「代表的日本人」内村鑑三
基本情報
初版 1894年
出版社 岩波書店
難易度 ★★☆☆☆
オススメ度★★★★★
ページ数 208ページ
所要時間 2時間15分
どんな本?
明治の初め、日本における代表的なリーダー&インフルエンサーを、聖書との比較で欧米列強に紹介した「徳に基づく日本型リーダーシップ論」。代表的日本人として「西郷隆盛」「上杉鷹山」「二宮尊徳」「中江藤樹」「日蓮」の5人を挙げる。
「日本人の根底に流れる美意識」を理解する上で、同じ明治時代に英語で出版された「武士道」及び「茶の本」と並んで必読の書とされる。アメリカ元大統領ジョン・F・ケネディも愛読。ある日本人記者から「日本で一番尊敬する政治家は」と質問されたケネディは「Yozan Uesugi」と答えて日本人を驚かせた。
著者が伝えたいこと
欧米の皆さん!日本にもこんなに素晴らしい「徳に基づくリーダー」がいますよ!どうか分かってください!
著者
内村鑑三 1868-1930
キリスト教指導者。札幌農学校・アーモスト大・ハートファード神学校卒。札幌農学校では全学年を首席で通した秀才。聖書にのみ基づく「無教会主義」を唱え、著述活動等を精力的に行った。なお、「武士道」を著した新渡戸稲造と農学校同期。
こんな人におすすめ
グローバル社会において、日本人本来の「リーダーシップスタイル」を理解したい人。
背景解説
ペリー来航で開国した日本は、政治体制・経済体制・法体系等を整備し、近代化の歩みを始めるが、欧米列強からは劣等国として不平等条約を結ばされる。
内村は日清戦争が勃発する1894年に本書を発刊し、「代表的日本人」として西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳・中江藤樹・日蓮の五人をあげ、日本にも欧米列強に負けない徳や精神性があることを示した。
岡倉天心の『茶の本』、新渡戸稲造『武士道』も同様に、日本の高い文化を海外に示すためのものだった。なお、内村と新渡戸は札幌農学校の同窓生で、ともにキリスト教徒。
不平等条約の改正は、陸奥宗光外相・小村寿太郎外相の努力などもあり、1911年までに実現していくことになる。
要約・あらすじ
日本にも「徳」に秀でたリーダーは多くいる。例えば以下の5名である。
①西郷隆盛(政治家)
明治維新の立役者。正義を貫く、他人に利する、人を愛する。
②上杉鷹山(地方大名)
財政改革を為した大名。人を作る、部下(領民)を思う、長期の視点を持つ。
③二宮尊徳(農政家)
現代風に言えば農業コンサルタント。勤勉、自然と共に生きる、誠意。
④中江藤樹(教育者)
地方の教育者。生涯修身、才より徳、謙譲の美徳。
⑤日蓮(宗教家)
不屈の伝道師。天命、信念、独立独歩。
学びのポイント
西郷隆盛
西郷はNHKの大河ドラマにもなるくらいの有名人であり、「人徳」の代名詞のような人。彼の主張である「人」「正義」「愛」「無私」「利他」は、どれをとっても「徳」のオンパレード。
明治維新の随分前、西郷は薩摩の地で「新国家」の青写真を周囲に説明した。そしてその多くが明治政府で実現したという。当時の海外事情、国内情勢等を正確に見通す大局観も備えていた。
経済については「他人を富ませれば、いずれ自分に返る」という趣旨の思想を持っている。これを内村は「近代のベンサム的な功利主義者だったら、この西郷の考えを『古臭い経済観』と呼ぶかもしれない」と述べており、西郷の経済観を「徳」、ベンサムを「才」と位置付けている。
上杉鷹山
上杉鷹山は米沢藩の財政を再建したことで有名だが、単に机から財政政策や金融政策を指示していたわけではなく、50年、100年先を見据えた産業改革に手を付けていった。
荒地にはウルシの木を植え、用水路を作り、養蚕業を興し、短期の利益より長期の利益を重視した。現代の株式会社のように、投資家からの圧力で四半期ごとの決算に左右されるような環境では、こうした大鉈は振るえなかっただろう。
