権威は失墜した。これがいわゆる宗教改革に繋がっていくことになる。

日本と西洋には、このような「権力と権威の二重構造」が明確に見られる。この二重構造が思想の自由を生んだというのは、やや論理に飛躍があるだろうが、中国の歴史と異なることは明白であると言える。

外国に支配されなかったことに価値がある

日本は天皇の血統が連綿と続いており、これは外国にはないことだから素晴らしいのだ、と言う人がいる。果たしてそうか。

本当に誇るべきは、日本が諸外国の支配を受けずに国体を守ってきたことにあるのではないか。例えば、仮に天皇制は続いていたとしても、鎌倉時代にイギリスやロシアが日本を支配していたらどうだろうか。それでも日本人は天皇の血統を誇るだろうか。

血統など大したことではない。北条氏や足利氏も何代も続いたではないか。

なかなか過激な議論であるが、思考実験といてはとても面白い。

日本はこれまで白村江の戦いや蒙古襲来など、何度か「国の危機」に見舞われたが、外国勢力が継続的に政治の実権を握ったことはなかった(詳しくはこちら

しかしながら、GHQが一時的に日本を統治した際、大方の日本人が願ったことは、主権の回復と同時に、天皇制の維持についてだった。1946年5月の毎日新聞朝刊に結果が載った世論調査では、象徴天皇制への支持が85%であった。

https://mainichi.jp/articles/20160208/org/00m/010/012000c

やはり日本人にとって天皇陛下は特別な存在であり、福澤の言うほどドライには考えられないということだろう。ちなみに2019年の毎日新聞アンケートでも、象徴天皇制への支持は74%に上った。

福澤の示すユートピア

戦争もなくなる。刑法も廃止される。政府は世の中の悪を止める手段でなくなり、物事を整えて、無駄な時間や労力を少なくするためだけの存在となるだろう。

約束を破る者もいないから、貸し借りの証文も訴訟の証拠にするためのものではなく、単なる備忘メモに過ぎない。盗賊もいないから、窓や戸はただ雨風を凌ぎ、犬猫が入ってくるのを防ぐだけのもので、鍵を用いる必要はない。(中略)

家庭での礼儀がしっかりしているので、外で説教を聞く必要もない。国全体が一家のようになり、各家庭が寺院のようになる。両親は教主のようになり、子供は宗徒のようになる。世界の人民は礼を空気として、徳の海に浴している。これが「文明の太平」である。

今から数千年後には、このような状態になるだろうか。私には分からない。

これが福澤の示す「ユートピア(理想郷)」である。

日本は当面の間は西洋を目標に文明を発展させていく必要があるが、それは西洋の猿まねという意味ではなく、理想郷に向けてのステップであるということを福澤は強調する。

とかく福澤というと、「今までの日本はまるでダメ」「アジアを捨ててヨーロッパの仲間に入ろう」「とにかく西洋化」と主張したと誤解されている面があるが、理想とする文明と、現実を大局的に眺めた上で、日本に必要な方策を処方したということである。

幕末~明治の偉人を並べると、こんな感じになるだろう。

【リアリスト】福澤諭吉(文明論之概略)

これまでの日本ではダメ。日本人は専制政府に飼いならされてしまった。早急に西洋近代化を。

【頑固おやじ】勝海舟(氷川清話)

今の連中は至誠奉公の精神が足りない。幕府時代の方が良かったことも多い。政治でも外交でも、俺ならもっとうまくやれる。

【理想主義者】西郷隆盛(南洲翁遺訓)

天を敬い、周囲の人を愛し、自らを謙虚に制御することこそが、人として生きる道である(具体的な開化政策には言及なし)。

脱・専制政治、入・社会契約

日本では古来、政府と人民は敵対関係と言っていい状態にある。例えば、徳川幕府が(参勤交代や普請で)諸侯の財産を費やさせたのは、敵に勝って賠償金を取ったのと同様である。

