どう「徳(人間力)」を身に付けるか

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人事部長

上場企業に入社以来、経営・財務・営業・人事・海外事業等を経験し、現在は人事部門のマネージャです。

「才徳兼備」を目指す部下に紹介している「骨太の教養本100冊」を、順次web上にも公開しています。

慶應義塾大学経済学部卒業、シカゴ大学経営大学院修了(MBA)、米国公認会計士。

どう「徳(人間力)」を身に付けるか

「徳」を身に付けるために必要なこと

それでは、どうすれば「徳」を身に付けることができるのでしょうか。

当然ながら、「徳」の涵養法を理論化した人はいないわけです。暗黙知を「才」の力で理論化するというのは、そもそもの定義から不可能なわけですね。私も含めて、全ての人間は成長途上です。

では、なす術はないのでしょうか。視点を少し変えてみて、「徳」が絶対に身に付かない状態、ということを想定して、その状態を脱するというアプローチを採ってみましょう。

そう考えるとどうでしょうか。少なくとも「毎日同じような生活を繰り返し、何も考えずに生きているだけでは、何も身に付かない」ということは言っても良いのではないでしょうか。これを乱暴に一般化することは危険ですが、おおかたの人の了解を得られるのではないかということを前提に、思考のプロセスとして、このまま前に進んでみます。

まず「同じような生活を繰り返さない」ようにするにはどうしたら良いか。これには何らかの「活動」が必要ということになる。そして「何も考えずに生きない」ためには「内省」が必要ということになります。ここまでは概ね了解できるのではないでしょうか。

そしてここから先は、各個人が自分で考えていかなければなりませんが、「私はこう考えて生きている」という例として、お話を進めていきたいと思います。

「活動(人・体験・本)」と「内省」

まず、私達が住む世界の全体を表してみる。横軸は時間。左が未来で右が過去。縦軸が空間。そしてその交点に自分がいる。これで自分に関係するすべての世界が、「重複なく・漏れなく」考えられます。

ちなみにこの「重複なく・漏れなく」を、英語では「MECE(ミーシまたはミース。Mutually Exclusive and Collectively Exhaustive)」と言い、MBAでは必ず習う項目です。このアプローチは完全に「才」の世界に属するものですね。ただ、思考を進めるためのツールなので、うまく活用していきたいと思います。

この私たちを取り巻く世界の中で、どうやって「活動」と「内省」を実現していくのか。どのような要素が「徳」や「人間力」を高めるのかを考えていきます。

まずは、私たちが生きている、今この瞬間の世界。X軸は原点Oだけれども、Y軸の空間は広がっている。

ここではやはり「人」ではないでしょうか。様々な価値観、年齢、性別の人と交流する。ここには家族や親族、親しい友人も、もちろん含まれます。人との交わりの中で、感受性が磨かれ、他者を受容する力が養われ、或いは目標となるような人が見付かったりするわけです。

その次は「体験」だと思います。ここには色々な体験が含まれますが、私が特に大切な体験だと思うのは「仕事・芸術・異文化」の3つです。

まず「仕事」は人を成長させます。様々な困難、対人関係、何かを成し遂げた際の充実感ややりがい、仕事は「才」の側面も大きいですが、こういった「徳」の側面を涵養することにもなります。

そして芸術です。何が正しいか、何が善いことか、というのは時代と場所でそれなりのバラツキがありますが、何が美しいかというのは洋の東西を問わず、それほど変わらないと思います。私達東洋人が、古代ギリシャの彫刻を見ても、印象派の絵画を見ても、「美しい」と思うわけですよね。

もちろん、この「芸術」には、彫刻や絵画だけでなく、音楽・映画・舞台・漫画等も含まれます。ギリシャ時代のリベラル・アーツ、いわゆる教養科目には音楽が含まれていました。芸術は、人間の発想・思索・認識等の発露です。芸術に触れることは、人間に触れることに他なりません。