同じように、上杉は「興譲館」という藩校を再開し、人の教育にも乗り出す。教育こそ、50年、100年先を見据えなければ取り組めない。先進的な学問を積極的に導入し、ペリー来航の50年も前に西洋医学が医学校で教授されていた。
二宮尊徳
本名は二宮金次郎。のちに尊徳と呼ばれるようになる。まさに「徳のある尊い人」ということで、本サイトのテーマにぴったりの人。
尊徳は荒れた農村を、新しい農薬でもなく、大規模な投資でもなく、移住でもなく、住民の「道徳の力」で再建しようとした。これは非常に面白い試みである。
内村はアメリカを開拓したピューリタンと尊徳を並べているが、そのピューリタンも時代が下れば先住民族であるインディアンと戦い、自らの権益を守ったのであって、ゆめゆめ「道徳的」とは言えないだろう。
そもそも、隣人愛を説くキリスト教徒が、南米やアフリカで残虐の限りを尽くし、その多くを植民地していったことには、大きな矛盾をはらんでいる(欧米人は賢いので、自分からそのことには触れない)。
尊徳という人間を最もよく表すのは「最良の働き手とは、一番たくさん仕事をする者ではない。一番高潔な動機で働く者だ」という信念だろう。まさに「才<徳」の人物評価軸を持っていたということである。
飢饉の際に米を高く売り抜けた米商人が、その後、貧乏になった。その相談を受けた際に尊徳は「残りの少ない財産を全て売れ。それは自然の法則に反し、卑怯な手段で手にした悪銭である。」という趣旨のことを言っている。
この弱肉強食の金融資本主義が跋扈する欧米型グローバリズムのアンチテーゼとして、日本人なら大切にすべき考え方の一つではないだろうか。
中江藤樹
中江藤樹11歳の時、儒教の経書の一つ「大学」の一節、「少年から庶民に至るまで、人の第一の目的は、その身を修めることにある」に触発されて、聖人になるという志を立てた。
中江が生まれたのは1608年。よって志を立てたのは1619年頃。まだ大阪冬の陣・夏の陣が終わった直後で、3代将軍家光の就任前。力こそが正義だった時代に、しかも11歳で「徳」に目覚める。古典の影響力は凄まじい。
内村は日本人が大切にしてきた「両親」「師」「君(藩主)」を、どれも平等に重要ということで、キリスト教になぞらえて「三位一体」と呼んだ。何となく聖書に寄せに行った感じもある。ちなみに藤樹は藩主よりも母親を取った、というエピソードが語られる。
藤樹は明確に「才<徳」と考えていた人。内村は以下の藤樹の一節を引用している。
学者とはその徳を称える呼び名だ。生まれつき才能のある人なら、難なく文人となれるだろう。もっとも、いくら学問に秀でていても、それは学識のあるただの人だ。一方、文人でなくとも、徳が身に付いていれば、その人は学者である。
利をあげることが生きる目的ではない。誠実、正義、人の道こそ目指すものである。
法と道(真理)は違う。法は時代によっても解釈によっても形を変える。一方、真理は永遠から出てくるものだ。
日蓮
日蓮は従前より「なぜ、仏教には多くの宗派があるのか」と疑問に思っていたところ、仏陀が亡くなる直前に語ったと言われる「涅槃経(ねはんきょう)」の中の「真理の教えを信じろ」という一節から「仏陀の残した経典こそが唯一の拠り所だ」と考えるに至った。
内村はこれをプロテスタントの開祖とも言えるマルチン・ルターと比較している(聖書に返れ)。日本の事象をヨーロッパのそれに比定し、欧米の読者の理解を促す手法は「武士道」を書いた新渡戸と酷似している。
ちなみに「涅槃」は英語ではニルヴァーナ(永遠の平和、最高の喜び、安楽の世界の意)。
日蓮宗においては、浄土宗・禅宗・真言宗・律宗などは全て異端であり、比較的排他性の強い宗派と言える。時の北条氏にも反旗を翻し、複数回の島流しにも遭っている。
一般的に「何らかの信念に基づく排他性の高い集団」は、為政者や周辺諸国にとっては扱いにくい存在と言える。信長に抵抗した一向一揆、元朝末期の宗教的農民反乱である紅巾の乱、一神教で結ばれたユダヤ民族等は言うに及ばず、現代ではイスラム原理主義などがこれに該当するだろう。