国民に造船を禁じ、大名に築城させなかったのは、戦争に勝って敵国の砲台を破壊するのと同様である。これが同国人に対するやり方だろうか。

この主張は、封建制度の隷属的人間関係を批判したルソーの「社会契約論」に通ずる。

ルソー
ジャン・ジャック・ルソー
社会契約論
社会契約論

ルソーは著書『人間不平等起源論』『社会契約論』で主張したことは、概ね以下のとおりである。

・人間は自然状態においては平等であるが、現実は一部の貴族が専制政治を通じて市民に経済的不平等を強いている。

・しかし本来、国家や政治は、市民の生命や財産を保全するための手段であるべきだ

・そのためには、市民は自分たちが持つ財産や身体などを含む権利の全てを共同体に譲渡し、共同体が単一な人格と一般意思を持つようにしなければならない。

・つまり、国家は自由平等な人間同士の契約によって成立し、法律は人民の一般意思の表現なのだ

しかし、江戸幕府は市民が「契約」して成立した組織ではなく、徳川家康が設立した、「藩」と「人民」の統治機構である。よって、福澤が「これが同国人に対するやり方だろうか」というのも、無理はない。幕府は藩と人民の力を適切に抑える必要があったのだから。

したがって、江戸幕府は、例えば大名に参勤交代を強いることで経済力を消耗させ、幕府を長生きさせることには成功したが、日本の国力全体は逆に低下させることになった。これでは当然、対外的な競争力が削がれることになる.

これは現代の企業でも言えるだろう。内部対立で足の引っ張り合いをしていると、そちらにパワーが割かれ、内部対立の無い健全な企業に勝てなくなるということだ。

キリスト教への態度

愚かな一般人民に道徳を啓蒙するために、キリスト教を用いようという人がいる。個人の徳を涵養するには良いが、宗教を政治に拡大し、それを一国独立の基礎に据えることは無理だ。

人類の博愛を説くキリスト教は広大すぎ、善いものすぎ、美しすぎ、高遠すぎ、公平すぎる。一方の国際政治は、狭隘すぎ、卑劣すぎ、浅すぎ、偏り過ぎている。

福澤はキリスト教を否定しているわけではなく、個人の徳を涵養するにはいいが、国家宗教とするには使いにくいということを指摘している。

一方、西洋列強は歴史的に、この「卑劣な国際政治」と「高遠なキリスト教」を結びつけてきた。キリスト教の宣教という仮面をかぶり、アメリカ大陸で略奪の限りを尽くしたスペイン・ポルトガルの例は典型である。

ちなみに、スペインによるアメリカ大陸での原住民虐殺の様子を、宣教師ラス・カサスはその著書「インディアスの破壊についての簡潔な報告」でこんな風に書いている。

原住民は謙虚で辛抱強く、また、温厚で口数の少ない人たちで、諍いや騒動を起こすこともなく、喧嘩や争いもしない。そればかりか、彼らは怨みや憎しみや復讐心すら抱かない。

しかしスペイン人たちは、誰が(原住民を)一太刀で真二つに斬れるかとか、誰が一撃のもとに首を斬り落とせるかとか、内臓を破裂させることができるかとか言って賭をした。彼らは母親から乳飲み子を奪い、その子の足をつかんで岩に頭を叩きつけたりした。

島には約300万人の原住民が暮らしていたが、今では僅か200人ぐらいしか生き残っていない。

この他にも、生きたまま火あぶりにしたとか、逃げ込むインディオを猟犬に襲わせて八つ裂きにしたとか、筆舌しがたい横暴ぶりを報告している。

「国際政治は、狭隘すぎ、卑劣すぎ、浅すぎ、偏り過ぎている」という福澤の徹底したリアリズムは、現代にも通じるだろう。

人事部長のつぶやき

孔子もぶった斬る

あの孔子ですら、時代の枠組みから脱することはできなかった。

彼の生涯の課題は、いかに周の天子を助けて政治を行うかであり、自分を用いてくれる人がいれば、そこに仕えた。国を建てるには君臣関係を基礎にするしかないと思い込んでいて、それが後世に残っている。

それ自体は誠実な考えから出たものではあるが、君臣関係という枠組みを所与のものとして考えていた。これでは人間の本性を論じているとは言えない。

さすが福澤諭吉。孔子の「限界」について指摘している。確かに孔子の言っていることは、君臣関係という枠組みを前提に、良い君子・臣下について論じている。

孔子

もちろん、福澤の目的は孔子を批判することではなく、人間の本性を論じるには枠組みに囚われてはいけないということを言いたいがために、孔子を引き合いに出したということだろう。

ちなみに私が学生の頃は、就職活動をして、少しでも大きな会社に入ることが当然に良いこととされていた。それも「時代の枠組み」に囚われていたということかもしれない。

あの孔子まで看破してしまう、福澤の大胆さ!