この「美しい」という価値観。時代や場所に左右されない、人類に普遍的な感覚を養うことには、大きな意味があるように思います。

そして異文化です。異文化については、触れること自体に意味があるというよりは、自分と異質の文化・言語・習慣・価値観に触れることによって、自分を相対化するというか、自分の価値観を比較によって浮き上がらせて、深く理解するということだと思います。これまで当たり前だと思っていたことが、実はそうでもないということが分かる、といったことですね。

異文化への触れ方は、旅行や留学で海外に出る、ということには限りません。これまで触れてこなかった分野、例えば新しいスポーツに挑戦してみるとか、これまで付き合ってこなかったような人たちの輪に入ってみるとか、そういうことも異文化に含まれます。

ここまで、時間軸は「現在」として、空間軸の話をしてきました。次は、時間軸を「過去」とします。

私たちが「現在」という立ち位置から「過去」を知ろうと思うと、手段が限られます。おじいさんやおばあさんに話を聞く、といっても、せいぜい100年前の事柄くらいが関の山です。

そこで出てくるのが「本」です。もちろん、過去の芸術作品や、いわゆる世界遺産等も過去をしる手掛かりではありますが、情報量としては本が圧倒的です。「徳」を身に付けるうえで、最も大切なものは、この「本」ではないかと私は思います。

ではどんな本が良いのかというと、まずはジャンルを問わず、古典です。古典の何がいいかと言えば、評価が定まっているということです。内容の薄い「駄本」は時代とともに淘汰されて、多くの人が「価値がある」と判断した本だけが、現代に残ってきているわけです。

読書論については、それだけで何時間もかかってしまうので、ここでは話を進めていきます。

次に、X軸とY軸の交点、つまり自分です。人・体験・本といった「活動」を通じて、自分は何を考えるのか。今をどう生きるか、そして将来どうしたいのかを考える「内省」も、人間力や得を涵養するうえでは必要不可欠です。

では、具体的にどのように「活動」し「内省」すればよいのか、という話をしてみたいと思います。

具体的に為すべきことは

まず「活動」から。キーワードは「同じような生活」を脱するということでした。

人間、長く生きていると、自分が心地よくいられる領域が固まってくる。それを一般的に「comfort zone(心地よい領域)」と言ったりします。

皆さんはどうでしょうか。例えば読む本、同じようなジャンルや特定の作家に偏っていないでしょうか。あるいは会う人ですね。いつも同じようなメンバーで飲みに行ってないでしょうか。行く場所も同様です。それらを積極的に広げていく努力は必要なのではないでしょうか。

それから、例えば関心を持つニュースやスポーツ。別に、興味の全くないニュースとかスポーツに手を広げろとは言いません。今、国際情勢に関心があるのであれば、それをもっと深めてみるとか、今、フットサルにハマっているのだとしたら、もう一段上のレベルに行くにはどうしたらいいかを仲間と真剣に考えてみるとか。

つまり、いま自分が気持ちよくいられるcomfort zoneが広がったり深まったりすればいいわけです。それだけで、「同じような生活を脱する」という目的は達成されることになります。

次に「内省」です。Comfort zoneを広げたり深めたりするのはいいですが、それだけでは不十分だと思います。仕事に向かう姿勢、何かを判断する軸、今の時間の使い方に自分は納得しているのか、どう強みを伸ばし、弱みを補うのか、負の心をどう制御していくか、家族とどう向き合っていくかなどなど。

論語の言葉を借りれば、「活動して内省せざれば即ち罔し、内省して活動せざれば、即ち殆し」とでもいえると思います。活動だけして内省しなければ、活動を人生に活かすことはできず、内省ばかりで活動しなければ、内省を人生に活かすことができない」というようなことですね。

以上、長々とお話ししてきましたが、徳を身に付けるには「活動(人・体験・本)」と「内省」が必要で、その中でも「本を読むこと」が最も大切ではないか、それが私の言いたいことです。

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