なお、内村も日蓮の教えに限界があることは認めており「確かに日蓮の教義のほとんどは、今日の批評に耐えられないことは私も認める。彼の反論は荒削りで、語気全体が狂気じみてさえいる。明らかに日蓮は、調和を欠いた性格だった。その意識はあまりに一つの方向に突出し過ぎていた」と述べている。
人事部長のつぶやき
現代の道徳教育に物申す
内村は「封建制にも欠陥はあったが、それを追い払うことで、これまであった忠義や武士道、胆力や人情までもを失くしてしまった。(中略)争いごとが起きれば、文書に定めた決まりにそって処理され、かつてのように心をもって裁くことはなくなる」と述べています。
これは本サイトのテーマである「封建制=心で裁く=徳」「近代社会=文書で裁く=才」という見方(「スキル(才)」と「人間力(徳)」とは参照)ですね。
内村は明治時代に既に「忠義や武士道、胆力や人情」の消失を嘆いているわけですが、第二次世界大戦後の日本では、さらにそれが加速しました。
戦前、日本の小中学校では「修身」という授業がありました。英語のmoral scienceで、これを修身と訳した福澤諭吉によれば「修身学とは身の行いを修め、人に交わり、この世を渡るべき天然の道理を述べたるものなり(学問のすすめ)」ということになります。
そして「教育勅語」というものもありました。色々と評価は分かれているみたいですが、「国民道徳協会」の現代語訳の一部を読んでみましょう。
国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。
そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
このサイトでは政治的な議論は避けますが、戦前の小学生はこの教育勅語を暗唱していました。つまり体に覚え込まされたわけです。ここに書かれていることは日本人としてだけでなく、人類としての基本的な道徳観が込められているので、私個人としては全く不自然なことではありません。
一方、現代の文科省は、道徳という科目について公式に以下のように言っています。
道徳科の評価で、特定の考え方を押しつけたり、入試で使用したりはしません。
「特別の教科道徳」では、道徳的な価値を自分のこととしてとらえ、よく考え、議論する道徳へと転換し、特定の考え方に無批判で従うような子供ではなく、主体的に考え未来を切り拓く子供を育てます。
(文科省webサイト「道徳の評価はどうなる??」より)
皆さんはこれを読んでどう思われるでしょうか。あくまで私の個人的な意見ではありますが、、、
「主体的に考え」だって!?
中学生ならまだしも、小学生に、初歩的な道徳について是か非かを判断させるということ??
これは明らかに文部官僚が自らの責任を回避し、子供に転嫁しているだけ。自分たちが責任をもって教えられない科目って一体なに!?
と思ってしまいます。初歩的な道徳なら、足し算や漢字と同じく、繰り返し話をすることで、日常生活に馴染ませていくべきではないでしょうか。
中国という国をどう見るか
内村はこんなことも言っています。「陽明学を学んだお蔭で、日本人は救われた。すなわち、内気、臆病、保守的、後ろ向きな人間にならずに済んだ」。つまり、中国が生んだ陽明学という学問に感謝と敬意を表明しているわけです。
この「代表的日本人」が発刊された1894年はまさに日清戦争が勃発した年。明治以降の日本人は、中国を「後進国」と見る向きもありますが、もともとは中国は、日本人にとって尊敬すべき国でした。
世界4大文明の一つである黄河文明はもちろんのこと、紀元前に孔子をはじめとする大思想家、羅針盤・火薬・紙・印刷という4大発明、秦・漢・唐といった大帝国の運営、宋・元・明での陸海にわたる活動等々、、、
紀元前の3大哲人(ビッグネームばかり!)
先ほどの道徳に続き、これも政治的な議論に発展しそうですが、今の共産党支配下の中国に対する評価はどうであれ、
私も内村と同様、歴史上の中国には敬意を払うべきと考える人間の一人です。