さらにぶった斬る

日本でも中国でも西洋でも、慈悲深い君主が出て国をよく治めたというのは昔話である。

これは君主一族の徳が衰えたわけではない。人民一般の智恵が増加したため、君主の仁徳を輝かす余地がなくなったのである。仁君は野蛮な非文明人に対してでなければ、貴いものではない。

このサイトで繰り返し出て来る「才徳兼備」という考え方ですね!

身も蓋もないけど、事実

改革や革命を起こすのは、大雑把に言えば、才能があって権限や金のない人である。

そりゃ、そうだ笑。フランス革命は民衆が、明治維新は下級武士が、辛亥革命では(満州族国家の清に従っていた)漢民族がその主役である。

中でも、明治維新は、下級武士とはいえ、特権階級が日本の国難を乗り越えるために自らの特権を捨てたという点で、やや異彩を放っている。

幕府にはフランスが、薩長にはイギリスが付き、日本はあやうく内戦⇒疲弊⇒植民地化という運命を辿るところだった。全体利益(国の存続)のために、部分利益(士族特権)を自ら制限した先人たちの大局観に敬意を表したい。

なお、アメリカの歴史家で哲学者でもあるウィリアム・ダラントは著書『歴史の大局を見渡す』で、同じようなことをこう表現している。

経済力が平均以下の者だけが平等を求め、自分の優れた能力に気づいている者は自由を求める。そして最後は能力のある者が意のままにする。

福澤の先見性が炸裂

中国や日本のきちんとした家庭の女性は、温厚で控えめであり、言動も立派で、家事を見事にこなすのは珍しくない。

では、どうしてそういった女性に社会で重要な仕事をさせないのだろうか。

本書の初版は1875年(明治8年)である。当時、こんな先進的なことを喝破できた福澤は、(自分で言うように)異端児として見られていたかもしれない。

しかし、これはすがすがしい。ちなみに「大学ランキング」(朝日新聞出版)によると、慶應義塾大学は女性教員の数で10年以上、トップを独走している。

慶應義塾はしっかりと創設者の志を受け継いでいますね!

上流と下流の違い

日本の富豪は決して学者や士君子出身ではない。十中八九、無学無教養な野人であって、恥を知らず、ただケチで蓄財した者だ。また、家を滅ぼした者を見れば、酒や女性といった肉欲にまみれて銭を失った者だ。

心の向かうところを論ずれば、上流の人には、なお智徳の働く余地がある。下流の人は、ただ銭を好むだけで、肉欲を満足させたいという気持ちがあるだけだ。その品行には大きな差がある。

福澤諭吉、世の中をぶった斬りすぎかもしれない。現代で言えば、言いにくいことを言うという意味では、著書に「言ってはいけない-残酷すぎる真実-」がある橘玲のようだ。

言いにくいことを言ってくれます。歯切れが良くて、気持ちいいですね!

リアリスト福澤諭吉

天地の公道(公正で道理のあること)は、もちろん慕うべきである。

西洋諸国がこの公道によって我々に接するのであれば、我々もまたこれに応じよう。しかし、西洋諸国がインドや中国でやっていることを見れば、そうは言っていられないことは容易に分かる。

公道に拠るのであれば、世界中の政府を、日本で旧藩を廃止したように、廃するべきである。その見込みは立っているだろうか。

そんなことはあり得ないのであるから、今ある政府を所与のものする必要があるし、政府がある限りは、それぞれの国民の私情を取り去るわけにはいかないではないか。

このあたりの物言いが、福澤諭吉と西郷隆盛の違いである。西郷はあくまで「天地の公道」を説くが、福澤はあくまでリアリズムに徹し、相手の出方や国際情勢によってこちらのドクトリンも変えるべきだと主張する。とにかく徹底した現実主義者である。

一般的には理想主義者西郷隆盛に人気が集まるが、私はこの徹底したリアリスト福澤諭吉も尊敬に値する存在と思う。

どこまでも理性的・合理的

イギリスが軍艦を千持っているので、日本も予算を増やして軍艦を千持とう、と言う人がいる。

しかし、軍艦が千あれば、商船は万あるだろう。商船が万あれば、十万の航海者がいるだろう。航海者を作るには学問・学者・商人も多く、法律も整い、商売も繁盛し・・・と、人間社会が整ってこその千の軍艦である。数だけまねても何の意味もない。

これまた、5歳児でも分かるような言い方で、軍事予算増を喝破している。このあたり、本当に頭の良い人でないと、できない芸当だ。

福澤諭吉
(ちくま文庫)

※齋藤孝さん現代語訳のちくま文庫版が分かりやすくておすすめ!